前回も記事したように、日本の英語教育界で未だに残る「not … bothは部分否定」という認識は、英語使用国の辞書や文法書の扱い、英語ネイティブの使用実態と乖離しています。手元にあるものやweb上で見られる英語使用国の辞書、文法書、語法書などでは、そもそもbothやallの否定に関する言及がほとんどないのです。それに対して日本では、partial negation「部分否定」という概念が当たり前のように使用されています。この問題は根が深く、日本で真相が広く知られるのは時間がかかるでしょう。

 

 文法事項の妥当性の検証には、比較的簡単なものと時間を要するものがあります。形態上のことは言語データベースやSNS上での使用をみればだれでも分かります。

例えば、the older/oldest of the two と言う表現では、どちらがよく使われるかというのは次のグラフから一目で分かります。

 

 言語データベースの多くは公の場でも文語が主体なので、informalな口語での使用は使用自体に現れにくい点は考慮しなければいけませんが、近年での使用はolderが一般的であることは分かります。

 他にも、英語話者が“I am lovinng”とか“have arrived just now”などの表現を使用していることは、英文法の知識などなくても客観的データ等から分かります。和製文法参考書にある「状態動詞は進行形にしない」「現在完了と過去の一時点を明示する副詞類は共起しない」との記述は実使用を反映してないことは間違いないと断言できます。どのような場合に使用するのか、どの程度正用として認められているかということはさらに検証が必要ではありますが。

 状態動詞進行形が使用されていることや、just nowが現在完了形と共起することは、誰の目にも明らかなので、英語使用国の文法学習書には載っています。情報に疎い日本の教育業界もそのうち追認するようになると予想できます。

 

 形態上では分からない表現の実際の用法は、簡単に検証することができません。英語話者がboth…notをどのような意味で使っているかは、実例を集めて前後の文脈を考慮して丹念に調べる必要があります。使用例があったとしても、informalな場で広く使用されているのか、あるいは個人、地域、階層に偏りがあるのかなどの分析には時間を要します。

 宮畑カレン『Problems of the Partial Negation and English Usage(1)~(Ⅲ)』2007は、「部分否定」の妥当性の検証を、丁寧に精査して行っています。その内容を中心に紹介していきたいともいます。

 

まずは、論文の趣旨と主な内容についての記述を引用します。

 

「All やboth をnot とともに用いた「すべてが~とは限らない」「両方ともに~であるわけではない」という表現を、日本の英文法では「部分否定」と名付け、一つの公式として扱っていた時期がある。その妥当性を検証するため、第 1 部(『芸術』22 号)においては、明治初期から近年までに日本で出版された英和辞書、英文法書、英語を教える教科書などを調べて、その扱われ方の変遷を調査した。

 

 第2部においては、部分否定と呼ばれる形が、英米で出版された(1)辞書、(2)文法書、(3)語法辞典においてどのように扱われているかを精査した。結論としては、日本におけるような定義付けがなされていないのである」宮畑カレン(Ⅱ)2004

「第2部で、英米で出版された辞書、文法書、語法辞典を精査した結果、具体的な法則は見付からず、“not all” の形だけが絶対的な部分否定として認められた。

 

 第3部「調査と結論」は、大正時代の日本において考案され1950年代の終わりまで教えられていた英文法の「部分否定」に関する研究の最終章である。実地調査としてアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語を母国語とする5カ国で、質問形式の筆記によるアンケートと聞き取り調査を実施した。この調査で、基本的に第1部(で論じた日本におけるような部分否定の言葉も法則も、英語圏の国々には存在しないことが立証された。」宮畑カレン(Ⅲ)2007

 

 この論文の結論として、Not allのように[Not+数量詞]が文頭に来て主語になっている型の文だけは、いわゆる「部分否定」と言えるとしています。他の論文でも、この結論と同様なものがあります。用例を紹介しておきます。

 

(1) a.Not many people arrived.

 

     b. Not much foliage survived the frost.

 

(2) a. Not all of the crops were destroyed.

 

     b. Not every student passed the test.

                                                 ――Lasnik 1972

   NOBUAKI NISHIOKA『QUANTIFIERS AND NEGATION: A MINIMALIST APPROACH TO PARTIAL NEGATION』2004

(1) a.(到着した人は多くはなかった)

     b.( 凍霜で生き残った葉は多くはなかった)

(2) a. (すべての作物が破壊されたわけではなかった)

      b. (すべての学生がテストに合格したわけではなかった。)

 

 これらが結果として部分否定と意味になるのは、次のように考えるといいでしょう。

Not Xは「Xではない」ことを示します。仮に全部で5つあるものであれば、Not all「5つ全部ではない」ことだけを示します。もう少し厳密に言うと、便宜上日本語の「ではない」と「では」を補いましたが、英語のNot allは「否、all」と無標の語を配列しているだけなのでall=5だけを否定しています。それ以外は言及がないので、字面から言えば4つから0までがありえます。

