言葉は変化していくものです。とりわけ現代英語はその文法的仕組み上、構造的に変化しやすい言語と言えます。その変化をとらえて辞書の記述へ反映していくことは容易なことではありません。今回は英語の品詞を中心に変わっていく言語とそれを捉えることについて見ていきます。
「英語の発達史から見ると、英語は時代の経過とともにゲルマン語が本来持っていた屈折(inflection) を喪失・簡略化し、述語動詞とその項(argument)との関係を屈折接辞ではなく、語順によって表現する言語へと変貌してきた。転換の用例が豊富に存在することは、こうした事情が背景にあると考えられる。」
市川 真矢『英語における転換についての一考察』2014
品詞はparts of speechの訳語です。partsは「部品」、speechは「発話」≒「文」を意味します。つまり品詞とは文を組み立てる部品です。ゲルマン語が本来持っていた屈折は、部品の使い方を指定する標識の役割を持っていました。
現代語では、例えばrealizeやsimplifyの接辞-ize/ -ifyはこれらの単語が「動詞」として使う部品であることを指定する標識markerの役割をします。現代の英単語が屈折を消失したということは,使い方を示す標識markerを失ったことを意味します。無標unmarkedの英単語のparts of speechは慣用による縛りが多少ある程度で、基本的には使用制限が緩く自由度が高いことになります。
社会的な言語languageと個々の発話speechの違いについて述べた論文の記述を引用します。
The main distinction between language and speech is in the following:
1) language is abstract and speech is concrete
2) language is common, general for all the bearers while speech is
individual
3) language is stable, less changeable while speech tends to changes
4) language is a closed system, its units are limited while speech tend to
be openness and endless.
A.T. Iriskulov『Theoretical Grammar of English』2006
簡単に表現すると、言語は抽象性、普遍性、安定性、閉鎖性を特徴とし、一方発話は具体性、個別性、可変性、開放性を特徴とするということになります。文法や語法はその言語の話者の間で社会的にコードされたもので言語に属し、個々の表現は発話者が個人的に発するもので発話に属します。個人の発話speechは聞き手に伝わるように社会的コードを参照しますが、基本的には話し手が自由に表現するものです。
自由度の高い英単語は、変化を許容するspeechを組み立てる部品partsとして自在に使われます。英語が頻繁に品詞転換を起こすのは、こうしta構造的な理由があるのです。-ize/-ifyなどの屈折に依らずに、形態はそのままで品詞を変えて使うことを単に「転換」と言います。また、転換は「ゼロ派生 (zero-derivation)」と呼ばれることもあります。転換に関する論文の記述を紹介します。
「転換」とは,単語の形は変えずに品詞を変化させることにより新語を生み出す方法である。なお,品詞の変化に伴い,意味の変化が生じることにも注意しなければならない。例えば,(1a)は名詞のbagが単語の形(スペリング)を保持したまま動詞へと品詞が変化し,過去を表す接辞-edが付加している例である。
1) a. He bagged the goods. (名詞のbagが動詞化)
b. They emptied the bath. (形容詞のemptyが動詞化)
c. He downed his drink. (前置詞のdownが動詞化)
神谷 昇『英語教育における品詞指導の重要性再考』2020
現代英語は、部品の使い方を指定しない代わりに、SVOのように語順を固定化しVの位置に置いた語を述語動詞とします。単語自体の形態は変えなくても、英語本来の文法的仕組みである語順に従っていれば、英語話者は品詞を変えて使っていることは理解します。
このような品詞転換は基本的に口語で起きます。
話し手と聞き手の間の共有情報は、書き言葉よりも話し言葉の方が多いのがふつうです。特に親しい間柄で交わされる会話では、個人が使うspeechは言外の情報も含めた文脈の中で使われるので、社会的な慣用に無い言い回しでも伝わるものです。
ラテン語のように口語では廃れて文語にだけ残った古典語は別ですが、生きて使われる言葉は社会変化に合わせて変化していきます。社会的な慣用としての品詞ではなくても、本来の文法的仕組みに従えば個々の発話speechでは十分伝わる表現を生み出します。そうして初めのうちは個人間の会話で使っていた表現が特定の世代や階層に広がっていきます。社会的な交流が活発な近代社会では、いつの時代でも若者言葉や業界用語は自然発生するがものです。一部地域や階層だけで使われていた表現がやがて社会的に広がり慣用として定着していくこともあります。
