くだらない話と真面目な話を混在したネタを一席。


行きつけのフイットネスクラブのスタッフと先日話していたときのこと。

「あんまりスタッフの方、あたしに話し掛けてくれないんですよね~」


と言ったところ、


「最上さん、言いにくいんですが、やっぱトレーニング中の最上さんには話し掛け難いですよ。」


……


理由は「恐そうだから」らしい。


だ、だって~~!


それなりの負荷を掛けて、ある程度、集中してたら、
そこそこ恐い感じになるじゃないのさ~!
それって、みんな一緒じゃん!


…ってなグチは置いといて、
少し関連したまったく別の話へ。


前にもこんなようなテーマで書いたような気もするが、
ま、気にしない気にしない。



トレーニングするときは、使っている筋や部位に意識を集中する、というのが原則になっている。

怪我の防止と、意識を集中させる事で、トレーニング効果を上げる、と言うのが理由である。


だが、実は別の側面から見ると、
意識を集中させない方がむしろ良い、という考え方もある。
アスリートはもちろん、一般の方にとっても、である。
これはトレーニングの習熟段階にも拠るが。


たとえばジャンプをするという動作を考えた場合、
大腿の筋の事だけを考えて動作を起こすわけではない。
体幹の状態や地面に対する重心の掛かり具合い、その他のことを瞬時に判断しながら大腿の筋力発揮を考えているのである。
無意識に。


つまり、実際の動作を起こす時、
ある一カ所の筋に意識を集中させていることはないのだから、
トレーニングにおいてもある一点に意識を集中させずに筋力発揮を習慣づけた方が良い、
とも考えられるからである。


昨今、バランスボールの上や、不安定板に乗ってエクササイズする事が流行っているのは、
もちろん、バランス感覚を養うといった大義名分もあるが、
実は、ある種の「気を散らす」為の手法という側面もある。


つまり、実際の動作は、ほとんどの場合、足に荷重を感じながら大腿なら大腿の筋力発揮が必要になる。
レッグカールマシンのように、荷重が掛からない状態で筋力を発揮する場面は、かなり少ない。


もちろん、とは言っても個々の筋力が不足している段階であるとするならば、
まずはその部位の力を出させる「教育」は必要になる。


トレーニングとは、筋・神経に対する「教育」である。
「教育」には、意図を持った反復練習が必要な段階と、
実務などに則した「実戦訓練」の段階があるのと同様である。



……さて、最初の話に戻るが、
そう考えると、あたしはトレーニング時に、意識を「集中」させ過ぎだったかも…?


アスリートの場合、よく用いるのが、
実際の試合の映像や音声を流しながらトレーニングをする、
というような事をやるが、
自分は今は現役アスリートではないし…


そうだ!


「笑顔」だ!


笑顔でトレーニングをする、というのも、
一見ふざけているようだが、
前述のように、意図的に「気を散らす」為のひとつの手法となる。


でも…



こんなゴツいオッサンが、
急にニヤニヤしながらスクワットか何んかやってた日にゃー、
違う意味で「恐い」でしょうなぁ~



……


やっぱ、フツーにやろっと。



SANSPO.COM > スポーツ


ジャンプサマーGP、日本10位で2回目に進めず


スキー・ジャンプサマーグランプリ(5日=日本時間6日、ドイツ・ヒンターツァルテン、共同)日本は1回目で448.0点の10位に終わり、上位8チームによる2回目には進めなかった。日本は岡部孝信(雪印)の98メートルが最高で、一戸剛(アインズ)が97メートル、竹内択(北野建設)が95メートル、吉岡和也(土屋ホーム)は88.5メートルだった。オーストリアが優勝し、2位フィンランド、3位ドイツと続いた。






北海道新聞 スポーツ


岡部が17位 ジャンプサマーGP  2006/08/07 14:05


 ノルディックスキー・ジャンプのサマーグランプリ(GP)は6日、ドイツのヒンターツァルテン(HS108メートル、K点95メートル)で個人第1戦を行い、岡部孝信(雪印)は99・5メートル、97・5メートルの242・5点で17位だった。





世界選手権に向けて、海外試合も本格スタート。


まだ調子は出ていないが、今は色々な選手を試している段階。
ここから徐々に世界選手権代表メンバーを絞り込んでいく。


それでも、さすがベテラン岡部選手。
本調子でないながら、きっちり日本選手の中では最高成績を上げる。


がんばれ!TERAM JAPAN!