  ところが、実際に言葉として使う時には、字面通りとは限らず、人は想像力で補って意味を派生させます。「否、全部というコアの意味から「全部ではない」と考え、さらに「全くないわけではないのだろう」と意味を解釈するわけです。個人の解釈によって派生したい意味(幼少期の再分析)が社会的にコードされると慣用となり実際に使われるということになります。

 

  [Not+数量詞]を主語にする型がすべて「部分否定」でいいわけではないことを確認しておきます。数量詞でもsomeやseveralは「いくつか」というような漠然とした意味なので、Not someとかNot severalはどんな数量なのか想像できません。だからこのような表現は非文とされています。(Lasnik 1972)またanyは元の意味が「どの1つも」なので、Not anyは「1つもない」つまり全部否定を意味します。

 

  上に挙げた用例(1a, bと2a, b)の型は、元の意味から派生して「部分否定」と言う用法で使うことが社会的にコードされているということです。これは和式の英文法の説明でも困ることはありません。

 問題は、[not…X]、[X…not]のように直後に数量詞Xが無く、否定語notと共起する型の文です。[not…X]の型では、元の字面の意味は「Xに非ず」なので、実際にはそこから派生した部分否定用法「Xとは限らない」、全部否定用法「まったく無い」の両方があり得るわけです。また、[X…not]型では、notは後ろの語句を否定し、前にあるX自体を直接否定していないという解釈が可能です。だからallやbothが否定語notと共起しても「部分否定」になるという根拠はないのです。

 近年の科学的に検証した論文では、英米の辞書や文法書には「部分否定」という概念を使った説明は存在しないし、allなどの数量詞を[not…X]、[X…not]のような型で使う文について、英語話者は文脈により、また個人の語感により「部分否定」にも「全部否定」にも解釈するという実態を明らかにしたというわけです。

 

  科学的文法では否定された「部分否定」は和製の英文法書にも載っています。

 

「部分否定と全体否定 not…bothは部分否定を表し、「両方とも…というわけではない」の意になる。I don't want both of them. Please give me this one.それらを両方欲しいのではありません。こちらをください。全体否定はnot eitherまたはneitherを用いる」

   ――『ウィズダム英和辞典』2003

 

 ここに取り上げている[not…both]の型を「部分否定」とすることの妥当性を、英語話者を対象にしたアンケートを実施して検証しています。

 

Example 2: I don't need both.

      (possible interpretations)

      Partial negation: I need one.

      Total negation: I don’t need either.

      Both: can mean both, therefore ambiguous

  If any of these sentences sound strange to you, check F.C., 

  standing for Faulty Construction and do not answer.

 

  

 

 I don't need both.についてはpartial「部分否定」との解釈が多数です。「両方は必要ないよ」というのは「片方で十分」と解釈される傾向があるということです。」

 一方でI don't like both of them.ではTotal「全部否定」と解釈する人が多数派です。「両方とも好きじゃない」と言う意味に解される傾向が顕著です。

 

 宮畑2007では、他にも英語話者を対象に[both…not]、 [not…both] 、[all…not]、[not…all] の型の文の解釈について全28用例ののアンケート調査をしています。

      

宮畑カレン『Problems of the Partial Negation and English Usage(Ⅲ)』2007

 

  以上の結果を見ても、各文によっても傾向が異なり、英語話者の間でも解釈がバラついていることが分かります。宮畑2007では、[both…not]、 [not…both] 、[all…not]、[not…all] の型の文の解釈について全28用例のアンケート調査をしています。その結果、これらの型が「部分否定」と解釈されるという法則は存在しないと結論しています。

 

 この実地調査に先立って調べていた宮畑(Ⅱ)2004の英語使用国の文法的位置づけについての記述を引用します。

 

「(1)英語最大の辞書で用例がもっとも豊富な多巻本『オックスフォード英語辞典』(略称OED)から1 冊本『ウェブスター(第3版)』、さらには大学生用の辞書まで網羅的に調べてみると、否定文の用例がきわめて少ない上、部分否定か全体否定か決めかねる例もかなり見られた。“not all”は例外なく部分否定とされるが、“all…not”は曖昧な構文として避けられており、また、 “both…not”は一例も見られないが、“not…both”には部分否定・全体否定の双方の場合がある。

 

(2)19 世紀半ば以降の文法書は、時代とともに新たな理論を援用しながら文法に対応している。要約すれば、“all…not” “not…all”“not…both”の表現はすべて二つの意味の可能性をもつものの、全体否定には別の表現が存在するところから、これらは部分否定の傾向の大きいことが指摘できる。

 

(3)ファウラーの『現代英語法辞典』をはじめとする語法関係の書物においても、程度に応じて論述が見られる。“All…not”は両義的な曖昧表現ゆえ明確な“Not all”か“None”を用いるようにとの指導や、“Both…not” 構文は誤用と断定がなされており、“not…both”と“not…all”構文については詳述がなされていない。」

 ――宮畑(Ⅱ)2004

 

 宮畑(Ⅱ)2004にあるファウラー『現代英語辞典』にあるnot allに関する記述を引用します。

not all/all... not. Fowler admitted in 1926 that the proverb AH is not gold that glisters (or, as Shakespeare had it in The Merchant of Venice 11.vii.66, All that glisters is not gold) is not strictly logical, since the negative properly belongs with all not with gold, i.e. 'Not all that glisters is gold' (some things that glister are indeed gold). It would be futile to try to change the proverb now, but caution is desirable when in other contexts not and all are used in close proximity. Thus Not all children of five can recite the alphabet means that only some of them can. All children of five cannot recite the alphabet can (just) mean the same, but is in danger of being treated as meaning 'No children of five can recite the alphabet'.

