久々の大作エントリーです。
移動中に手直しを加え、完成するのに何ヶ月も掛かってしまいました…
随分、以前の新聞に興味深い記事が出ていた。
近年、私も同様のことに着目して、自分なりに探求し、
指導上も重視していた部分である。
まさに、我が意を得たり、
と言ったところか。
端的に言ってしまうと、
身体の発達と心の発達の問題の関連についてである。
心の発達、とは学習、言語、コミュニケーションの部分で、
ここが未発達だと「発達障害」と言われる。
記事では同志社大での赤ちゃんの発達と運動の関係を実験した様子が掲載されていた。
生後6ヶ月の赤ちゃんを簡単な電動自動車に乗せて、
それはレバーを引くと前進するようにしてある。
少し前にお母さんがいて、じきにレバーを引くとお母さんに近付けることを覚える。
お母さんに興味の中心があるのは当然だが、
前進すると、床が後ろへ流れ去るのを見て、驚いたように下をのぞき込むそうだ。
まだ「ハイハイ」すら出来ないので、
いわば生まれてから初めて、主体的に「移動」を経験した瞬間である。
別の言い方をすると、移動に寄って「大地」(床)を発見することで、
初めて「空間」を自分のものに出来た、となるそうだ。
ハイハイ出来ない赤ちゃんは、例えば高所へ座らせても怖がらないそうだ。
と言うより「怖がる能力が備わっていない」という事らしい。
だがこの赤ちゃんのように電動自動車で移動を体験すると、
階段や段差のある場所を怖がるようになる。
実験した同志社大の内山伊知郎教授によると、
「自分でコントロール出来るようになった世界が、すなわち自分の世界になる。」
とのことらしい。
学習、言語、コミュニケーションの発達障害は、
通常は心の問題と捉えられているが、
こうした傷害も実は身体性が(身体感覚)原因ではないか、と考える専門家もいる。
東京女子医大の小西行郎教授のように、
「発達障害の子に共通する特徴は動作バランスの悪さ。
これが認知や言語の障害を引き起こし、さらにコミュニケーション傷害につながっている、と仮説が立つ。」
という考えもある。
小西教授曰く、
「人間は自らの体を使って環境に働きかけ、周囲にアピールする。
運動パターンに異常が潜んでいれば、それが精神、つまり脳に影響し、
社会的能力の変調となって現れる可能性がある。」
と述べている。
つまり、脳(心)が身体をつくる、という面もあろうが、
どうも身体が心(精神)をつくるという面の方が強そうだ、
ということらしい。
上流が体であり、下流が心とすると、
上流に滞りがあると、下流に良い影響も無い、と言えそうだ。
以上のような事から、
少し前から選手のトレーニングにおいて、
重視していることと、重なる点があると考えている。
まず、身体全体で「重力」を感じ、「空間」を感じる、
ということである。
スポーツは基本的には「立つ」ことから始まるが、
実際には状況によって態勢は変わるので、
単純に普通に立っている時の重心感覚だけでは事が足りない。
様々な態勢の中で「重さ」を感じ、
「地球の中心」を感じ取るような訓練が必要に思えている昨今である。
その為に、最も良いのが「器械体操」ではないか、と。
本当はトランポリンなども良いと思うが、
簡単に用意出来ないし、基本的な指導も必要だ。
そこへいくと、器械体操の方が簡便である。
ここで言っている器械体操は、別に宙返りなどの高度なものを指している訳ではない。
前転、後転、側転、…
この程度の、少しアレンジが加わった程度のものである。
私は若い頃、子供の体操教室の指導をしていたことがあったが、
その時に感じた、身体感覚に対する効果をずっと考えていたが、
最近それが少し繋がった気がする。
また、この教室では発達障害や情緒障害の子供たちの体操指導も担当していたが、
日常の生活は共にしていない私も、
毎週の指導の中で、数年のうちに少しづつではあるが、
理解力が向上したり落ち着きを見せたりしていた。
さらに、そういう子供たちは、
一様に身体のバランスが著しく悪く、
結果的にそういう部分が身体を動かす中で、
少しではあるものの改善していったのでは?
と推察している。
まさに、身体全体が脳である、
と感じた事象である。
あと、もうひとつ。
赤ちゃんは恐らく「ハイハイ」によって大地を感じ、
それによって「重さ」や「地球の中心」なども感じていると推察する。
つまり、「皮膚」で何かを感じ取らせることが重要である、と思われる。
そういうことが、前転や後転、
おいもごろごろのような、体操遊び的なもので培えるのではないか?
