地方の政治と選挙を考えるミニ講座 -2ページ目

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)

一昨日東京都知事選挙が告示されました。

前回と前々回は、現職の不祥事による辞職が選挙告示の事由でしたが、

今回の事由は任期満了によるものです。

つまり選挙期日は、ずっと以前から決められていました。

 

今回立候補したのは22名ですが、

報道を通じて主義主張を見聞できるのは5名だけですね。

残り17名は「報道する価値なし」と見なされたということです。

みんなそれぞれ300万円もの供託金を払って

政治信条を訴えようとしているのに、

マスコミのこのような対応はどうなんでしょう。

明らかに公平性を欠いており不適切としか言いようがありません。

だいたい、報道が取り上げている5人にしたって、

現職以外に「本気で勝つため」の運動ができている人っていますか?

 

新人4人のうち一番出馬表明が早かった人は、

宇都宮健児氏で5月27日。

次は小野泰輔氏で6月2日。

立花孝志氏は6月12日、山本太郎氏は6月15日です。

 

前回と前々回みたいに現職の辞職による告示であれば、

告示3日前の出馬表明もありだと思いますが、

コロナ渦中とはいえこの選挙日程は4年前におおよそが決まっていたわけです。

ですから4候補の出馬会見のタイミングだけを見ても、

「勝つこと」を目的に出馬しているのではないと、

言えやしませんかね。

 

ではその目的は?

宇都宮氏は現職にどうしても同調できないリベラル勢力の受け皿として。

小野氏はとりあえず知名度を上げていずれ国政へ。

立花氏と山本氏は党勢拡大と自身の存在感のアピール。

 

察するところこの辺りが各候補の本音と見ます。

 

なんだかふざけてるな、と、思えなくもないですが、

参政権の行使の仕方に異を唱えるわけにはいきません。

報道される側の5人に選ばれれば、

これほど政治的な売名という目的に効果がある選挙はないですよね。

 

報道価値のある上の組に選ばれたとしたら、

遊説の現場には記者が張り付き、

演説の要点を連日連夜報道してくれます。

しかもテレビ中継は全国版のニュースに取り上げられますから、

全国民を対象に名前を売ることができるわけです。

実際に小野泰輔氏などは、

ほんの数日で全国的な著名人になることに成功しています。

こんなにパフォーマンス効果が得られる選挙は、

東京都知事選挙をおいて他に例はありません。

 

 

今回の5人に選ばれなかった17人は悔しいでしょうね。

落選承知でも立候補する思惑は、

報道各社に選ばれた4候補と同じでしょうから、

マスコミのあからさまな差別については、

何某かルールを設けなければ、

参政権の歪みを放置することになると思います。

 

 

翻って、もしこれが本気で勝つための出馬なら、

3か月前、いや半年前の出馬表明でも早すぎることはありません。

コロナが騒ぎになる前に活動を始めても全然おかしくなかった。

もし小野泰輔氏が、まだ吐く息の白いうちから

都内各所で駅立ちなどを継続して行なっていれば、

少なくとも現職を脅かす存在になれていたと思います。

 

 

私は茨城県民ですが、

3年前の県知事選は半年前から新人の活動ははじまっていました。

地方の首長選挙に勝つために出るのであれば、

新人も現職も数か月前から動き始めるのは常識です。

告示(公示)3日前の出馬表明に違和感がない選挙って、

議会解散により(告示)公示される選挙、

前任者の死去や辞職により告示される首長選挙、

そして東京都知事選挙以外にないと思います。

 

 

選挙とは本来、

候補者自身とその支持者である運動員が、

公選法で定められた規格の道具を用いて、

「自力」で支持を訴えるものです。

 

告示以前の政治活動についても原則規制はありませんが、

「自力」で政治信条を広めるものです。

 

しかしこの都知事選のように、これだけマスコミが介入してしまうと、

どこの陣営にとってもマスコミ対策こそが戦略の要になってしまいます。

つまりマスコミが権力者を選び出すということです。

 

報道と並んで広報力のあるネットによる選挙運動についても、

ネット選挙解禁前はネットこそ近代の選挙運動に適した媒体であり、

「これを解禁することで政治は変わる」などと期待されましたが、

その根拠には「ネットの利用者は知的レベルの高い人」という、

暗黙の前提がありました。

しかし現在、ネットで垂れ流されている情報を鵜呑みにする人こそ衆愚の下段であり、

さらにフェイクやヘイトを撒き散らかすその下がいて、

政治活動や選挙運動の手段として少なくとも「最適」ではなくなりました。

 

 

私たち日本国民は主権者であり、

性別や納税額に関係なく平等に選挙権を与えられており、

これにて民主主義は完成されているものと、

そのことについて不平不満を言う人はいません。

しかし参政権の行使の仕方、

並びに公職選挙法で定めている政治活動や選挙運動のルールを、

抜本から見直さなくてはならない時期が来ていると思います。

前回(大村知事をリコール!?)に引き続き「知事職」がテーマです。

 

コロナのせいではありますが「知事職」が俄然注目を浴びております。

私たち日本国の選挙権を有する者が選挙により選ぶ公職には、

市区町村議会議員、市区町村長、都道府県議会議員、都道府県知事、

参議院議員、衆議院議員の6種類がありますが、

市区町村や国が執行する選挙に比べ、

道府県が執行する選挙は押しなべて投票率が低く、

さらに議員選より知事選の方が(投票率が)低いのが全国的な傾向です。

つまり有権者から最も間遠な公職が「知事」と言えます。

 

その、普段重鎮ながらにしてあまり目立たないはずの知事職が、

(都だけは例外としておきます)