R.W.Burchfield『Fowler's Modem English Usage』Revised third edition 1998 529p

 

  Fowlar'sの各用に位置付けをまとめると次のようになります。

3) a.   All children of five cannot recite the alphabet.(避けるべき用例)

    b.   Not all children of five can recite the alphabet. (部分否定)

    c.   No children of five can recite the alphabet. (全否定)

 

 (3b)のNot allについては「すべてが~というわけではない」といういわゆる部分否定としています。しかし(3a)は、(3b)の意図で使っても(3c)に解釈される危険性があると指摘しています。all … notについては意味が曖昧で、全否定にも解釈できることから要注意という見解なのです。

 先に紹介した実地調査の結果でもあったように、実際に英語話者は(3a)の型all … notを部分否定にも全否定にも解釈し、人や地域によってバラつきます。allとnotが共起すると部分否定になるという和式の規則は、英語使用国では通用しないのです。

 

 また、Fowlar's1998では、1926年のFowlar's初版でAll that glisters is not gold.(Shakespeare The Merchant of Venice)について、not strictly logicalであるとしていることを記しています。その理由として、本来notで否定すべきなのはallであってgoldではないから、All…notという語順は不合理で、Not all…とすべきという主張です。

 宮畑は、Fowlar'sが不合理としたall…notを、日本の学校文法がpartial negation「部分否定」として容認した原因として、このShakespeareの文を根拠にしたことを挙げています。当時は、英語使用国の実際の使用などの情報は入手し難かったこともあり、それが一時期定着することになったのでしょう。

 

 英語使用国ではそもそもallやbothの否定について特に注目してはいません。「元の意味」をコアとして様々な意味を派生させ、文脈によって複数の用法に使い回すというのは、否定表現に限らず言葉としての常識です。その常識で自然にとらえられる表現ををわざわざ特殊な規則で解説することは無いからでしょう。

 言葉は神羅万象を限られた語数で表現するものなので、抽象性はつきものです。本質的に抽象的なことばは、使い方が曖昧とも柔軟とも言えます。それを機能させるのが人の想像力で、抽象的な言葉の意味を確定するのは文脈です。実態の合わない規則は解釈に必要な人の想像力に制限をかけることになります。規則は社会的にコードされてはじめて有効になるものです。[all…not]は部分否定という和製の規則は、英語使用国の社会的コードではないのです。

 

 allやbothの否定については、「元の意味」をコアとして、文脈によって「部分否定」や「全体否定」として解釈されることがあるととらえるのが妥当でしょう。これは、動詞の過去形が「今の現実から遠い」という元の意味意をコアとして「過去の事実」や「今の非現実」などの用法に使うのと同じです。またwillが「強い意志」から「必ず~する」「きっと起こる」などに派生し未来標識にも使うのも同様です。

willは未来のことを表すとか、状態動詞は進行形にしないとか、単純化した規則は旧い文法の特徴です。実際にはwillは確実と思われる過去の推量に使うし、状態動詞は進行形で使うし、[not…all]は全体否定にも使います。

 これら単純化した規則を「初学者にわかりやすいように」という理由で採用するという人もいます。しかし初学者とは言えないような、上級者や教える立場にある人でさえ、これらが実際には使われていることを知らない、あるいは知っていても非正用だと思い込んでいる人は結構います。初学者に対する刷り込みが後年になっても理解の妨げになっていることは考慮すべきだと思います。

 

 実際に使用されている英語話者が身に着けている本来の伝わるための文法的しくみの科学的研究の歴史はまだ浅いのです。和製の学習文法には、明治・大正時代につくられた旧態依然とした発想や規則が数多く残っています。日本の事情を考慮した和製の解釈をすることがあってもいいとは思いますが、それは学習者に有用であることが最低条件です。

 外国語を習得する基本は、その言語のネイティブが実際にどのように使っているかを真摯に学ぶことでしょう。近年の専門家の論文は実態を明らかにしつつありますが、それは英語使用国からの情報を集めて分析するという当たり前のことを行っているのです。

 いまのところ、部分否定をテーマにした論文では、海外のものはなかなか見当たりません。数少ないながら宮畑論文は、非常に丁寧に真摯に取材していることが分かります。部分否定については、今後も取材を継続してまた記事にするつもりです。