広く一般化して慣用になった表現のうちのいくつかはlanguageに組み込まれたものとして認知され、辞書に記載されます。上記のbag、empty、downはロングマン英英辞典(LDCE)にはverbとして次のように載っています。
【bag】 to put materials or objects into bags
【empty】 also empty out if you empty a container, you remove
everything that is in it
【down】 to drink or eat something quickly
――LDCE1995
転換は1500年頃に屈折を失って成立した現代英語の文法的特徴です。歴史的に多くの単語がparts of speechの転換をしています。SVOのVに置けば動詞、SかOの位置に置けば名詞と転換が容易なことから、動詞と名詞の間での転換が起こりやすいと言えます。
英語のspeechは発音と文法が密接に関わっています。屈折という標識で示せなくなった代わりに、口語では発音の違いでparts of speechを示す場合もあります。
「転換は子音や母音の発音,スペリングに影響を与える場合がある。例えば,(2)において,各語の語末の子音は名詞では無声音であるが,動詞ではそれが有声音に変化する。
2) a. 名詞 [-s] 動詞 [-z]
house(家) house (家に入れる)
advice(忠告) advise (忠告する)
use (使用) use (用いる)
b. 名詞[ -f] 動詞 [-v]
grief(悲嘆) grieve(嘆き悲しむ)
half(半分) halve(半分に分ける)
belief(信念) believe(信じる)
c. 名詞 [-ϑ] 動詞 [-ð]
mouth(口) mouth(口に入れる)
sheath(さや) sheathe(さやに収める)
wreath(花輪) wreathe(花輪にする)
同様に,(3)は母音が変化する例である。
3) a. [-e-] [-i:-]
breath(息) breathe(息をする)
b. [-æ-] [-ei-]
bath(風呂) bathe(入浴する)
――神谷2020
発音の違いでparts of speechを示す手段として、2音節語では強勢によることはよくあります。このとき強音と弱音で母音の音素も変わり、弱音は曖昧音になります。
「転換が関与し,強勢の位置が異なる動詞と名詞のペアにおいては,動詞から名詞が形成されたと考えられている(Quirk et al. (1985),大石 (1988) など)
4) a. conDUCT (動詞;「行動する」)
b. CONduct (名詞;「行動」)
5) a. conTRAST (動詞;「対照する」)
b. CONtrast (名詞;「対照」
6) a. proTEST (動詞;「抗議する」)
b. PROtest (名詞;「抗議」)
上記の例から明らかなように,転換が関わる単語の一部については,強勢の置かれる位置が予測可能である。具体的には,名詞の場合には強勢がその語の前寄りの音節に,動詞の場合には,それが後ろ寄りの音節に置かれることがあり,この「規則」はいわゆる「名前動後」として広く知られている。」神谷2020
英語がストレス言語といわれるのは強勢によって意味が変化するからです。品詞に応じて強勢を前に置くか後ろに置く、いわゆる「名前動語」が成り立つのは2音節以上の単語です。英語本来語は屈折を消失した結果として一音節の語が多いので必ずしも当てはまるものではありません。
屈折に代わって発達した文法手段は他にもあります。単語自体の形態はそのままで、いわゆる5文型ではなくても他の語との配列によって転換することもできます。
「既存の単語から新しい語を作り出す語形成には様々な過程が存在する。主要な語形成である複合・派生よりは生産性が低いが、語の形を変えずに品詞を変える「転換」(conversion)も英語では比較的多く見られる語形成過程である。
7)a. the bottle to bottle
the file to file
the skin to skin
b. to call a call
to guess a guess
to jump a jump
(7a)は元が名詞で転換して動詞になっている例、(7b)は元が動詞で転換して名詞になっている例である。転換の方向性に関して、上記の(7a)では、たとえば名詞のbottle(びん)が元になって動詞のbottle(びんに詰める)が成立している。そして、(7b)では、動詞の jump(跳ぶ)が元になって、名詞のjump(跳ぶこと)が成立しているなど、どちらが元になっているのかは問題とならない例であるが、中には名詞と動詞のどちらが元になっているのか、判断がつかない例も存在する。」
小原 真子『Oxford English Dictionary Online で見る英語の転換』2024
ここに例示しているthe bottle、a callなどは機能語のtheやaが標識となってこれらのparts of speechが名詞であることを示しています。またto bottle、to callなどは機能語toが標識となって動詞(不定詞)であることを示しています。
