今日の新聞のニュースを見ていると、
新規参入を狙っている楽天とlivedoorの記事が目に付く。

「楽天、スポーツジャーナリストのキーナート氏がGM就任」
「楽天、ランディ・バース氏が監督候補?掛布氏に監督要請?」
「livedoor、オマリー監督要請?」
「GMに、元ドジャースのラソーダ氏を…?」


ほんまかいな、と思う内容も多いが、
いずれにしろ、火の無いところに煙は立たない。

事の真偽は別にして、
要は日本野球界の、長い間の「しがらみ」や、
当たり前のように行われてきた、古い慣習といった「固定観念」を打破したい、
といった意図はよく見える。


何をやるにもそうだが(新しい事業を起こすにも、新しい立場に就くにも)
「固定観念」や「既成概念」を崩すのがまずポイントであるし、
そこから成功の道筋が見えてくる。


もちろん、非常に難しいことなのだが。


「外国人には、日本の慣習が分からない」
「監督やGMの経験も無いのに…」
などと当たり前のように言わず、
まずは見守りたいものだ。


前記の目的に照らし合わせると、良い人選かも知れない。
あくまでも、「かも」。
今日は、パーソナルトレーナーをやっている元教え子に会った。
明治大の選手のトレーニングの仕事が延びて、
1時間近くも待たせてしまったが。

(「パーソナルトレーナー」をご存知ない方の為に。
  スポーツクラブなどにいる、社員のスタッフとは別に、
  細かい指導を受けたい人の為に、別料金で個人指導をしてくれる
  専門トレーナーのこと。最近、普及が進んでいる。
  料金は相場で1時間4000円~6000円程度。)

相談がある、との事で時間を作ったが、
最初は「自分の指導方針はこれで良いと思いますか?」の類いの話。
よくよく話を聞いていくと、要は今ひとつ仕事がうまく行っていないようなのだ。


それで彼から実際に聞かれるのは、先の「指導方針・内容」の話。
確かに、内容については考え直した方が良い部分もあるが、
大きな問題はない。
ただ、内容がかなりこだわりすぎていて、
一般の人からすると難解な面も垣間見えた。


そこで、彼に質問。
「君の、今の行動の目的は何?」…。
つまり、「君は今、一番どうしたいの?」という事。
彼は「…。」黙ってしまった。
そこで、こちらから「要は、売上倍増計画じゃないの?」と尋ねると、

「…あ、そうです。」


これは専門家(的)な人間にありがちなのだが、
“良いものさえ提供していれば売れる”という、大いなる勘違い。
私は自分の経験上、全くそうは思わない。


“売れたモノ”が良いもの、あるいは
“売れ続けたモノ”こそが良いものでなのであって、
もちろん、極端な粗悪品は論外だが、
“良いものだから売れる”とは限らない、と思うのである。
要するに、大切な事は「如何に売るか?」であると考える。
「良い指導をする」という事と、「もっと売れるようにする」とは、
必ずしもイコールではない。


相談してきた彼に言ったのは、この事と、
「自分の気持ちを偽るな」と、
「目的を常に忘れるな」という事。


前述の通り「専門家的」あるいは「職人的」な仕事・立場な人間ほど、
自分の真の気持ちを偽りがちだ。
稼ぎたいなら「稼ぎたい」と言えば良いのだ。
ただ、未だ日本人の中に、「稼ぐのは卑しい」という風潮がどこかに潜んでいる。
何だかんだ言ってみても、要は皆んな“稼ぎたい”のだと思う。
だからこそ、lovedoorの堀江社長の「稼ぐが勝ち」という本も売れるし、
日本人は皆、一生懸命に働くのだろう。


また多くの日本人は、そう考えると、
「自分の知識・技術力をまずは高めて…」となるが、
確かにそれは大事。当たり前の話だ。
ただ、それだけでモノが売れると考えるのは、かなりおめでたい。
どのように「売るか」を、別途考えないと、売れるものも売れない。
極論を言えば、現在の主目的が「売上倍増」だったら、
指導方針より何より、
自分の現状の技術を「どう売るか?」をまずは考えるべきなのだ。


つまりこの相談者は、
どこかで無意識に自分の気持ちを偽り、どこかで目的を取り違えていたのだ。
どうしても「専門家」「職人」というと「儲け二の次」のように考えがちだが、
自分が満足に飯も食えないで、
顧客の為に向上心を持って、己の技術を高めていけるだろうか?


