地方の政治と選挙を考えるミニ講座 -2ページ目

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)

久しぶりの投稿になります。実に3年ぶりです。

この間、個人的にはいろいろな環境変化があったのですが、

目下、選挙を指導するという仕事を縮小しつつ、

自身が政治活動を主導する立場になるようライフワークの移行を進めています。

具体的には「選挙のやり方」「運動のしかた」を定めている(不当に制限している)

現行の公選法を変えるための「筋道ある案」を確立しようと、

勉強に勤しみ、協力者を求めているところです。

 

 

言うまでもなく世の中コロナ渦中ですが、

世界中の人々と同時に被災を経験するというのは、

55年間生きていて初めてのことです。

「外に出られない」「人に会えない」「逃げ場がない」

それが日本中や世界の広い範囲で、

数か月、どうかしたら数年も続くなんて未曽有の大災害です。

 

 

そのような時世ですから、

当然、国なり自治体を先頭で引っ張る政治家にはたくさんの要求が寄せられます。

中には理不尽なものもあるでしょうが、

最適な判断を示し、国民・市民を安心納得させるのが彼らの仕事です。

今夜も担当大臣や各県の知事のコメントをニュースで見ることになりますが、

私たちは毎日毎晩、

世界各国の国家元首と日本中の都道府県知事の仕事ぶりを見比べています。

国内では吉村大阪府知事や鈴木北海道知事等が支持を集め、

反対にテレビに出るたびに支持率を下げている人も何人かいますが、

皆さんはどう感じていらっしゃるでしょうか。

私はなるべく、表面だけで政治家の優劣を判断しないことにしていますが、

見せ方に上手いか下手かの差があることは明らかですね。

 

 

しかし、コロナとの戦いはまだ始まったばかりです。

これから教育の遅れをどう取り戻すのか、

経済と暮らしをどう立て直すのか、

つまり自粛解禁後に何をするかが政治家にとっての本番、

力量の見せ所だと思います。

 

 

先般、学期9月開始論が唱えられ政府も前広の考えを示しましたが、

早速、現場サイドや諸官庁から派生する公益団体あたりから、

性急に判断すべき問題ではないとの慎重論、反対論が出されました。

そりゃ役人感覚や学者肌にモノを言わせれば、

「まず、高名たる学者先生を座長に有識者会議を組織し…。」

「次に、何年も、何回も議論を重ね…。」

「さらに、国外の事例や歴史上の事例を再確認し…。

と、できない理由を並べるに決まっています。

 

 

はたして9月新学期案が国民からも支持されて、

これが実現の向きになるかどうかわかりませんが、

私がテレビやネットで映像を見た範囲では、

吉村知事と小池知事は「できる」という前提で見解を述べています。

実際この人たちだったらできちゃうかもしれないと思わせる気迫があります。

経済復興に3年かかると役人が言えば、

それを1年でやってしまう計画を立て主導するのが政治家の立場ではないでしょうか。

9月新学期案に反対なら反対とはっきり言えばいいのですが、

「時間が足りない」とかっていう発想、発言をするならば、

その人は政治家よりも役人向きです。

スタンダードを超越した思考を持ち合わせていない人物は、

政治向きではないと思います。

 

 

さて、そんな渦中に、

スタンダードを超越した政治活動を始めようとする人が現れました。

高須クリニック院長・高須克弥先生が一昨日(5/23)早朝にツイートしたものです。

 

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1263954532251267072?s=20 

 

「天皇陛下の御真影に火をつけて踏みにじる作品や、

僕たちを守って散った英霊の皆さんを侮辱する作品展を

愛知県の血税を使って行う大村知事は愛知県の恥です。(中略)

大村知事をリコールします。ご協力お願いいたします。」

と、綴られ、後続のツイートでは、

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」の決意を述べられています。

 

 

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」

つまり高須先生は、「リコールで知事を引きずり下ろす」ことについて

難易度の高さと、背負うリスクを承知されて挑もうとしている…。

 

 

