先程、人の新聞を覗き込んで発見。
東スポの一面。
「古田・MVP」の記事。


まあ東スポの記事だからどこまで本当か分からないし、
(小見出しには、「今年は優勝チームから出すという慣例に囚われず」とあった)
内容まで詳しく読んでいないので、
あまり突っ込んだコメントはすべきでないのかも知れないが、
もしそのような動きが本当にあるとしたら、
「何、考えてんの」と言いたい。


古田選手の働きは確かに認めるが、
MVPはあくまで、プレーと競技成績に与えられるものである。
主旨が違うではないか。
当たり前の事だ。
もしMVPを目指して1年間努力してきた選手がいたら、
一体どのように説明するのであろうか。
いくら東スポの記事とは言え、
こういう考えが少なからず存在すると言うことで、ちょっと理解に苦しむ。


仮に古田選手に何か報いるとしても、それは別の形をとるべきで、
それに、確かに古田選手はご苦労されたとは思うが、
この事によって、別の恩恵は必ず受けるはずである。
(本人が意識していたか否かは別)
本人もそんな事は望んでいないと思う。


まさかとは思うが、
このような話に「いいぞ!大賛成!」
なんていう世論が盛り上がり兼ねないのが、昨今の日本。


大丈夫でしょうね。

夕刊タブロイド紙の記事。
二子山部屋に所属していた、元小結・波之花関の談話。
内容的には、今の貴乃花親方と父親である二子山親方の確執など、
裏話に終始しているのだが、それはどうでも良いとして
その中で、現在の相撲界の変貌ぶりに対してのコメントが。

――今は様々な外国籍の力士が活躍してて、
  自分の頃には考えられなかった。
  (中略)
  それと驚いたのが、盛んに行われている『筋トレ』。
  これには功罪がありましてね。
  やりすぎると、筋肉が硬くなり、怪我をしやすくなるんです。
  “土俵の鬼”と呼ばれた、初代若乃花関は稽古。稽古で強くなられた
  方で、私たちは筋トレは禁じられてました。――
  (日刊ゲンダイ)


このような考えは、相撲界に限らず、例えば野球界などでも未だに根強い。
ある野球解説者などは、TVで堂々と、
「筋トレは必要ない」
理由はと言うと、
「筋肉が硬くなる」
「自分達はやらなかった」
と、理由にもならない、訳の分からないことを。


基本的には、物理的な発揮する力を増す「筋トレ」が必要な事は明らかで、
日本の場合、特に古いOBなどが、
「俺達はやらなくて成績が残せた。だから必要ない」
と、自分達の経験値の範囲だけのコメントを発している。
これに苦虫をつぶしているストレングスコーチやトレーナーは多い。


しかし、彼らの言っている事も、あながち否定は出来ない、というのが私の考えだ。


例を挙げよう。
まず普通に歩いてみて、その感覚を覚えておいて欲しい。
その後、例えば太腿の前面を「パシッ、パシッ」と、
音が出るぐらいに平手打ちをして欲しい。
強めに揉んでみても良い。
万遍無く、両方とも。
その後に再び、歩いてみると…。


多くの方が気付くと思うが(多分)、
先程よりも、歩き難いと言うか、
スムースさに欠けると言うか、
感覚が先程と違って来るのが分かる。
(感覚、研ぎ澄ませて下さいね)


これは何故かと言うと、大腿の前面に強い「意識」が残ってしまっているため、
本来は、歩くという「前方に身体を送る」時には
どちらかと言えば休んでいて欲しい「大腿前面の筋」に、
「意識」が強く残っているために、そちらに力が入りやすくなっている為、
「前方に身体を送る」という動きに対しては「邪魔」になてしまう為である。
「歩く」時に主体的に働いて欲しいのは「大腿後ろ側」の筋であり、
「大腿前面の筋」は、それに対してむしろ「ブレーキ」のように作用してしまう。
この事は脚に限らず、全身どこででも起り得る。


筋力トレーニングも実は同様の事が起きる可能性があり、
「硬くなる」というような事は、ストレッチ体操などを組み合わせれば起らないのだが、
このように「意識が強く残る」ことによる動きの円滑さが失われる事によって、
動きが「堅くなる」ことは十分有り得る。
つまり「無意識下の意識化」がなされた事になる。。
特に、皆さんの周りに真剣に競技に取り組んでいる方で、このような方がいないだろうか。
「筋力は上がったんだけど、肝心の成績がなぁ…」と。