と考えているのである。
つまり、身体(皮膚)全体に、何かを触れさせる、
何かの流れを感じさせる事が重要な気がするのである。
そういう意味で、「水泳」は格好の訓練かも知れない、
と考えている。
床における体操は、身体に感ずる流れは一カ所に過ぎないが、
水泳は全身に流れを感ずることが常に出来る。
特にスキージャンプ選手などは、
風の流れを感じボディコントロールを図る。
水の流れを全身に感ずることとは、共通項が多いと思うのである。
単純に、持久力を高めるとか、身体のリラクゼーションを図るとかだけでは、もったいない。
一見、変哲のないトレーニングに見えても、
意味を捉え直すと、新たな効果が隠れている気がするのである。
移動中に手直しを加え、完成するのに何ヶ月も掛かってしまいました…
随分、以前の新聞に興味深い記事が出ていた。
近年、私も同様のことに着目して、自分なりに探求し、
指導上も重視していた部分である。
まさに、我が意を得たり、
と言ったところか。
端的に言ってしまうと、
身体の発達と心の発達の問題の関連についてである。
心の発達、とは学習、言語、コミュニケーションの部分で、
ここが未発達だと「発達障害」と言われる。
記事では同志社大での赤ちゃんの発達と運動の関係を実験した様子が掲載されていた。
生後6ヶ月の赤ちゃんを簡単な電動自動車に乗せて、
それはレバーを引くと前進するようにしてある。
少し前にお母さんがいて、じきにレバーを引くとお母さんに近付けることを覚える。
お母さんに興味の中心があるのは当然だが、
前進すると、床が後ろへ流れ去るのを見て、驚いたように下をのぞき込むそうだ。
まだ「ハイハイ」すら出来ないので、
いわば生まれてから初めて、主体的に「移動」を経験した瞬間である。
別の言い方をすると、移動に寄って「大地」(床)を発見することで、
初めて「空間」を自分のものに出来た、となるそうだ。
ハイハイ出来ない赤ちゃんは、例えば高所へ座らせても怖がらないそうだ。
と言うより「怖がる能力が備わっていない」という事らしい。
だがこの赤ちゃんのように電動自動車で移動を体験すると、
階段や段差のある場所を怖がるようになる。
実験した同志社大の内山伊知郎教授によると、
「自分でコントロール出来るようになった世界が、すなわち自分の世界になる。」
とのことらしい。
学習、言語、コミュニケーションの発達障害は、
通常は心の問題と捉えられているが、
こうした傷害も実は身体性が(身体感覚)原因ではないか、と考える専門家もいる。
東京女子医大の小西行郎教授のように、
「発達障害の子に共通する特徴は動作バランスの悪さ。
これが認知や言語の障害を引き起こし、さらにコミュニケーション傷害につながっている、と仮説が立つ。」
という考えもある。
小西教授曰く、
「人間は自らの体を使って環境に働きかけ、周囲にアピールする。
運動パターンに異常が潜んでいれば、それが精神、つまり脳に影響し、
社会的能力の変調となって現れる可能性がある。」
と述べている。
つまり、脳(心)が身体をつくる、という面もあろうが、
どうも身体が心(精神)をつくるという面の方が強そうだ、
ということらしい。
上流が体であり、下流が心とすると、
上流に滞りがあると、下流に良い影響も無い、と言えそうだ。
以上のような事から、
少し前から選手のトレーニングにおいて、
重視していることと、重なる点があると考えている。
まず、身体全体で「重力」を感じ、「空間」を感じる、
ということである。
スポーツは基本的には「立つ」ことから始まるが、
実際には状況によって態勢は変わるので、
単純に普通に立っている時の重心感覚だけでは事が足りない。
様々な態勢の中で「重さ」を感じ、
「地球の中心」を感じ取るような訓練が必要に思えている昨今である。
その為に、最も良いのが「器械体操」ではないか、と。
本当はトランポリンなども良いと思うが、
簡単に用意出来ないし、基本的な指導も必要だ。
そこへいくと、器械体操の方が簡便である。
ここで言っている器械体操は、別に宙返りなどの高度なものを指している訳ではない。
前転、後転、側転、…
この程度の、少しアレンジが加わった程度のものである。
私は若い頃、子供の体操教室の指導をしていたことがあったが、
その時に感じた、身体感覚に対する効果をずっと考えていたが、
最近それが少し繋がった気がする。
また、この教室では発達障害や情緒障害の子供たちの体操指導も担当していたが、
日常の生活は共にしていない私も、
毎週の指導の中で、数年のうちに少しづつではあるが、
理解力が向上したり落ち着きを見せたりしていた。
さらに、そういう子供たちは、
一様に身体のバランスが著しく悪く、
結果的にそういう部分が身体を動かす中で、
少しではあるものの改善していったのでは?
と推察している。
まさに、身体全体が脳である、
と感じた事象である。
あと、もうひとつ。
赤ちゃんは恐らく「ハイハイ」によって大地を感じ、
それによって「重さ」や「地球の中心」なども感じていると推察する。
つまり、「皮膚」で何かを感じ取らせることが重要である、と思われる。
そういうことが、前転や後転、
おいもごろごろのような、体操遊び的なもので培えるのではないか?
と考えているのである。
つまり、身体(皮膚)全体に、何かを触れさせる、
何かの流れを感じさせる事が重要な気がするのである。
そういう意味で、「水泳」は格好の訓練かも知れない、
と考えている。
床における体操は、身体に感ずる流れは一カ所に過ぎないが、
水泳は全身に流れを感ずることが常に出来る。
特にスキージャンプ選手などは、
風の流れを感じボディコントロールを図る。
水の流れを全身に感ずることとは、共通項が多いと思うのである。
単純に、持久力を高めるとか、身体のリラクゼーションを図るとかだけでは、もったいない。
一見、変哲のないトレーニングに見えても、
意味を捉え直すと、新たな効果が隠れている気がするのである。