いきおいコロナ対策の陣頭指揮を執るポジションとなり、

ひのき舞台に引っ張り上げられました。

さらに日本中、世界中がコロナ禍に巻き込まれたため、

知事同士お互いが、比較され合う間柄になってしまいました。

よって、これ見よがしに「わが県独自の対策」などを画策し、

一歩抜きに出よう、ライバルに差をつけようと、

パフォーマンスに余念がない方も見受けられるようになりました。

 

 

 

4月21日、徳島県の飯泉嘉門知事は、

県民から「来県自粛が呼びかけられているのに県外ナンバー車が多い」との、

指摘・苦情が寄せられたのを受け、

「県外ナンバーの車がどれくらい来ているか実態を把握する」と発言し、

翌22日から県内高速道路のインターチェンジや観光施設などで

県外ナンバー車の流入調査を実施しました。

 

県外ナンバー車を呼び止めたり警告を発したりするわけではなく、

通行量等を調査しただけですから、

県外からの来訪者が不愉快に思うことはなかったはずです。

しかし結果として、

その後徳島県内では、県外ナンバー車へのあおり運転や投石、傷つけ、

ドライバーへの暴言などの嫌がらせが相次ぎました。

 

 

4月24日には岡山県の伊原木隆太知事が、

山陽自動車道下りの瀬戸パーキングエリア(岡山市東区)で

来県者の検温を実施すると発表しましたが、

「まずいところに来てしまったと後悔してもらうようになれば良い」との

会見中の発言があっと言う間にネットで「大炎上」しました。

 

警察官や県職員が県外ナンバーの運転手に声をかけて検温する筋書きでしたが、

「高圧的な嫌がらせ」と見なされ、

岡山県庁には「現場で妨害する」「県外人を病原菌扱いするのか」などとの、

苦情の電話やメールが殺到しました。

 

伊原木知事は4日後の28日に、

「つたない発言で不快な思いをさせたことをおわびする」と謝罪しました。

しかしその後、パーキングエリアでの検温を中止するかわりに、

「県内のインターチェンジを閉じるようお願いする」と発言し、

これが再び「大炎上」。

西日本高速道路からも「物流を滞らせるわけにはいかない」と突き放され、

火に油を注ぐ結果を招いてしまいました。

 

 

 

一体なんでこんな発想するのか…。

選挙で選ばれる政治家というのは功名心が強く目立つことが大好きで、

時にはケガの功名をも喜んで受け入れます。

災害視察に作業服で出かけ、関係者を引き連れて取材を受け、

写真を撮りまくってそれをSNSに上げる…。

そういうのが大好きな人たちなんです。

目下47人の知事がひな壇に上げられた状態で比べられている状態で、

徳島、岡山、両県の知事も、

何とか「県独自の策」を施し、存在感を示したかったのだと思います。

 

しかしその結果、

県内には他府県ナンバーを排除させようとする「民兵」が勝手に育ってしまった。

知事の発言は炎上し、県では対策できなくなったが、

その代わり俺たちがやってやろうという義軍ができてしまったわけです。

 

 

そして県外には限りなく多数の敵を作ってしまいました。

今後コロナ復興の際に、その痛手はジワリと来るのではないかと思います。

 

 

だいたい「●●県内在住者です」なんて、

こんなステッカーを県庁のホームページからダウンロード出来たり、

商品として売られているというんだから、

各都道府県のコロナ対策最高責任者である知事さんは、

自身の一声がどれだけ影響があるのか、

どんな作用と反応と変化を及ぼすのか…。

すべての国民が恐怖と不安とストレスにさいなまされていることを加味して

慎重に考えに考え抜いた上で発していただかなくてはいけなかった。

(結果失敗を)単なる失言で片づけるわけにはいかないんです。

 

 

 

次に大村秀章・愛知県知事に出てきてもらいます。

あいちトリエンナーレに端を発するリコールの要因は前回説明しましたので、

今回は「東京と大阪は医療崩壊」と繰り返し発言し、

自画自賛に余念がないその発言内容に疑問を投げかけます。

 

 

大村知事はこれまで県の対策会議や記者会見の場で、

「愛知は、医療崩壊を起こした東京・大阪と違う」と強調してきました。

県独自の緊急事態宣言を解除した26日の会見でも、

改めて東京・大阪の医療体制について「検証されなければならない」と述べ、

病床数不足や救命救急医療への影響を

情報公開すべきだと持論を唱えました。

 

 

これに対して小池百合子東京都知事は

「東京に集中したいと思っています」とスルーしましたが、

吉村洋文大阪府知事はツイッターで何度か応酬しています。

 

 

東海テレビが5月28日に上げた記事をそのまま写すと、

松井一郎大阪市長:「もうあれやろ、吉村知事に対しての妬みやっかみで、

とにかく自分が目立ちたいということだと思いますね」。

また、ある愛知県議は…。

「大村知事は、人脈やパイプを使って大阪や東京と情報交換をしているし、

いろいろ知っているんだろう。一生懸命やっているのは事実。

ただ『頑張っているね』っていう報道や声が、大阪・東京に比べて少ない。

面白くないっていうのはあると思う。」

と、このような報道がされています。

 

 

この場に及んで他の自治体の対策をどうのこうのと非難するなんて、

まったくもって生産的な発言ではなく、

東海テレビの記事のような理由(妬みか、お褒め不足)しか見当たりません。

だとすればこの発言を今後県民が、国民がどのように反応するのかに、

注意を向けなければなりません。

 

 

ここで「とらっきち」さんという、

むちゃくちゃ面白いブロガーさんの記事を引用させていただきますが…。

 

東京と大阪は医療崩壊だ!って

いきなり言うてくるんやで。

こんなもん近所に住んでる変なオッサンが

突然わめきちらして文句言うてくるのと同じやん。

 

ほんまにそうですわ。

「とらっきち」さんのこの記事は、

あの会見を見た大阪府民のストレートな印象ではないかなと、

私は思います。

 

 

さらにここで、徳島県や岡山県とその周辺の県で起こった

「他府県ナンバー狩り」を想起すると、

大阪府民と愛知県民との間で「何か」が本当に起こりそうな気がします。

公表はされていませんが大村知事の発言のレベルから言って、

愛知県庁にはすでに抗議や苦情が数件は届いているのではないか?