指導者は、競技の種類によってその辺りを考慮し、
プログラムや他の対処をする必要もあるのだ。
良かれと思って努力・精進を重ねているのに、
それが結果としてマイナスに作用してしまうのは、
競技者・選手にとっては、まさに悲惨としか言いようが無い。


古いOBや評論家の方々はもちろん論理的に言っている訳ではないが、
あながち「経験」も当たらずとも遠からず、とも言えるのである。
だから、筋力トレーニングを行って、
成績が向上する人間と、むしろパフォーマンスが落ちる人間がいるのは、
前者は、無意識に「何か」をやっているか、
そのような「意識」が残りにくい「身体」を持っている、という事が考えられる。


つまり大事な事は、
「筋力トレーニングを行う時の、頭の中の“意識”の置き方」
それと、
「トレーニング後、セットなどの合間に何を行うべきか」
という事になる。


キーワードは
「筋トレは本来、使う部位に意識を集中すべきものだが、
 あえて集中してはならない(時がある)」。


この事については、また詳しく述べる機会を作りたいと思う。
気が向いたら。覚えていたら。


忘れてたら、誰か催促して下さい。
もっと早く載せるつもりが、すっかり忘れていた。
私が主催しているわけでは無いが、講師を一部担当などしている、パーソナルトレーナー養%
今日も仕事を終え、明日は朝が早いのでそろそろ寝ようかと思いつつ、やはり更新しようとPCの前に。
明日は国際救命救急協会という団体が主催する、心肺蘇生法(人工呼吸と心臓マッサージなど)の講習会へ。
無論、教える側である。


私、こちらの団体の認定指導員で、時々この協会の依頼で講習会を受け持つ。日本ではこのような心肺蘇生法の普及団体は日本赤十字をはじめ多数存在するが、実は国際的に認められているのは、国内ではこの協会のカリキュラムとライセンスだけなのである。(知る人ぞ知る事実)


もっC
今日は午前中の患者さんがキャンセルになり、時間に余裕が出来た。
午後からはスポーツ系の専門学校での講義。年々講義数が増えてきて、今は週に3日来ている。毎回のコマ数は多くないので、講義の日は午前と夕方以降に患者さんの予約を入れて何とかやりくりしている。
今日の講義は・・・
フリーウェイトトレーニング(バーベルやらダンベル使うやつ)の、デッドリフトとスクワットの指導ポイントについて。そうそう、この学校ではウェイトトレーニングの理論や実技を担当している。ただ完全に任されているので、実際はそれ以外の内容も盛りだくさんで実施。
(それだけでは現場ではどうにもならない)

デッドリフトとスクワットなどはトレーニングの定番種目だが、以外に実施法の細かい部分だと記述してある文献は少ない。
具体的に言うと、どちらの種目も腹部に力を入れて締めつつ、大腿付け根と下腹部を如何に早く付けられるか。
難しくなるが、「鼠経部を早めに締める」という事で%
5月14日
午前中にまたトレーニング指導。
筋力に頼りすぎない、効果的な跳躍の方法。
それと正しい歩き方、走り方。などなど。
スポーツというものは、一部を除いてほとんどの競技に於いて、まずは「立つ」という当たり前の前提の上に成り立っている。そこから自分の身体をまたは用具をいかに速く、力強く動かすか。その為にはまず正しく「立てて」ないと話にならないのである。

このあたりの話も難しいので、興味のある人がもし多ければ別途詳しく書きませう。
今日から札幌にて指導。
終了後選手と食事しながら話していて、
改めて考えた事を。


この話はスポーツ競技に於いてを前提にしているが、
本質的にはスポーツのみに囚われない内容だと思う。


指導者は、基本的には
自分の実践してきた事、
学習などによって習得してきた事、
などをベースに指導していく。
しかし、特に自分の実践してきた事を、的確に言葉に出来ているとは限らない。
いや、むしろ少ないと考えた方が良いかも知れない。


これは指導者の言語表現能力を非難しているのではない。
指導とは、その言語を中心とした表現内容が、
選手の「心」に届いた瞬間が、「指導が伝わった」という事になる。
(それが具現化出来るか否かは次の段階)
つまり「どうすれば」「どのような表現が」伝わるかは、選手個々によって異なる。
このような表現方法を工夫し、見出していく考え方が、
「指導言語」という事になる。