陸上競技ハードル選手の為末大選手。
最近は陸上の分野のみならず、様々なメディアに登場している。


トップアスリートとして、彼の存在は稀有な存在である。
競技は違うが、他の競技でトップを極めた存在と言えば、
中田英寿選手やイチロー選手、スケートの清水宏保選手などがいるが、
これぐらいのレベルになると、どうも一般的価値観と共有できなくなるらしく、
彼らに共通しているのは「孤高」のイメージになる。


だが、為末選手は、どのメディアに登場しても
その「感じの良さ」を崩さない。
努力してそうしている、という感はなく、
あくまで自然にそうなっている、という印象である。


その一方で、政治の話になれば若手国会議員のように熱弁をふるい、
得意のファンドの話題になればアナリストのように緻密な分析を披露し、
(最近「インベンスメントハードラー」という投資の本を出版したらしい。読んでみようと思う。)
トレーニングの話になれば運動生理学者も顔負けの持論を展開する。
かと言って自分を押し付けるでもなく、共鳴できない場合もその相手をバカにした態度をとるでもない。
常に相手に尊敬の念を向け、誰に対しても笑顔を絶やさない。
見ていて嫌みでなく、非常に好感も持てる。
話を聞いていて、実に楽しい。


ここ数年では、アスリートの中で、
松井秀喜選手と並んで広い意味でのトップの存在だと思う。


これは彼の人生観に依るところが大きいようだ。


彼はよくこんな発言をする。


「僕にはコーチがいない。だから自分以外の人は全てが“師”だと思っています。
分野を問わず多くの人の話を聞き、知識を得ることが、最終的には自分の競技にフィードバックされていく。
自分の知らない世界にはハードルの技術を磨くヒントが隠されているんですよ。」


なんと非の打ちどころのない、素晴らしい考え方。


事実、ファンドの勉強をすることで「情勢」を見るという習慣や目が養われ、
それが試合で他の選手の「状況」を見る目につながった、と話している。

それが前回のヘルシンキ世界選手権での豪雨の銅メダルになった、と後述している。



ここから先は、私個人の考え方だが…


アスリートとは、いったい何のために競技をやるのであろうか?


もちろん個々の記録やパフォーマンスを向上させて、
最終的には「勝つ」ことが目標なのだろうが、
果たしてそれだけか?
そこで終わって良いのだろうか?


私もよくこのような話は選手とするのだが、
結局、競技とは人間力の勝負であり、
逆に言えばアスリートは競技でけで終わってはならない、と思う。
人間として、自分がどうなりたいか?
最終的に死を迎えるまでに、何を全うするか?という
一つの方法論、表現方法として競技がある、と考えるべきであろう、と私は考えるし、
選手にも今自分がやっている競技について考えてほしいと思っている。


そうでないと、
たとえば30前後で競技人生を引退して、
さてこれから第二の人生、と今までの競技人生がまったく生かされない、あるいはそこが完全に分断されたその後の生き方であれば、
いったい今までの苦しい競技人生は何だったのか?
と考えざるを得ない。


つまり、競技成績を上げようと思った場合、
まずは、


「自分は何のために競技をやっているのか?」


「自分の長い人生の中で、競技とは何の意味を持つものなのか?」


「自分は、どう生きたいのか?」


を自問すべきなのかも知れない。


一見遠回りのようで、
実はそこに問題点が潜んでおり、
何らかの解決法が見出せるのかも知れない。


競技は、競技だけで終わるものではない、と。


…などと、私は考えているのである。


亀田興毅選手の疑惑の判定に関するバッシングが止まらないようだ。


八百長疑惑だの何だのから、亀田選手の素行や言動に対する批判まで飛び火し、
一体、そもそも何を論じてるんだか分からない始末。
ま、それだけ亀田選手が影響力のあるアスリートに育った、という証明になった、
と言えばそれまでだが。


大切なことは様々あろうが、
判定に疑惑があったとしても、少なくともライトフライ級一位の選手と闘い、
19歳の少年が互角以上に渡り合ったのは事実。
それはそれで凄い事実である。
裏で何かが行われたとしても、それで彼が「弱い」という事にはならない。
彼がどこまで知っていたかは別だが、
何かあったとしても周囲の大人の問題であろう。