 

 

また、今はこんな騒ぎでプロ野球がまだ開幕していませんが、

虎党が「おまんとこの知事はなんやぁ!」と竜党に食って掛かり流血騒ぎになる…。

そういう事件があり得ないとは言えない。

私はおとなしい燕党ですから竜党に向かって不要なヤジなど飛ばしませんが、

つば九郎がドアラに対して、

「おおむらちじさんに、ゆりこをいじめるなっていっておいて!」なんて、

それくらいの注文はあるかもしれない。

 

 

大村知事ばかりを責めましたがこの件、

私は食って掛かった吉村知事にも問題ありだと思います。

反論したことによって余計に、

大阪府民の愛知県に対する敵対心が増幅されたと考えるからです。

 

 

大阪にも愛知にも都構想があり、

この両府県はGDPも拮抗しておりライバル同士でもあるはずです。

また両府県とも郷土愛が非常に強い風土を持ち、

言葉も強く、プライド高い府県民性を備えています。

 

 

「正義」の延長に「他府県ナンバー狩り」などという犯罪行為に及ぶ人種が

実際にいるんだから、

そういう人種を刺激するような言動は厳に慎まなければならないと思います。

あと、緊急事態宣言解除直前になって突然足並みが揃わなくなった

1都3県の知事さんたちにも出てきてもらいたかったのですが、

それはまたの機会にしたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

久しぶりの投稿になります。実に3年ぶりです。

この間、個人的にはいろいろな環境変化があったのですが、

目下、選挙を指導するという仕事を縮小しつつ、

自身が政治活動を主導する立場になるようライフワークの移行を進めています。

具体的には「選挙のやり方」「運動のしかた」を定めている(不当に制限している)

現行の公選法を変えるための「筋道ある案」を確立しようと、

勉強に勤しみ、協力者を求めているところです。

 

 

言うまでもなく世の中コロナ渦中ですが、

世界中の人々と同時に被災を経験するというのは、

55年間生きていて初めてのことです。

「外に出られない」「人に会えない」「逃げ場がない」

それが日本中や世界の広い範囲で、

数か月、どうかしたら数年も続くなんて未曽有の大災害です。

 

 

そのような時世ですから、

当然、国なり自治体を先頭で引っ張る政治家にはたくさんの要求が寄せられます。

中には理不尽なものもあるでしょうが、

最適な判断を示し、国民・市民を安心納得させるのが彼らの仕事です。

今夜も担当大臣や各県の知事のコメントをニュースで見ることになりますが、

私たちは毎日毎晩、

世界各国の国家元首と日本中の都道府県知事の仕事ぶりを見比べています。

国内では吉村大阪府知事や鈴木北海道知事等が支持を集め、

反対にテレビに出るたびに支持率を下げている人も何人かいますが、

皆さんはどう感じていらっしゃるでしょうか。

私はなるべく、表面だけで政治家の優劣を判断しないことにしていますが、

見せ方に上手いか下手かの差があることは明らかですね。

 

 

しかし、コロナとの戦いはまだ始まったばかりです。

これから教育の遅れをどう取り戻すのか、

経済と暮らしをどう立て直すのか、

つまり自粛解禁後に何をするかが政治家にとっての本番、

力量の見せ所だと思います。

 

 

先般、学期9月開始論が唱えられ政府も前広の考えを示しましたが、

早速、現場サイドや諸官庁から派生する公益団体あたりから、

性急に判断すべき問題ではないとの慎重論、反対論が出されました。

そりゃ役人感覚や学者肌にモノを言わせれば、

「まず、高名たる学者先生を座長に有識者会議を組織し…。」

「次に、何年も、何回も議論を重ね…。」

「さらに、国外の事例や歴史上の事例を再確認し…。

と、できない理由を並べるに決まっています。

 

 

はたして9月新学期案が国民からも支持されて、

これが実現の向きになるかどうかわかりませんが、

私がテレビやネットで映像を見た範囲では、

吉村知事と小池知事は「できる」という前提で見解を述べています。

実際この人たちだったらできちゃうかもしれないと思わせる気迫があります。

経済復興に3年かかると役人が言えば、

それを1年でやってしまう計画を立て主導するのが政治家の立場ではないでしょうか。

9月新学期案に反対なら反対とはっきり言えばいいのですが、

「時間が足りない」とかっていう発想、発言をするならば、

その人は政治家よりも役人向きです。

スタンダードを超越した思考を持ち合わせていない人物は、

政治向きではないと思います。

 

 

さて、そんな渦中に、

スタンダードを超越した政治活動を始めようとする人が現れました。

高須クリニック院長・高須克弥先生が一昨日(5/23)早朝にツイートしたものです。

 

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1263954532251267072?s=20 

 

「天皇陛下の御真影に火をつけて踏みにじる作品や、

僕たちを守って散った英霊の皆さんを侮辱する作品展を

愛知県の血税を使って行う大村知事は愛知県の恥です。(中略)

大村知事をリコールします。ご協力お願いいたします。」

と、綴られ、後続のツイートでは、

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」の決意を述べられています。

 