分かり易い例を挙げる。
例えばピッチング動作で、自分が行っている「感覚」。
ある指導者は、自分ではリリースの瞬間に、
「かまぼこの板を進行方向に逆回転させるように」という感覚を持っており、
それを選手に実際に指導したとする。
しかし、これはうまく「指導言語」として伝わる選手もいれば、
伝わらない選手もいる。
これは、実際の人間のピッチング動作は、このような動きになっていない事に起因する。
(実際はらせん状の動き)
しかし、これでうまくいく選手もいるのも事実なので、
この表現方法が良い悪いの問題では無く、
この方法論しか持ち合わせていないと、その指導者は苦しい、という事である。


一方で、ビジュアル上(見た目)の動きと、感覚が一致しない事も多々ある。
再びピッチング動作を例にすると、
先ほどらせんの動きをすると言ったが、
ではらせんの動きをさせるように意識付けをすれば良いかと言うと、必ずしもそうではない。
絶対、とは言えないが、多くの場合は失敗するケースが多い。
人の感覚(脳~運動器)には幾つもの「パターン化」されたプログラムがインプットされていて、
その複雑な動きを「腕を思いっ切り振れ」という命令系統のみで、
らせんの動きを引き出せるようにプログラミングされているらしい。
なので、「見た目にそうなっているから、そう動かすように指導する」
と言うのは、必ずしも正しくない場合も多いのである。
もちろん、基本的には「腕を振れ」の命令のみで
インプットされた「らせんパターン」が引き出されるはずであるが、
うまく引き出されない場合が多い。
その眠った「パターン」を引き出す為に、
様々な「訓練方法」や「トレーニング」が存在するのである。
「リハビリテーション」というのは、簡単に言うと、
この部分を脳~運動器に「再刷り込み作業」をする事なのだ。


繰り返すが、逆にビジュアル的なものを前面に出して、
伝えてうまく行く選手もいるのも事実。


指導者は、選手の情報を受け取り方、
情報を受け取った時の対応、表情、感想。
何よりも、「その動きを実践した時の言葉」を逃さない事、
そこから、各選手に応じた「指導言語」を発見するチャンスが生まれる。


最初に「この話はスポーツのみに囚われない」と書いたが、
例えば上司は部下をよく「見る」
サービス業従事者は、お客様をよく「見る」
教育者は生徒をよく「見る」


全て、「鈍感」では務まらないのである。


a thinking decoさんのblogで、「コーチング講座を受講しました」を拝見して。
私も、自分なりの自己流「コーチング」について、考えたり語ったりしていたので、
きちっと勉強されている方の話は、大変参考になります。


  ――「昨日は第一回目ということで、コーチングと
     いうよりはコミュニケーションとはなんぞ
     や?というところに焦点を絞った実習を行い
     ました。」

やはりそうなんですよね。
全てはこれがスタート何ですよねぇ。
でもここが「響く」人が少なくて。


  ――「コミュニケーションはキャッチボール。
     聞き飽きたフレーズです。それこそ、耳に
     たこができるくらい教わってきたこと。
     でも、実は教わっただけで、自分の身になっ
     ていなかったんだと、この講座を受けた後に
     思った。聞き飽きた言葉が、受講後には新鮮
     な言葉に変わっていました。」――

私は本格的に講座を受講した事は無いのですが、
様々な方から教えをいただいた事があります。
「分かっているつもり」でも、それは「知ってる」だけで、
「分かっていない」事って、多いんですよね。
でもいつも思う事なのですが、こういう講座のようなもの
を受ける場合、如何に自分の頭の中を「真っ白」に
出来るかですよね。
私もまだまだ時々、既に自分の知っている知識が
頭の中に「先入観」を形成してしまうので、
それを打ち消すのに必死なのですが…。
a thinking decoさんはそこが出来ているのが素晴らしいです。


