地方の政治と選挙を考えるミニ講座 -3ページ目

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)

冬至の昨日、私の氏神様と決めている筑波山神社へ行ってきました。

冬至といえば太陽が生まれ変わる日との意味合いから、

各地では祭事が行われたようですが、

筑波山神社では粛々と年越しの準備が進められていました。



まもなく新年、そして新春を迎え、

私たち日本人にとって、大きな生活の区切りを迎えます。



さて、年越しといえば年賀状。
最近は年賀状を出さないという人も多いと聞きますが、

選挙に出る人にとって年賀状は、出したいけど出せない…。

公選法上特別な事情がありますよね。

以下の条文の通りです。



147条の2(あいさつ状の禁止)
公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)は、
当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域)内にある者に対し、
答礼のための自筆によるものを除き、 

年賀状、寒中見舞状、暑中見舞状その他これらに類するあいさつ状
(電報その他これに類するものを含む。)を出してはならない。



多くの市区町村議員にとっては「厳しい」決まり事かと思いますが、
この決まりごとの根底には、
貧富の差が選挙結果に反映されないようにという、

公選法の主旨が込められております。

もしこのような禁止事項がなく、年賀状を自由に出せたとします。

市区町村議会議員では52円×2000枚だとしても、郵送料は104,000円で、

4年に一回の選挙のことを考えれば仕方ない出費だと思います。
しかしこれが参議院議員や知事になると、
どうかしたら10万枚を超える差出数になるわけです。
500万円を超えるような郵送費がかかるわけで、
国政・知事・政令指定都市長をはじめ、
選挙区の人口が多い政治家にとってはありがたい決まり事でもあるはずです。


建前で年賀状について言えば以上のようなことになりますが、

私の知るところ、もちろん公選法で禁止されているとは熟知していても、

その禁を破り、毎年欠かさず後援会員に年賀状を出す政治家はかなりの数います。



そういう人たちに言い分を聞くと大概、
公選法以前に、世話になった人に賀詞を届けるのは、

日本人として最低限の礼儀であり常識である。と、申されます。
私も参院議員の秘書時代に、大物と称される某政党の某県連事務局長から、
特に市町村議員のように有権者との距離が小さい政治家の場合は、
法律がどうのこうのの前に、相手を慮って年賀状を出すのは必需であると、

絶対に年賀状は出すべきだと、
持論を聞かされたことがあります。

首をとられるような違反ならともかく、
仮にお咎めを受ける様な事態になったとしても、
支持者はわかってくれるはずだとも説かれていました。


ですから、腹をくくって「出しちゃえ」と決められれば、
私はそれでいいと思いますし、コンサルタントとしての立場からも、

推奨はせずとも容認することにしています。


ただ、他に何か方法はないかと尋ねられれば、

公選法に触れない方便として、

新年1月から2月に、後援会報もしくは議会報告を作成することを勧めています。

先ほど赤字で書いた条文を読んでいただければわかる通り、

挨拶状は禁止されていますが、
後援会報や議会報告についてはそれぞれの決まりを守れば、
配布日時や方法の制限はありません。


人によってはこれを年末のうちに印刷し、
松の内から個別であいさつ回りを始める人もいるし、
あくまでも挨拶状ではないとの装丁で郵送する人もいます。
また、正月行事や成人式までの公務の模様を記事にして、
節分に合わせて「後援会報・新春号」と銘打って、
毎年この時期に必ず、後援会報を作るという人もいます。


都道府県議、または政令市の議員の場合は、
政務調査(活動)費の額も大きいので年に数回議会報告や、

一般質問の要約を記事にして印刷物を作ると思いますが、

市区町村議会議員の場合も、政務調査費がある・ないに関わらず、

年賀状でも後援会報でも、年に一回配布物を制作して、

後援会名簿をチェックする機会をわざわざ作るということは、
とても大事なことだと思います。


もうかれこれ4回選挙を請け負っていて、
選挙の時以外一度も印刷物を撒いたことなく、
連続当選している市議もいますが、
選挙のたびに名簿を精査するのは大変なことですし、
亡くなった人宛にはがきを出したり電話を掛けたりして苦情を受けるのは、
事務所番をする者にとっては大変なストレスになります。