 

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」

つまり高須先生は、「リコールで知事を引きずり下ろす」ことについて

難易度の高さと、背負うリスクを承知されて挑もうとしている…。

 

 

事の発端になったあいちトリエンナーレについて簡単におさらいしますが、

これは実質愛知県が主催する国際芸術祭で、平成22年から3年毎に開催されています。

そして昨年、4回目が8月1日に愛知芸術文化センターをメイン会場に開幕しました。

そのなかの企画展「表現の不自由展・その後」の展示物には、

平和の少女像(日本政府の呼称は「慰安婦像」)や、

昭和天皇の肖像写真を燃やし、その灰を靴で踏みつける表現が含まれる

大浦信行氏の「遠近を抱えて Part II」があり、

開催初日(8/1)から抗議が殺到し、二日後(8/3)に展示中止になりました。

その後、弾圧に屈してはならないと主張する出展者や文化団体等の後押しで、

10月のトリエンナーレ閉幕1週間前に展示が再開されますが、

(展示は)「芸術の名を借りた政治プロパガンダ」であり、

「地方公共団体が主催するものとして不適である」と、

展示再開を不可とする河村たかし名古屋市長(実行委員会会長代行)と、

展示再開を独断で進めた大村秀章知事(実行委員会会長)の主張が真っ二つに割れ、

中京都構想などを共に進めてきた両者の関係を、完全に断つ結果になりました。

閉会後名古屋市は、「大村知事が独断で企画展の中止や再開を行った」として、

5月20日、市の負担金を愛知県に支払わないことを正式に決定しました。

これを受けて大村知事が会長を務める芸術祭実行委員会は翌21日、

名古屋市に対して3,380万円の支払いを求めて名古屋地裁に提訴し、今日に至ります。

 

 

そのわずか2日後。

これまでの大村県政に業を煮やしていた高須先生が、

「リコール」という主権者に与えられた権利を行使すべく、

先の呼びかけを発信しました。

 

 

このあと、リコール(解職請求)とはどんなものなのか、

選挙に長らく携わってきたものとして解説しますが、

その前に私の信条は、

高須先生と河村市長に協調・同調するものであることをはっきりさせておきます。

さらに、このリコールはぜひ実現させる必要があると考えます。

裁判で県が勝っても、市が勝っても、問題の本質は解決しません。

広く県民・国民に問うて政治的に解決すべき問題であり、

日本人の国家観を議論するまたとないチャンスだと思うのです。

リコールを開始すれば、右の運動も左の運動も愛知県の隅々まで広がり、

日本国中からの衆目を集め議論が起こると思います。

そして結果は「数」となって表れます。

 

 

冒頭に私は自身について、選挙を指導するという仕事を縮小しつつ、

自身が政治活動を始めたと申し上げましたが、

そのきっかけは、

政治活動や選挙運動に本気で関わる人が、どんどん減っていることに対する危機感です。

 

 

私はこれまでに17年間で100人以上の選挙を手伝ってきましたが、

立候補しようとする者にとって最初に訪れる関門は、

後援会長をはじめとする自身の後援会を形にすることです。

選挙で支持を連鎖的に広げることとは、他人の信用を借りることなのですが、

気前よく信用を貸してくれる人、

損得勘定がなく、捨て身で人に協力できる人種がめっきり少なくなりました。

 

 

その結果、特に都市部の選挙は広報物だけの競いになってしまった。

政策を練るよりも、きれいな写真を撮り、印刷物をデザインすることに注力した方が、

結果に結びついてしまうのが現状です。

今の選挙の現場に議論や比較はありません。「衆愚政治」への道を進んでいます。

なので私が始めた政治活動とは、

衆愚政治へと向かないよう選挙のルールを改め、

公選法のリストラを実現させようとするものです。

 

脱線してしまいましたが、

知事の解職請求(リコール)がどのような手順で進められるのか解説します。

 

 

まず、第一段階の「署名集め」と、第二段階の「住民投票」に分かれます。

解職請求をするためには、有権者の1/3、その数が80万を超える場合は、

「80万を超える数の1/8」+「40万の1/6」+「40万の1/3」以上の署名が必要で、

昨年7月執行の参院通常選挙時の愛知県の有権者数6,119,150人を基に算出すると、

必要な署名数は、864,893筆、全有権者数の概ね1/7となります。

 

 

署名は、署名年月日、住所、生年月日のうちの1つでも記載漏れがあれば無効。

その他、選挙人名簿に登録されていない者の署名、

自署でない署名、押印のない署名も無効です。

さらに署名収集は「受任者」(請求代表者から委任された者)しかできません。

署名収集の権限のない者が収集した署名も無効となります。

後援会入会名簿のように郵送やFAXで送ってもらうとか、

有権者に直接事務所に届けてもらうというわけにはいきません。

基本的に「受任者」が戸別訪問で「自署」であることを確認しつつ、

1軒ずつ、1人ずつ、足で集めて回る以外方法がありません。

また受任者は、自身が居住する市区の住民からしか署名を収集できない規制があります。

期間は都道府県と政令市の場合、解職請求を告示してから2か月以内です。

 

 

さあ86.5万筆の署名ということは、目標数ざっと100万筆です。

署名収集受任者を1,000人集めて任命できたとして、

一人が1,000筆を2か月以内に集めなければなりません。

 

 

このように、首長の解職請求は第一段階のハードルが非常に高く設定されています。

故にこれまでの事例では、住民投票まで到達できなかった例の方が圧倒的に多い。

私は解職請求の現場で采配を振るった経験はありませんが、

署名を集めるための印刷物の作成を請けた経験が1回と、

逆にリコール阻止を目論む町長擁護派の運動ビラを1回頼まれたことがあります。

2件とも署名が足りず住民投票は執行されていないので、戦績は1勝1敗です。

 