私は彼が好きでも嫌いでもなく、
擁護する気持ちもまったく持ち合わせていないが、
周辺環境を除去し、まずは事実のみを冷静に認識することが大事だと考える。
そうでないと、大切なことを見誤る。


同時に、今回の疑惑の判定に関しては、
そもそもボクシング興行の特異な仕組みに問題があるようだ。


聞いたところによると、
ジャッジ(審判員)は全員アマチュアだそうで、
これもボクシングの特異な仕組みだが、一番の権力者はWBAでもWBCでもなく、
まずは「興行主」なのだそうだ。
ジャッジには交通費や宿泊代は連盟や協会から支給されるが、
基本的にはアマチュアなので、「無給」なのだそうだ。
つまり、その他経費などは興行主から支給されるらしく、
構造的には興行主に雇われているのに近いそうだ。
そうなると、興行主から「何か」を頼まれたり指示されたら……


断れるのか…?


つまりは「プロスポーツ」の体を為していない、と言わざるを得ない。


そういう実態を改善していく動きにしないと、
問題は何ら解決しない。


実は過去にも同様の問題があり、
鬼塚勝也選手も数回、疑惑の判定があり、
今回の対戦相手、ランバエダ選手は過去にも新井田選手とも対戦し、
やはり微妙な疑惑の判定で敗れている。
今回、亀田選手のように、社会現象にまでなっている選手だったからこそ、大きな問題になっているに過ぎない。


要は、マスメディアも、
目立つ所にだけ騒いでいるに過ぎない。
ある意味、同じ穴のムジナと言うべきだろう。


また、この問題に乗じて
亀田興毅選手の言動に対する批判も起きている。
「疑惑の判定で勝ったくせに、相変わらずのデカイ態度」が気に入らない、ということだろう。


問題なのは、彼は何も犯罪行為を犯していない、ということ。
彼があのような横柄な態度をとるのは、
彼(親父さんかも?)が何らかの戦略を持っているのかも知れない。

良いか悪いかは別にして。

ロックスターがいつでもサングラスを外さないことや、
江頭2:50さんや猫ひろしさん、古くはたこ八郎さんなどが、
どんな場面においても、あの強烈なキャラクターを崩さないのと同じことだろう。


要は、意図があって作為的にキャラクターを構築しているとするならば、
それを簡単には崩せないのは当たり前のことだ。
逆に言うと、この状況化でそこを貫き通す、
彼(亀田一家&協栄ジム)の根性と信念に頭が下がる。


何度も言うが、好き嫌いは別にして、
状況を論理的に、冷静に判断した場合の見解である。


だが、なぜ彼がそのように意図的にキャラクターを作り上げようとしているかは分からない。
ボクシング界の盛り上げの為か、ただの目立ちたがりか。
それとももっと大きく、日本のプロスポーツの活性化を見据えているのか。


ただ、私が興味深いのは、
世間の子供たちが彼に憧れてボクサーを目指した時、
同じように「タメ口」で応答することを奨励するのかどうか?
自分に対して「タメ口」をきいた時に容認するのかどうか?
そこで「目上には敬語で話さんかい!」と諌めたら、これこそ筋違いである。


彼が真のアスリートになるとしたら、
世間に対する影響度、ましてや子供たちに対する影響は無視できない。
本人は意図するかどうかは別にして、強くなる、ビッグになる、トップに立つ、
というのは、同時に責任も必然的に伴うという事である。


本人がいくら否定しても、そこは逃げられない。


さて、亀田選手がどこまで意図しているのか。


強くなる、強さを目指す、名声を勝ち取る、ということは、
自分に降りかかるであろう責任まで覚悟する、ということなのである。


そうでないと、彼もマスメディアに、世間に、潰される。


たとえ試合に勝ったとしても。


最後にもう一度。


私は亀田選手は好きでも嫌いでもありません。


いつでも、事実を、冷静に客観的に判断したいだけであります。



ジムでトレーニングしながら見てた、亀田選手の世界戦。


強気な彼もやはり人の子ということか。
明らかに普段よりは身体に力が入り、動きも悪かった。


僅差の判定勝ちでタイトル奪取、となったが…


う~ん


当然、相手方からクレームはつくでしょうな。この結果。


あまり多くは語りたくないが、
どーもきな臭い感じはしますな。
確かに、負けたらスポンサーやTBSさんは大弱りでしょうし…
逆に言うと、多くのモノを背負ってしまってますな。亀田選手。


