ですな~



日本のスポーツマスコミ。



バドミントンダブルスでは期待されていたオグシオペアが敗れ、
マスコミ的にも全くノーマークだった末綱選手・前田選手が大躍進。



メダルにも手が届こうか、という段階まで勝ち進んだ。



その途端、

「スエマエ」

だなんて、取って付けたような愛称で、
オグシオばかり賞賛していたことなんか無かったことのように、
アイドル的に祭り上げている…





恥ずかしくないのか…?
ご多分に漏れず、
スポーツに直接関わる仕事に就いていても、
やはり一般人同様、オリンピックは気になって、合間を見ては五輪中継に一喜一憂。





そんなわけでTV局をハシゴして観ているわけだが、
やはりスポーツ中継はNHKだな~
と思わせる。





やっぱり、スポーツは、
余計な感情を差し挟まず、
淡々と事実を伝えてくれるに限る。




無理やり「ドラマ」とやらを作り出す民法には、
いい加減、辟易する。





特に、個人的に好き嫌いがあるわけではないが、
柔道の谷亮子選手。




残念ながら銅メダルである三位だったわけだが、
その当日から、



「子育てと両立して、大変だった」

「授乳しながらよく頑張った」

「子供が熱を出していた」



…と、
要は「主婦業をしながらの銅メダルは立派」
と話をすり替え、
「ママでも金」を一気に無かったことにして、
無理やり「感動」とやらを捻り出している事に、
強烈な違和感を覚える。






感動なんてものは、
基本的には観てる側が勝手に感ずるもので、
「どうだ!凄いだろ!感動しろ!!」
と無理強いされる筋合いのものではない。





コメンテーターと言われる人達も、
彼らにはプライドは無いのか?


ホントに凄いと思ってるなら良いが、
台本に従って言葉を発してるにしか見えず…




まるで、B級タレントがTVショッピングで、

「すごい~!この質でこの価格、信じられませ~ん!」

と、のたまわってるのと、何ら変わらない。





つまり、民放のスポーツ中継は、
もはやTVショッピング化してると言わざるを得ない。





誤解のないように言っておくが、
TVショッピングを批判しているわけではない。




スポーツに、そういう小細工はいらない、
という意味である。





そうなると、
色々違う問題はあるものの、
スポーツ中継においては、
事実を淡々と伝えるNHKにはかなわない、と言える。






それにしても…








水泳の実況では、
解説の高橋繁裕さんの反応、絶叫、


良いですな~



感情が出まくりだけど、
妙な計算がなくて、好感が持てますな~




あたしは大好きです~
北京五輪柔道66kg級で内柴選手が優勝。
北島選手も見事な泳ぎで100Mを連覇。


日本人選手の役者たちが狙い通りの結果を出し、やっと五輪が盛り上がってきた感じである。




特に今回は、内柴選手について書いてみたい。



アテネ後、調子が上がらなかった内柴選手。
家族の支えや周囲のサポートもあり、今回の栄冠に結びついたわけだが、
こと、柔道の内容から見て、勝因は二つと言える。



多くの報道でも報じられているので、目にした人も多いだろう。



一つ

「試合前から身体を動かし、試合中も終始動いて攻め、終わった後も小走り。終始動きを止めないリズムを保っていたこと」



二つ

「投げた後も、引き手と釣手の両方を離さなかったこと」



以前のエントリーでも書いたことがあったが、
スポーツにおいて実際に競技が始まったら、注意を払えることはせいぜい二つ程度。
究極は一つしか無理かも知れない。






投げた後、手を離さないと言うのは、実は大変重要である。



特に最近はルールが変わり、
「最初に相手の背中を床に着けた方がポイント(あるいは一本)」
が、
「動きの連鎖の中で、最終的に背中を着けた方がポイント」
になっている。



