希望の地図

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来年度から 光村図書の国語の教科書が改訂される事になり
新しい単元の導入、単元の学年間移動、紹介図書の変更があるらしい

司書仲間が開いてくれている自主勉強会では
6年生の教材末(単元末)でかなりの冊数紹介される
重松清作品を 手分けして読んで 紹介し合う事になった

私の担当は「希望の地図」
文章量からして「小学五年生」あたりを読みたかったのですが
趣味に没頭するあまり、連絡メールを見落としていて
最後に残ったのが この一冊

以下、私の 超個人的な 感想というか本の紹介
一度読んだだけなので、見落としがあると思いますが御参考まで

サブタイトルが3.11から始まる物語 とあり
サッと数ページ読んだところ
限りなくノンフィクションに近い小説のよう

あとがきから先に読んでみる

あとがきは 2012年3月に刊行された単行本を
文庫本化した作業のあとに書かれたらしく
2014年12月---とある。
2年半以上の時が経っている。

あとがきの中で 重松氏が書いていました。
年少のひとにも読みやすいように 多めにルビを付けることにし
その再読三読のときに気づいたのは 文中に
「目処」という言葉が多用されていた と。

それを読んで私は思った。
2011年から2012年にかけての 被災地の状況は
本当に目処が立たないことばかりだったのではないか と。

重松氏は、本書(単行本の方)を上梓した後も、被災地を取材し続け
文庫本を上梓した後も、終わった感じはないと言う。
復興は、建築物の復興は確かに進んでいる
だが、人のこころは、行きつ戻りつしている部分もあるのではないか
復興の色合いは、場所により、人により異なっているのではないか
と言った表現を本文中に何度か書いています。


震災から半年後の、2011年9月
主人公の 光司は 東京世田谷在住の中学1年生
私立中学の受験に失敗したあと
入学した公立中学でいじめに遭い 不登校になっていた

光司は父親からの強引なまでの勧めで
父親の大学時代の同級生で、フリーライターの田村の
東日本大震災関連の取材に同行する事になる

父親は、最初からそう望んでいた訳ではないが
『震災でたいへんな目に遭っても必死にがんばってる人たちを見れば、
 光司も自分の甘さに気がついて、また学校に通うようになるんじゃないか』
と、納得して、田村の取材に同行させることにする。

田村は、光司を取材に同行させるにあたり
取材先を、ある条件のもと 絞り込んで同行させていた。
その、取材先のチョイスのお陰で
光司は 取材対象の大人の言葉を聞き
時には直接言葉を交わし 被災地の匂いを嗅ぐことができた。

田村や親以外の大人と触れ合う中で、光司は
期待に応えられなかった時に謝る、
期待されているんじゃないかと思って謝る癖が治っていく

光司が中学受験をしていただけに 
一般の中1の子どもよりは知識があるが故に 
ついて行かれる会話や状況もある。

有名大学を卒業して有名企業に勤めている父親の期待に
応えられなかった経験の持ち主だからこそ 
意識できたこともある。

中学受験失敗と不登校という、光司のバックグラウンドが
不可欠な状態で 取材は続く。

ただし、この話は 
不登校の子どもが学校に通えるようになる話---ではない。
でも、この被災地行きが影響して、不登校が終わるのではないか
と 読み手も期待し始める。


やがて、父親からストップがかかり、光司の取材の旅は終わる。

そののち、田村からの手紙で 光司は
田村がどうして光司を同行させてくれたか を知る。

田村の手紙こそが、この本が書きたかった事じゃないかなと思う。

そして
ものごとは 枠にはめて考えない
ひとくくりにしない という事を
重松氏は言いたかったのではないか と、私は思いました。

ネタバレを最低限に抑えているので
なんのこっちゃという感想&紹介ですが
テレビでは報道されなかった人々の活躍、復興の兆しが
バラエティ豊かに紹介されています

最初は 読むのが辛いんじゃないかと思われた本ですが
さすが重松清…なんとか数時間で読み切る事ができました。
読む力のある子どもだったら 6年生でも読める…かな?