夕刊タブロイド紙の記事。
二子山部屋に所属していた、元小結・波之花関の談話。
内容的には、今の貴乃花親方と父親である二子山親方の確執など、
裏話に終始しているのだが、それはどうでも良いとして
その中で、現在の相撲界の変貌ぶりに対してのコメントが。
――今は様々な外国籍の力士が活躍してて、
自分の頃には考えられなかった。
(中略)
それと驚いたのが、盛んに行われている『筋トレ』。
これには功罪がありましてね。
やりすぎると、筋肉が硬くなり、怪我をしやすくなるんです。
“土俵の鬼”と呼ばれた、初代若乃花関は稽古。稽古で強くなられた
方で、私たちは筋トレは禁じられてました。――
(日刊ゲンダイ)
このような考えは、相撲界に限らず、例えば野球界などでも未だに根強い。
ある野球解説者などは、TVで堂々と、
「筋トレは必要ない」
理由はと言うと、
「筋肉が硬くなる」
「自分達はやらなかった」
と、理由にもならない、訳の分からないことを。
基本的には、物理的な発揮する力を増す「筋トレ」が必要な事は明らかで、
日本の場合、特に古いOBなどが、
「俺達はやらなくて成績が残せた。だから必要ない」
と、自分達の経験値の範囲だけのコメントを発している。
これに苦虫をつぶしているストレングスコーチやトレーナーは多い。
しかし、彼らの言っている事も、あながち否定は出来ない、というのが私の考えだ。
例を挙げよう。
まず普通に歩いてみて、その感覚を覚えておいて欲しい。
その後、例えば太腿の前面を「パシッ、パシッ」と、
音が出るぐらいに平手打ちをして欲しい。
強めに揉んでみても良い。
万遍無く、両方とも。
その後に再び、歩いてみると…。
多くの方が気付くと思うが(多分)、
先程よりも、歩き難いと言うか、
スムースさに欠けると言うか、
感覚が先程と違って来るのが分かる。
(感覚、研ぎ澄ませて下さいね)
これは何故かと言うと、大腿の前面に強い「意識」が残ってしまっているため、
本来は、歩くという「前方に身体を送る」時には
どちらかと言えば休んでいて欲しい「大腿前面の筋」に、
「意識」が強く残っているために、そちらに力が入りやすくなっている為、
「前方に身体を送る」という動きに対しては「邪魔」になてしまう為である。
「歩く」時に主体的に働いて欲しいのは「大腿後ろ側」の筋であり、
「大腿前面の筋」は、それに対してむしろ「ブレーキ」のように作用してしまう。
この事は脚に限らず、全身どこででも起り得る。
筋力トレーニングも実は同様の事が起きる可能性があり、
「硬くなる」というような事は、ストレッチ体操などを組み合わせれば起らないのだが、
このように「意識が強く残る」ことによる動きの円滑さが失われる事によって、
動きが「堅くなる」ことは十分有り得る。
つまり「無意識下の意識化」がなされた事になる。。
特に、皆さんの周りに真剣に競技に取り組んでいる方で、このような方がいないだろうか。
「筋力は上がったんだけど、肝心の成績がなぁ…」と。
指導者は、競技の種類によってその辺りを考慮し、
プログラムや他の対処をする必要もあるのだ。
良かれと思って努力・精進を重ねているのに、
それが結果としてマイナスに作用してしまうのは、
競技者・選手にとっては、まさに悲惨としか言いようが無い。
古いOBや評論家の方々はもちろん論理的に言っている訳ではないが、
あながち「経験」も当たらずとも遠からず、とも言えるのである。
だから、筋力トレーニングを行って、
成績が向上する人間と、むしろパフォーマンスが落ちる人間がいるのは、
前者は、無意識に「何か」をやっているか、
そのような「意識」が残りにくい「身体」を持っている、という事が考えられる。
つまり大事な事は、
「筋力トレーニングを行う時の、頭の中の“意識”の置き方」
それと、
「トレーニング後、セットなどの合間に何を行うべきか」
という事になる。
キーワードは
「筋トレは本来、使う部位に意識を集中すべきものだが、
あえて集中してはならない(時がある)」。
この事については、また詳しく述べる機会を作りたいと思う。
気が向いたら。覚えていたら。
忘れてたら、誰か催促して下さい。