事の発端になったあいちトリエンナーレについて簡単におさらいしますが、

これは実質愛知県が主催する国際芸術祭で、平成22年から3年毎に開催されています。

そして昨年、4回目が8月1日に愛知芸術文化センターをメイン会場に開幕しました。

そのなかの企画展「表現の不自由展・その後」の展示物には、

平和の少女像(日本政府の呼称は「慰安婦像」)や、

昭和天皇の肖像写真を燃やし、その灰を靴で踏みつける表現が含まれる

大浦信行氏の「遠近を抱えて Part II」があり、

開催初日(8/1)から抗議が殺到し、二日後(8/3)に展示中止になりました。

その後、弾圧に屈してはならないと主張する出展者や文化団体等の後押しで、

10月のトリエンナーレ閉幕1週間前に展示が再開されますが、

(展示は)「芸術の名を借りた政治プロパガンダ」であり、

「地方公共団体が主催するものとして不適である」と、

展示再開を不可とする河村たかし名古屋市長(実行委員会会長代行)と、

展示再開を独断で進めた大村秀章知事(実行委員会会長)の主張が真っ二つに割れ、

中京都構想などを共に進めてきた両者の関係を、完全に断つ結果になりました。

閉会後名古屋市は、「大村知事が独断で企画展の中止や再開を行った」として、

5月20日、市の負担金を愛知県に支払わないことを正式に決定しました。

これを受けて大村知事が会長を務める芸術祭実行委員会は翌21日、

名古屋市に対して3,380万円の支払いを求めて名古屋地裁に提訴し、今日に至ります。

 

 

そのわずか2日後。

これまでの大村県政に業を煮やしていた高須先生が、

「リコール」という主権者に与えられた権利を行使すべく、

先の呼びかけを発信しました。

 

 

このあと、リコール(解職請求)とはどんなものなのか、

選挙に長らく携わってきたものとして解説しますが、

その前に私の信条は、

高須先生と河村市長に協調・同調するものであることをはっきりさせておきます。

さらに、このリコールはぜひ実現させる必要があると考えます。

裁判で県が勝っても、市が勝っても、問題の本質は解決しません。

広く県民・国民に問うて政治的に解決すべき問題であり、

日本人の国家観を議論するまたとないチャンスだと思うのです。

リコールを開始すれば、右の運動も左の運動も愛知県の隅々まで広がり、

日本国中からの衆目を集め議論が起こると思います。

そして結果は「数」となって表れます。

 

 

冒頭に私は自身について、選挙を指導するという仕事を縮小しつつ、

自身が政治活動を始めたと申し上げましたが、

そのきっかけは、

政治活動や選挙運動に本気で関わる人が、どんどん減っていることに対する危機感です。

 

 

私はこれまでに17年間で100人以上の選挙を手伝ってきましたが、

立候補しようとする者にとって最初に訪れる関門は、

後援会長をはじめとする自身の後援会を形にすることです。

選挙で支持を連鎖的に広げることとは、他人の信用を借りることなのですが、

気前よく信用を貸してくれる人、

損得勘定がなく、捨て身で人に協力できる人種がめっきり少なくなりました。

 

 

その結果、特に都市部の選挙は広報物だけの競いになってしまった。

政策を練るよりも、きれいな写真を撮り、印刷物をデザインすることに注力した方が、

結果に結びついてしまうのが現状です。

今の選挙の現場に議論や比較はありません。「衆愚政治」への道を進んでいます。

なので私が始めた政治活動とは、

衆愚政治へと向かないよう選挙のルールを改め、

公選法のリストラを実現させようとするものです。

 

脱線してしまいましたが、

知事の解職請求(リコール)がどのような手順で進められるのか解説します。

 

 

まず、第一段階の「署名集め」と、第二段階の「住民投票」に分かれます。

解職請求をするためには、有権者の1/3、その数が80万を超える場合は、

「80万を超える数の1/8」+「40万の1/6」+「40万の1/3」以上の署名が必要で、

昨年7月執行の参院通常選挙時の愛知県の有権者数6,119,150人を基に算出すると、

必要な署名数は、864,893筆、全有権者数の概ね1/7となります。

 

 