もちろん、以前のルールでも寝技に移行されるわけだから、
手を緩めることは攻めの隙を与えることになるので、あるべきことではないが、
投げを打って、それが有効に見えても、その後に動きが途切れず自分が背中を着けられたら、
自分がポイントを失うことになる。




つまり、以前以上に「手を緩めない」ことが大変重要になる、ということだ。




だが、こういうものは
「手を緩めないように気合を入れる」といった類の努力目標で出来るものではない。
長い間の「意識的練習」の末、それが特に考えもしなくとも「無意識的に出来る」レベルになり、
そうなって初めて「意識出来ている」という形になる。




意識はして練習はするのだが、「手を緩めない」ことに特に根性を入れるとか、気合を入れるとかは恐らくしていなかったと推察する。




ただひたすら、淡々と粛々と「留意し」「繰り返す」ことに終始したと思われる。




これが以前のエントリーでも書いた、「訓練」というものだ。




「終始身体を動かす」というのも、気合を入れて行うという趣旨のものではなく、
練習の段階で留意し続け、もはや無意識化レベルまで到達しているはずで、
試合で「頑張って動かして」いたわけではないはずだ。



ちなみに、身体を終始動かす、というのは奥深いことである。




人体は大半が水分成分であり、筋肉も例外ではない。
つい個体的に捉えがちだが、水分成分主体である以上、機能的に働くためには「循環」していなければならない。



水溜りも、循環していなければ「沼」になる。
流れ、循環していれば「川」であり「海」になる。




循環さえしていれば、常に成分が新鮮に入れ替わり、効率的に動くことが可能となる。
つまり、身体を「沼」にせず、「海」にする為には、動いている必要があるのである。




それは激しい動きでなくとも構わない。



例えば、単に「身体を揺らす」だけでも有効である。










少々、余談も書いたが、
「意識」を続け、「無意識化」まで昇華させ、
それが「意識出来た」と言われるレベルに到達出来るのである。



そこには根性も気合も要らず、
ただひたすら淡々と繰り返したのち、得られるものと考える。




北島選手のことは、全ての種目が終わってから改めて書きましょうか…
今日で約一週間の、
ジャンプ選手とクロカン選手のミニキャンプ終了~



来週はコンバインド(複合)選手のミニキャンプがあり、
その翌週は大学の強化合宿…



と、時節柄まさに合宿月間。





ウインタースポーツは、夏を制する者がシーズンを制す。
鍛えるべき時に、鍛えるべき場所を鍛錬出来るか。



意図と目的を明確に。



今のところ、良い練習が出来ているかな…
私は近年、
アスリートに対するトレーニング指導に当たって、



「歯磨きのように」


というフレーズを多用している事に気付いた。




よく考えると、歯磨きの習慣は偉大なものだと思う。




親の真似やら、
学校教育の中での刷り込みやら、
朝起きたら、
食後は必ず…



と、教育的指導によって、
当たり前に歯磨きは励行され、もはや当たり前というか、
フツーの習慣になっている。




聞くところによると、
世界には歯磨き習慣が根付いていない国も多い、とも聞く。


(調べてないんで、真偽のほどは分かりまへ~ん)




だが、歯磨きの習慣が刷り込まれている事で、
想像の域を出ないが、日本人は比較的、キレイな歯を保っているのではないか?



と思われる。





つまり…





「訓練」とは、、
やるべきことを、
何の感情も入れず、単純に習慣化することが大事ではないか…?



と。




恐らく、多くの日本人が、
特に気合いを入れて、朝、洗面所に向かっていないように、




やるべきトレーニングは、
感情も何もなく、
「歯磨きのように」
且つ
「淡々と、粛々と」
やり続ける事である、と説くのである。





例えば、
もし仮に、歯磨きを一年ぐらいやらなかったら…




想像もつかないが、
恐らく歯は汚れ放題だろうし、
その汚れを落とそうと思ったら、かなりの労力が必要と推察する。






つまり、現在の何気ない当たり前の状況は、
日々の当たり前な淡々とした習慣によって成り立っている、
と言うことである。




アスリートにとっては、
日々の当たり前の些細なトレーニングが、
習慣化されることによって、いつの間にか力になる、と。





つまり、歯磨きを当たり前と思うように、
やるべきトレーニングを、特に感情も入れず、
毎日の効果も考えたりせず、
ただフツーの日常の如く、
淡々と粛々と、
ただひたすら繰り返せ、…