その為に、例えばパーソナルトレーナーだったら、
自分の現状の技術力の中で、

「説明の方法は難解ではないか?」
「指導内容が魅力的に見えているだろうか?」
「自分自身が魅力的に見えているだろうか?」
「自分に依頼すると、効果が出そうに見えているだろうか?」
「説明内容に説得力はあるだろうか?」etc…。

などを再考すべきである。
無論、技術力・商品力を常に高めていく努力を怠らない事は、
言うまでもない事である。


物事の成否を決めるのは、
常に「強烈な目的意識」。
これに尽きる。


あとは、その「目的」が
いつの間にか摩り替わってしまわないように気を付けるだけである。


私は「パーソナルトレーナー養成講座」の講師も務めているが、
こういう事も、かなりしつこく伝えているつもりである。
今日は様々なところで患者さんの施術を行い、
その合間などで、とある選手のトレーニングプランの相談に乗る。
海外遠征を控えている事と、
シーズンまでのコンディショニングについての内容だ。


話を聞いていくと、
様々な問題点が判明したのだが、
言える範囲で書くと、まずは「トレーニングのし過ぎ」。
要はオーバーワークぎみ、という事だ。
ただし詳しく話を聞いて行くと、
「量は多いだけで、質は今ひとつ」。
どうも、「辛く、長く」やれば良いと思っていたようだった。
これで結果が出ないと、本人にとっては相当しんどいはずだ。


もう一つ。サプリメントの問題。
一つ前のエントリーでも書いたが、
あくまでも食事は「皿」では無く「膳」で考えるべきである。
アスリートにありがちなのが、
サプリメントに「すがる」傾向だ。
これ、結構多い。


つまり、
「何だか分かんないけど、これが良いらしいから、私を助けて~」
的な摂り方。
気持ちは分かるが、それは金の無駄遣い。
安いものではないのだから、コストパフォーマンスも考えないと。
スポーツトレーニングや栄養にも、コスト意識が必要だ。
実家が大金持ち、とでもいうのなら、
身体に悪影響を及ぼさない限り、何でも摂れば良い。
実際には冷静に考えて行くと、必ずしも必要のないサプリメントも多い。
「すがる」意識では、その「無駄」に気付かないケースも多い。


この選手も
「これは良いらしい」
「皆、飲んでるから」
という理由で摂り始め、
結局、金も続かず
漠然と疑問を持ち出して、私に今回質問してきたのである。


ま、真面目な(真面目すぎるのが、逆に問題)選手なので、
じっくり取り組むことにした。
「意識」を変えるのが最も難しいが、彼なら大丈夫と思う。
選手も一安心。笑顔で帰って行った。


あ~ぁ。また仕事増えちゃった。
相も変わらず、テレビでは健康番組が花盛りだ。
「~大辞典」も「~っきりテレビ」も、
当初は必ずしも健康番組では無かったようだが、
やはり視聴率が稼げるのだろう。
最近ではほとんどが健康情報だ。
その中でも多いのが、
「体を~にするためには、これを食べると良い」
「これを食べると、こんな驚きの効果が!」
といった類の内容だ。


番組で紹介された食材は、
翌日のスーパーで飛ぶように売れる、と言う事は周知の事実であろう。


しかし冷静に考えてみれば、誰でもおかしな事に気が付く。
そもそも、「健康」とは生活全般の結果、得られるものであり、
無論、口から体内に何を入れるかが重要である事は確かだが、
それだけで健康が獲得出来る、という考えは無茶な話なのである。
食事は、生活全般の中では、ごく一部の要素に過ぎない。