署名は、署名年月日、住所、生年月日のうちの1つでも記載漏れがあれば無効。

その他、選挙人名簿に登録されていない者の署名、

自署でない署名、押印のない署名も無効です。

さらに署名収集は「受任者」(請求代表者から委任された者)しかできません。

署名収集の権限のない者が収集した署名も無効となります。

後援会入会名簿のように郵送やFAXで送ってもらうとか、

有権者に直接事務所に届けてもらうというわけにはいきません。

基本的に「受任者」が戸別訪問で「自署」であることを確認しつつ、

1軒ずつ、1人ずつ、足で集めて回る以外方法がありません。

また受任者は、自身が居住する市区の住民からしか署名を収集できない規制があります。

期間は都道府県と政令市の場合、解職請求を告示してから2か月以内です。

 

 

さあ86.5万筆の署名ということは、目標数ざっと100万筆です。

署名収集受任者を1,000人集めて任命できたとして、

一人が1,000筆を2か月以内に集めなければなりません。

 

 

このように、首長の解職請求は第一段階のハードルが非常に高く設定されています。

故にこれまでの事例では、住民投票まで到達できなかった例の方が圧倒的に多い。

私は解職請求の現場で采配を振るった経験はありませんが、

署名を集めるための印刷物の作成を請けた経験が1回と、

逆にリコール阻止を目論む町長擁護派の運動ビラを1回頼まれたことがあります。

2件とも署名が足りず住民投票は執行されていないので、戦績は1勝1敗です。

 

 

その経験から言うと、

特に農村の小さな自治体では、受任者のなり手がいません。

村社会のリコールとは選挙戦以上に激しい争いであり、ズバリ戦争です。

政治にそれほどの関わりも興味もない住民が、

そんな面倒な、報酬なき軍隊に加わるわけがありません。

 

 

でも、戸別訪問で署名を集めること以外に方法がないリコールの運動方法には、

選挙運動以上に有権者との「対話の場」が用意されています。

選挙運動では禁止されている戸別訪問をおおっぴらにできるわけですから、

「議論」ができる絶好の機会を創出することになります。

しかも論点は、平時にはタブー視される「日本人の国家観」です。

そう考えるとこの解職請求には非常に意義深いものがあると、私は思います。

 

 

署名収集という第一段階をクリアしたリコールは、

第二段階の住民投票でほぼ勝っています。

 

 

解職請求のハードルは確かに高いですがやるべきことはいたってシンプル。

署名収集受任者を全市区町村・行政区にまんべんなく配置することです。

「人は集められる」、その見込みが立つならば、

成功の可能性はあると考えます。

 

 

愛知県では河村市長が平成23年に名古屋市議会の解散請求に成功しています。

政令市でのリコール成立は初めてのことですが、

この成功体験の記憶は未だ薄れていないと思います。

この時の成功要因は、全国からの注目を集めて毎日毎時マスコミが報道したこと。

それによって本来自前で広報しなければならない手間が省けたことが大きい。

小さな自治体でも平成22年に鹿児島県阿久根市長がリコールにより失職しましたが、

これもマスコミが大々的に報道したことが特異でした。

「大きな自治体の選挙」は報道機会が必然的に多くなります。

さらに論点は決してローカルではなく、全国民にとって非常に関心を惹くものですから、

多くの愛知県民が関心を持ち、意思表示をするのではないでしょうか。

 

 

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」

確かにリスクの高い活動ではありますが、

高須先生ならたくさんの仲間に支えられて、

結果を出すのではないかと期待するところです。

今日72日は東京都議会議員一般選挙の投開票日です。

解説するまでもありませんが、非常に注目を集めている選挙であり、

期日前投票者数も例年以上であることから、

高い投票率になることが予想されています。

 

選挙という選挙がすべてこんな風に注目され、報道されれば、

選挙を執行する自治体等としては、事務を粛々とこなすだけでいいわけですが、

ここ数十年来、総務省も地方自治体も投票率の低下に悩んでおります。

とりわけ若年層の選挙棄権防止に関しては、

様々な対策とキャンペーンを施してきました。

 

賑々しい都議選が終われば、少しは注目を浴びるかもしれませんが、

わが茨城県では8月末に知事選挙が執行されます。

7選を目論む現職に対し、自民党が挙党態勢で推す新人が挑むという、

斬った撲ったの大一番が展開されようとしていますが、

やっぱり県としては、特に若者の投票率が気になるのでしょう、

ご覧のような対策に余念がないようです。

 