4年に一回の選挙をなるべく楽に、

なるべく出費しないように運営しようと考えれば、

年に一回年賀状、あるいはそれに替わるものを企画することは、

まさしく特効薬です。

年に一回、きっちりと後援会員にあいさつができていれば、

「選挙の時だけ…」という嫌味を聞くこともなくなるわけです。


今回は冒頭に、筑波山神社の年末の様子を載せました。

後援会報のあいさつ文に賀詞を書いてしまうと、

この後援会報は違反文書になってしまいますが、

市内の風景としてこのような写真を掲載すれば、

新年をお祝いする気持ちを伝えられますし、違反文書にはならないわけです。



議員にとって年賀状のとらえ方は、

本当に十人十色の見方がありますが、

選挙を一生懸命手伝い、支持してくれた人にとっては、

やっぱり自分に向けられた挨拶状は嬉しいものです。

違反だからと言って「何もしない」のは、

決して勧められる選択ではありません。


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今日は、あるネット新聞の記事から…。


香川県が作った「うどんかるた」にクレームが寄せられたため、

県は15日から予定していた販売を延期した。

問題になったのは「つ」の読み札「強いコシ 色白太目 まるで妻」。

14日、県に「良いイメージで受け取らない人もいるのでは」と

電話で指摘があったという。 (朝日新聞デジタル)


クレームをつけるほうもどうかと思いますが、
この程度のクレームに屈する香川県もいかがなものかと…。

何と程度の低い争いをしているのだろうと、

私には、情けなくて泣けてくる記事です。



昨今、このような風潮が勢力を強めているように思えますが、

最近施行されている住民投票にもそんな兆しがあると、

私は感じています。



弊社で請ける仕事はほとんどが選挙に関連したものなのですが、

中には住民投票の実施を呼び掛けるビラや、

あるいはその反対意見の活動家が使う内容のもの、

リコールに関する運動用ビラなど、

ちょっと特殊なものを企画・制作することもあったりします。

然るに全国の実例や結果を注視していますが、

特に住民投票については、

ここ数年の傾向が変わりつつあります。



もともと住民投票とは、

例えば市議会において、そこに市長を加えても、ある議題で意見が拮抗し、

どうにも結論が出せない、判断ができないという手詰まりの状態から、

最終手段的に「市民に賛否を問うてみよう」と発議されるものだと、

私は思っていました。

実際230年前の住民投票といえば、

自治体合併の是非を問うものや、

原子力発電所の建設の是非、産廃処理施設の建設の是非、基地問題等、

住民の暮らしに大きな変化をもたらすであろう事項について、

自治体は住民投票によって、その可否を選択してきています。



ところが最近、今年に限って例を挙げると、

2月に埼玉県所沢市で市立小中学校へのエアコン設置。

5月に大阪市で特別区設置住民投票。

8月に茨城県つくば市で総合運動公園の基本計画の賛否。

10月に愛知県小牧市で「ツタヤ」と連携した市立図書館建設を問う住民投票と、

大阪を除いては、

「そんなことも議会で決められないのか」という内容です。



投票率という、住民投票の成果を量る数値を見ても、
230年前の住民投票では概ね6割越え、
事例によっては80%を超えている例もあり、
住民投票を実施したことに大いなる意義を感じる結果になっていますが、
例に挙げた所沢市は31.54%、つくば市は47.30%、小牧市は50.38%と、
大半の市民にとっては、なにも住民投票など実施しなくても、
市に一任できる事柄であったわけです。
視点を変えれば、
一部の市民(ノイジーマイノリティー)の要求に
行政・議会が屈しているともとれる結果です。



