■アイドル冬の時代の話 | たかみゆきひさオフィシャルブログ「shadowcube」Powered by Ameba

■アイドル冬の時代の話

今は「アイドル戦国時代」とか言われてますが、
僕がこの業界で仕事をするようになってまもなく訪れたのが「アイドル冬の時代」。
1980年代終わり頃から始まったアイドル受難の時代ですね。


もー、とにかく歌番組がどんどん無くなってしまい、
アイドルがTVに出られる機会が激減!
アイドルと生で会える「場所」だった、毎週末に至る所で行われていたデパート屋上キャンペーンもどんどん出来ない状況になっていったんですね。

我々からしてみればそれはもう 一大事な訳です。
レコード会社もアイドルから撤退。
特にCS(CBS/SONY)がヤングポップス事業部(通称“ヤンポ”)をやめたのは結構衝撃だったなー。
(当時の僕は河田純子や田山真美子、宍戸留美などCSのアイドルとの関わりが多かった)


これはマズイ!!!


とにかくタレントが歌を歌える場所や機会を作らねば!


そんな思いで業界有志3人で立ち上げたのが、「歌姫伝説」というプロジェクト。

アイドルが歌える場所を作ろうというコンセプトで企画はスタートした。

バブルも弾けて景気急降下だし、アイドル冬の時代だから経費なんかもかけていられない。

とは言いながらも当時関東最大のライブハウスだったクラブチッタ川崎をホームグラウンドにしたり、人気絶頂だったCoCoのメンバーを出演させたりなど、動きはハデだった(^^;
(アイドル業界全体を盛り上げなきゃ!ってことだったりもしたんで、結構がんばりましたよ)


大きな小屋はクラブチッタ川崎、そしてほぼ隔週で行われるサテライト公演は四谷フォーバレーをホームグラウンドとして年がら年中ライブやってたって感じでしたね。

出演するアイドルはCoCoなどメジャークラスからプレアイドルと呼ばれたアイドル予備軍まで。


で、そんなプロジェクトだったんだけど、僕はやむなく離脱…って話はこのへん にちょこっと書いたっけ。



その後、実はこれがきっかけでいわゆる「地下アイドル」というものが成長して行くことになるのであーる。

(って話の続きを書いてなかったんだな^^;)


ってことで書きますよと


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●それはまさに「輝きの描写(スケッチ)」だった!
●かくしてデジタル技術革新とともに「地下アイドルシステム」の第一歩は始まった
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※「地下アイドル」という表現は個人的にはなんともしっくり来なくて好きでは無いが、わかりやすいので使ってます。