 

しかし、選挙権を18歳以上に与えるずっと前からも、

若者が選挙に行かないということは公然の社会問題でありました。

 

そこで自治体や政党は、

芸能人やアニメキャラを啓発広報に起用したり、

上の記事のようにネット上で投票を呼び掛ける情報を拡散したり、

模擬投票を企画、実演したりと、

いろいろやりましたけど、奏功した例を見たことはありません。

この手の対策は、もはや各庁担当部署の「言い逃れ」対策であり、

やってもやんなくても、結果に大差はないだろうと私は思っております。

 

なぜ趣向を凝らして対策しても、若者に意図が届かないのでしょうか。

そもそもなぜ、若者は投票に行かないのでしょうか。

 

今回は自治体職員でもない、政党関係者でもない、議員でもない、

選挙策士という立場から、この問題を考えてみたいと思います。

 

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さて、いきなり結論から申し上げることにしますが、

若い人ほど選挙を棄権するその理由は、

政治家や選挙そのものに対する「侮蔑」ではないか。

私はそう思っております。

 

ある候補者が、街頭でマイクを握り、朗々と将来のビジョンや政策を述べる。

その堂々とした姿は勇壮で格好良く、感心を惹きつける。

しかし演説会が終わるや否や、聴衆に駆け寄り、

今度は卑屈なほどに頭を下げて回る。

とにかく日本人の選挙は、平身低頭、三拝九拝が原則なのですが、

候補者がその原則に従い、一生懸命に運動すればするほど、

哀れに媚びる卑しい姿を映し出すわけで、

若い聴衆はそのギャップに違和感を覚え、嫌悪をいだく…。

あとは明らかにウソと解る会見や、失言、スキャンダル…。

最近まで受けてきた教育の反面を連日報道で見せられれば、

侮蔑の対象になっても然りです。

 

いや、その理屈では棄権する人を若い人に限定した理由にならないのでは?

と突っ込まれそうですが、

私自身が議員秘書だった20代のころ、

仕事といえども政治家の卑屈なほどのパフォーマンスに対して

確かに嫌悪がありました。

それは雇用主だけが対象ではなく、職場から見える多くの政治家に対してです。

しかし秘書を辞め会社員となり、その後自営業者として社会経験を積めば積むほど、

平身低頭や三拝九拝が、選挙政治だけの常識ではなく、

世の中全てがこれなんだと気づくわけです。

失言等についても、若いころよりは寛容に受け止められるようになる。

 

自分が会社員であれば、上司に対して、顧客に対して。

自分が経営者であれば、取引先に対して、銀行に対して。

とにかく私たちは、毎日誰かに頭を下げているわけです。

頭を下げなければ食っていけないということに、だんだん気が付くわけです。

謝ることも、責任をとるということも経験します。

それこそどんな職業の人も、

なりふり構わず汚れ役に徹しなければならない時と場合があるはずです。

誰でも、徐々に徐々に、齢を重ねるごとに、

こういうときの対処の仕方や

人との接し方が常識として身に沁みつくのではないでしょうか。

 

ですから、平身低頭に頭を下げる候補者の姿勢に、

私たちは齢を重ねるごとに同調できるようになるんです。

若いころ「俺はあんな風にはなりたくない」と思っていた姿なのに

年を取ってからは「ああ立派な姿だなぁ」と思えるようになるんです。

 

今日の話は主に私観なので、断定するわけではありませんが、

政治家や選挙そのものに対する「侮蔑」が若者の棄権の主な理由であるならば、

その理由に直接作用しない自治体や政党の棄権防止対策は、

どれだけ予算をつぎ込み周到に対策しても、効果を出すわけがありません。

 

若者の中には、早熟にして処世術に長けているか、

あるいは成長が遅れ気味のバカかで、

いわゆる「良識ある大人」が勧めるものを無条件で喜んで受け入れ、

理想的な好青年の評価を得て満足する者もいます。

しかし若年の大多数は、世の中の不条理に対して反発する存在であるはずです。

ですから、この年代がこぞって選挙に行くという状況があるならば、

国政が危機的に政情不安に陥っているとき以外にないのではないかと思います。

 