もし、食事の事を考えるのであれば、
それは「食べ物」の話ではなく、「食生活」を考えなくてはならない。
「食生活」を考えるとは、
食べ物個々の内容はもちろん、
「水は何を」「野菜はどのようなものを」「食事の回数は」「食べる時間帯は」など、
食卓に例えると、一つ一つの「皿」の話ではなく、それを乗せている「膳」の話が重要なのだ。
本屋の店頭に並んでいる「食事」の本や、「食」に関するTV番組も、
ほとんどは「食生活」ではなく「食べ物」の話なのである。


つまり「何とか健康法」に代表される「これさえ食べれば健康になれる」といった類の話は、
99%が「まゆつば」と考えた方が良い、と断言出来るだろう。
それと共に再確認しなければならないのは、
食生活全体を良くしてさえ、人の健康が全て改善される訳ではない。
あくまで健康とは、生活全般の問題なのである。

私は、どちらかというと東洋医学的な考え方をベースに仕事に当たっている。
勘違いしないでいただきたいのが、あくまで「ベース」であって、
別に西洋医学的な考え方を否定しているような事はまったく無い。
そもそも、どちらが優れている、劣っている、という議論には意味は無く、
どちらも人間にとって必要なものであるからだ。
大切なのは“本質”であって“方法論”では無い。
ただし、人間を「パーツ」で診る事はしない。というよりは“出来ない”。

例を挙げよう。
気温が下がれば毛穴がしまり熱を逃がさないように体が反応する。
逆に気温が上がれば毛穴を開き熱を逃がすようにし、それでも足りなければ“汗”をかかせ、
それが乾くときの気化熱で放熱をし、体温を一定に保とうとする。


また、四季がある日本においては季節ごとに、
その季節に合わせて大まかに体をモデルチェンジ、いわば“体内の衣替え”をしている。
その上で、そのときの気候によって微調整を行う機能が備わっているのだ。
その“四季”は地球と、太陽を中心とした他の天体との位置関係で決まってくる。
つまり“天体”と“地球”と“人体”はそれぞれが独立したものではなく、
互いが関係しあって成立していることになる。
このような考え方を「天地人三才」と、東洋医学の世界では言う。


これは天・地・人という大きな枠の話だけではなく、
人の身体についても同様な考えをするのが東洋医学的な考えなのだ。
「驚異の小宇宙・人体」という番組がNHKで有ったが、まさに人体は宇宙と同じ。
つまり内臓を含め、身体の組織は互いに関連し合っている、という考え方だ。


例えば、昔は年配者などから
「風邪を引かない為に乾布摩擦をしなさい」と言われた方も多いと思う。
(最近の若者は知らないか?年が分かりますな。)
あれは何故かと言うと、東洋医学では、皮膚と肺とは密接な関連があると考えている。
つまり皮膚をこすって強くする事は、肺を強くする事。つまり「呼吸器」を強くする事につながり、
それが風邪予防になるという、先人の知恵なのだ。


また、皮膚は特に肺との関連が深いのだが、内臓全般との関連も深い。
人体を単純構造で考えると、一本の“ちくわ”状と考えられる。
つまり口から肛門まで一本の“管”だ。
そうなると食道・気管・各内臓はひとつながりで、それは皮膚とも陸続きと考えられる。
よく「便秘で肌が荒れる」「胃の調子が悪くて口や下に出来ものができる」と言うが、
陸続きであるが故に、身体の中の状態は、当然身体の表面に反映されるのである。
逆に、よく喘息の子供が、同時にアトピーも併発している事がある。
これもこの理論から考えれば、当然有り得る事なのだ。


