印象派と19世紀パリの高級娼婦 | スーラ・ウタガワの「画家ごっこ雑記帳」

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画家ゴッホではありません、画家ごっこです。

浮世絵名所の再発見をコンセプトに自分の気に入った名所を探して油絵を描いています。

そんなリタイア後の画家ごっこライフや、美術についての受け売り雑話をアップしているブログです。


19世紀パリの風景・風俗を多く描いた印象派。

彼らを語るときに、当時パリにいっぱいいらしたらしい

彼女達の影響に触れなければ片手落ちというものだろう。


高級娼婦
courtesan または demimondaine 


娼婦
高級娼婦




まず、高級娼婦とは何者か?

一般に19世紀パリの娼婦というものは次の4つのクラスがあったといいます。


(1) クルティザンヌまたはドゥミ・モンデンヌと呼ばれた高級娼婦

(2)「番号持ち娼婦」と呼ばれる公認娼家の公娼

(3)「鑑札持ち娼婦」と呼ばれる自家営業の公娼

(4) 登録をしていない私娼(落ちぶれた街娼・アルバイト?)


公娼制度は主に性病の蔓延を防ぐため、医者の検診を義務づけ、

警察が管理し1946年に廃止されるまで続けられた制度。

(1)と(4)はもぐりの娼婦。


ただ、(1)から(4)までヒエラルキーをなしているとはいえ、

(4)の高級娼婦はこの(2)以下とは超絶していたという。


高級娼婦というのは、たしかに金銭と引き換えに快楽を提供するのだが、

女はあくまで自由意志で行動し、男が「勝手に」金を払うという形をとるのだ。

客を選ぶ権利は女の方にあり、今日の芸能タレントや水商売の女性と同じ

行動原理に貫かれていたと学者は言っている。


(陰の声:ごっこスーラが言っているのではないよ、念のため
(;^_^A  )



では、どのような女性が高級娼婦になったのであろうか?


高級娼婦になるには(2)の公娼以下の「汚れ?」がついては

なれなかったらしい。高級娼婦は最初から高級娼婦として

スタートしな
ければならなかったが、なろうと思ってもナカナカなれない

職業(?)だったらしい。


まず、条件として”美貌”と”エスプリ”が必須であった。

”エスプリ”:洒落た感覚と教養がなければ話にならないのだ。


(陰の声:まあ、顔は好きずきがあるからね
(・_・; )


主に下層か中流の下の層の娘がいかにしてエスプリと教養を身につけたか?

ここでも、彼女達を最初に教育した男達がいたのだ。


このマネの作品をご覧ください。 



ナナ・マネ
ナナ (1877年・油彩・154x115cm)
マネ

ここにもドガの作品と同じように右側に怪しい紳士がいるよ。
こういう男が自分好みに女性を育てようとしていたらしい。
女もしたたかで、パトロンを取り替えつつキャリアアップを
狙っていたという。
ゾラの小説「ナナ」は母親に売られた同名の主人公の平凡な娘が
男達に揉まれながら高級娼婦としての
階段を駆け上がる物語だ。
この絵の題名もその小説からきていると思われる。



当時、いろいろな産業が起こったパリでは、女性の職業も生まれ、

地方からパリに憧れて多くの若い女性が流れ込んで来た。

当時もっともパリ的な若い庶民の女性は”クリゼット”と呼ばれる

お針子さんだった。


グリゼット
クリゼット (お針子)
まあ、当時のパリのピチピチギャルだね。
クリゼットというだけで、パリジャンは好色は
目で見たというよ。


彼女達のうち、野心のある女性は踊り子にチャレンジしたり、

良い旦那を掴もうと、やはりパリに田舎から出て来た

学生と同棲したりしたという。


しかし意に反して、夢破れた女性達がブルジョワに囲われていき、

高級娼婦の道に進んだものも多かったという。

そして、エスプリのないものは”公娼”に落ちて行った・・・


プラム種・マネ
プラム酒 1877年・油彩・73.6x50.2cm)
マネ

この女性はどうも酒場で客待ちする娼婦を描いたらしい。
娼婦(3)か(4)と思われる。
今でも、パリで夜に一人でいる女は、その手の女と間違われる
というから、注意してください。


そして、楚々としたナナもキャリアを積むと

このように堂々たる高級娼婦様におなりになるのだ


秋・マネ
秋 (1881年・油彩・73x51cm)
マネ

マネ晩年の愛人、メリー・ローラン。
彼女が着ているコートは当時の人気ファッション
デザイナー、シャルル・ウォルトによるものだそうです。

マネは貧乏画家ではない、実家は高級官僚のブルジョア
出身だ、ちなみにドガもバジールやカイユボットなども
銀行家や実業家などブルジョアの出身であった。
モネやルノワールは庶民出身で絵に描いたような貧乏画家
であったが、印象派にはおぼっちゃんも多かったという。
だからこそ、絵を売らずに自分の好きな絵が描けたともい
える。


このように年齢を重ねた高級娼婦は、まるで昔のサロンの

女主人のように文化人とも交流し、エスプリのきいた会話を

楽しんだという。

大人の世界だね~、文化はこういう時間から生まれるんだろうな~

参加したかったよ~・・・


(陰の声:奥さんに言いつけるよ
(;^_^A )



最後にマネが高級娼婦さんをモデルにして生まれたという傑作を

2点ご紹介します 



オランビア・マネ
オランビア (1863年・油彩・130.5x190cm)
マネ


マネ・草上の昼食
草上の昼食 (1863年・油彩・208x264.5cm)
マネ


これらの傑作のモデルになっていただいた”高級娼婦”さん達に

感謝しながらこのページを終わらせていただきます。


   <印象派と19世紀パリの高級娼婦・了>





スーラ・ウタガワの
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