ということは、若者は端から選挙に行かない人種なのです。

しかも棄権の理由は単なる無関心ではなく社会に対する「反発心」ですから、

総務省や地方自治体が設える広告なんかに感化されるわけがありません。

「若者向け」に特定した広報物や企画・手段は、

むしろ若者の反感を買っているのではないでしょうか。

 

以前の記事にも書いたことですが、

自治体の選管から本物の投票箱を借りてきて、高校生に模擬投票を経験させるなんて、

学校の対外向けのパフォーマンス以外の何物でもありません。

まさしく主催者側のマスターベーションですね。

私が現代の高校生だったら、

「ガキ扱いするな」とネット上に怒りをぶちまけたと思います。

つまり、対策なんかしない方がいいというのが私の意見です。

 

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さてこのブログは選挙策士が書くブログなので、

今度は候補者や選挙陣営からの視点で、

そういう「若者」から「一票」をいただくにはどうすればよいのかを

考えてみます。

 

その前に、昨年、選挙権が18歳以上に与えられる法が施行されて、

選挙そのものにどんな変化があったのでしょうか?

私自身が関わった選挙の現場でとった対策は後述しますが、

他の陣営を観察して得られた「変化」をお伝えします。

それは、リーフレット等の政策欄に「奨学金」に関する記述が増えたことです。

みんな考えることが一緒なのか、あるいは誰かのパクリが超高速で伝わったのか、

とにかく18歳有権者の気を引くために、急遽頭をひねったんだと察しますが、

みんなこぞって「奨学金」。

昨年以降に目にした政治家の広報物の、実に半数以上にその記述がありました。

 

卑屈なほどに頭を下げ、哀れに媚びる姿への嫌悪が選挙嫌いを招き、

若者の投票率を下げていると考える私にとっては、

浅はかな対策だなぁと感じたところです。

 

で、それくらいしか18歳以上選挙権になってからの現場での変化はないんです。

それ以外に若者を惹きつけようと意図した政策もないんです。

今回の都議選では、選挙の焦点もさることながら、

スキャンダル等の話題が沸騰しているためか、

若年人口比率が日本一高いはずの東京の地方選挙なのに、

18歳以上選挙権に関する報道がほとんどありません。

若者にとって政治が退屈に見えるのは、

大きな問題はないということ、いいことなのかもしれませんがね…。

 

 

さあいよいよ「若者」から「一票」をいただく方法ですが、これは簡単です。

皆さんが、ごく普通の地方議員の候補者になろうとする人であれば、

私は「差別をしない、特別な扱いをしない」ことに尽きると思います。

 

普通ではないというのは、例えば山本太郎参院議員ですね。

誰よりも「アンチ」が多く、破格の嫌われ方だけど、

定数6の片隅に手が届くという、著名人ならではの特殊キャラです。

あるいは大学の学内の票だけで当選を目論む、

というような異端児も「普通」ではありません。

 

「差別をしない、特別な扱いをしない」ということは、

18歳の有権者も80歳の有権者も、高校生の有権者も社長である有権者も

同じように接することです。

それが有権者に対する正しい敬意の表し方です。

お年寄りだから、女性だからという差別も概ねマイナスに作用します。

以前の記事「神の域の有権者」でも書きましたが、

誠実かつ社会的地位が確か、

そして知的であり周囲からの信用に厚い人「神の域の有権者」は、

そういうあなたの「人物」を見ています。

そしてその評価を川の最上流(口コミの源)から流します。

さらに評価される政策とは、

候補者の専門性が垣間見え、かつ全体が見渡せているものであり、

決してピンスポット的に受けを狙ったものではありません。

 

ある日、人口が5万にも満たない市の、特急が通過するような小さな駅前で、

30代前半の市議候補が街頭演説をやっていました。

若い候補なのにスタッフ以外の聴衆は年寄りばかり。

候補者と同年配かと思しきサラリーマン風が、

「うるさいよ」と言わんばかりの顔をして通り過ぎる。

子どもを迎えに来たのか、軽自動車の運転席の若いお母さん風も、

スマホに夢中で演説などには一向に興味を示さない。

 

確かに演説は上手と言えるものではなく聞き苦しい。

 

