旧ラウンドハウスの閉鎖後、黒人芸術センター計画の進捗が新聞で確認できるまでには11ヶ月の空白がある(図1)。とはいえ実際にはこの期間は完全な空白ではなく、旧ラウンドハウス運営団体にとっては残務処理の期間であり、またカムデン区にとってはラウンドハウスの売買契約と、黒人芸術センターの計画策定期間でもある。

 

 今回はこの中から、旧ラウンドハウスの残務について。

 

(図1)11ヶ月の空白

 

 

 

 

 

赤字か黒字か

 

 旧ラウンドハウスの閉鎖理由が資金難ということは先に示したとおりだが、となれば当然私たちが想像する最終会計は赤字である。しかし実際は黒字も黒字、+10万ポンド(現在の価値で32万7000ポンド、日本円で6082万円)だった(※1)

 

 ここからすれば、閉鎖の決定が、あくまで将来の赤字を見込んでのことであり、負債を避けるための閉鎖だったとわかる。

 

 この10万ポンドの行方は、ラウンドハウスが民間非営利組織(トラスト(※2)の管理だったため、制度に沿って他の同種のトラストへの分配となった。

 

 閉鎖の8ヶ月後である1983年12月の時点での分配先は、ロンドンを中心とした15以上の芸術団体とされ、劇場やフェスティバルや演劇学校等、5団体の具体名が挙がり、それぞれに最低1万ポンド分配されると報道された(※3)

 

 

(※1)Evening Standard 1983年10月14日, p6

(※2)トラスト(trust)はイギリス独自の民間非営利組織の形態で、機能面では諸外国のNPOや公益社団法人に相当する。しかし日本の一般書籍・記事での翻訳では「信託」と直訳するものが多く、それが文意を不明瞭にしているのを多々目にする。この語にかぎらず、イギリス英語にはイギリス独自の制度や文化に根ざした語が多いため、翻訳には注意が必要なのだが、実際にそれを踏まえ適切に対応する訳者が少ない印象である。

(※3)Evening Standard 1983年12月23日, p6

 

 

 

 

保護ネコ・保護イヌ

 

 この空白期間にはちょっとしたこぼれ話があった。

 

 どうやら旧ラウンドハウスでは、保護ネコとイヌがおり、施設の閉鎖後にその処遇が注目されていたようで、継続して新聞で報じられている(※4、※5)

 

 特にストライダーと名付けられたネコに関する情報が詳しい。このネコは青い目をしたオスのトラ猫で、かつて子ネコの時にラウンドハウスの下水道で、死んだ母ネコの側にいたところを、館長のセルマ・ホルトに発見され保護されたという。

 

 以降ストライダーはラウンドハウスの名物ネコとなった。ラウンドハウスが閉鎖する1ヶ月後の5月の段階では、行き先候補として、ハーフ・ムーン・シアター(イーストエンド)か、バレエダンサーのガリーナ・サムソヴァが検討されていた。

 

 最終的な行き先は、ラウンドハウスの売買契約直前の9月末に決まり、副館長であるセリア・ガリーの家に引き取られることとなった。

 

 一方、保護イヌの方は、犬種はラブラドールで、5月の段階ですでに旅回りの俳優の家に引き取られたという。

 

 同記事はこの件を引き合いにして、ホルトを含む「人間の」スタッフの転職先が誰一人決まっていないことを皮肉り、それに対しホルトが粋にこう返した。

 

「保護ネコたちとは異なり、私たちスタッフの血統は非の打ち所がないですよ」

 

 まさにイギリス人ならではのウィットであり、優れた演出家の技量をうかがわせる秀逸な売り込みである。

 

(※4)Daily Telegraph    1983年5月23日, p16

(※5)Evening Standard 1983年9月27日, p6

 

 

 

 

哀愁のセルマ・ホルト

 

 旧ラウンドハウスの管理者であり芸術監督だったセルマ・ホルトが、最後の仕事を終えるのは12月2日のこと。これは閉鎖の約7ヶ月後である(※6)。ここで旧トラストの残務処理が終了する。

 

 演出家を本職とする彼女にとっては、クリエイティブのかけらもない残務処理に8ヶ月もわずらわされるのは相当のストレスだっただろう。であれば、この日の終わりは失意だったとともに、長いストレスからの解放という、せめてもの安堵の瞬間だったのではないか。

 

 しかしそれで終わらないのがこの「ラウンドハウス狂想曲」のおもしろいところ。というのは、それから7年後の1990年に、彼女は再びラウンドハウスで落胆を味わうからだ(詳細後述、乞うご期待)。

 

(※6)Evening Standard 1983年12月9日, p22

 

 

 

 

 

次回は、カムデン区によるラウンドハウス購入について。