私の住んでいる茨城県では龍ケ崎市でも今年10月、

これは議会が住民投票の実施を否決しましたが、

市内を通るJR常磐線の駅名変更の賛否を問う住民投票の請求がありました。

「駅の名称を変える」…。

ごく一部の市民にとっては問題かもしれませんが、

大半の市民にとっては、

佐貫駅だろうが龍ケ崎市駅だろうが、どうでもいいことです。

生活に変化があるわけではありません。



さらに茨城県ではつい先日、那珂市議会が常設型住民投票条例案を否決しました。

とは言っても賛成10、反対11の僅差です。

市長は市議会改選後に改めて条例案を提出すると意向を示しているようですから、

近い将来、那珂市においてこの条例が可決される可能性は十分にあります。



常設型住民投票とは、市民の請求(署名)が一定数集まれば、

議会の承認を経ることなく直ちに住民投票が実施される制度なのですが、

これまでの例を見聞し、今後のことを予想してみると、

しまいには議会不要論なんかが出るのではないかと危惧されます。



平成22年には私の住むかすみがうら市でも、

ことごとく議会と対立する前市長が、常設型住民投票条例案を提出し否決されましたが、

もし可決されていれば市長と議会の二元代表制の均衡は崩れ、

市長は住民の支持を盾に、思うがままに市政をコントロールできたでしょう。

それがいいか悪いかは、市民が判断することですがね。


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しかしなぜ市民はこんなに発言するようになったのでしょうか。