でもお年寄りは熱心に彼の演説を聞いている。

そして演説後に彼の手を両手で握り、「がんばれ、負けるな」と励ましてくれる。

彼の眼には涙がいっぱいだ。

若い人には通じなくても、

自然とそうなってしまう本心からの平身低頭、三拝九拝は、

彼にとって一番大切な人たちには、十分に伝わっているなと思いました。

 

そしてこのおじいちゃん、おばあちゃんたちが家に帰ってお孫さんたちに、

なあ、○○君に一票入れてあげてくれないか。と頼んでいるはずです。

 

去る者は追わず。

宝であっても手の届かないところにある物に執着しないことです。

 

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単なる芸能人のゴシップなのですが、この騒ぎ、収まりそうにありません。

もうかれこれ半月になるでしょうか、

MSNにしろYahooにしろ毎日毎時、

トップページの目立つところには必ずベッキーの顔写真があります。



もともと芸能ニュースなどには興味がない私ですが、

常時記事を目にしていると、

さすがに社会問題なんだと思えてきます。

特に昨日・今日の記事を読むと、

「ベッキー引退か」なんて言葉も飛び出しており

いつの世にも存在する芸能人の不倫という小さなネタが、

このカップルに限ってなぜ大騒動に発展してしまったのか、

ちょいと興味がわいた次第です。



というわけで今回は、

「人気商売」という芸能界との共通点を持つ「選挙策士」の視点から、

ベッキー不倫騒動を解いてみたいと思います。



まずベッキーという人の特徴を一言に要約すると、

バラエティーのわき役であると言い切っていいと思います。

レギュラーの本数も多いし、CM起用も多い売れっ子ですが、

主役を務められるタイプではありませんよね。

彼女の主な役割はMCを囲む何人かの補佐役のうちの一人で、

心温まる話題の時は、穏やかな笑みと黄色い空気を醸し出し、

悲しい事件が話題の時は、ブルーな空気やコメントを送り出す。

つまり「場」を作る要員であり、その道では一流の人なんだろうと思います。



ただ厳しいことを言わせてもらえば、

いくらでも代用が利くポジションでもある仕事です。

言い換えればベッキーがいなくなったところで、

番組の進行が止まるわけではありません。

売れている人であることは間違いなく、

芸能界において相応の役割を果たしている人ではあるけれど、

残念なことはこの事件がベッキーを

「唯一無二」の存在ではないことを証明してしまったことです。

そういう自分の立ち位置を理解していたかどうかを知る由もありませんが、

次々とCMが切られて、

休業に追い込まれるという結果に至ってしまったからには、

自戒の念や事後の対策が、充分ではなかったと言わざるを得ません。



さて、そんな厳しい寒風にさらされているベッキーに相反して、

正妻がありながら不貞を犯した、

同じ当事者でもこちらの方が重罪と思しき相手方の川谷氏は、

あまりさらし場に引っ張り出されていません。



ゲスの極み乙女。

普通このバンド名を聞いたら不気味に思います・

私はいくらか反社会的思想がある連中なのではないかと疑いました。

そして川谷絵音という、実に気持ちわりぃ芸名…。

とにかく私にはまったく良いイメージがなかったのですが、

世間の評価は高いんですね。曲は売れている、紅白にも出た。

茂木健一郎さんもその才能を絶賛しています。(サンスポ芸能社会欄)