と言うことである。


私が言っているのは。





「訓練」とは、
結局のところ、気合いは必要なく、
こういうものだと思うのである。




ちなみに、「鍛錬」は、
気合いがないと出来ないものかも知れない。






ま~



あたし得意の、言葉遊びですがね~~~
数ある私の仕事の中で、
フィットネスクラブにおける評価と教育、というカテゴリーの業務がある。




直接的に現場でモノを売るなら「売上高」というのが評価基準になろうが、
お客様を少しでも辞めさせない為に何が出来ているか?
が、私の視点になる。




この辺りになると、
完璧な数値化は難しく、
出来る手法は、最近自分なりには確立出来たが、
これとてどうしても「私の見方」という主観が介在する。




本来の数値化は、
私以外の誰が確認しようとも、同じ尺度で数値化出来ていなければならず、
そういう意味では真の意味での計数化は難しいな~
と感じている昨今である。




サービス業において、
売上高以外で、そのサービスの到達度を計ろうと考えると、
それを見る主観はどうしても入らざるを得ない、
と私は考えている。




だが、
大変口はばったい言い方だが、
自分なりにはその「眼」には自信を持っている。




この能力を客観的に計るのは難しい。




あとは、最終的に、
「私」という個人の「目利き」を信用していただけるか、否か…




ということになるなあ~


と感じた次第である。




結局とところ、
「無形サービス業」を数値化するには限界が有るように思える。




とどのつまりは、
「私」という個人の、
「実績」と「信用度」。




それと、発する言葉、表現の「妥当性」に他ならない。





全ては証明仕切れないので、
要は
「そいつを信じられるか、信じらんないか?」
という、
極めて情緒的なレベルな判断になっているのが実情ではないか?
という気がするのである。





スイマセン。




酔っ払って携帯で打ってるので、
ワケ分かんない内容かしら…

faab6977.jpgこちらで、理学療法士(PT)や作業療法士(OT)の方々を対象に研修会を、


知人から依頼をいただきまして。
(ありがたや、ありがたや…)








こちらは民間病院で、
敷地内にリハビリ専門館と、
写真はデイケア施設と通院リハビリを行う施設。
「元気館」のリハビリ設備。





研修内容は、一応病院内研修なので、
機密ということに…





まー簡単に言うと、
患者さんたちとの円滑なコミュニケーションの為に…




ですかな~

久々の大作エントリーです。



移動中に手直しを加え、完成するのに何ヶ月も掛かってしまいました…











随分、以前の新聞に興味深い記事が出ていた。




近年、私も同様のことに着目して、自分なりに探求し、
指導上も重視していた部分である。




まさに、我が意を得たり、
と言ったところか。



端的に言ってしまうと、
身体の発達と心の発達の問題の関連についてである。

心の発達、とは学習、言語、コミュニケーションの部分で、
ここが未発達だと「発達障害」と言われる。









記事では同志社大での赤ちゃんの発達と運動の関係を実験した様子が掲載されていた。
生後6ヶ月の赤ちゃんを簡単な電動自動車に乗せて、
それはレバーを引くと前進するようにしてある。





少し前にお母さんがいて、じきにレバーを引くとお母さんに近付けることを覚える。





お母さんに興味の中心があるのは当然だが、
前進すると、床が後ろへ流れ去るのを見て、驚いたように下をのぞき込むそうだ。





まだ「ハイハイ」すら出来ないので、
いわば生まれてから初めて、主体的に「移動」を経験した瞬間である。





別の言い方をすると、移動に寄って「大地」(床)を発見することで、
初めて「空間」を自分のものに出来た、となるそうだ。






ハイハイ出来ない赤ちゃんは、例えば高所へ座らせても怖がらないそうだ。
と言うより「怖がる能力が備わっていない」という事らしい。
だがこの赤ちゃんのように電動自動車で移動を体験すると、
階段や段差のある場所を怖がるようになる。






