これはあとがきです。
ご興味のある方は、こちらもご拝読ください。
私たちは、いつも他人と比べようとします。
近所を散歩するときと同じ服装で
友人の結婚式に参加する人は、
あまりいません。
服装だけでなく、しゃべり方や振る舞いも
その場に合わせようとして
周りを観察して自分と比べます。
比べる目的はその他にも
レベルの高い人をうらやんだり
逆にレベルが低い人を見つけて安心しようとしたりします。
動物は生存本能の中に
強い遺伝子を残すためにオス同士が競ったり
メスが好みで選ぶシステムがあります。
その点は、人間も同じでしょう。
でも、人間は、遺伝子を残すこととは別に
文化の伝達を本能に組み込みました。
例えば、絵画がうまいことや、物語を作れることは
動物的な生存には直接関係がありません。
だけど、それらのスキルの有無や優劣を比べて
上下の格差をつける傾向があります。
ですが、スキルの全てが人気とは限りません。
のび太は、あやとりやピーナッツの投げ食いでは
誰にも負けないスキルがありますが
誰にも「優れている」とは言われません。
この社会では報われない」
ということが、現実社会では大いにあります。
「比べる」ということは
競争することと
協調することに
必ず必要ですが
必ず格差を生みます。
そして
生存にかかわる特性の優劣と
文化に関する特性の優劣が
混ざりあって、引き離すことができないので
よく、人は混乱し、とても悩むことがあります。
そんな時にはよく、
「幸せに生きるためには、人と比較してはいけない」
という言葉を耳にします。
だけど、比較することは動物としての行動原理なので
簡単にできるはずがありません。
そうすると、それを正当化するルールや
神さまの教えを語って、それを守り実行しようとして
さらに、捉われていくことがあります。
人間の本質の中には
他人と比べて、競争し、協調することで、
個人と社会を育てる特性があります。
その本質に気付き
個人と社会の性質を理解して
また、許容することで
私達は「比べる」ということの
本当の意味を味わうことができるのかもしれません。