この人たち、あくまでもバンド名からの印象ですが、

結成当初は異端児を演出していたのではないかと察します。

ところが才能が開花してメジャーになった。

そして独自路線を軌道に乗せることができ、大成功を収めた。



同じ売れている芸能人でも、

お茶の間と直結しているバラエティー番組のスタジオが仕事場のベッキーと

「自分達だけを観に来る」ライブの会場が主な仕事場の川谷氏では、

全く立場や性質が異なります。

ベッキーは目立ちすぎてはいけない、が、スタジオの華としての存在を求められ、

演出家から言動についてまで指示をうける「人形」ですが、

川谷氏の方の立ち位置は、己の好きな道で頂点を極めた「教祖様」です。

自身が言い放ったことがファンの間では正論であり、

異議を唱える者の相手はしなくてもいいという強い立場です。



だからこの不倫報道も、

川谷氏にとってはたいして痛みはないんだと思います。

だいたい、ギターを買ってバンドをやろうなんていうそもそもの魂胆は、

もっと女にもてよう、あわよくば成功して金持ちになろうというものです。

安全に就職する道を捨て、

異端児として成功を手に収めたんだから、

私はそれを心ゆくまで謳歌すればいいと思うんです。

こと、この人にとって社会一般の倫理観に合わせて品行を磨くなんてことは、

爺さんになってから考えればいいことです。



川谷氏の正妻も、ベッキーも、マスコミも言葉にはしないだけで

それがわかっているのではないでしょうか。

惚れた相手はもともと世間体の外で成功した人。

悪びれることなく開き直られたら、話は終わってしまう。

交渉の余地すら閉ざされてしまうとね…。



同じ芸能人でもこんなに立場が違う。

ベッキーはあたかもかごの鳥、かたや相手は自由な羽を持つ野鳥のようです。

かごの鳥とは不自由ではあるが守られていることを意味しますが、

芸能界の外にもかごの鳥はたくさんいます。

そして政治家にもかごの鳥と形容してもいい人たちがいるのですが、

この先はかごの鳥をベッキー型、野鳥の方を川谷型と名付けて解説したいと思います。



さて私が選挙コンサルタント業を始めて十余年。

この間の政界はずいぶんと若返りが進み、

国会議員・地方議員ともに平均年齢が下がったはずです。

しかし私は、政治の質が良くなったという実感を持っていません。

むしろ劣化しているかもしれないと感じているのですが、

その原因がベッキー型の台頭ではないかと思うのです。



よくないことの例えにベッキーさんを使ってしまい申し訳ないのですが、

ベッキー型とはかごの鳥、誰かに主導権を握られた操り人形、

傀儡政治家のことを言います。

自前で後援会長も立てられず、選挙スタッフも揃わず、金もなく…。

でも政治家になりたいと考える人の次なるアクションは、

人・信用・票・金銭等を他人から分けてもらうか借りることです。

この時スポンサーになるのは上位職(首長や県議、国会議員など)であったり、

政党や組織や市民活動団体であったりするわけですが、

最たる例では、資産家に生活費までも工面してもらっている奴隷もいます。

そのスポンサーが、

純粋に政治家志望の有能な若者を応援しているだけならいいのですが、

端から当選後には、

政治を陰からコントロールしようと意図している場合の方が多いのが現実。

最も清潔・清貧そうに見えた若き候補者が、

実は最も黒い奴だったなんて、実際に田舎ではよくあることです。



このベッキー型の人たちが政治家になると決心し行動を起こす。

その記念すべき第一歩がかごに入ることであり、

つまり思考そのものが他人依存であることが最大の欠点です。

もっとストレートに言えば身売りなので、ご主人様のいいなりです。

もともと身元を保証する後援会もなく、

風頼みの選挙で、支持者(ファン)との関係も薄いので、

何か不祥事を起こした時には主人を守ることに精一杯になり、

蜘蛛の子を散らしたかのように支持者(ファン)が去っていきます。

こんな不安定な基盤では、

政治家としてとてもじゃないが大きな仕事はできません。



一方で川谷型。

これはその人にしかないというほどの秀でた能力を持った人材です。

支持者を見ても単なるファンではなく、信者に近い。

こういう人は敵こそ多くても、「必要性」という尺度で見たら、

誰もがその価値を認めざるを得ないというタイプです。



私がこの商売を通じて出会った川谷型の人たちは、

相談に来る頃にはすでに選挙を仕切るスタッフが決まっています。

動き出したら周りがほっとかないというのが、

秀でた能力を持った人に見られる特徴です。

動けば動くほど人は集まってくるし、後援会は勝手に盛り上がります。

そして後援者に操られず、

自分が目指した方向に勝手に信者がついてくるのも

このタイプの特徴です。



芸能界・政界に限らず社会のどんな局面でも、