ただ、僅差の勝利であることは別にして、
熟練したテクニックを駆使する相手に、少なくとも互角以上の戦いをしたのは事実で、
一部報道にあった、実力に疑問府?という事にははっきり否定できたことは確か。


まだまだハートに鍛える余地があることが分かり、
まだまだ経験を積む必要があることも分かった。
強そうに見えても、まだ少年の域を出ない。
すべてはこれから。


明日のスポーツ紙はどのように報じるか。


少なくとも見たくないのは、
評論家たちが「それ、見たことか」みたいなコメント。
専門のトレーナーではない父親の指導をいぶかしく思う声も多い、と聞く。


ただ微妙な判定は別にして、
少なくとも彼が世界レベルにあることは立証されたのは紛れもない事実。


やって来たことは評価してやり、
これからの成長を期待してやりましょー。


でも…


喉から手が出るほど欲しいコンテンツとは言え、
ちょっと浮き足立ち過ぎじゃあない?
TBSさん。


逆に亀田ブラザースが潰されなきゃいいけど。


マスメディアは恐いからね~。


私はその道の生粋の専門家というわけではないが…


フィットネスクラブの運営などに少なからず関わりを持ち始めて、早や23年を超える。


最近、特に「昔は楽だった」と感じることが多い。


これはもちろん、指導側の観点での話。



この分野のことに詳しくない人の為に少し解説すると、
ここ数年はトレーニングジムで単純に指導をするという事は少なく、
必ずと言って良いほど、様々な「プログラム」を指導しなければならない。
エアロビクス的なものはもちろんのこと、
固定式自転車を用いたものから格闘技様のエクササイズ、
最近はヨーガ(ヨーガ的も含む)から、太極拳、ダンス的エクササイズまで、実に多種多様である。



指導している方々に失礼な表現になるかも知れないが、
たとえば自転車を用いたような集団エクササイズなどであれば、
比較的、技術的難易度は高くない。
(もちろん、集団のモチベーションを上げるなどのリーダーシップ能力がかなり必要)



そういう類のプログラムはまだ理解できるが、
一昔前ならかなりの熟練が必要と思われたプログラムまで、
インストラクターを急造せざるを得ない状況がある。



たとえばヨーガ(ヨーガ的含む)などは、普通に考えれば数年~十数年の修業が必要と思えるものまで、
数カ月の研修で指導者になってしまう。
もちろん、これは本人の責任ではなく、
クラブ側の供給が追いつかない実情があるからだが…




だから本来、理想論からすれば、
自分が実感した事柄のみが指導の言葉として発せられるはずだが、
「このエクササイズは、~のような効果があると言われています」
という、平たく言うと「ウソ」を言わざるを得ない。
「ウソ」とは言い過ぎかも知れないが、
その時点では自分の体験も検証も無いわけだから、
厳密に言うとこの段階では「ウソ」ということになってしまう。




だが一応の、科学的な検証が
生理学のレベルで「まあ、こう言って差支えないだろう」とされていることは、まだ良い。

(たとえば「こうすると筋肉が増える」などは、本来は本人にその経験が無ければ「ウソ」と言えなくもないが、
生理学の世界で、それなりの検体数で立証がされているものは許容範囲とされる。)



東洋の神秘的なものは、本来は科学的考察が無い代わりに
指導者が、例えばインドや中国などの発祥の地で修業をしてきた事や、自らの実践の中からの体験がそれなりの「根拠」になるのだろうが、
「~~と言われている」で進行せざるを得ないのは、本来ならばいささか苦しい。



何度も言うが、指導をさせられている、あるいはせざるを得ない側の責任ではない。
人件費を考えると、急造せざるを得ないという、
会社側の「資本の論理」である。




だが、会社側にも一応の言い分があって、


「これだけ多くのお客様がそれを望んでいる。
多少の未完成度はあっても、ある程度目をつぶり、お客様に提供することで皆様が健康になるなら、
障害を起こさない範囲という前提で、それは許容範囲であるはずだ。」


