●かくしてデジタル技術革新とともに「地下アイドルシステム」の第一歩は始まった
あー、いろいろな作業を平行してるので映像編集ばかりをやっているワケではないけど、また編集の合間のブログアップです(←寝ろよ^^;)
※今回もBGMは「地上の星」(中島みゆき)でどうぞ(^^;)
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1992年11月某日
僕は秋葉原にいた。
オーディオマニアだった父に連れられて幼少の頃から慣れ親しんだ街、秋葉原。
いつもワクワク(リボン結びではない)やときめき(メモリアルでもない)を抱いて かの地を訪れていた自分であったが、今回はいつもとは違う。
形容しがたい興奮と共にラジオ会館に向かったのを覚えている。
ラジオ会館には昔からなじみの店があり、目的のマシンも当然おさえてもらっている。
いまではすっかりお馴染みのMiniDisc(MD)
民生機で世界で初めて光ディスクに音声を記録可能とした夢のマシン、SONY MZ-1
7万9800円だったか。
本体価格は最初だしまぁ、仕方ないか。
が、メディアは最初は60分のものしかリリースされず、しかも1枚1400円で在庫僅少!
これは結構痛かったなぁ…。
(ビデオテープも最初は2800円とかで買ってたし、最初はいつもこんなものだ)
ま、とにもかくにも世界初のMDウォークマンを手にした!
発売前に発表されていたMDの機能の中で僕が注目していたもの、それは
・ディバイド(分割)
・ムーブ(移動)
そう、この機能さえあれば、これまでオープンテープで切り貼りしたり、別トラックに録音してどうこうしていたことが簡単にできてしまう。
高価なMacもいらない!
しかもポータブルだからいつでもどこでも作業できるのだ!
しかし懸念されることがひとつあった。
この機械でやりたいこと…
それは 例えばフルコーラスのものを1ハーフにしたり、数曲をつないでメドレーを作ったりすること。
ディバイドして編集したはいいが、つなぎ目がスムーズに再生されなければ意味がない。
それだけが気がかりだった。
使えるのか? この機械…
そんな不安をかかえつつ僕は帰りの電車の中で説明書を穴があくほど読みふけってっていた…。
つづく
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なんだよ、MDでカラオケ出すだけぢゃん!
って今なら思うかもしれないけどね。
当時はカラオケでキャンペーンやイベントをやることはあってもライブを行うなんて考えはほぼ無い時代。
ライブハウスにはステータスがあって「うちではアイドルなんてやらないよ! は? カラオケ? 生演奏のライブしかやらないよ」なんて時代。
その概念を明確に打ち壊したのは自分も多少関わらせていただいた東京パフォーマンス・ドールなんだけど、そのあたりは機会があったらってコトで。
(これも書き始めると長いのよ)
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#7
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#6
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#5
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#4
●それはまさに「輝きの描写(スケッチ)」だった!
●かくしてデジタル技術革新とともに「地下アイドルシステム」の第一歩は始まった
●それは総デジタル化時代の幕開けでもあった
●地下アイドル?
※「地下アイドル」という表現は個人的にはなんともしっくり来なくて好きでは無いが、わかりやすいので使ってます。