 

その経験から言うと、

特に農村の小さな自治体では、受任者のなり手がいません。

村社会のリコールとは選挙戦以上に激しい争いであり、ズバリ戦争です。

政治にそれほどの関わりも興味もない住民が、

そんな面倒な、報酬なき軍隊に加わるわけがありません。

 

 

でも、戸別訪問で署名を集めること以外に方法がないリコールの運動方法には、

選挙運動以上に有権者との「対話の場」が用意されています。

選挙運動では禁止されている戸別訪問をおおっぴらにできるわけですから、

「議論」ができる絶好の機会を創出することになります。

しかも論点は、平時にはタブー視される「日本人の国家観」です。

そう考えるとこの解職請求には非常に意義深いものがあると、私は思います。

 

 

署名収集という第一段階をクリアしたリコールは、

第二段階の住民投票でほぼ勝っています。

 

 

解職請求のハードルは確かに高いですがやるべきことはいたってシンプル。

署名収集受任者を全市区町村・行政区にまんべんなく配置することです。

「人は集められる」、その見込みが立つならば、

成功の可能性はあると考えます。

 

 

愛知県では河村市長が平成23年に名古屋市議会の解散請求に成功しています。

政令市でのリコール成立は初めてのことですが、

この成功体験の記憶は未だ薄れていないと思います。

この時の成功要因は、全国からの注目を集めて毎日毎時マスコミが報道したこと。

それによって本来自前で広報しなければならない手間が省けたことが大きい。

小さな自治体でも平成22年に鹿児島県阿久根市長がリコールにより失職しましたが、

これもマスコミが大々的に報道したことが特異でした。

「大きな自治体の選挙」は報道機会が必然的に多くなります。

さらに論点は決してローカルではなく、全国民にとって非常に関心を惹くものですから、

多くの愛知県民が関心を持ち、意思表示をするのではないでしょうか。

 

 

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」

確かにリスクの高い活動ではありますが、

高須先生ならたくさんの仲間に支えられて、

結果を出すのではないかと期待するところです。

今日72日は東京都議会議員一般選挙の投開票日です。

解説するまでもありませんが、非常に注目を集めている選挙であり、

期日前投票者数も例年以上であることから、

高い投票率になることが予想されています。

 

選挙という選挙がすべてこんな風に注目され、報道されれば、

選挙を執行する自治体等としては、事務を粛々とこなすだけでいいわけですが、

ここ数十年来、総務省も地方自治体も投票率の低下に悩んでおります。

とりわけ若年層の選挙棄権防止に関しては、

様々な対策とキャンペーンを施してきました。

 

賑々しい都議選が終われば、少しは注目を浴びるかもしれませんが、

わが茨城県では8月末に知事選挙が執行されます。

7選を目論む現職に対し、自民党が挙党態勢で推す新人が挑むという、

斬った撲ったの大一番が展開されようとしていますが、

やっぱり県としては、特に若者の投票率が気になるのでしょう、

ご覧のような対策に余念がないようです。

 

 

しかし、選挙権を18歳以上に与えるずっと前からも、

若者が選挙に行かないということは公然の社会問題でありました。

 

そこで自治体や政党は、

芸能人やアニメキャラを啓発広報に起用したり、

上の記事のようにネット上で投票を呼び掛ける情報を拡散したり、

模擬投票を企画、実演したりと、

いろいろやりましたけど、奏功した例を見たことはありません。

この手の対策は、もはや各庁担当部署の「言い逃れ」対策であり、

やってもやんなくても、結果に大差はないだろうと私は思っております。

 

なぜ趣向を凝らして対策しても、若者に意図が届かないのでしょうか。

そもそもなぜ、若者は投票に行かないのでしょうか。

 

今回は自治体職員でもない、政党関係者でもない、議員でもない、

選挙策士という立場から、この問題を考えてみたいと思います。

 

---------------------------------------------------------------------

 

さて、いきなり結論から申し上げることにしますが、

若い人ほど選挙を棄権するその理由は、

政治家や選挙そのものに対する「侮蔑」ではないか。

私はそう思っております。

 

ある候補者が、街頭でマイクを握り、朗々と将来のビジョンや政策を述べる。

その堂々とした姿は勇壮で格好良く、感心を惹きつける。

しかし演説会が終わるや否や、聴衆に駆け寄り、

今度は卑屈なほどに頭を下げて回る。

とにかく日本人の選挙は、平身低頭、三拝九拝が原則なのですが、

候補者がその原則に従い、一生懸命に運動すればするほど、

哀れに媚びる卑しい姿を映し出すわけで、

若い聴衆はそのギャップに違和感を覚え、嫌悪をいだく…。

あとは明らかにウソと解る会見や、失言、スキャンダル…。

最近まで受けてきた教育の反面を連日報道で見せられれば、

侮蔑の対象になっても然りです。

 

いや、その理屈では棄権する人を若い人に限定した理由にならないのでは?