私の思うところ、選挙の運動形態の変化によるところが大きいと思います。

手法についてはネットの発達が最大の変化ですが、

ネットの発達に伴って

スローガンや公約内容が最近著しく変わったと思います。



230年前は、「俺に任せろ」的なものが主だったと思います。

要は「私が(は)~をやります!」「私が(は)~ができます!」と、

スローガンはすなわち候補者が主役の宣言だったわけです。

ところが10年くらい前から「クリーンな行政」「ガラス張りの議会」のように、

自分だけではなく議会や行政をスローガンに登場させるようになり、

さらに昨今は「皆さんの声を議会へ届ける」というように、

有権者がスローガンの主役になってきたわけです。



然るに一票の性質は、「あなたに任せます」という信任から、

「あなたが一番使いやすい」という、委託という性質に変わってきています。

「皆さんの声を議会へ届ける」「ひとり一人の声を聞く」と約束しているのだから、

あれもこれも聞いてくれ、何とかしてくれと、

市民の個人的な要求が政治に向けられるのは当然のことです。

事実、住民投票を企てるような行動力のある市民は、

「私たちに黙って協力してくれる人」を選びます。



あともう一つ、

議員や候補者のブログやFBを見ていて思うことですが、

「信号機をつけた」とか、「被災地でボランティアしてきた」みたいな自慢話は

いい加減にしたほうがいいと思います。

その自慢話のレベルが、その人の器の大きさを示しているわけですが、

その人だけではなく、議員の仕事なんてこの程度のものなんだと思われれば、

政治家そのものの存在価値とステータスが下がることになります。



政治家をバカにしきっている有権者がいたとしても、

この人は好き好んで政治家を罵倒しているわけではありません。

強くて賢い、尊敬できる政治家の登場を熱望しているのは、

実はこの手の人たちです。

ポスターや看板を作るときのスローガンは、多少大げさでもいいと思います。

大きな野望に向かっていく、その気概、情熱を現してください。

スケールの大きさと向かっていく方向を示してください。


そして小中学校にエアコンを設置するかどうかで住民投票をやっているような

退屈な世の中に喝を入れてください。



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どんな仕事でもそうですが、スケジュール管理は大切です。

ただその職種によって、

分刻みの細かい管理を求められることもあれば、

一日が単位のもの、一週間が単位のもの、一年が単位のものと、

管理の仕方は一様ではありません。



さてそこで「選挙では」と言うと、

これも選挙までの残された時間の量と、

市議選か知事選かという選挙規模の大小によって、

随分異なるものです。



知事や国政の選挙の告示後のスケジュールとなれば、

それこそ分刻み、場合によっては秒刻みです。

もう25年も前、私が参院議員秘書だったころの話ですが、

私は自民党の某派閥の選対本部で、

応援弁士の日程調整を任されたことがあります。

列車・飛行機・車、あらゆる交通手段を駆使して、

いかに人気の応援弁士を効率よく現場間を往来させられるかを、

パソコンも携帯電話もない時代に、

時刻表と地図帳をひもとき、造り上げていました。

中にはヘリコプターをチャーターして、

次の遊説地へという手配をしたこともありました。



国政や全国の注目を集める選挙ではこんな有様ですから、

対応する現場も大変な騒ぎです。

万が一中央からくる応援弁士を迎える、送り届ける時間に遅れが出たら、

次の遊説地に多大な迷惑をかけてしまいます。

そんな世界ですから選挙のスケジュール管理とは大変なことだと、

そういう先入観を持っている方は、

たくさんいらっしゃると思います。



実際に私がコンサルタントとして現場入りすると、

本人をはじめ選挙に関わる後援者の人達が一様に心配することが、

スケジュール管理についてです。

選挙まではあと3か月もあるのですが、

最初の打ち合わせ・顔合わせ時に一番初めに聞かれることは、

大概、「今日・明日・明後日、我々は何をすればいいのか。」

ということです。



質問する方は、スケジュール表を開き、メモの準備をして

私の言葉を待っています。

ところが、コンサルタントがなかなか具体策を示さないので、

質問者の顔に不満気な表情が見え始めるのですが、

「ちょっと待ってください」と解答をいったん保留にします。



選挙に限らず何か新しいことを始める時というのは、

確かにやるべきことがはっきりと見えていると安心できます。

なのできちっとした性格の人ほど、

スケジュール帳を早く埋めたがります。

しかも時間刻み、分刻みで…。



