●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#6 | たかみゆきひさオフィシャルブログ「shadowcube」Powered by Ameba

●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#6

久しぶりに書くのでおさらい

・「アイドル冬の時代」アイドルがステージに立つ機会が減り、業界有志のメンバーによりアイドルが歌う「場」を作るプロジェクトが発足
・1992年、MDが発売され、おそらく世界で初めてのMDを使用した「水野あおい」「秋山久美」のライブを行い、成功。

ざっくり書くとこんな感じ(←ざっくり過ぎだろ)。
(くわしくは下の方のリンクから飛んで読んでちょ)



さて、問題はここから

これまで行ったライブが好評だったので、次回の公演はクラブチッタ川崎でやろうという話になったのはいいものの…

以前書いたことあると思いますが、当時はライブハウスにはステータスがあって「アイドルなんてやらないよ」とか「カラオケのライブなんてやらないよ」なんて風潮があったんですね。
当時はクラブチッタ川崎、原宿ルイード、ON AIR EAST、クラブクアトロとかはステージに立つってことだけでもステータスだったんですよ。
そんな中で東京近郊最大クラスのクラブチッタ川崎だから、やっぱりおいそれとは行かず、MDという機械に対しても「?」があったワケです。
(当時はカラオケでもDAT出しが普通だった)
ということで、実際に会場であいてる日にMDで音出しテストをやることに。
MDを置いてるライブハウスなんてないから当然機材は持ち込み。

さて、そんなコトでチッタの1発80万円のJBLのスピーカーでの音出しテスト(笑)
なんの曲流したか覚えてないけど、音出しは成功。
音が出た瞬間、震えるほど感動したのを覚えている。
この音質ならOKということで、チッタでのMD出しは会場側から了承された(歓喜!)。

ハード面が整えば、あとはソフトを走らせるだけ。
そして怒濤のキャスティングと興行の数、驚異のセットリストが生まれていくのであった。
CoCoをはじめとするメジャーアイドルからアイドルの卵たちまで出演する一大イベントに成長していきました。


つづく


【関連記事】

●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#7
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#6
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#5
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#4
●それはまさに「輝きの描写(スケッチ)」だった!
●かくしてデジタル技術革新とともに「地下アイドルシステム」の第一歩は始まった
●それは総デジタル化時代の幕開けでもあった
●地下アイドル?

※「地下アイドル」という表現は個人的にはなんともしっくり来なくて好きでは無いが、わかりやすいので使ってます。