ということになると思われる。




私もこういうことを書いておいて何だが、
批判をしようとして書いているわけではない。



恐ろしいのは急造された指導者たちが、
こういう現状の連続で馴れて感覚が「マヒ」してしまい、
「本来のあるべき姿ではない」という認識すらどこかへ行ってしまうことなのだ。


こういう事をおおっぴらに言う人がいないのも問題だが、
現実問題、難しい…




きつい言い方をすれば、ある種の「ウソ」をついているのだ、という事実を真摯に認識し、
その現状を少しでも「ホント」に近付けていこうとする「意識」を忘れてはならない、ということが重要なのである。



「ウソ」はどこにもはびこっている。
むしろ本当に「ホント」の事の方が少ない。
(ほとんど無いのかも知れない)




だからこそ、レッスンに集まって下さるお客様、
指導を受けて下さるクライアント…


そんな皆さんに対して常に「感謝」の気持ちを忘れないことが、
企業、個人の理念として、絶対に必要なのだと思うのである。




今日の格言。


「大事にしよう。企業理念より“自分理念”」



2年以上もBLOGをやっていると、
題名をつける時に「前にも同じ題名で書いたかも?」
と思うことがしばしば。


この題名も過去に使ったかも 知れないが…


確認するのも面倒なので、このまま行きますわ…



さて、昨日で3カ月に及ぶ「パーソナルトレーナー養成コース」が無事終了。
受講されていた方は、仕事のスケジュールを調整したり、何かを辛抱して参加されていたはず。
長い間、お疲れ様でした。


以前は任されたコマだけを講義すれば良かったが、
主任講師としてカリキュラムから運営までを任されると、
受講者の最終認定の合否や、もしかすると卒業後の行く末まで責任が生ずることになる。
そういう意味では、ある種のプレッシャーを感じざるを得ない。


先日、高名なパーソナルトレーナーの方と話す機会があったが、
「パーソナルトレーナーが売れない、という声も聞くが、自分の実感としては至るところにニーズがあり、潜在需要は計り知れず、もっとパーソナル専門の人が増えるべき」

と話していた。



私は現在は、パーソナルを活動の主体にはしていないが、
パーソナルトレーナーと言うと、どうしても
「神技のような指導テクニック」
が不可欠のように考える人が多い。


確かにそれはあるに越したことはないのだが、
どんな技術も使いこなせなければ「無い」のと同じ。
単に目先を変えてクライアントを一時的に引き付けるのは、
長い目で見た場合は得策とは思えず、
第一、そこの浅い技術や知識は、あっと言う間に見透かされる。


そういうことよりも、
当たり前のことをオーソドックスに、
親切心を以って、基本的に「愛」を全面に出して、
そのクライアントにとってベストな事柄を提供する、
「情報選択」の能力が必要だと思う。


例えば格闘技などでも、
様々な技を使いこなせたとしても、
実際に相手を倒す技は、せいぜい一つか二つ程度のもの。
むしろその技に持っていく過程が重要だったりするのである。


私は、目的がパフォーマンス向上であっても、
はたまた身体の不具合の改善や除去であっても、
基本は常に、

「循環の改善」
「可動性の改善」
「平衡性の改善」

でしかない。


そのために、どうすべきか、どの技術を適用すべきか、
という選択でしかない。
一見、同じように見える技法であっても、目的によって全く異なる意味を持つ場合もあるし、
対象者(クライアントや患者)によって、
同じことを説明するのにも、違う道筋でプレゼンすることもある。
目的は常に
「理解→納得→実践→効果」
でしかないからである。


つまりは、習得した知識や技術が、
一見、オーソドックスなものに見えたとしても、
それを状況によってどのように「編む」かが問われるのだ。
いわば、優れたトレーナーは、優秀な「編集者」であるとも言える。


ただ勉強して、新しい技術を求めて業界を漂流するのも良いが、
そのような観点を持って欲しいのである。
そうでないと、いくら勉強しても「不安」は払拭できない。
常に不安なだけで、永遠にそれが続く。