例を挙げるだけで長くなってしまったが、
このように「すべては関連し合って存在している」と考えるのが東洋的な考え方の基本で、
確かにこのように考えなければ説明のつかないことに遭遇することが多い。
皆さんの中にもどこかが痛くて病院に行って、様々な検査をした挙げ句、
「特に悪いところは無い」と言われた経験のある人もいるであろう。
これは、人体を「パーツ」としてしか観ていないと、このような事が起こる場合がある。
お医者さんが悪い、と言っているのではなく、
「木を観て森を観ない」と見え難いものも存在する、という事なのだ。
だから、私の考え方を表現するならば、「西洋・東洋」という事ではなく、
「包括的」に人の身体を捉えたいと考えている。
いわばホリスティック医学的と表現した方が的確だ。
痛みのある箇所が「悪い」とは限らない事も多いのである。
私の仕事柄、「食事」「栄養」については無視できない。
患者さんはもちろん、選手などの指導でも、食事の事は避けて通れない。


昨今では、メディアなどでは健康番組が氾濫し、
あれを食べるとこれに効く、この組み合せが良い、などのオンパレードだ。
一般の人までやたらとビタミンやサプリメントについての知識を持ち、
まるで運動選手並みにサプリの錠剤を持ち歩いている、という状態だ。
だが、私はこの世界に入ってから、ずっとこのような現象に漠然と疑問を持っていた。
特にここ数年の状況には、釈然としないものを感じていた。
ただ、あくまでも「漠然と」であって、いわゆる感覚的に違和感を感じていたのだ。
そこで現時点での自分の考え方を時折まとめておきたいと思う。


最近の栄養情報に私が違和感を感じるのは、
あまりにも個々の「栄養素」ばかりに目が行きすぎているように思えるからだ。
「ビタミン~をとれば~に良い」とか「~の食物を多く摂れば~が治る」
というような考え方には疑問符を付けざるを得ない。
しかし書店に行けば、このような類いの本が平積みで山のように置かれており、
また飛ぶように売れているのが実状だ。
そもそも本に書いてある事を全て実践しようと思えば、
毎食、毎日大量のものを食べなければならないし、
第一そんなに多くの種類のものを準備するのは不可能だ。
それに互いが逆の事を言っている情報も多く、
普通に考えれば、おかしいと思うのが自然だ。


この一つ先のエントリーでも述べているように、
人体も、個々のパーツを観るのではなく包括的に捉えた方が理に適っているのと同様、
食事も個々の「栄養素」ばかりを観すぎると全体を見誤る、と私は考えている。
「食事」とは、何も食べる中身の事だけを気にするものでは無い。
かと言って、何と何を一緒に食べるなどの「食べ合せ」というような単純な話では無い。
要は「食べ方」「食べる時間帯」「日本の風土・地理・気候」「どのようにして作られた物か」「加工物か否か」
など、全てを包括的に考えるべきなのだ。
つまり「考え方」が重要という事だ。
どの栄養素を?というのは、その中のごく一部に過ぎない。


これだけですっかり長くなってしまったので、
栄養・食事の話題についてはまた、機会を見付けて書き続けて行きたい。
書きたい事は山ほどあるので。
ただしあくまでも「私見」になるので、その辺はご容赦を。
巷で言われている「現代栄養学」とはかけ離れた内容になる可能性も大、なので。

ちょっと仕事に空き時間が出来たので、
最近思った事を。


最初に断っておくが、これから書く話は
聞きようによっては「自慢話?」と取られかねないのだが、
決してそういう意図は無いので、ご容赦願いたい。


私はよく、人から「持ち上げられる」事が多い。
もちろん、自分の実力は自分でよ~く分かっているつもりなので、
いい気になる事は、全くと言って良いほど「無い」。


それで人からは、今度は「謙虚」であると言われる。
これまた自分で自分の位置がどの程度にあるかが分かっているので、
「謙虚」であるとも、全く思えない。
「一体どこが、何が謙虚なのだろう」と思ってしまう。