二子山部屋に所属していた、元小結・波之花関の談話。
内容的には、今の貴乃花親方と父親である二子山親方の確執など、
裏話に終始しているのだが、それはどうでも良いとして
その中で、現在の相撲界の変貌ぶりに対してのコメントが。
――今は様々な外国籍の力士が活躍してて、
自分の頃には考えられなかった。
(中略)
それと驚いたのが、盛んに行われている『筋トレ』。
これには功罪がありましてね。
やりすぎると、筋肉が硬くなり、怪我をしやすくなるんです。
“土俵の鬼”と呼ばれた、初代若乃花関は稽古。稽古で強くなられた
方で、私たちは筋トレは禁じられてました。――
(日刊ゲンダイ)
このような考えは、相撲界に限らず、例えば野球界などでも未だに根強い。
ある野球解説者などは、TVで堂々と、
「筋トレは必要ない」
理由はと言うと、
「筋肉が硬くなる」
「自分達はやらなかった」
と、理由にもならない、訳の分からないことを。
基本的には、物理的な発揮する力を増す「筋トレ」が必要な事は明らかで、
日本の場合、特に古いOBなどが、
「俺達はやらなくて成績が残せた。だから必要ない」
と、自分達の経験値の範囲だけのコメントを発している。
これに苦虫をつぶしているストレングスコーチやトレーナーは多い。
しかし、彼らの言っている事も、あながち否定は出来ない、というのが私の考えだ。
例を挙げよう。
まず普通に歩いてみて、その感覚を覚えておいて欲しい。
その後、例えば太腿の前面を「パシッ、パシッ」と、
音が出るぐらいに平手打ちをして欲しい。
強めに揉んでみても良い。
万遍無く、両方とも。
その後に再び、歩いてみると…。
多くの方が気付くと思うが(多分)、
先程よりも、歩き難いと言うか、
スムースさに欠けると言うか、
感覚が先程と違って来るのが分かる。
(感覚、研ぎ澄ませて下さいね)
これは何故かと言うと、大腿の前面に強い「意識」が残ってしまっているため、
本来は、歩くという「前方に身体を送る」時には
どちらかと言えば休んでいて欲しい「大腿前面の筋」に、
「意識」が強く残っているために、そちらに力が入りやすくなっている為、
「前方に身体を送る」という動きに対しては「邪魔」になてしまう為である。
「歩く」時に主体的に働いて欲しいのは「大腿後ろ側」の筋であり、
「大腿前面の筋」は、それに対してむしろ「ブレーキ」のように作用してしまう。
この事は脚に限らず、全身どこででも起り得る。
筋力トレーニングも実は同様の事が起きる可能性があり、
「硬くなる」というような事は、ストレッチ体操などを組み合わせれば起らないのだが、
このように「意識が強く残る」ことによる動きの円滑さが失われる事によって、
動きが「堅くなる」ことは十分有り得る。
つまり「無意識下の意識化」がなされた事になる。。
特に、皆さんの周りに真剣に競技に取り組んでいる方で、このような方がいないだろうか。
「筋力は上がったんだけど、肝心の成績がなぁ…」と。
指導者は、競技の種類によってその辺りを考慮し、
プログラムや他の対処をする必要もあるのだ。
良かれと思って努力・精進を重ねているのに、
それが結果としてマイナスに作用してしまうのは、
競技者・選手にとっては、まさに悲惨としか言いようが無い。
古いOBや評論家の方々はもちろん論理的に言っている訳ではないが、
あながち「経験」も当たらずとも遠からず、とも言えるのである。
だから、筋力トレーニングを行って、
成績が向上する人間と、むしろパフォーマンスが落ちる人間がいるのは、
前者は、無意識に「何か」をやっているか、
そのような「意識」が残りにくい「身体」を持っている、という事が考えられる。
つまり大事な事は、
「筋力トレーニングを行う時の、頭の中の“意識”の置き方」
それと、
「トレーニング後、セットなどの合間に何を行うべきか」
という事になる。
キーワードは
「筋トレは本来、使う部位に意識を集中すべきものだが、
あえて集中してはならない(時がある)」。
この事については、また詳しく述べる機会を作りたいと思う。
気が向いたら。覚えていたら。
忘れてたら、誰か催促して下さい。