もちろんミニ集会・駅立ち・決起大会・街頭演説・世話人会開催と、

企画しまくれば、それに伴う準備でスケジュール帳を埋めることは簡単です。

そしてそれだけで運動が出来ているような気持になりますし、

これから陣頭指揮を執っていく人には、

明確な行動指針ができるはずです。



しかし、市区町村の議会議員選の告示直前までのスケジュールというのは、

帳面が真っ黒になるほどのものではありません。

広報物をいつまでに仕上げるか。

人事をいつまでに確定させるか。

事務所の賃貸契約をいつまでに済ませるか。

最初に決めるべきはこのようなことですから、

日めくりのスケジュール帳よりも、

書き込み欄が大きなカレンダーの方が重宝するわけです。



そして候補者本人のスケジュールについて、

私の考えですが、「何もない」が一番です。

これまでにもお伝えしましたとおり、

小さな選挙の基本運動形態は個別訪問です。

ですから、朝から晩まで何も予定がなく、

一日をフルに個別訪問にあてられることが、何と言っても大切なことなのです。



そこに行事が入ってくると、

やっぱり候補者を連れ回さなくてはいけなくなります。

例えば決起大会を企画すれば、

弁士は誰だ、受け付けは誰だ、接待は、案内状は、動員は、交通整理は、と

次から次に課題が出てきます。

それを話し合うのに、候補者本人をいちいち参加させていたのでは

時間がもったいない。

個別訪問という運動を敢行するには、気の充実が不可欠ですから、

途中抜けてまたあとで合流するなんて、

特に新人候補ではなかなかできることではありません。

ですから陣営がするべき努力は、

候補者の日程をなるべく空けてあげることです。

もしどうしても、候補者を拘束する必要があるのであれば、

その要件をなるべく同じ日の連続した時間に納めるようにしたいものです。



スケジュールというのは、

細かく立てるほど、その通りに動くのが難しくなりますし、

途中イレギュラーがあった場合の代替案が出し辛くなります。

特に候補者の予定がびっしりと詰まっていると、

個別訪問中に起こる思いがけない支持の連鎖や、拡張に即対応できなくなります。

なので予定はざっくりと、

イレギュラー大歓迎というつもりで立てればよいかと思います。



ただこの方法を使う場合に、大切なことがあります。

それは、「記録をとる」ことです。それもなるべく詳細に…。



個別訪問の記憶ですから、訪問記録ということになります。

どの家の誰に会い、どんな反応だったか…。

そこで知り得たことを記憶にとどめるだけではなく、

なるべく記録することです。

そしてこの積み重ねが、告示二週間前になって活きてきます。

告示直前にやるべき、重要支持者への再訪と票読み、絞り込み…。

告示後の最後のお願い、ハガキ郵送、電話作戦、街頭演説…。



選挙序盤のスケジュール帳はスカスカでした。

だけど、日報はびっしりと記録できたとすると、

本当の選挙終盤のスケジュールは、自ずと決まって来るものです。



ハガキを出すべき名簿がある。

電話をかけるべき名簿もある。

街頭演説をやらなければならない(支持者が固まっている)集落がある。

朝晩必ず車を走らせなければならない地区がある。

「あと一票」の積み重ねを頼める支持者がいる。

もう一度ローラーをかけるべき地区がある。

選挙直前にはこのような状態になっていなくてはいけません。



選挙の二か月前に決起大会を開き、

仮に数百人が集まったとしても、

告示前二週間からの動きが、その日の行き当たりばったりになっていたとすれば、

PLAN(計画)、DO(実行)、SEE(検証)のうち、SEEが欠如していた結果です。



選挙事務所という、ある意味催事の会場には、

計画好きはたくさん集まりますが、

記録を作るという地味な仕事を好む人はあまり集まりません。

計画と実行が動的な仕事であるのに対し、検証は静的な仕事。

そしてなにより選挙そのものが動的な行事だからです。



繰り返しますが、

ハガキを出すべき名簿がある。

電話をかけるべき名簿もある。

街頭演説をやらなければならない(支持者が固まっている)集落がある。

朝晩必ず車を走らせなければならない地区がある。

「あと一票」の積み重ねを頼める支持者がいる。

もう一度ローラーをかけるべき地区がある。



この状態を作れる選挙事務所は最強です。

小さい選挙ではまず「実行」ありきで「計画」よりも「検証」。

イベントは最小限に抑えて候補者の体をなるべく軽くし、

陣営を守る人の中から、しっかりと記録を残せる人を重用してください。



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また新党が出来つつあります。