parts of speechとして「動詞(不定詞)」と表記しましたが、この表記に違和感がある人もいるかもしれないので説明しておきます。SVOというspeechに使われた場合のVにあたるのは文の成分として「述語動詞」と言います。本来なら、文の成分は主語、述語、目的語のようにと「語」とすれば整合性があるのですが、学校文法ではVを簡易化して単に「動詞」と呼ぶ慣例があります。
これに対して、品詞parts of speechは、speechに使う前のpartsとして想定されていると考えることができます。もっと言えば、現代英語は標識が無い部品なので、動詞とか不定詞とかいう呼び方にあまり意味はないのです。
この論文には「中には名詞と動詞のどちらが元になっているのか、判断がつかない例も存在する」(小原2024)とありました。このことは、標識の無い英単語は事前にparts of speechが決まってはいないこと、つまりparts of speechの不特定性という現代英語の特徴を示しています。それは英語ネイティブの文法感覚とも言えます。
大学教員で12年間英和辞典の編集に携わった英語ネイティブのDave Telke の論文からその記述を引用します。
「新たな語釈と例文だけではなく、almost の品詞はどうしますかと編集長に言われました。品詞というのは単語を働きや語形変化などによって分類したもので、英語の場合、名詞、動詞、形容詞など8種類があります。品詞が分かれば、その語の使い方・働き方などが分かるというので、すべての単語をどれかの品詞としなければならないと、文法学者たちは考えているのです。
それでalmostは伝統的に副詞とされています。ところが、名詞や動詞など、ほかの品詞にうまく当てはまらない単語がすべて副詞とされているので、副詞という分類はむしろ「ゴミ箱」のようなものとなっています。したがって、almostは副詞だと言っても、その働きや使い方などについてはほとんど何も教えてくれません。almostはalmostで、品詞なしでいいと思います。と言ったら、だめです。品詞を書かなかったら、読者、特に英語の先生などからどんどんクレームが来ます。やむを得ず、はいはい、almost は副詞、ということになりました。」
テルキ デイブ『英単語の習得と意味―訳語よりも経験』
この記述は、単語の品詞を固定的に捉えようとする学校文法と、単語を自在に使いこなす英語ネイティブの文法感覚の違いをよく表しています。これは、古典文法の品詞という概念によって固定化するlanguageと、本来の現代文法の仕組みを使って生み出されるspeechの違いと言っていいかもしれません。公的は場ではともかく、普段の会話で古典文法の品詞を厳格に守ってspeechを発する英語ネイティブはいないでしょう。
改めて、英語の品詞parts of speechがどのようなものかを述べた文章を紹介します。
「基本的な文法の用語である品詞(parts of speech)について考えてみよう。一般に、学校文法では「名詞」「代名詞」「形容詞」「動詞」「副詞」「前置詞」「接続詞」「間投詞」の8品詞を認めている。8種類とする習慣はアレキサンドリア時代にまで遡り、形態的に明確にできる言語(ギリシャ語・ラテン語)の分類が基盤となっている。しかし周知のように、英語のように語形変化の乏しい言語では形態的特徴を唯一の手がかりとして品詞を分類することはできない。
たとえば形容詞と副詞で用いられるfast, early, hardなど、動詞と形容詞で用いられるclean, close, complete, call, look, visitなど、英語には数多く存在する。次の例では、downは5つの品詞として現れている。
The climbers are now coming down. (副詞)
You should take the down train. (形容詞)
She climbed down the ladder. (前置詞)
Everybody has ups and downs. (名詞)
The government easily downed the opposition. (動詞)
――Declerck
結局のところ、品詞の定義は個々の品詞そのものの形や意味に求めるやり方は行き詰まり、文中の要素としてどのような機能を果たすかという点に言及せずに品詞の明確な分類はできない。」
高橋 順子『英語の品詞に関する研究ノート』2008
ここに挙げてある用例はそれぞれ次のような意味です。
「登山者たちは今、降りてきている。」
「下りの電車に乗るといい。」
「彼女ははしごを降りた。」
「誰しも浮き沈みはある。」
「政府は容易に野党を抑え込んだ。」
学校文法はギリシャ語・ラテン語文法を理想として創られた規範がもとになっているので屈折を重視しparts of speechは事前に決まっていると考える傾向があります。しかし屈折という標識が文法手段として機能したのは古典英語です。
従来の学校文法では冠詞aは「可算名詞に付く」のように説明して来ました。それは英単語の使用法があらかじめ名詞と決まっている古典文法の発想です。次のような「転換」はどのように説明するのでしょうか?
