「丁度よい」が「丁度よい」【時事所感98】
私的な話、
中学の時、雨のために教室自習になったときに、
教室を代替で受け持つ体育女性教諭が時間の終わり間近にこんな話をしていました。
「普段は体育の授業で真面目な話がなかなか出来ないから・・・これは皆に話しておきたい」
「『丁度良い』が『丁度良い』」
普段は気さくで明るく元気、生徒全員と会話する先生、
突然の神妙な面持ちでどんな話をするのか、
教室の皆が関心を寄せたが
拍子抜けしたかのように皆一斉に笑った。
「真剣に話しているんだから、ちゃんと聞きなさい」
「『丁度良い』が『丁度良い』。
貴方達が将来成長したときも、
何事においても、
いつのときも、
如何なるときも、
これは覚えておいて欲しい。」
この先生の話を聞く機会は、
私が転校したためにこれ1回きりでした。
随分と以前の話をよく覚えていたものだとは
我ながら思います。
話を今回の主題にしたいと思います。
バランスです。
判りやすい話からすれば、
肉ばかり食していても弊害がある。
野菜ばかり食していても弊害がある。
栄養の偏りが躰に変調を来します。
私は元々幼い頃から
「反権力」の考え方から「反体制」や「戦争反対」「平和思考」「世界市民」の考え方を若い頃まで持ち続けていました。
故に上記の思考や思想については相当に理解しています。
「今もそうか?」
答えは「いいえ」です。
敢えて言うなら、
「バランスを多少取りながらの真ん中」
とでも言っておきましょうか。
右から押し寄せる波が強すぎれば、
それに抗うだろうし、
左から押し寄せる波が強すぎれば、
それに抗うだろう。
単に「左」とか「右」の話だけでは片付けられない。
色々な考え方や意見を持った人々、
したも多数とか大量どころか膨大な数の人々がいる。
もっと視野を広げると、
国、民族、政治体制、経済システム、言語、文化、歴史、思想、哲学、宗教、
あらゆる相当に複雑な関係性がある。
ある事象について1面や2~3面程度を観察思考したところで、
欺瞞や怠慢になってはいけない。
自分達にはまだまだ知らない見識や思考があるのだと、
自分達はそれ程までに完璧なのかと、
自分達に対しての疑いの念を維持しながら、
日々精進していく、努力していく、
そういう忍耐力が必要だと思います。
肉大好きな野菜嫌いな人は野菜の美味しさ、メリットを知る、経験することを、
野菜大好き肉嫌いな人も同様、
お勧めします。
論理や思考の違う相手でも話を交わすことで、
相手にも自分自身にも新たな気付きがあったり、
各々の主張について一理も二理もあることに理解を深める、確認作業が出来る。
唯々相手の論理主張を全否定するのではなく、
寛容の精神、構え方が必要なのです。
極端な考え方、急激な過度なやり方ではなく、
「『丁度良い』が『丁度良い』」