と突っ込まれそうですが、

私自身が議員秘書だった20代のころ、

仕事といえども政治家の卑屈なほどのパフォーマンスに対して

確かに嫌悪がありました。

それは雇用主だけが対象ではなく、職場から見える多くの政治家に対してです。

しかし秘書を辞め会社員となり、その後自営業者として社会経験を積めば積むほど、

平身低頭や三拝九拝が、選挙政治だけの常識ではなく、

世の中全てがこれなんだと気づくわけです。

失言等についても、若いころよりは寛容に受け止められるようになる。

 

自分が会社員であれば、上司に対して、顧客に対して。

自分が経営者であれば、取引先に対して、銀行に対して。

とにかく私たちは、毎日誰かに頭を下げているわけです。

頭を下げなければ食っていけないということに、だんだん気が付くわけです。

謝ることも、責任をとるということも経験します。

それこそどんな職業の人も、

なりふり構わず汚れ役に徹しなければならない時と場合があるはずです。

誰でも、徐々に徐々に、齢を重ねるごとに、

こういうときの対処の仕方や

人との接し方が常識として身に沁みつくのではないでしょうか。

 

ですから、平身低頭に頭を下げる候補者の姿勢に、

私たちは齢を重ねるごとに同調できるようになるんです。

若いころ「俺はあんな風にはなりたくない」と思っていた姿なのに

年を取ってからは「ああ立派な姿だなぁ」と思えるようになるんです。

 

今日の話は主に私観なので、断定するわけではありませんが、

政治家や選挙そのものに対する「侮蔑」が若者の棄権の主な理由であるならば、

その理由に直接作用しない自治体や政党の棄権防止対策は、

どれだけ予算をつぎ込み周到に対策しても、効果を出すわけがありません。

 

若者の中には、早熟にして処世術に長けているか、

あるいは成長が遅れ気味のバカかで、

いわゆる「良識ある大人」が勧めるものを無条件で喜んで受け入れ、

理想的な好青年の評価を得て満足する者もいます。

しかし若年の大多数は、世の中の不条理に対して反発する存在であるはずです。

ですから、この年代がこぞって選挙に行くという状況があるならば、

国政が危機的に政情不安に陥っているとき以外にないのではないかと思います。

 

ということは、若者は端から選挙に行かない人種なのです。

しかも棄権の理由は単なる無関心ではなく社会に対する「反発心」ですから、

総務省や地方自治体が設える広告なんかに感化されるわけがありません。

「若者向け」に特定した広報物や企画・手段は、

むしろ若者の反感を買っているのではないでしょうか。

 

以前の記事にも書いたことですが、

自治体の選管から本物の投票箱を借りてきて、高校生に模擬投票を経験させるなんて、

学校の対外向けのパフォーマンス以外の何物でもありません。

まさしく主催者側のマスターベーションですね。

私が現代の高校生だったら、

「ガキ扱いするな」とネット上に怒りをぶちまけたと思います。

つまり、対策なんかしない方がいいというのが私の意見です。

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

さてこのブログは選挙策士が書くブログなので、

今度は候補者や選挙陣営からの視点で、

そういう「若者」から「一票」をいただくにはどうすればよいのかを

考えてみます。

 

その前に、昨年、選挙権が18歳以上に与えられる法が施行されて、

選挙そのものにどんな変化があったのでしょうか?

私自身が関わった選挙の現場でとった対策は後述しますが、

他の陣営を観察して得られた「変化」をお伝えします。

それは、リーフレット等の政策欄に「奨学金」に関する記述が増えたことです。

みんな考えることが一緒なのか、あるいは誰かのパクリが超高速で伝わったのか、

とにかく18歳有権者の気を引くために、急遽頭をひねったんだと察しますが、

みんなこぞって「奨学金」。

昨年以降に目にした政治家の広報物の、実に半数以上にその記述がありました。

 

卑屈なほどに頭を下げ、哀れに媚びる姿への嫌悪が選挙嫌いを招き、

若者の投票率を下げていると考える私にとっては、

浅はかな対策だなぁと感じたところです。

 

で、それくらいしか18歳以上選挙権になってからの現場での変化はないんです。

それ以外に若者を惹きつけようと意図した政策もないんです。

今回の都議選では、選挙の焦点もさることながら、

スキャンダル等の話題が沸騰しているためか、

若年人口比率が日本一高いはずの東京の地方選挙なのに、

18歳以上選挙権に関する報道がほとんどありません。

若者にとって政治が退屈に見えるのは、

大きな問題はないということ、いいことなのかもしれませんがね…。

 

 

さあいよいよ「若者」から「一票」をいただく方法ですが、これは簡単です。

皆さんが、ごく普通の地方議員の候補者になろうとする人であれば、

私は「差別をしない、特別な扱いをしない」ことに尽きると思います。

 

普通ではないというのは、例えば山本太郎参院議員ですね。

誰よりも「アンチ」が多く、破格の嫌われ方だけど、

定数6の片隅に手が届くという、著名人ならではの特殊キャラです。

あるいは大学の学内の票だけで当選を目論む、

というような異端児も「普通」ではありません。

 

「差別をしない、特別な扱いをしない」ということは、

18歳の有権者も80歳の有権者も、高校生の有権者も社長である有権者も

同じように接することです。

それが有権者に対する正しい敬意の表し方です。

お年寄りだから、女性だからという差別も概ねマイナスに作用します。

以前の記事「神の域の有権者」でも書きましたが、

誠実かつ社会的地位が確か、

そして知的であり周囲からの信用に厚い人「神の域の有権者」は、

そういうあなたの「人物」を見ています。

そしてその評価を川の最上流(口コミの源)から流します。

さらに評価される政策とは、

候補者の専門性が垣間見え、かつ全体が見渡せているものであり、

決してピンスポット的に受けを狙ったものではありません。

 

ある日、人口が5万にも満たない市の、特急が通過するような小さな駅前で、

30代前半の市議候補が街頭演説をやっていました。

若い候補なのにスタッフ以外の聴衆は年寄りばかり。

候補者と同年配かと思しきサラリーマン風が、

「うるさいよ」と言わんばかりの顔をして通り過ぎる。

子どもを迎えに来たのか、軽自動車の運転席の若いお母さん風も、

スマホに夢中で演説などには一向に興味を示さない。

 

確かに演説は上手と言えるものではなく聞き苦しい。

 

でもお年寄りは熱心に彼の演説を聞いている。

そして演説後に彼の手を両手で握り、「がんばれ、負けるな」と励ましてくれる。

彼の眼には涙がいっぱいだ。

若い人には通じなくても、

自然とそうなってしまう本心からの平身低頭、三拝九拝は、

彼にとって一番大切な人たちには、十分に伝わっているなと思いました。

 

そしてこのおじいちゃん、おばあちゃんたちが家に帰ってお孫さんたちに、

なあ、○○君に一票入れてあげてくれないか。と頼んでいるはずです。

 

去る者は追わず。

宝であっても手の届かないところにある物に執着しないことです。

 

お任せください!