接続詞→動詞、名詞 But me no buts.(「しかし、しかし」と言葉を返すのはやめてくれ。)
助動詞→名詞 a must(絶対必要なもの、必ず見る・聞くべきもの)
疑問詞→名詞 the how(方法)/the why(s)(原因、理由)
市川 真矢『英語における転換についての一考察』2014
従来の古典的説明では「butやmustやhowやwhyが可算名詞だからaが付く」となります。品詞が転換したから規則に従ってaを付けるというのは考えられません。社会的慣習に無い単語をはじめて転換して使うspeechを発する時に話者間でbutやmustが名詞であるという共通認識があると考えるのは不自然でしょう。慣用になくても話し手と聞き手の間で伝わるのは、機能語aに後置した語は可算名詞として使うという文法コードがあるからです。
無標の現代語の現象を、古典文法の論理で説明するとこのように非論理的になってしまいます。現代英語は機能語が標識となって後置する語の文法性を示します。この論理に従えば、冠詞aは後置する語を可算名詞化する文法機能を持つと言えます。英単語のparts of speechは事前に備わっているものではなく、冠詞という標識によって付与されると考えるのが合理的でしょう。
一般の辞書が単語を可算名詞と不可算名詞と分類して表記するのは、1960年頃にEFL学習者対象として始められました。英語話者は伝えたいことがらのイメージによって可算・不可算を使うので事前の分類は不要なので、英語話者向けの辞書には必要なかったのです。以前の記事で紹介したように単語の可算扱いするか不可算扱いするか辞書によってばらつきがあります。不可算名詞とされる例にinformationやfurnitureなど決まって限られたものが例示されるのは、一般的は可算・不可算の一方でしか使わないと確立した語はそれほど多くないからです。
品詞さえ不確定なのにその下位分類が確定しているということはあり得ないでしょう。辞書にある可算・不可算はEFL用の使用の目安であって確立した規則ではないのです。英語ネイティブは失われた古典文法に従ってspeechを組み立てるわけではありません。現代英語の文法的仕組みである語順や機能語を駆使して単語partsを自在に使ってspeechを組み立てます。
自在に使われて変化する英単語を、辞書がどのように記述しているのかを見てみましょう。
小原に2024では、1900-2009年の期間におけるOED Onlineで「転換」による新語を分析しています。この間に登録された新語は計1,623 例あり、その内訳を次のグラフで示しています。
1990年代以降の転換による新語が減っているような印象を受けるかもしれないが、これは辞書に語が項目として取り入れられる作業が、新語が辞書の項目として採用されるためには、一定の年月や使用頻度の確認が必要(最新の名詞転換動詞 deadname は 2013 年の初出の用例、OED への導入は 2021年)であり、1990 年代以降の新語については、改訂作業が進むにつれて、今後項目数が増加していくものと考えられる。
小原 真子『Oxford English Dictionary Online で見る英語の転換』2024
OEDは学術的な辞書で慣用を重視し、新語や新たな用法を積極的に採り入れて収録する傾向があります。さらに記載が早いOnline版でも転換による新用法を登録するのに数年から二十年くらいはかかるのです。実際に広く使われている表現でも辞書が採用するまでには時間を要します。
一般の辞書の編集についての記述を引用します。
「OED のような学術的辞書は「言語の正確な記述」を原則とするが,一般の辞書は, これに加えて「辞書使用者の検索能力・使用目的にあった記述」を前提とする。
RHD は Websterと共に米国を代表する辞書である。英国と米国の辞書の相違として,前者はことば典的,後者は百科事典的ということはよく知られているが,もう一つ,日本ではよく知られていない相違に,前者は国外消費型,後者は国内消費型・世界英語型というのがある (cf. Algeo 1986)。即ち,米国の辞書は EFL 話者も含めて米国内で米語を使って生活している人を基本的に対象としている。従って,英国用法には比較的無関心・冷淡であり,無標示ですますことが多い。
「小学館・ランダム』は RHD に忠実であればあるほど EFL 辞典としての英和辞典の理想から後退していたことになる。しかし,いわゆる基本語はRHD の痕跡を残さないまでに日本人向きに書き改められている。」
南出 康世『英語辞書学論考』2010
OEDのような学術的な辞書とは違い、一般向けの辞書は消費者の使用目的に応じて編集するということです。和製の英和辞典は日本人向きに書かれます。それはuser friendlyといことなので商品の作り手としてはふつうのことでしょう。
