くだらない話と真面目な話を混在したネタを一席。


行きつけのフイットネスクラブのスタッフと先日話していたときのこと。

「あんまりスタッフの方、あたしに話し掛けてくれないんですよね~」


と言ったところ、


「最上さん、言いにくいんですが、やっぱトレーニング中の最上さんには話し掛け難いですよ。」


……


理由は「恐そうだから」らしい。


だ、だって~~!


それなりの負荷を掛けて、ある程度、集中してたら、
そこそこ恐い感じになるじゃないのさ~!
それって、みんな一緒じゃん!


…ってなグチは置いといて、
少し関連したまったく別の話へ。


前にもこんなようなテーマで書いたような気もするが、
ま、気にしない気にしない。



トレーニングするときは、使っている筋や部位に意識を集中する、というのが原則になっている。

怪我の防止と、意識を集中させる事で、トレーニング効果を上げる、と言うのが理由である。


だが、実は別の側面から見ると、
意識を集中させない方がむしろ良い、という考え方もある。
アスリートはもちろん、一般の方にとっても、である。
これはトレーニングの習熟段階にも拠るが。


たとえばジャンプをするという動作を考えた場合、
大腿の筋の事だけを考えて動作を起こすわけではない。
体幹の状態や地面に対する重心の掛かり具合い、その他のことを瞬時に判断しながら大腿の筋力発揮を考えているのである。
無意識に。


つまり、実際の動作を起こす時、
ある一カ所の筋に意識を集中させていることはないのだから、
トレーニングにおいてもある一点に意識を集中させずに筋力発揮を習慣づけた方が良い、
とも考えられるからである。


昨今、バランスボールの上や、不安定板に乗ってエクササイズする事が流行っているのは、
もちろん、バランス感覚を養うといった大義名分もあるが、
実は、ある種の「気を散らす」為の手法という側面もある。


つまり、実際の動作は、ほとんどの場合、足に荷重を感じながら大腿なら大腿の筋力発揮が必要になる。
レッグカールマシンのように、荷重が掛からない状態で筋力を発揮する場面は、かなり少ない。


もちろん、とは言っても個々の筋力が不足している段階であるとするならば、
まずはその部位の力を出させる「教育」は必要になる。


トレーニングとは、筋・神経に対する「教育」である。
「教育」には、意図を持った反復練習が必要な段階と、
実務などに則した「実戦訓練」の段階があるのと同様である。



……さて、最初の話に戻るが、
そう考えると、あたしはトレーニング時に、意識を「集中」させ過ぎだったかも…?


アスリートの場合、よく用いるのが、
実際の試合の映像や音声を流しながらトレーニングをする、
というような事をやるが、
自分は今は現役アスリートではないし…


そうだ!


「笑顔」だ!


笑顔でトレーニングをする、というのも、
一見ふざけているようだが、
前述のように、意図的に「気を散らす」為のひとつの手法となる。


でも…



こんなゴツいオッサンが、
急にニヤニヤしながらスクワットか何んかやってた日にゃー、
違う意味で「恐い」でしょうなぁ~



……


やっぱ、フツーにやろっと。