選挙・政治活動の印刷物・広報物の企画制作

→ 合同会社筑波創芸  

選挙・政治活動のコンサルティング業務

→ 地方選挙研究会  

 

単なる芸能人のゴシップなのですが、この騒ぎ、収まりそうにありません。

もうかれこれ半月になるでしょうか、

MSNにしろYahooにしろ毎日毎時、

トップページの目立つところには必ずベッキーの顔写真があります。



もともと芸能ニュースなどには興味がない私ですが、

常時記事を目にしていると、

さすがに社会問題なんだと思えてきます。

特に昨日・今日の記事を読むと、

「ベッキー引退か」なんて言葉も飛び出しており

いつの世にも存在する芸能人の不倫という小さなネタが、

このカップルに限ってなぜ大騒動に発展してしまったのか、

ちょいと興味がわいた次第です。



というわけで今回は、

「人気商売」という芸能界との共通点を持つ「選挙策士」の視点から、

ベッキー不倫騒動を解いてみたいと思います。



まずベッキーという人の特徴を一言に要約すると、

バラエティーのわき役であると言い切っていいと思います。

レギュラーの本数も多いし、CM起用も多い売れっ子ですが、

主役を務められるタイプではありませんよね。

彼女の主な役割はMCを囲む何人かの補佐役のうちの一人で、

心温まる話題の時は、穏やかな笑みと黄色い空気を醸し出し、

悲しい事件が話題の時は、ブルーな空気やコメントを送り出す。

つまり「場」を作る要員であり、その道では一流の人なんだろうと思います。



ただ厳しいことを言わせてもらえば、

いくらでも代用が利くポジションでもある仕事です。

言い換えればベッキーがいなくなったところで、

番組の進行が止まるわけではありません。

売れている人であることは間違いなく、

芸能界において相応の役割を果たしている人ではあるけれど、

残念なことはこの事件がベッキーを

「唯一無二」の存在ではないことを証明してしまったことです。

そういう自分の立ち位置を理解していたかどうかを知る由もありませんが、

次々とCMが切られて、

休業に追い込まれるという結果に至ってしまったからには、

自戒の念や事後の対策が、充分ではなかったと言わざるを得ません。



さて、そんな厳しい寒風にさらされているベッキーに相反して、

正妻がありながら不貞を犯した、

同じ当事者でもこちらの方が重罪と思しき相手方の川谷氏は、

あまりさらし場に引っ張り出されていません。



ゲスの極み乙女。

普通このバンド名を聞いたら不気味に思います・

私はいくらか反社会的思想がある連中なのではないかと疑いました。

そして川谷絵音という、実に気持ちわりぃ芸名…。

とにかく私にはまったく良いイメージがなかったのですが、

世間の評価は高いんですね。曲は売れている、紅白にも出た。

茂木健一郎さんもその才能を絶賛しています。(サンスポ芸能社会欄)