辞書がどのように編集されているかは、ここに挙げてある辞書特有のものというよりも日本の消費者はどのような辞書を求めているかがポイントになります。先に引用したDave Telkeがその実態の一端を示す記述をしています。
「英和辞典はよりいい方へと少しずつ進化していくことは間違いありません。しかし同時に、「今まで通り」という圧力も強い。たとえばalmost =「ほとんど」の場合、データをちらっと見ただけで(私は文章一つで)これが間違っているぞとわかりますよ。なのに、ほとんどの英和辞典は新訂版を発行するたびにこの間違いを繰り返してきています。編集者が悪いだけではなく、今までとあまり変わったことをやると、読者からクレームが来ます。
読者というと、多くは英語の先生で、彼らには自分が教わった、今教えているのと異なっているものをなかなか受け入れがたいのです。自分が間違っていたと認めることとなるからでしょう。彼らにとって英語は、生きている言葉よりも、学問。つまり、教室で固定された内容を生徒に伝え、生徒は試験の時にその内容を繰り返せばいい、という世界です。英和辞典でよりいい説明を求めることはそうした世界に立ち向かうことでもあります。
この記述が指摘しているように、もちろん一部であったとしても、日本の英語教育には昔の徒弟制度のように、先生が「正しこと」を教えこむという風潮がまだ残っていることは否定できないでしょう。
今学校で学ぶ生徒はこれからに時代を生きていくのです。教育とは将来見据えていくものでしょう。生きている言葉は時代とともに変化していきます。過去にとらわれず変化に対応していくことが大切です。
「英語学習の初期に出会うような基本的な名詞が、新しい時代の物、生活様式、現象などに 関わる新たな意味を持って動詞として使われるようになる例が少なからずある。
・text: メッセージを書き、送信する (携帯電話やスマートフォン等で、メッセージを書き送信する)
・friend: ソーシャルネットワーキングのウェブサイト上である人を自分の知人のリスト に加える)
市川 真矢『英語における転換についての一考察』2014
ここに引用した例は、この論文で紹介されている過去30年で「転換」された語の一部です。以下のような使い方をします。
He texted me when she arrived at the station. (彼は駅に着いたときにメッセージを送っ
てきた。)
I'll text you the details later. (後で詳細をメッセージで送ります。)
She friended him after the party. (彼女はパーティーの後に彼を友達追加した。)
I’ll friend you on Facebook. (Facebookで友達追加するよ。)
現代英語はこのように時代に対応して、SVO語順のVの位置に置いたり、機能語willに後置することで従来の品詞の枠をこえて新たな用法を生み出します。辞書の記述は即座に対応するものではありません。
古典英語の発想では言語変化には対応できません。従来の受験英語は過去問にとらわれて新たな表現を取り入れるのが不得手です。最近の情報化社会の発達をみていると、旧来の発想を切り替える時期に来ているのではないかと感じます。
Dave Telkeは、日本の英語教育を制度を、試験によって「人格を測る」と評して、次のように記しています。
「日本では英語という外国語は、単語や文法などを暗記すればできるようになると思っているらしい。「試験に出るから覚えとけ」とは、よく教室で聞くセリフです。この場合の「覚えとけ」というのは、辞書や教科書に書かれたことや先生の言うことがそのまま試験に出るから、いい成績をとりたければそのまま暗記し、試験にはそのまま繰り返すがよい、ということです。
一方、アメリカでは「人格を養う」という理念のもとで設置された教育制度があります。「人格を養う」教育とは、各分野のことをただ単に体験させるだけに止まらないのです。その基礎となっているのが欧米の思想史において重要な位を占める科学的方法です。つまり、問題に取り組むのには、自分の目で実物を見て、データ・状況などを分析し、結論を出すというやり方です。」
テルキ デイブ『英単語の習得と意味―訳語よりも経験』
数十年も前に非英語ネイティブ用に創作された実態に合わない「英文法規則」の多くが、ほとんど検証されずに民間伝承のように伝わっています。その真相を探ると、教える立場にある人の中にも「自分の目で実物を見て、データ・状況などを分析し、結論を出す。」を実際にやっているとは言い難い人は実に多いと感じます。ここで指摘されている教育制度の違いを認めざるを得ません。
さらに辞書編集の担当者とのやり取りを紹介しておきます。
「 Whales and hippos come from the identical ancestor.