この新党の場合は、1122日の大阪ダブル選の結果を見るまで

その先を占うことは難しい状況ですが、

国会議員が既に19名参加表明していることから、

いずれにしても比較的規模の大きい船出ということになりそうです。



ここ数年の間に立ちあがった新党が最初にすることは、

地方議員の取り込みと、地域支部の確立です。

新党設立に同調する地方議員がいれば、支部長等の肩書きを付け、

議員がいない地域でも、浪人中の元職を連れてきて肩書を与えたりします。

さらに新人の公募を行ったりして、

下部組織の構築に勤しむことになります。



そうすると私のようなところにも、

「新党の公認を受けて、市議選に出ようと思うのですが。」というような

問合せが寄せられることになります。

4年前(平成23年)の統一地方選前は、

当時隆盛だった、みんなの党や大阪維新の会から出たいという人からの

問合せがたくさんありました。

しかし私は、その相談者のいずれにも、公認申請することを薦めてはいません。

むしろ「止めておきなさい」と、見解を提示しました。

その理由が、今回のテーマであります。



―――――――――――――――――――――――――――――――――

政党の存在価値、あるいは命題とするところは、

あくまで国政で議席を伸ばし、政権を獲ることにあるはずです。

ですから、より多くの選挙区で候補者を擁立させなければなりませんが、

同時に選挙に勝てる見込みを構築しなければなりません。

そこで大きな働きをするのが地域支部ということになります。



新党立ち上げと同時に各都道府県支部、その下の小選挙区支部が出来ればいいですが、

新党がそこまで首尾よく下部組織を構築できるわけがありません。

そこに事務局と職員を配置しようと企てるなら、なおさらのことです。

そこで、金をかけずに支部を作ろうという意図で、

公募されるのが地方議員の候補者ということになります。



公認候補が自らのために政治活動を始めれば、

給料を払うことなく、それ即ち党勢拡大になるということで、

近年の新興政党はこぞって、公認候補の数集めに執心してきました。

5年後に政権を獲る」と豪語している橋下氏率いる最新の党も、

まもなく公認候補の募集に注力してくることでしょう。

新党の目下の事情とは「何が何でも数集め」ですから、

公認申請は、特に市区町村の議会選において通りやすいものです。



一方で応募しようとする側の視点で、この公募はどうなのでしょうか。

まず、後援会長をはじめとする

後援組織の構築に見込みがない人にとっては、

公認がその保証を肩代わりしてくれる役目を持ちます。

つまり最初にして最大の難題を公認が解決してくれるわけですから、

立候補に向けて一気に弾みがつくことになります。

そして、党が持つ勢力がそのまま戦果に現れますので、

党勢有利な場合、それだけで当選することも十分にあり得ます。

しかしメリットはこれだけです。



よしんば当選しても、あなたは党勢拡大のための手足、

ノルマを持たされた代理店ということになってしまいます。

党員集めに始まり、他地域の選挙応援等に駆り出されます。

無所属の議員と比較すると、大変多忙な思いをすることになります。



さらにここ近年は、新しくできた政党が長く続いた例がありません。

国会議員であればその議席の重さから、

党の分裂統合に際して身の振り方がありますが、

地方議員にとって党の消滅は致命傷かつ、その責任を誰にも追及できない、

苦しい立場に追い込まれることになります。

自身で集め、党費を払ってもらった党員に申し訳が立たなくなります。

事後の火消しの仕方が悪ければ、

政治家として終わってしまうことにもなりかねません。

実際4年前の統一選でみんなの党から出て当選した人の多くは

今年落選の憂き目に合い、行き場所を失っています。



新しい党が長く続かない理由は大きく3つありますが、

一つは公認の乱発、もう一つは人材不足、

そしてあと一つは、金が続かないことです。



もともと後援会長が立てられず、後援組織が作れない人が

公認を受けているわけですから、

新党の人材に、抜き出た能力と責任感は追求できません。

また集金能力のある者も、自身が党首になることはあっても、

新党に参加することは稀です。



みんなの党の末期に、渡辺党首の金銭問題がやり玉にあがりましたが、

本来金集めと手柄の分配は幹事長が責任を持つべきです。

私は当時幹事長職であった江田憲司氏の無能が、

この党の最期を早めたと思っているのですが、

新しい党に金と手柄を自在に扱える人材が急に育つわけもなく、

党本部の懐事情は、まず地域支部の引き締めという形で

露呈されることになりますから、

やはり貧乏くじを引くのは、地方議員からになってしまうものです。



