今回は、先述の「空白の11ヶ月」での、カムデン区によるラウンドハウス購入について。
(図1)
そもそもの所有者
そもそも旧ラウンドハウスの所有者は、運営団体である旧ラウンドハウス・トラスト(以後、旧トラスト)ではなく、ルイス・ミンツなる人物だった。ミンツはファッション業界で成功した富豪だが、同時に芸術愛好家でもあり、その世界では有力なパトロンとして知られていた。
(図2)ルイス・ミンツ
(『Evening Standard』1968年10月25日, p4より)
ミンツがラウンドハウスを購入したのは1964年のことで、当時所有者のブリティッシュ・レールウェイ(イギリス国鉄)が、貸与していたギルビーズ(酒造企業)とのリース契約(註)を終えたことを機に売りに出していた。その際ミンツは劇作家のアーノルド・ウェスカーに説得される形で購入している。
このあたりの事情については以前(第15回)に書いた通りだが、簡単にまとめると、ウェスカーは1960年に労働者のための芸術組織「センター42」を結成し、その拠点をロンドン市内に置こうとしていた。当初はケンティッシュ・センターも候補だった(※1)が、最終的にラウンドハウスに落ち着き(※2)、ミンツに購入させた後で、センター42に提供させた。ミンツはその後、旧トラストの理事の一人として運営にも参加する。
(※1)Daily Herald 1963年7月9日, p3
(※2)Observer 1964年7月19日, p20
(註)正確には、リースホールド(leasehold)という土地売買契約と思われる
ラウンドハウスの購入
その23年後の1983年にラウンドハウスは経営不振で閉鎖となる。当時ラウンドハウスの所有者は、先に紹介したルイス・ミンツではなく、その息子リチャード・ミンツに移っていた(※3)。
ミンツは手元に戻ったラウンドハウスを競売に出し(※4)、これを受けて3月29日にカムデン区が購入の名乗りを上げ(※5)、次いで6月22日には労働組合が名乗りを上げる(※6)。
この競売では労働組合が競り勝つ(※6)ものの、カムデン区は労働組合を説得し辞退させて、どうにか交渉のテーブルに着いた(※7)。この流れは本ブログ第54回の通りである。
カムデン区の購入についてはその資金力から危ぶまれたものの(※8)、交渉はどうにかまとまり、数日中の契約予定が報じられた(※9)。ただし実際に契約に至る報道は10月6日なので(※11)、すんなりいったわけではないようだ。購入金額は33万ポンド(現在の107万ポンド:2億70万円)(※10, 11)。
(※3)Evening Standard 1983年3月25日, p7
(※4)Daily Telegraph 1983年3月17日, p15
(※5)Guardian 1983年3月29日, p4
(※6)Guardian 1983年6月22日, p4
(※7)Evening Standard 1983年7月14日, p6
(※8)Evening Standard 1983年8月15日, p6
(※9)Guardian 1983年8月20日, p17
(※10)Evening Standard 1983年9月8日, p6
(※11)Daily Telegraph 1983年10月6日, p16
購入の障害
ラウンドハウス購入は、単に売り手と買い手との金額の折り合いで終わらなかった。それはラウンドハウスが通常の物件ではないからである。
本ブログ第19回で説明したとおり、ラウンドハウスは1954年6月10日に文化財指定(listed II*)されており、厳しい維持管理が義務づけられている。当然それなりの維持費用がかかるため、購入後は商業施設への転用などで利益を出さなければとても維持していけない。
かといって自由に改装できるわけもなく、文化財保護の観点から数々の制限がついてまわる。その制限の実例を第52回で説明したが、この問題はその後20年以上ラウンドハウスの購入者たちを苦しめることとなる。
また、売買にはチャリティ委員会(Charity Commissioners)と呼ばれる組織の承認が必要とされた(※6)。この組織は国内の慈善団体に助言する政府機関である。労働組合が購入交渉に入った時にはすんなり承認が下り、カムデン区の時に難航したところから考えると、将来の経営状況を予想し、主に維持費用を問題にしていたのだろう(※7)。
不動産売買からみるイギリス英語
蛇足なのだが、イギリスの不動産売買に関する知識を簡単に説明したい。その理由は、まるで知識のない私が英語の資料を読む上で苦労したためである。
ちなみに、特にロック評論家に多いのだが、彼らの文章の中には、単に自身の専門家としての権威を示したいがために、聞きかじりの政治や法律の知識を散りばめ、文意が要領を得ないことがある。メディア従事者の責任として、多少なりとも調べて適切に用いるべきだろう。
話を本筋に戻すと、イギリスの不動産売買の英語表現では、単なる売り買い(sell / buy)ではなく、フリーホールド(freehold)という単語が頻出し、直訳しただけでは文意が伝わらない。イギリス英語にはこうした文化背景からくる独自の用語や言い回しが多い。
フリーホールドというのは実質的な土地の所有を意味する語で「自由保有権」と訳される。これは古来すべての土地が王侯貴族のものという文化背景からくるもので、現在でもイギリスではすべての土地は政府の所有である。そのため土地売買の概念がなく、土地保有(-hold)という概念が生まれた。もしこの語が登場した場合、シンプルな土地売買の文に訳すとわかりやすい。
このようにイギリス英語には古来の文化を引きずった奇妙な単語や言い回しが多いのだが、残念なことに、これを知らず、また注意を払うことなく安易に訳してしまうプロの編集者や翻訳者は意外に多い。
最終会計のトリック
前回56回では旧ラウンドハウスの最終会計が10万ポンドの黒字だったと書いた。ただし、これはあくまで全資産の整理後に残った金額にすぎず、閉鎖が決定された段階(1982年10月)では−18万ポンドの赤字だった(※3)。なぜ黒字になったのだろう。
これを解く鍵は『Evening Standard』1983年3月25日の記事(※3)にあるようだ。
それによれば、ミンツはこの段階で旧トラストからラウンドハウスを購入している。しかしそもそもラウンドハウスはミンツの所有であって、旧トラストに対してはリースしていたはずだ。もし単に貸していたのであれば、返却の際に対価が発生するはずはない。おそらくイギリスでいうリースとは私たちがイメージするそれとは異なるようなのだ。
1964年の段階で、ミンツはセンター42にラウンドハウスをリースホールド(leasehold)で提供している。これは私たちがイメージするリース(賃貸)とは異なり、今回調べたところでは99年間の専有権のことだという。
そう考えると、ラウンドハウスは19年で幕を下ろしたので、残り80年のリースホールドが資産としてトラストに残されたことになりそうだ。当時のラウンドハウスのフリーホールドはミンツにあった(※3)が、リースホールドはなかったので、それを買い戻していると想像でき、それが旧トラストの最終会計である黒字を生み出したのではないか。
(図3)
『Evening Standard』1983年3月25日, p7(※3)
【注意とお願い】
今回はイギリスの法律や制度に触れたが、これはあくまで素人である私個人が簡単に調べただけのものであり、またわかりやすく単純化して書いたもののため内容は保証できない。もし正しくわかりやすい説明ができる専門家がおられたらぜひご連絡いただきたい。