《これまでのお話》

ヒプノセラピー:井上内親王4度目の登場①

ヒプノセラピー:井上内親王4度目の登場②

ヒプノセラピー:井上内親王4度目の登場③

ヒプノセラピー:井上内親王4度目の登場④

ヒプノセラピー:井上内親王4度目の登場⑤

 

ものすごく更新間隔があいてしまいました。こんなにも長い間、放置してしまったのに、

ご訪問頂き、大変恐縮です。

 

前回更新時に、神社に通って祝詞を上げることを始め、まずは21日間と思ったものの、

きちんと日数が数えられず、永久に21日目が来そうにないことを書きました。

カレンダーに印をつけ始めましたが、それもきちんとつけられず、

神社を出た瞬間にスマホに記録することにしました。ところが、スマホを持ち忘れてたり、

持っていても記録すること自体を忘れたりということが続き、早々に諦めました。

 

行けるときに行けばいいのでは? そんなふうに思い始めたある日のことでした。

祝詞を上げるとき、私は多少間違えてしまうことがあります。間違えると言っても、

助詞、助動詞レベルで、オリジナリティーあふれるほどの改変にはなっていませんが、

祝詞は言霊だから間違えてはいけないということを何かで読んだことがあり、

間違えについては、少々気にはしていました。

 

その日も、「ああ、ちょっと間違えちゃった。ごめんなさい」と心の中で謝りながら、

神社を出ました。よく晴れて青空が綺麗な日だったのですが、神社を出た瞬間に

ポツンポツンと雨が降ってきました。

 

うわあ、間違えたから怒られたのかな? 明日からはちゃんとしよう!

と思いながら、急いで駅に向かい、出社しました。

 

この数日後、マリア先生とLINEでやり取りをする機会があり、このことを書いたら、

これはお知らせであり、通算で21日目だったのではないか、と教えて貰いました。

 

このことを知った私は、自分で数えなくてもいいんだ! と思い、それ以降、

日数を数えるのは辞めました。今は、行けるときに行って、祝詞を上げていますが、

なんだかんだ言って、生活の一部になり、ほぼ毎日通っている気がします。

 

井上内親王の4回目の登場となったヒプノ以降、重たさが抜けなかったため、

神社での祝詞上げやレイキの自己ヒーリングをするように心がけていましたが、

時々、抜けて行くときに特有の吐き気のようなものを感じることがありました。

 

徐々に抜けて行っているのだろうかと思っていたところ、ある晩、息子が突然、

「ゲポになりそう・・・」と言い出しました。熱もなく、直前まで元気いっぱいだったし、

いろいろ聞いてみても、見てみても、悪いところはなさそうに思えました。

 

どうしたんだろうと思いながら背中をさすっていたら、誰かが抜けて行くときに特有の

吐き気を感じました。もしかして、私の方が井上内親王が抜けて行く最終局面に

来たようだから、息子の方の他戸親王も抜けて行く最終局面なのかもしれないと思い、

心の中で祝詞を上げながら、背中をさすっているうちに息子は眠ってしまいました。

 

この晩以降、息子は徐々に変わっていきました。どう変わったかの説明が難しいの

ですが、それまで薄いベールが1枚かかっているかのように反応が鈍いところが

ありましたが、それがなくなりました。

 

その変化に伴い、息子は扱いづらくなっていきました。

それまでも、自閉傾向あり、発達障害の傾向ありと言われてはいましたが、

それらの面が強く出るようになり、ほどなくして確定診断に至りました。

 

なんだか、かえって大変になっちゃったかもしれない・・・。

いや、確実に大変になったな、これは。

 

そう思いながら、5年前の秋に初めてヒプノセラピーを受けたり、レイキを入れて

貰ったりした頃を思い出しました。

 

あの頃の私も、夫との関係がますます悪化して、全然楽にならないんだけど・・・(泣)、

と思っていました。そこから、いろいろな気付きがあり、行動を起こしていったことで、

自分と自分を取り巻く環境が変わっていきました。

 

今回もそういうことなのかな? という気がしています。

 

5年前と違うのは、自分の足で立って歩いている感覚が持てていることと、

「来た来た。次の課題!」と笑って受け入れられるようになったこと。

 

5年前は、誰かに助けてほしい、何とかしてもらいたいという気持ちがとても強かったし、

自分がどうしたいのかも、どうしたらいいのかも、わからずにいました。

何よりも、自分が置かれている現実に立ち向かえるだけの気力がありませんでした。

 

マリア先生の元で、ヒプノセラピーやレイキ、こころ講座を受けながら、心のたまねぎの

皮むきを進めて行く中で、わかりやすい変化としては、霊に翻弄されることがなくなったり、

いろいろな人が抜けて行ったりということがありました。

 

でも、変化はそれだけでなく、知らず知らずのうちに、自分の足で立てるようになって

いたり、物事に立ち向かう気力を出せるようになっていたように思います。

 

ご訪問頂き、お読み頂き、本当にありがとうございました。

 

(つづく)