実験した同志社大の内山伊知郎教授によると、
「自分でコントロール出来るようになった世界が、すなわち自分の世界になる。」
とのことらしい。



学習、言語、コミュニケーションの発達障害は、
通常は心の問題と捉えられているが、
こうした傷害も実は身体性が(身体感覚)原因ではないか、と考える専門家もいる。
東京女子医大の小西行郎教授のように、
「発達障害の子に共通する特徴は動作バランスの悪さ。
これが認知や言語の障害を引き起こし、さらにコミュニケーション傷害につながっている、と仮説が立つ。」
という考えもある。




小西教授曰く、
「人間は自らの体を使って環境に働きかけ、周囲にアピールする。
運動パターンに異常が潜んでいれば、それが精神、つまり脳に影響し、
社会的能力の変調となって現れる可能性がある。」
と述べている。





つまり、脳(心)が身体をつくる、という面もあろうが、
どうも身体が心(精神)をつくるという面の方が強そうだ、
ということらしい。
上流が体であり、下流が心とすると、
上流に滞りがあると、下流に良い影響も無い、と言えそうだ。









以上のような事から、
少し前から選手のトレーニングにおいて、
重視していることと、重なる点があると考えている。





まず、身体全体で「重力」を感じ、「空間」を感じる、
ということである。
スポーツは基本的には「立つ」ことから始まるが、
実際には状況によって態勢は変わるので、
単純に普通に立っている時の重心感覚だけでは事が足りない。




様々な態勢の中で「重さ」を感じ、
「地球の中心」を感じ取るような訓練が必要に思えている昨今である。




その為に、最も良いのが「器械体操」ではないか、と。





本当はトランポリンなども良いと思うが、
簡単に用意出来ないし、基本的な指導も必要だ。





そこへいくと、器械体操の方が簡便である。




ここで言っている器械体操は、別に宙返りなどの高度なものを指している訳ではない。




前転、後転、側転、…




この程度の、少しアレンジが加わった程度のものである。









私は若い頃、子供の体操教室の指導をしていたことがあったが、
その時に感じた、身体感覚に対する効果をずっと考えていたが、
最近それが少し繋がった気がする。







また、この教室では発達障害や情緒障害の子供たちの体操指導も担当していたが、
日常の生活は共にしていない私も、
毎週の指導の中で、数年のうちに少しづつではあるが、
理解力が向上したり落ち着きを見せたりしていた。





さらに、そういう子供たちは、
一様に身体のバランスが著しく悪く、
結果的にそういう部分が身体を動かす中で、
少しではあるものの改善していったのでは?
と推察している。






まさに、身体全体が脳である、
と感じた事象である。








あと、もうひとつ。







赤ちゃんは恐らく「ハイハイ」によって大地を感じ、
それによって「重さ」や「地球の中心」なども感じていると推察する。



つまり、「皮膚」で何かを感じ取らせることが重要である、と思われる。





そういうことが、前転や後転、
おいもごろごろのような、体操遊び的なもので培えるのではないか?
と考えているのである。






つまり、身体(皮膚)全体に、何かを触れさせる、
何かの流れを感じさせる事が重要な気がするのである。








そういう意味で、「水泳」は格好の訓練かも知れない、
と考えている。





床における体操は、身体に感ずる流れは一カ所に過ぎないが、
水泳は全身に流れを感ずることが常に出来る。






特にスキージャンプ選手などは、
風の流れを感じボディコントロールを図る。





水の流れを全身に感ずることとは、共通項が多いと思うのである。






単純に、持久力を高めるとか、身体のリラクゼーションを図るとかだけでは、もったいない。





一見、変哲のないトレーニングに見えても、
意味を捉え直すと、新たな効果が隠れている気がするのである。
今年のメジャーリーグ開幕戦を日本で迎えたレッドソックスとアスレティックス。



