●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#5
さて、ちょっと間があいちゃいましたね。
好評連載(笑)
「地下アイドルシステム」はこうして作られた#5でございます。
時は今からさかのぼること1992年
MD(ミニディスク)が発売されたことにより、誰にでもカンタンに音楽編集ができる時代がやってきて、それをいかにして実際の興業に使うかって話までしましたね。
さて、とは言っても、そう簡単に実戦導入できた訳ではありません。
何度も編集を繰り返し、その機能を短時間で習得し、何曲ものカラオケを編集したが、果たしてこれが本番で使えるのか???
今回はその最初のライブのお話
1992年11月にMDが発売され、僕はなんと翌月の12月には実際のライブに実戦投入してみたのです。
秋山久美、そして水野あおいのそれぞれのファーストソロライブである。
秋山久美は東京パフォーマンス・ドール(フィーユ)を辞めてからの初めてのソロ公演、
水野あおいは「水野あおい」としての初めてのソロ公演。
水野あおいといえば、そう、Wikipediaで地下アイドルの草分け的アイドルとして記述されているアイドル。
水野あおいはこの後 地下アイドルシステムの伝搬に大きく関わることになるので、名前を覚えておこう(^^;)。
さて、そんなふたりの どちらにとっても大事なステージ。
そして、どちらにもMDを使用する意義のあるテーマがあった。
秋山久美のいたTPDのダンスサミットはノンストップのメドレーが売り、それをいかに受け継ぎ、そしていかに変えていくか。
そして水野あおいはマニアともいえる程アイドルソングを聴き込んでいる子だ。
往年のアイドルソングを歌いまくるには「この子しかいない」と言えるほど歌唱力もアイドルに対する理解力も持ち合わせていた。
ということでこの公演からMDを使用したライブを開始。
おそらくは世界で初めての完全MD編集+MD出しによる興業(^^;)
失敗したら・・・・???
そんなことを考えていてもしかたがない。
緊張の中ライブはスタート。
途中機材に駆け寄ることもあったが、基本的にライブは成功。
MDの可能性と未来がこの時確たるモノとして見えた。
ちなみにこの時、お客さんとして来ていた一人の少女がいた。
のちに声優として活躍する水野愛日である(^^;)。
つづく
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#7
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#6
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#5
●「地下アイドルシステム」はこうして作られた#4
●それはまさに「輝きの描写(スケッチ)」だった!
●かくしてデジタル技術革新とともに「地下アイドルシステム」の第一歩は始まった
●それは総デジタル化時代の幕開けでもあった
●地下アイドル?
※「地下アイドル」という表現は個人的にはなんともしっくり来なくて好きでは無いが、わかりやすいので使ってます。