という文章が出てきて、思わず笑ってしまいました。あまりにも面白くて、ついに担当者に言ってしまいました。『クジラもカバも同じ祖先からきている』と言うならば、Whales and hippos come from the same ancestor. と言わなければなりません。the identical ancestor はおかしいよ」と説明しようとすると、「だって、英和辞典によれば、identical もいいはずです」と担当者は言うのです。
「じゃ、英和辞典は間違っています」
長いこと英和辞典の編集をやっていて、ほとんど口癖のようになっていたセリフで返事すると、「そうかしら」と、担当者は、この人は何者だという声で言い返しました。」テルキ デイブ
辞書は大いに参考になることは確かですが、人が書いたものですから完全無欠と云うことはありません。このブログでは、1つの表現の文法・語法の真相を探るにも多くの時間を要します。何万という語法を1つ1つ精査するのはそう簡単なものではないことは想像できます。
英文法・語法関係の論文にも先行研究として先達が書いたものの分析に終始し実証研究が足りないものもあります。コーパスなどを利用した研究が本格化されたのはまだ最近のことです。映像作品などを使った実証的な研究はまだまだこれからだと思います。
和製の学習用辞書は大きな市場である受験英語を無視することができません。その編集は消費者のニーズ、市場原理に従ったものなので無理もないとも言えます。また、生きた英語を学ぶという人のニーズには必ずしもあってないことは知っておいた方がいいと思います。
辞書や文法書に無いあるいはその説明に反するから正しくない、という考え方は決して言葉を学ぶ上でプラスにはならないでしょう。言葉は本来、身の回りで使われているものを自分で見聞きして、使いながら身に着けていくものです。
後半は、辞書に関する2つの論文を紹介して来ました。そこにある記述を引用して終わりとします。
「英和辞典に対する批判批評は活発であるが,書評や投稿に見られる批判は語法とか訳語とか新語の扱いにほとんど限られており,個のレベルに留まっているところに問題がある。もっと辞書記述の根幹に関わる問題(コーパスの問題は別として)が指摘されることはほとんどない。例えば,文文法に基づく 8品詞が当然のこととして受け入れられているがそれでよいのかという議論は私の知るかぎり 1度もなされたことがない。
現在,ルンド大学に本部を置く「口語英語調査」の ETOS, TESS といったさまざまなプロジェクトにおいてロンドンールンド・コーパス (LLC) など自発的会話の電算化コーパスの分析により日常語のごくありふれた用法でありながら,従来の文文法では把握できなかった用法が明らかになりつつある。このようなせっかくの研究成果も,文文法・ 8品調の固定観念を離れて見る余裕がなければ,正確に英和辞典に生かすことができないのではなかろうか。」
南出 康世『英語辞書学論考』2010
「その単語の本当の意味は英和辞典に載っている語釈でも訳語でもありません。それよりも、読んでいる文章の中にその単語が出てきたとき、また会話や作文にその単語を使ってみたときに初めて本当の意味が生まれるものだという考え方もあります。
英語を英語として習うのであれば、やはり経験が必要です。経験とは、自分で会話や作文で実際に使ったり、会話や本などで使われているのを聞いたり読んだりすることです。使う、出会う経験が深ければ深いほど、その英単語の具体的に意味する内容がよくわかるようになります。
別の言い方をすれば、英和辞典に書かれたその単語の「意味」は、終着点ではなくて、その語との長い付き合いの始まりなのです。」
テルキ デイブ『英単語の習得と意味―訳語よりも経験』
了