この項では、これまで述べてきたことから、

要点を以下の通りまとめる。
 

 

人間と動物には区別がないが、

人間は複雑な言語を手に入れたことによって

文化を発展させ、

 

遺伝子に加えて、『ミーム』の伝達が

種の生存維持の目的に組み込まれた。

 

 

 

 

思考と想像力の発達は、

未来を予測する力を得て

文化の発展に寄与したが、

同時に、『生老病死』の苦悩を持つこととなった。

 

これを解消するために、

再び想像力の力を借りて、

神的なものを発明してきた。

 

神的なものは、苦悩の解消とともに、

社会の規律維持にも活用され、

 

その社会の善悪の判断基準として

強い信奉とともに確立されてきた。

 

神的なものの発明と並行して、

人間にとって最大の苦しみである『死』は、

魂の存在によって、転生や昇華に希望を見出した。

 

 

しかし、私たちを含む全てのものは、

「固有の魂」を持つことはない。

 

 

時間的・空間的な視点によって、

魂を分ける境界はない。

 

であるからして、

私たちが感じる「固有の魂」は、

「個別の神」の存在も含めて、

 

私たち人間が得意とする想像力によって

作り出されたものであると考えるほうが自然である。

 

 

魂が切り分けられないことと同様に、

観測されている『今』が複数に分裂することもできない。

 

 

『今』の刹那の直前は、

やはり一つに定まっており、

その一瞬の直前も、また同様である。

 

過去に分岐がなかったように、

未来にもおそらくは分岐がない。

 

 


私たち人間は社会性の動物であり、

したがって、社会の善悪基準の中で

個の善悪と常にすり合わせながら過ごしている。

 

集団内には当然ながら個の歪みがあり、

一定の領域の中を普通として、

領域外を異常と見るのが

人間の性(さが)である。

 

いわゆる異常が集団内にあることは、

動物として、

また社会性の生き物として見たときの

集団の生存維持の仕組みであるが、

 

集団内にいる個体は、

集団全体の維持のための仕組みであることを理解し得ない。

 

したがって、この違いがあることの意味付け・理由付けに、

無条件に正しいとされる神的なものの存在や教えが、

すんなりと嵌まりやすい。

 

 

これによって、私たちの人間社会は、

神的なものとの結びつきが容易かつ強固となる。

 

 

あらゆる視点から見れば、

真理としての善悪はない。

 

波の泡沫のように、

善が悪を、

悪が善を産み出し、

 

ただただ互いに関連しながら、

現れ消えていくだけなのである。