ともに「セイバーメトリクス」という手法で球団の改革を進めてきたことで知られている。



セイバーメトリクスとは、米野球学会の略称(SABR)と、
基準を意味するメトリクスを組み合わせた造語である。



これは野球をデータに基づき客観的に分析する試みで、
攻撃ではいかにアウトを取られないか、
守備ではいかにアウトを取るかを重視する。



通常、たとえば打者なら打率が主になるが、
セイバーメトリクスでは出塁率や長打率を重視。
投手ならば防御率よりも奪三振率や与四球率を重視する。



アスレティックスは1997年からビリービーンというGMがこの手法でチームを改革。
旧来の打率や防御率ではないデータを重視し、
新人や他球団をお払い箱になった選手を効果的に獲得、
2000年から四年連続でプレーオフに進出して注目された。



片やレッドソックスのGMは2002年から、名門エール大学出身で28歳のエプスタイン氏。
同様の手法でチーム改革に着手し、長打率の高いオルティス選手を獲得したり、
逆に打率は高くとも守備で失策の目立つ選手は放出。
見事に2004年にはワールドシリーズを制している。





同じ手法を基本にしてはいるが、
具体的な手段は大きく異なっている。
人気球団とそうでない地味な球団では、掛けられる費用が対照的なため、運営は大きくちがう。
レッドソックスの年俸総額はアスレティックスの二倍近い。



その為、アスレティックスは育てた選手を次々に他球団に放出し、
セイバーメトリクスに乗っ取って将来性のある若手を獲得し、
年俸総額を抑制する。
レッドソックスは逆にセイバーメトリクスに乗っ取って、データに見合う選手は高年俸でも獲得する。



ただ、どちらの球団も、
「戦略は常に進化すべきである」
「私たちは何も分かっていない、ということを肝に銘じている」
と語っている。





つまり、
「スカウトの情報とデータの両方をレンズに通し、
初めて選手の将来を予測できる」
ということのようだ。






与えられた条件で、いかに強いチーム、集団を作り上げるか。





これは、企業でも、ある種のプロジェクトでも、
同様だろう。




ただ、企業の採用の場合は、なかなかデータを集めることも難しいだろうが、
数値化は出来なくとも、最近は一風変わった手法で試験を行っているようだが、
それも入社後の潜在能力を何とか見出そう、という意図なのだろう。




私が人を判断したり、評価する基準は明確で、
「臨機応変さ」と、
「感じの良さ」という、
数値化出来ない非常に曖昧なものであるが…





別の観点で言うと…







「素直さ」






それと、







「仕事に対する愛情」





慈しみ、かな…








どれも、数値化は難しいですな…






でも、「勘」にはなってしまいますが、
あたし、一時期は面接の達人(自称)として君臨してまして、
上記の見極め、結構自信あんすよね~





何とか、データ化、出来ればとは考えてますが…





でも、例えばフィットネスクラブにおける現場での仕事ぶりというか、
効率なんかはデータで出せるでしょうな。




ただいま、研究中~
今日から、パートナーストレッチ(第三者がサポートを行うストレッチプログラム)の指導講習の開始。



つい、この間、
終わったばかりだと思ったのに…







第一期の卒業生の皆さんも、既にお客様に提供を始めているらしく、
中には予約で満杯?の方もいるそうで。






とにかく、この講座では、
人の身体を直接触れてサービスを行うことの難しさ、恐ろしさ、尊さ。有難み…
を知っていただきたいですな…






それを知り、真の謙虚さを身に着けることが出来れば、
きっと一流のフィットネスサービスマンになれますよ。






厳しいけど、頑張ってちょーらい。