この人たち、あくまでもバンド名からの印象ですが、

結成当初は異端児を演出していたのではないかと察します。

ところが才能が開花してメジャーになった。

そして独自路線を軌道に乗せることができ、大成功を収めた。



同じ売れている芸能人でも、

お茶の間と直結しているバラエティー番組のスタジオが仕事場のベッキーと

「自分達だけを観に来る」ライブの会場が主な仕事場の川谷氏では、

全く立場や性質が異なります。

ベッキーは目立ちすぎてはいけない、が、スタジオの華としての存在を求められ、

演出家から言動についてまで指示をうける「人形」ですが、

川谷氏の方の立ち位置は、己の好きな道で頂点を極めた「教祖様」です。

自身が言い放ったことがファンの間では正論であり、

異議を唱える者の相手はしなくてもいいという強い立場です。



だからこの不倫報道も、

川谷氏にとってはたいして痛みはないんだと思います。

だいたい、ギターを買ってバンドをやろうなんていうそもそもの魂胆は、

もっと女にもてよう、あわよくば成功して金持ちになろうというものです。

安全に就職する道を捨て、

異端児として成功を手に収めたんだから、

私はそれを心ゆくまで謳歌すればいいと思うんです。

こと、この人にとって社会一般の倫理観に合わせて品行を磨くなんてことは、

爺さんになってから考えればいいことです。



川谷氏の正妻も、ベッキーも、マスコミも言葉にはしないだけで

それがわかっているのではないでしょうか。

惚れた相手はもともと世間体の外で成功した人。

悪びれることなく開き直られたら、話は終わってしまう。

交渉の余地すら閉ざされてしまうとね…。



同じ芸能人でもこんなに立場が違う。

ベッキーはあたかもかごの鳥、かたや相手は自由な羽を持つ野鳥のようです。

かごの鳥とは不自由ではあるが守られていることを意味しますが、

芸能界の外にもかごの鳥はたくさんいます。

そして政治家にもかごの鳥と形容してもいい人たちがいるのですが、

この先はかごの鳥をベッキー型、野鳥の方を川谷型と名付けて解説したいと思います。



さて私が選挙コンサルタント業を始めて十余年。

この間の政界はずいぶんと若返りが進み、

国会議員・地方議員ともに平均年齢が下がったはずです。

しかし私は、政治の質が良くなったという実感を持っていません。

むしろ劣化しているかもしれないと感じているのですが、

その原因がベッキー型の台頭ではないかと思うのです。



よくないことの例えにベッキーさんを使ってしまい申し訳ないのですが、

ベッキー型とはかごの鳥、誰かに主導権を握られた操り人形、

傀儡政治家のことを言います。

自前で後援会長も立てられず、選挙スタッフも揃わず、金もなく…。

でも政治家になりたいと考える人の次なるアクションは、

人・信用・票・金銭等を他人から分けてもらうか借りることです。

この時スポンサーになるのは上位職(首長や県議、国会議員など)であったり、

政党や組織や市民活動団体であったりするわけですが、

最たる例では、資産家に生活費までも工面してもらっている奴隷もいます。

そのスポンサーが、

純粋に政治家志望の有能な若者を応援しているだけならいいのですが、

端から当選後には、

政治を陰からコントロールしようと意図している場合の方が多いのが現実。

最も清潔・清貧そうに見えた若き候補者が、

実は最も黒い奴だったなんて、実際に田舎ではよくあることです。



このベッキー型の人たちが政治家になると決心し行動を起こす。

その記念すべき第一歩がかごに入ることであり、

つまり思考そのものが他人依存であることが最大の欠点です。

もっとストレートに言えば身売りなので、ご主人様のいいなりです。

もともと身元を保証する後援会もなく、

風頼みの選挙で、支持者(ファン)との関係も薄いので、

何か不祥事を起こした時には主人を守ることに精一杯になり、

蜘蛛の子を散らしたかのように支持者(ファン)が去っていきます。

こんな不安定な基盤では、

政治家としてとてもじゃないが大きな仕事はできません。



一方で川谷型。

これはその人にしかないというほどの秀でた能力を持った人材です。

支持者を見ても単なるファンではなく、信者に近い。

こういう人は敵こそ多くても、「必要性」という尺度で見たら、

誰もがその価値を認めざるを得ないというタイプです。



私がこの商売を通じて出会った川谷型の人たちは、

相談に来る頃にはすでに選挙を仕切るスタッフが決まっています。

動き出したら周りがほっとかないというのが、

秀でた能力を持った人に見られる特徴です。

動けば動くほど人は集まってくるし、後援会は勝手に盛り上がります。

そして後援者に操られず、

自分が目指した方向に勝手に信者がついてくるのも

このタイプの特徴です。



芸能界・政界に限らず社会のどんな局面でも、

自分自身に軸がある人は自分を捨てる決断が即座にでき、勝負事に強い。

少々の風で飛ばされることはありません。



ベッキー型になるか川谷型になるかは、

あなたが政治家になろうと決めたその時からが勝負です。

ベッキー型になりたくなければ、

つまり条件付きの援助を断り、完全自前の後援会を作るには、

まずPTAでも町内でも青年会でも商工会でも、規模は小さくても構わないので、

コミュニティの中で「唯一無二」「いなくては困る」存在になることです。

駅立ちを始めたり、ビラを作ったり、街宣車を出したり…。

キャンペーンを始めるのは、

まだまだずっと先の話です。



後援会長がいないとか、推薦状がもらえないとか、

いわゆる基本陣形がまとまらないのは、

このプロセスが省かれているからであります。

そしてここに不備があるまま見切り発車すると、

必ず人・信用・票・金銭のうち何かを他人から借りるか貰うことになります。

よしんばそれで当選できても、

「誰かに主導権を握られた操り人形」になりやすいし、

この時に作った借りは、なかなか返済できない重荷になることが多いようです。



ベッキーの人気の正体、半分は自前の魅力かもしれないけど、

あとの半分は演出家の仕事の成果であるはずです。

そのベッキーが芸能界で今後も生きていこうと思うのであれば、

これを機会にスキャンダルとは無縁の「唯一無二のいい子」を徹底的に追及するか、

あるいは自分にしかできない芸当を身に着け一段格上の芸能人を目指すのか、

いずれにしても一つ試練をくぐらなくてはいけなくなってしまいました。



政治の場合もそうですが、早かれ遅かれ道を究めるためには、

どこかで「唯一無二」の自分を構築しなければなりません。

特に選挙・政治の場合は、即戦力を要求される世界ですから、

行動を起こすなら早い方がいい。



今は政治家になろうと手を挙げる者が少なく、選挙時の倍率も低いのが常ですが、

団塊とそのひと回り下という最大人口層が

次々と第二の人生をスタートさせています。

彼らは経験豊富であり、唯一無二を持った即戦力です。

しかも、特に地方の高齢化社会においてはまだまだ青年ですから、

彼らの台頭は、若い政治家志望者には脅威になるでしょう。

「若い人には伸びしろがある」

「当選してから現場で勉強すればいい」などという、

若者賛辞の風潮もすでに弱まりつつあります。



今回は芸能界の出来事という、

政治と関係なさそうな題材から書いてみましたが、

ひとたび選挙に出ると外に向かって公言してしまえば、

あなたには芸能人と同じような好奇の視線が注がれることになります。

世間で起こったことに対して世間がいかに反応するのか、

不祥事や悪評に対していかに対峙するのか…。

ゴシップの多い芸能界は、実は様々なトラブル対処法の宝庫であり、

処世術の実例も豊富なようです。



たまには三面記事から学んでみるのもいいかもしれませんね。

私には身になる経験になりました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。