2014年、県境ライン全走破計画 stage8(四国山脈脊梁越)-4 | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

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2014年と言う10年前となってしまった県境を跨ぐ車道の全走破ツーリングも四国の尾根と言われるエリアを横断するコースとなっています。

県境に連なる四国山脈の山並みと中央構造線の法皇山脈と赤石山脈に挟まれた僅かばかりの谷間を縫う道を進んで行きます。

深い谷間が続き、山が覆い被さるような中を突き進み、かつては銅山で栄えた旧別子への連絡道をかすめて、県境峠を目指して行きます。

 

■走行日2014年7月~8月

 

前回は旧別子から銅山越えを訪れた時の様子をアップさせていただきましたが、新居浜市側の東平(とうびら)地区に残る銅山跡にも訪れたことがあります。

 

 

東平地区へは新居浜側から車道が整備され、訪れやすくなっています。

標高780mほどの所にたくさんの鉱山の遺跡が単に山の中に残されているだけでなく、瀬戸内側の急斜面の山肌にこれほどの設備があった事が信じられないほどで、中でもレンガで造られた城壁のような貯蔵庫には圧倒されました。

 

 

おそらく鉄道を通すために造られたと思われる防護壁も残されています。

膨大な量の石が使われていて、百年以上も放置されいながら当時の面影をこれほど残されているのには驚いたものです。

 

 

さて、県境越えツーリングに戻り、愛媛県の旧別子山村と高知県側の大川村と言う、四国山脈の超秘境地区を繋ぐルートに戻ります。

このルートは昔から魅力を感じていて、「高知県大川村」と言うこの表示を見るとテンションが上がってきます。

未舗装だった頃は、尚ワクワクしたものです。

 

 

分岐点からは6号線の県境を目指して行くと、すぐに狭いクネクネのヘアピンカーブが多い、いかにも峠を越える道となります。

途中の景色が開ける所ではバックに中央構造線の赤石山脈の展望が目の前に現れます。

その向こう側がすぐに瀬戸内の市街地があるという急激にそびえる山脈となっています。

 

 

この県境を越える県道は、以前は“林道大田尾越線”という林道で、分岐から5キロほど上ると林道当時の表示が残っていました。

 

 

そこからはすぐに愛媛県と高知県境の“大田尾越(おおたおごえ)”という標高1100mの峠に到達します。

標高の高い稜線上を越える県境峠は殆どがトンネルとなっていますが、この県境峠はトンネルでは無く切通しなのが良いです。

 

 

以前に雨の中をついて、この峠を越えたことがあります。

同じく別子山村側から越えた時の物です。

この時はすでに舗装されていました。


 

高知県側から見た大田尾越です。

以前には、この県境峠から愛媛県側の赤石山脈の眺望が見られましたが、今は雑木林が茂っていて見られなくなっていました。

 

 

かつてまだ未舗装だった大田尾越に訪れた時、愛媛県側から銅山のあった赤石山脈を眺めることが出来ました。

 

 

県境にはアスファルトの色の境がありましたが、「B.P」や「E.P」などのペイント表示はありませんでした。

 

 

さらに以前にはあった愛媛県側の県名表示のカントリーサインも無くなっていました。

高知県は元々無かったので、両県のカントリーサインは無い状態です。
一番奥深い県境なのに、なんだかあっさりとした県境というのがちょっと寂しいですかね~。
でも、県境のオーラは感じる峠です。

 

 

峠から高知県方面を見た景色です。

この峠の若干高知県よりには東の県境にそびえる“東光森山”(1486m)への登山口があり、「山火事防止」の看板には峠名が書かれています。

 

 

同じく、まだ未舗装だった大田尾越から高知県側を見た様子です。

やはり雑木林が少なく、景色が広がっています。

やはり山を管理する事が無くなって、荒れてきているのかも知れません。

舗装される前の方が山景色は綺麗なのはここだけの話では無く、このツーリングであちこちを見て感じた事です。

 

 

このルートも先に越えた“白髪トンネル”のルートと同じく、1980年代に初めて通ったときは、乗用車であれば間違いなくスタックするであろうと思うほどのハードな未舗装林道で、轍の大きな道を乗り越えながら、この峠へ到達した事があります。

それだけに峠へ着いた時は嬉しくて「やったー!県境まで来たぞ!」と、愛媛県の表示をまざまざと見て一人喜んでいた事があります。

 

 

雨の中をかつての「大田尾林道」を走行した時のものです。

 

 

未舗装時代の大田尾林道です。

かつては殆ど人を寄せ付けないような険しいルートも、今は全ての車道が舗装され、車でも通行が可能となっています。

それでも、災害によって通行が左右される時もあり、通行量は殆ど無いと言って良いルートです。

 

 

こんな“林道大田尾越線”も2000年あたりには県道となって舗装されてしまい、それ以来の走行となっていました。

当時の名残の林道表示が残っていました。

 

 

少し下ると、西側の県境にそびえる“大座礼山(おおざれやま)”(1588m)への登山口があり、この県道が整備されたことにより、登山道も整備され東光森山ともに登山者が増えているそうです。

 

 

未舗装時代の県境ルートを高知県側から激走している様子です。

舗装して整備されると多くの人が訪れやすくなりますが、やっぱり山道は舗装されていない方が雰囲気も景色も良いです。

未舗装時代は最高に好きなルートでした。