そう考えると、

新党の公認を得るということは、

立候補の後押しと、最初1回の選挙だけが利点で、

落選すればお払い箱、当選すれば使われるだけということになるわけです。

実に分の悪い契約だと、私は思います。



そして新党は船出のときから「公認の乱発」という、

あとに致命傷となることを蛮行しているので、

いよいよ新党が長く党勢を保つことは難しいと、判断せざるを得ません。



政治は4年間が1サイクルですよね。

4年の間には最低1回の総選挙と通常選挙、そして全種の地方選挙があります。

私はこの4年間、原形をとどめた形で経過した政党であれば、

公認を受けてもいいのではないかと考えています。

今、本当にジリ貧の民主党でも、支持母体はあります。

新党よりは存続の可能性が高いし、統合はあっても分裂消滅の可能性は低い。

仮に民主党公認で落選しても、

再起の芽が摘まれるところまでは追い詰められません。



これから、特に若い人が人生を政治にかけようというのであれば、

人生最初の選挙は無所属で戦うべきだと思います。

仮にその結果が落選であっても、

自前で設えた後援会は、自分のもの、自分の財産です。

自分の成長と共に、後援会を成長させることができれば、

連続当選、上級職への道が開けるというものです。



このブログを読んでくださっている人の中には、

新しくできる政党に興味津々の人も多いかと思いますが、

市町村の地方議員候補が政党の公認をもらうということは、

必ずしも自分のためになる契約ではありません。

人生を左右する重大な問題ですから、よ~く考えて決心してください。



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運動量の少ない人は別にして、

何度も選挙に挑戦しているのに勝てない人がいます。

これまで私にメールや電話で相談を持ちかけてくれた人や、

会う機会を作っていただいた人の中にも、

そういう人(但しコンサル契約はしていない)が数人いるのですが、

今回は一生懸命に、しかも人一倍運動しているのに、

なぜか勝てない人の原因を探ってみたいと思います。



もう8年も前になりますが、

神奈川県のある市で、私は市議選の現場に監督として関わっていました。

その選挙戦に参じていた他の候補の一人にこれは? というのがいました。

30代前半の男性でしたが、

当時としては実にこまめにブログを更新していて、

私の興味の的、チェック対象になりました。



そのブログは「いかに僕ががんばっているか」を主張するもので、

朝の駅立ちに始まり、自転車であっち行きこっち行き…、夕方も駅に立って、

今日はビラを何枚消費し、何人と握手し、何人が演説を聞いてくれたと…。

そんな運動の報告が、日に23度上がって来るものでした。



当初私は、「新手のタイプだな」と警戒したのですが、

来る日も来る日もブログの記事は「僕こんなに頑張っているんだよ」の域を出ず、

まめに報告している割には、支持者の影が見えることがありませんでした。

私はこれは独りよがり、支持者は付かないだろうと判断したのですが、

結果やはり敗退でした。



そして丁度この頃からだと思いますが、

選挙の手法にについて細かく聞いてくる質問者が多くなりました。

「選挙への異常な関心」とでも言っていいかと思いますが、

せっかく政治に参加し、未来を創造するということに挑戦しようというのに、

現実の関心は「選挙運動そのもの」というタイプの人が増えました。

あるいは、「票を獲る術の確立」だけに時間と労力を費やし単眼的に夢中になる人。

誰よりもがんばっているという自分に酔える人。

解りやすく言えば、

売れるわけがない商品を、ただやみくもに一生懸命売っている…、

セールスポイントを理解していない、理解できない。

そんな状態にいつまでも気が付かないまま負けてしまう人、

こういう人たちとの接点が増えたのです。



先日私は、あるセミナーを聞きに上京しました。

私は、ウェブ上で集客するための手法を知るために出かけたのですが、

内容はそのソフトを売るためのもので、私にとっては見当違いのセミナーでした。

しかし商売の鉄則は、売れる(需要のある)商材を扱うことに始まり、

顧客満足を追求しなければなりません。決してお金だけを追いかけてはいけない。

ということを繰り返し説いていて、これは納得できました。



政治だって同じだと思うのです。

追究すべきは住民に安心と希望を与える事であって、

日常それが出来ている人は、自分から言いださなくても、

「私たちが支援しますから議員選に立ってください」なんて展開から、

支持者に導かれるように議員に当選したりするもので、

これこそが本来の地方議員への王道のはずです。

