今日から札幌にて指導。
終了後選手と食事しながら話していて、
改めて考えた事を。


この話はスポーツ競技に於いてを前提にしているが、
本質的にはスポーツのみに囚われない内容だと思う。


指導者は、基本的には
自分の実践してきた事、
学習などによって習得してきた事、
などをベースに指導していく。
しかし、特に自分の実践してきた事を、的確に言葉に出来ているとは限らない。
いや、むしろ少ないと考えた方が良いかも知れない。


これは指導者の言語表現能力を非難しているのではない。
指導とは、その言語を中心とした表現内容が、
選手の「心」に届いた瞬間が、「指導が伝わった」という事になる。
(それが具現化出来るか否かは次の段階)
つまり「どうすれば」「どのような表現が」伝わるかは、選手個々によって異なる。
このような表現方法を工夫し、見出していく考え方が、
「指導言語」という事になる。


分かり易い例を挙げる。
例えばピッチング動作で、自分が行っている「感覚」。
ある指導者は、自分ではリリースの瞬間に、
「かまぼこの板を進行方向に逆回転させるように」という感覚を持っており、
それを選手に実際に指導したとする。
しかし、これはうまく「指導言語」として伝わる選手もいれば、
伝わらない選手もいる。
これは、実際の人間のピッチング動作は、このような動きになっていない事に起因する。
(実際はらせん状の動き)
しかし、これでうまくいく選手もいるのも事実なので、
この表現方法が良い悪いの問題では無く、
この方法論しか持ち合わせていないと、その指導者は苦しい、という事である。


一方で、ビジュアル上(見た目)の動きと、感覚が一致しない事も多々ある。
再びピッチング動作を例にすると、
先ほどらせんの動きをすると言ったが、
ではらせんの動きをさせるように意識付けをすれば良いかと言うと、必ずしもそうではない。
絶対、とは言えないが、多くの場合は失敗するケースが多い。
人の感覚(脳~運動器)には幾つもの「パターン化」されたプログラムがインプットされていて、
その複雑な動きを「腕を思いっ切り振れ」という命令系統のみで、
らせんの動きを引き出せるようにプログラミングされているらしい。
なので、「見た目にそうなっているから、そう動かすように指導する」
と言うのは、必ずしも正しくない場合も多いのである。
もちろん、基本的には「腕を振れ」の命令のみで
インプットされた「らせんパターン」が引き出されるはずであるが、
うまく引き出されない場合が多い。
その眠った「パターン」を引き出す為に、
様々な「訓練方法」や「トレーニング」が存在するのである。
「リハビリテーション」というのは、簡単に言うと、
この部分を脳~運動器に「再刷り込み作業」をする事なのだ。


繰り返すが、逆にビジュアル的なものを前面に出して、
伝えてうまく行く選手もいるのも事実。


指導者は、選手の情報を受け取り方、
情報を受け取った時の対応、表情、感想。
何よりも、「その動きを実践した時の言葉」を逃さない事、
そこから、各選手に応じた「指導言語」を発見するチャンスが生まれる。


最初に「この話はスポーツのみに囚われない」と書いたが、
例えば上司は部下をよく「見る」
サービス業従事者は、お客様をよく「見る」
教育者は生徒をよく「見る」


全て、「鈍感」では務まらないのである。