それに関連して、「どのようにしたら貴方のようになれるのですか?」
と聞かれる。
つまり、どうしたら仕事が取れるか?という意味だと思う。

(断っておくが、私のレベルは大したものではない。
 まだまだお恥ずかしいレベルにあると思う。
 ただ日本ではまだ「トレーナー&施術家」として食えている人の方が
 その道を希望する人の割合からすると少なく、
 それでそう聞かれるのだと思われる。
 上には上が山ほどいる。)


私が自分なりに今までの経緯を話すと、
相手は勝手に類推し、「やはり人脈ですね」と言う事が多い。
確かに「人脈」は大切だろう、と思う。
自分が今まで生きて来られたのは、
まとめてしまうと「運」と「人脈」に尽きると思う。


私はそれに対して、特に具体的アドバイスはしないが、
多くの人は、とにかく色々な所に顔を出して、
やたらと名刺を配り歩く。顔を売り歩く。
さすがにこういう業界なので「異業種交流会」の類に顔を出す人は少ないが、
それでも中にはそういう人もいる。


確かに、その考え方で功を奏す事も多いだろう。
大きなヒットを生み出すこともあるかも知れない。
しかし、「人脈」って、多くの人と知り合うことなのだろうか?


私の考える「人脈」とは、
<b>「自分の目の前にある事柄・人、に対して、どこまで真摯に向き合い、
 真剣にその事柄・人にとって役に立てたか、貢献出来たか。」</b>
の結果、得られるものだと思うのである。
そこには、その時点では「計算」があってはならないと思う。


例えば、「ここでこの人に良くしておけば、あとで見返りが…」
と考えた時点で、得てして失敗するもののようだ。
綺麗事のように聞こえるが、
自分の場合は少なくともそうだった気がする。


だから、遠回りのようだが、
今、自分の前にあるタスク(どんな些細なものでも)に対して真摯に立ち向かい、
自分に関わってくれている人達に対して「何とかしよう」という真摯な態度を崩さなければ、
自ずと「人脈」と、同時に「運」がやって来ると信じるべきだと思う。
目の前の小さな事すら、いい加減にするようでは、
大事は巡って来ないと思うのである。


それと同時に、
私がそうであるか否かは別にして、
「謙虚」さが無ければ、やはり「運」は巡って来ない。
私の周りにも、私が思わず恐ろしく感じる人が存在する。
「この人、何でこんなに偉そうに出来るんだろう」、と。
こんな態度とってたら、「運」がどんどん逃げるだろう、と思うような人。
私も出来るものなら、そんな風にしてみたいものだ。
怖くてとても出来ないが。


もちろん、真の実力者はそんな事は関係なく、ズンズン突き進めるのかも知れない。
多少、店の主人の感じが悪くても、長蛇の列ができるラーメン屋のように。


ただ、私を含め、多くの凡人は
地道にコツコツが、結局のところ近道だと思うのだ。


言葉にすると「運」と「人脈」なのだが、
つまりはその中身が大切なのだと、今の時点では痛感する。



これは仕方がない事かも知れないが…。


選手からはこういう質問は出ないが、
トレーニングコーチやトレーナーを目指す人、
あるいは既に指導者になっている人からも、よく寄せられる質問。

「~~の競技選手のトレーニングなのですが、どこを鍛えれば良いんですか?」

…この質問は非常~に多い。
そしてまた、非常に答えに困る質問なのだ。


そもそも、あるスポーツ専用の筋肉がある訳ではなく、
「野球用の筋」「サッカー用の筋」と類別されているわけではない。
だから、「どこを」と言われても、「全部」という話になってしまう事もしばしば。
それほど競技によって大幅に鍛錬箇所が変わる事は少ない。