  ――「じゃ、上手なコミュニケーションを取るため
     にはどうすればよいのか。
     簡単です。キャッチボールと同じ要領で、相
     手が取りやすいボールをきちんと投げ返して
     やるということに意識を集中させる。        
     そう考えるとすごくコミュニケーションとい
     うものを楽に捉えることができる。ただ巧く
     相手が取りやすいボールを返すだけでいいん
     ですから。かっこいいこと言おうとか、面白
     いこと言おうとか、そんなこと全く考えなく
     てよくて、ただボールをきちんと返してやる
     ことを考えておく。そうすれば、誰でもコミ
     ュニケーションの達人になれるんだと思いま
     す。傾聴するとかうなずくといったことは、
     巧くキャッチボールをするための方法の一つ
     なんでしょうね。」――

自分もやっちゃってますねぇ。
つい自分で回転の良いと思うボールを投げちゃう事。
自分では見事なキレ、と勝手に思っている変化球。
特に専門学校の講義で学生相手に、注意していないとついやってしまいます。


私も振り返ってみると、何故か常に指導的な役割に立たされていました。
(これ、自慢話にとられると困るのですが、本当に巡り合わせが重なってお鉢が回ってくる事が多かったので。)
でも、その度に挫折と後悔と懺悔の連続で…。
(周囲からは“うまくやってんじゃん”と思われているみたいなのですが、心の中は葛藤だらけ)


その後も、まあ自分で望んだ事ではあるのですが、
職業が
「トレーナー」…選手のいわゆる「身体操法コーチング」
「手技療法師」…患者さんに対するいわゆる「健康コーチング」
「様々な講師業」…受講者に対して導くいわゆる「知識・技術コーチング」

という事になり、「コーチング」という考え方は避けては通れない環境に立たされています。
自分が教えを受けた方がよくおっしゃっていたのは、
「人に伝えようとする時、“自分が何を伝えたいか”を考えるんじゃない。
 それは“プレゼンテーション”という方法論だ。
 そうでは無くて、まず“相手が求めている答えは何か”を考えろ。
 何を求めているか相手が分からなかったら、それを引き出せ。
 それが“コミュニケーション”であり“コーチング”の原点だ」
という言葉です。


ちなみに「教育」を意味する「education」。
これの語源は「educe」―引き出す―という事のようです。

「コーチング」とは「引き出し(能力・要望)」て、
「応える・答える」事なのでしょうねぇ。
その為には「コミュニケーション」だと。


自分ももっともっと勉強しないと。
a thinking decoさん、またよろしくお願いします。
まだまだ修行は続く…。


今日は結構しんどかった。
普段はあまり疲れを感じないが、6月は休みがほとんど無かった為、さすがに少々こたえた。
特にここ3週間、いわゆる「完オフ」はゼロ。
さすがに年だしねぇ。


明日は明治大のスキー部の指導に行くので、あまり夜更かしは出来ない。(もう十分遅いけど)
本当は書きたいことが沢山あるのだが、今日の患者さんを診ていて、改めて感じた事を簡潔に。


以前に書いた健康のメカニズムの基本という記事に関連する話である。



今日診た患者さんが、この時期に風邪をひいた。梅雨時の蒸し暑い時期だから養生するのが難しく、なかなか治り難い。おまけにこの方(むしろ皆さんも同じだと思うが)、治りたい一心でひたすら食事をいつも以上にしっかり食べていた。「治す為には栄養をしっかり摂らないと」との考えからだ。


しかし我々のような東洋系医療従事者からすると、この対処法は間違いだ。前記の記事でも書いたが、健康のメカニズムの基本は「配分・循環・質」だ。これは特に血液の事と考えていただいて良い。


風邪をひき、当然体が通常状態より弱っている時に、「栄養が必要」と言って食事をしっかり摂っていれば内臓はどうなるだろうか?胃に余計負担が掛かるのは当然だ。体を元の状態に戻すには、様々な臓器にいつも以上に血液が必要になる。特に外界からの雑菌やウィルスなどに対処をし免疫を司る「肝臓」がその代表だ。その肝臓に血液を送りたいのに、胃に多く血液供給されていたら、本来必要な優先順位からすると本末転倒ということになってしまうのである。


動物を例に取ろう。犬や猫が体調不良の時にどのように過ごしているか見た事があるだろうか?そういう時の動物は、まず食べ物をほとんど口にしない。そしてひたすら横になっているのである。これは必要な箇所に血液を供給すべく、優先順位の低い箇所へ血液が集まるのを避ける為である。そしてひたすら横になるのは、重力抵抗を関与させないよう、全身に血液が行き渡りやすいような姿勢をとっているのである。対処法としては完璧である。