この世界でそれなりに成功したいのであれば。


ぜひ皆さん、
月並みですが頑張ってくださいませ。



ジャンプのサマーGPに岡部、大貴ら5人 - スポーツニュース : nikkansports.com

全日本スキー連盟(SAJ)は24日、8月に欧州で開催されるジャンプのサマーGPに遠征するメンバー5人を発表、岡部孝信(雪印)伊東大貴(土屋ホーム)の強化A指定選手のほか吉岡和也(土屋ホーム)一戸剛(アインズ)竹内択(北野建設)を選んだ。  8月2日に出発し、ヒンターツァルテン(ドイツ)での開幕戦など5戦に出場し、19日に帰国する予定。選考基準は(1)昨季の実績(2)6、7月の欧州合宿の内容(3)札幌でのサマージャンプ3戦の成績の優先順で決まった。ひざ痛の葛西紀明(土屋ホーム)と国内での体力強化に重点を置く方針の伊藤謙司郎(北海道・下川商高)は外れた。



国内開幕3戦も終わり、ほぼ順当な結果。
これらを基に、遠征メンバーが発表された。


来年の世界選手権に向けた試金石。


頑張って来てくれ~!


二カ月ごとに、依頼を受け開催しているトレーナー向けワークショップ。


今回は8月6日日曜日、19時~21時。
テーマは「肩のコンディショニングの基本」。


特にパーソナルトレーナーの方はクライアントから様々な相談を寄せられると思うが、
腰や肩に関する不具合の相談は多いことと思われる。
前回、腰について実施したので、今回は肩。


何せ二時間なので、全てを解説するのは無理もあるが、
足りなければ次回に続編を開催することも考えている。
パーソナルトレーナーのみならず、最近はヨーガやピラティス、エアロビクスの指導者の方々も半ばパーソナルトレーナーの如く、様々な質問がお客様から寄せられると聞く。
そのような皆さんにもうってつけの内容。


この一連のワークショップの特徴は、
お医者さんや大学教授が行うものと違い、
出来るだけ「分かりやすい表現を使う」というのがコンセプトである。
何しろ、私が素人上がりの現場叩き上げ、
自称「永遠の初心者」だからである。



詳しいことに関するお問い合わせは、こちら まで。

(「PT1dayワークショップ」をクリック)



または当blogへコメントやメールでもお寄せ下さいませ。



ゴルフの全英オープンはタイガーウッズの優勝で幕を閉じた。


私はPGAメジャーの中でも全英が一番好きだ。
あの過酷な条件…風、寒さ、雨…
その中で、選手が己の精神力を含め、全ての「人間力」を試されるようなトーナメントは他にない。
(もっとも、今回は全英にしてはかなり条件が良かったが)


その中で、下馬評通りの力を発揮しての文句なしの優勝。
最後のパットを沈め、キャディと抱き合った時に、
耳元で「この優勝は無くなったお父さんに捧げる優勝だな」と囁かれ、
思わず号泣してしまったタイガー。
そのあと妻と抱き合い、まるで子供のように奥さんの胸の中で長い間泣きじゃくったタイガー。


何の計算も無く、まさに死力を尽くしベストを尽くし、
その結果を周囲の人、家族と分かち合う。
スポーツで、これほど美しい場面は他にそうは無い。
本当にタイガーは「美しい」アスリートだ。
変に「狙ってない」のが、本当に心地よい。


急に話は変わるが、
私も当初は潔い決断を称賛した「ゴールデンゴールズ騒動」。


やはり、芸能人が絡むと、どうしても胡散臭さと言うか、
計算がアリアリで、気分が暗くなってくる。
選手に本音を問い掛けるとしたら、果たしてマイクを通す必要があるだろうか?
スーツで出て来て来場者にチーム存続の審判を仰ぐような形式をとり、
出来レースのように「やっぱり野球、やる!」
と訴え、サッとユニフォームで登場…
まるで場末のショー。


そんな演出が果たして必要なのか???


選手も弄ばれてるのではないだろうか?


いや、選手もそんなことは百も承知で、
ただ単に野球が出来れば良いから、こちらもこちらで芸能人を利用してやろうと割り切っているのだろうか?


これもスポンサーを喜ばせるには有効で、
チーム存続には金も必要なのは事実だから、これはこれで戦略か。
では、署名してくれたファンをバカにしてはいないのか?


どっちでも良いが、やっぱり「美しくない」。


結果はもちろん大事だが、やはり美しいスポーツを見たい。


また、私自身は、美しくスポーツに携わりたい。


青臭いと思われても、そうでなければ苦労してこの世界に入った意味が無い。
そのこだわりだけは貫きたいものだ。