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Webであなたの夢が叶う!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:ド・モアブルです。

今日は、
紀元後の数学者:ド・モアブルにフォーカスします。

1750
 ド・モアブル (1667~1754)
        (フランス)
           確率,二項分布の極限, 正規分布

ド・モアブルは、
フランスの数学者である。
シャンパーニュ地方に生まれたが、カルヴァン派の新教徒(ユグノー)であったため、
1685年にナントの勅令が破棄されるとイングランドへと亡命した。
従って、
彼の業績はイングランドにおけるものであり、また生涯を通じて困窮していた。
主な業績としてド・モアブルの定理を証明したことが知られている。
また、負の二項分布(二項分布の極限としての)正規分布、
今日、スターリングの公式として知られる近似式なども彼の研究成果である。 
次の世代のラプラスが、モアブルの再帰級数の手続きが、
ラグランジェがその後線形差分方程式の積分に用いたものと同じであると記述している

明日は紀元前の数学者ターレスにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:ニコラス・ベルヌーイです。

今日は、
紀元後の数学者:ニコラス・ベルヌーイにフォーカスします。

1700
    ニコラス・ベルヌーイ (1687~1759)
       (スイス) 
           ベルヌーイ兄弟の甥 完全微分方程式,全微分。偏微分の微分順序の独立性。

ニコラス・ベルヌーイは、
スイスの数学者である。
ベルヌーイ家は、
17世紀以降に活躍したヨーロッパの学者の一族。
3世代のうちに8人の傑出した数学者を輩出している。
その祖先は、
アントウェルペンで医師をしていたレオン・ベルヌーイ。
アントウェルペンを含む南ネーデルラント(現在のベルギー)は当時カトリックのスペイン領であり、
息子のヤコブ・ベルヌーイはユグノー迫害から逃れるため、1570年にフランクフルトに移住。
同じくヤコブと名付けられたヤコブの孫は香辛料商人となり、
1620年にスイスのバーゼルに移住して市民権を得る。
その息子のニコラスも香辛料商人となり、マルガレーテ・シェーナウアーと結婚。
ニコラスの息子は学者一族の第1世代となった。
一族で特に有名な人物は、
ニコラスの息子のヤコブとヨハン、ヨハンの息子のダニエルがいる。

明日はド・モアブルにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:マクローリンです。

今日は、
紀元後の数学者:マクローリンにフォーカスします。

1700
   マクローリン (1698~1746)
       (スコットランド) 
            数列の積分収束判定法 マクローリン展開 

マクローリンは、
スコットランドの数学者である。
マクローリン展開で知られる。
若い頃、
高齢のアイザック・ニュートンと一緒にロンドンで研究したことがあり、
1725年、ニュートンはマクローリンの才能を認め、大学宛てにマクローリンの推薦状を書いている。
マクローリンは、ニュートンの弟子であることを自認して、
彼の考えを広く紹介し、『導関数論』を1742年に出版し、
また、1748年『サー・アイザック・ニュートン』を出版して、
ニュートンの考えを明快に解説し、スコットランド啓蒙運動に多くの影響を与えた。


明日はニコラス・ベルヌーイにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:テイラーです。

今日は、
紀元後の数学者:テイラーにフォーカスします。

1700
   テイラー (1685~1731)
       (イギリス)
            テイラー展開 

テイラーは、
イギリスの数学者。
生まれは現在のロンドンエドモントン。
ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジで学ぶ。

テイラー展開

関数をある点のまわりでべき級数に展開する手法。
差分法では演算子はテイラー展開を基につくられ、ベき級数をどこまでとるかで精度が決まる。
しかし、
べき級数のとり方と精度の関係は複雑で、
何次までとるとどういう特性になるかを前もって把握しておく必要がある。

明日はマクローリンにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:R. コーツです。

今日は、
紀元後の数学者:R. コーツにフォーカスします。

1700
 R. コーツ (1682~1716)
       (イギリス)
            オイラーの公式を最初に発見

R. コーツは、
イギリスの数学者。
レスターシャー州のバービッジに生まれた。天文学を研究し、
1707年に26歳でケンブリッジ大学の天文学・実験物理学のプルミアン教授職に任じられると、
トリニティ・カレッジに天文台を建設しようとした。
しかし、完成は彼の没後となり、さらに1797年に天文台は取り壊された。
ニュートンと協力して、時計仕掛けで鏡が回転するヘリオスタット式の望遠鏡を設計した。
ジョヴァンニ・カッシーニとジョン・フラムスティードによる太陽と惑星の運動表を再計算し、
ニュートンの法則に基づいて月の運動の表の作成を試みた。
1709年から1713年に『プリンキピア』第2版の校正をニュートンと3年半かけて行った。
コーツの主な業績は数学、特に積分法や対数、数値解析の分野にあり、
区分求積法に関するニュートン・コーツの公式に名前が残されている。
1716年に33歳で病没した。
数学、特に複素解析におけるオイラーの公式は、
指数関数と三角関数の間に成り立つ以下の関係
公式の名前は18世紀の数学者レオンハルト・オイラーに因むが、
最初の発見者がロジャー・コーツです。

明日はテイラーにフォーカスします。

お楽しみに!

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