一方で街宣活動や駅立ちなんて運動は、いくら頑張って敢行しても、

誰の役にも立たない行為です。

そのがんばり様をブログで自慢しても、これまた誰の役にも立たない情報です。

特に目指す選挙が市町村議会議員選であるなら、

地に足の着いた生活基盤を築いたうえで、社会貢献を積むことが

最短であり最善であると思います。



私には「本当の政治家とは議席など無くても政治ができる人」という持論がありますが、

実際にまちづくりに率先して参加してみると、

議員などよりもよっぽど信頼にあつく、自治体運営に影響がある人がいるものです。

私も人にああやれ、こうやれと言うだけでは説得できないと思ったので

子供もいないくせに、市の子ども会連合会の本部役員になりました。

そうすると、市主催の催事の実行委員を頼まれたり、

公民館行事の企画運営委員に選ばれたり、次から次に役職がついて来ます。

将来選挙に出ようという人であれば、このような組織で活躍することはすなわち、

仲間を増やし得票に繋がる、大変有効な手立てだと思うのです。



なので私は、このブログでも繰り返し人の役に立つことを継続してやれ。と、

説いてきたつもりですし、

政治活動や選挙運動についても、地道な方法を案内してきました。

理由は簡単、確実に人脈が広がるからです。



ところがどう諭しても、「選挙への異常な関心」を示す人というのは、

選挙をゲームと捉えるかのごとく、手法の研究に没頭してしまうんですね。

そしてそういう人には特徴があります。

まず第一に、「勉強会」みたいな集まりが好きです。

政策や演説やディベートを勉強する催しや学校に行きたがります。

そして同じような志向の人達とつながるのが好きです。

次に権威に弱い。

国会議員をはじめとするいわゆる「大物政治家」が大好きで、

そういう人との人脈があることを自慢するのが好きです。

そして新しい政党が好きです。

単に下部組織として利用されているだけなのに、

重宝されていると勘違いし、公認候補になったりして、

党の消滅と共に夢を壊され、場合によっては負債を背負います。



私観ですが、この手の人たちは選挙が大好きなんだろうと思うのです。

多分政治をやることよりも選挙の方が好きなのです。

私も若いころ参議院議員の秘書になって、

6年先まで選挙がないと思うと絶望でした。

衆院議員の秘書がうらやましくて仕方がなかった時期がありました。

退屈であることに我慢できないのでしょう。



しかしいくら選挙が大好きでも、

選挙運動ばかりに没頭したのでは、らちが明かないのは前述のとおりです。

地に足の着いた生活と社会貢献がなければ、何もコンテンツが仕上がりません。

実際ビラやリーフレットを企画しようという算段になったとき、

決意表明の文章ひとつまとめられないというのは、

実績もビジョンもないからです。

ブログやFBの記事に「僕こんなに頑張っているよ」としか書けないのは、

当選後にやるべき使命がイメージできていないからです。



あえて今回は「選挙に勝ちたい人」ではなく

「政治家になりたい人」へ呼びかけますが、

政治家になりたければ、今すぐ誰の役にも立たない政治広報活動をやめて、

政治そのものを始めてしまうことです。

自治会、町内、そして市町村でも、

まちづくりに責任を持って参加してくれる人は大歓迎されるはずです。

そこで住民のために知恵をだし、体を使って奉仕していれば、

道はおのずと開けていきます。

6時から8時の2時間、

駅に立って誰の役にも立たないパフォーマンスを演じているくらいなら、

お年寄りを誘ってラジオ体操に参加し、通学路で黄色い旗を振り、

月に一回くらいは地域活動に勤しむ人たちと酒でも酌み交わしてください。



余禄になりますが、

冒頭で紹介した神奈川県の市議候補が書いたブログに対して、

隣の市のベテラン市議が興味深い感想を残していたので引用紹介します。



「こうした新人類の皆さんの特徴は、選挙への異常な関心にあります。
せっかく、これからの将来がどうあるべきかと言う関心を抱きながら、
現実の関心は「選挙運動そのもの」に向かっていく。
あるいは、主要な時間が、「選挙運動の活動」につながっていくプロセス。
その先には、選挙活動運動自体を求めて、
その職業化(家)を知らず知らずにひた走っていく活動に至っていきます。
もし、こうした行動の先に選挙があって「当選」に至れば、
自己目的化した選挙運動家こそ、目標とされる政治家像と見なさせるでしょう。
他にも、現職議員の中にも若い世代は、
「選挙運動」のみの活動に専念する方が多いようです。
そうした傾向を勘弁してほしいと願うのは、全共闘世代の「ぼやき」なのでしょうか。
(原文ママ)


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