実は、風邪をひいて、「栄養摂らなきゃ!」と言ってバカバカ食べるのは、人間ぐらいのものである。
もちろん「食べるな」と言ってるのではない。普段以上に食べる事は無く、むしろ普段の5割以下で十分。私などは水分と、軟らかいものをごく少量だけで過ごす。特に私は自営業なので、仕事に穴を空ける訳にはいかない。これでピンチを何度も乗り切ってきた。


確かに「栄養」は必要だ。だがそれは胃に余計な血液を回さなければならない程、新たに外から摂取するよりも、むしろ体内の循環を邪魔せずにしてやる事の方が大事なのだ。


もちろん今流行のサプリメントも否定は一切しないが、まずは動物に養生法を学びたいものだ。

昨日もお伝えした通り 、「パーソナルトレーナー養成」の講師を一部依頼されており、本日出向いてきた。
「基本コース」と「上級コース」があり、今日は基本コースの2ヶ月間の最終日で、最終テストであった。


ま、内容はともかくとして、「パーソナルトレーナー(以下、PTRと呼ぶ)」と言っても知っている人は知っているが、馴染みの無い人には全く分からない言葉であると思う。



簡単に言うと、自分個人に付いてもらう時間契約トレーナーで(フィットネスクラブにいるスタッフのような人が、自分一人に付いて、色々指導してくれる)、相場は1時間4000円~6000円程度と思われる。


これを高いと思うか安いと思うかはそれぞれの価値観だが、以前はスポーツ選手や芸能人に限られていた利用者も、まだまだ数は少ないとは言え一般の人も利用するようになった。メディアでも認知度が増してきて、仕事として目指す人も徐々に増えて来て、本日行ったような「養成コース」も行われており、様々な事情や思いを胸に受講しに来るのである。


「どこにPTRがいるのか?」という事だが、一般的にはフィットネスクラブにいる場合がほとんどだ。そのフィットネスクラブと契約して、会員の方を対象に指導を行うというパターンだ。
その他には独自で活動されている方もいて、そういう人はWebで検索すると紹介サイトや団体がある。
(googleで「パーソナルトレーナー」で検索するとものすごい件数がヒット)
そこで何らかの方法で連絡し、自宅や指定する場所に出向いてもらい、指導を受けるのである。


最近は一般の人も利用するようになった、とは言ってもまだごく一部である。冷静に見ると、例えばフィットネスクラブにいるPTRを利用しようと思うと、月々の会費がおよそ1万円として、それに加えて1回あたり5000円程度支払うとする。効果的に指導を受ける為に月2回利用したら、月の合計が2万円である。なかなか多くの人にとっては、簡単に出せる金額とは言い難い。そう考えると、やはり現実に利用できるのは「そこそこ裕福な人」というのが実情だ。この辺りは、やはりフィットネスクラブの会費形態が見直されないと普及に拍車は掛かり難いと思われる。


これは、

「腕の良い商品力の高いPTRが多数存在するクラブ」という事がどこまで営業的メリットと成り得るか?
そのPTRの育成を自社でもコストを掛けて行うのか?
あくまで自分で腕を磨いたPTRを募集・採用するのか?etc…

などの要素のせめぎ合いであろう。


もちろん個人の腕を磨き、それをアピールして活動していく事も可能だし、事実そのようなPTRも存在する。
私は、強く頼まれてどうしても!という時だけPTRの要請に応えるが、それ程の富裕層で無くとも、健康上の理由や社会的理由から「必要にせまられて」というユーザーも居るのも事実だ。その辺の互いの情報交換の場、言わば「お見合い」の場が明確に普及すれば、状況は大幅に変わるかも知れない、と思う。


しかしそれとて、もっともっとPTR自身が己の能力を高めていかなければならない。レベルを上げなければ、そんな商品は売れるわけも無い。最終的にはここが鍵だ。
とは言うものの、やはり“景気”には左右されるのも事実。各企業スポーツチームでさえ、業績悪化で最初にリストラするのはトレーナーなどの部門。その後最悪の場合は廃部となる訳で…。


一部のPTRの人達は高齢者社会を睨んで、介護保険を使えるような資格で、PTRでも取得出来るようなモノが出来るらしい?との噂を察知して、色々動いているようではあるが…。