もちろんそういう答えばかりしている訳にも行かないので、
何となく本人が納得しそうな答え(例:「サッカー」なら「尻と太腿」とか)を
少しだけ詳しく、専門家っぽい色付けをして、答えてしまう事も多い。
決してウソではないし、短い時間で答えられるほど、簡単な質問ではないのだ。


こういう質問をする人の中で、
多くは「どのようなトレーニングを…」という意味で言っている人もいるだろう。
しかしこれとて、簡単にパッパッと答えられるものでもない。


その選手がどの程度の基礎体力があるかも分からないし、
また、どのようなタイプのプレー、パフォーマンスを欲しているかも分からない。
「いや、そんな細かい事は抜きにして、一般論として…」ともよく言われるが、
それとて、私と質問者が同じ「言語」で会話が出来なければ理解してもらえない。
質問をした人の「理解力」や「学習の度合い」も分からない。
この2つがそれほど高くない、と、こちらから感じられると、
いわゆる「一般論」的な話にしかならないのだ。
だから、私の場合、
「貴方はどう思う?」「その為にはどうしたら良い?」
その答えを導き出し、「良いんじゃない、それで!」と言う事が多い。
無論、あちらは不服そうな顔をしているが。


こういう質問をする気持ちも分からなくは無いが、
答えなんて明快なものは無いと思うし、
正解も必ずしも一つでは無いからねぇ。


だから、学校の講義のようにじっくり時間が取れない限りは、
この類いの質問にサッと答えるのは、
余りにも漠然とし過ぎて、非常に難しいのである。


せめて、
「どのような能力が最も必要と思われますか?」
「その能力を高める為に、貴方が最も重視するトレーニング方法の例はありますか?」
のような、絞られた質問ならば、答えようもあるのだが。


何だか意地悪を言っているようだが、
「質問」の仕方というのも、やはり工夫が必要だ。
的を得た質問が出来る人はそれなりに勉強している、と言えるのだと思う。


誤解の無いように言っておきますが、
私なりに誠意を持って、
最大限努力&譲歩してお答えしてますからね。実際は。
今日は白馬にて指導。


昨日は妙高で試合だった為、チームとしては練習休みだったが、
担当している選手だけ午後からトレーニング。


「速く動きたければ、ゆっくり動き出せ」とは、
先日のエントリーでも書いたが、
ハンマー投げの室伏選手が、海外合宿でコーチに指導された言葉である。


それに加えて、私が指導しているキーワードは、
「力強く動きたければ、力を抜け。」

また、
「動かせる事の出来る筋は、その時休んで脱力している筋だけである。」
これは、ある先生の言葉の完璧な受け売りだが。
(野口体操の野口三千三先生)


実際に力を出すのは「筋」である事は間違い無いが、
要は、その筋にどのように力を出させるかが問題である。
「意識」を筋に置くのか、重心の移動や特定の別の箇所に「意識」を置くことによって、
「結果的に筋が力を発揮せざるを得ない」という状態をどのように作るか。
それによって、「力み」を軽減出来る。
「力み」とは、アクセルを吹かしながらブレーキを掛けている状態である。


つまりは筋力以外の「チカラ」の助けをどのように引き出すか。


これがいつもポイントであり、
その為の「指導言語」を模索して、常に頭を痛めているのであるhttp://blog.livedoor.jp/s_lab/archives/6436800.html
私は、これとは別に、「表blog」があります。

こちらは、表blogに何らかの障害が起きた時の為に、
ポイントになる記事を別に保存しておいたり、など、
エマージェンシー用に設置してあります。
今、表blogから、暇に任せて少しづつ
記事をコピーしているところです。
ですからこちらは、本当に仕事に関する事や、
スポーツに関連することのみを抜粋して載せています。

表blogはそれ以外にも、非常にくだらない事から何から載せてます。
画像も、こちらは色々制限があるので載せ難いですが、
表blogは画像も満載です。


こちらをご覧になって、ご興味の湧いた方は、
是非、左の「ブックマーク」から、飛んで見て下さいませ。