自分自身に軸がある人は自分を捨てる決断が即座にでき、勝負事に強い。

少々の風で飛ばされることはありません。



ベッキー型になるか川谷型になるかは、

あなたが政治家になろうと決めたその時からが勝負です。

ベッキー型になりたくなければ、

つまり条件付きの援助を断り、完全自前の後援会を作るには、

まずPTAでも町内でも青年会でも商工会でも、規模は小さくても構わないので、

コミュニティの中で「唯一無二」「いなくては困る」存在になることです。

駅立ちを始めたり、ビラを作ったり、街宣車を出したり…。

キャンペーンを始めるのは、

まだまだずっと先の話です。



後援会長がいないとか、推薦状がもらえないとか、

いわゆる基本陣形がまとまらないのは、

このプロセスが省かれているからであります。

そしてここに不備があるまま見切り発車すると、

必ず人・信用・票・金銭のうち何かを他人から借りるか貰うことになります。

よしんばそれで当選できても、

「誰かに主導権を握られた操り人形」になりやすいし、

この時に作った借りは、なかなか返済できない重荷になることが多いようです。



ベッキーの人気の正体、半分は自前の魅力かもしれないけど、

あとの半分は演出家の仕事の成果であるはずです。

そのベッキーが芸能界で今後も生きていこうと思うのであれば、

これを機会にスキャンダルとは無縁の「唯一無二のいい子」を徹底的に追及するか、

あるいは自分にしかできない芸当を身に着け一段格上の芸能人を目指すのか、

いずれにしても一つ試練をくぐらなくてはいけなくなってしまいました。



政治の場合もそうですが、早かれ遅かれ道を究めるためには、

どこかで「唯一無二」の自分を構築しなければなりません。

特に選挙・政治の場合は、即戦力を要求される世界ですから、

行動を起こすなら早い方がいい。



今は政治家になろうと手を挙げる者が少なく、選挙時の倍率も低いのが常ですが、

団塊とそのひと回り下という最大人口層が

次々と第二の人生をスタートさせています。

彼らは経験豊富であり、唯一無二を持った即戦力です。

しかも、特に地方の高齢化社会においてはまだまだ青年ですから、

彼らの台頭は、若い政治家志望者には脅威になるでしょう。

「若い人には伸びしろがある」

「当選してから現場で勉強すればいい」などという、

若者賛辞の風潮もすでに弱まりつつあります。



今回は芸能界の出来事という、

政治と関係なさそうな題材から書いてみましたが、

ひとたび選挙に出ると外に向かって公言してしまえば、

あなたには芸能人と同じような好奇の視線が注がれることになります。

世間で起こったことに対して世間がいかに反応するのか、

不祥事や悪評に対していかに対峙するのか…。

ゴシップの多い芸能界は、実は様々なトラブル対処法の宝庫であり、

処世術の実例も豊富なようです。



たまには三面記事から学んでみるのもいいかもしれませんね。

私には身になる経験になりました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

これまでにもお伝えしました通り、難解で時代遅れの公選法。

その公選法を解釈した書物は結構出回っており、

政党や自治体でも「やっていいこと・悪いこと」を一覧にした資料等を企画し、

国民の関心を選挙・政治に向けようと努めていますが、

それでも一般の人たちにはなかなか理解が進んでいないのが現状です。

前回「ウグイス嬢は女子高生」 でも述べさせていただきましたが、

私は、大人がろくに公選法を理解していないのに、

18歳の高校生を選挙の現場に迎えるということについて、

もう少し準備と議論があってもいいのではないかと案じています。

よって今回は「ここが理解できれば公選法の大枠が捉えられるかな」と、

思われる節を解説したいと思います。



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公職選挙法において、

「選挙運動」のやり方については細かくかつ、厳しく具体が決められております。

例えば街宣車による運動では、

車上運動員の数、報酬の上限、運動ができる時間帯、車の規格、車載看板の規格等が

こと細やかに決められております。

選挙事務所の運営についても、事務員の数と報酬上限、労務者の賃金条件、

飲食物の提供、看板の規格・数等が細~かく決められております。

運動の仕方についても規制があり、

法定の文書図画以外の印刷物の頒布はできません。

その他戸別訪問による運動の禁止、選挙権が無い者の運動禁止、

車上運動員以外の運動員への報酬の支払いができない等、

できないことづくめではないかと感じてしまいますが、

逆に「何ができるのか」という視点でよく読むと、

街宣車と演説・電話・ネット・口コミ・はがき・公報・公営ポスターと

候補者一律、同じ土俵、公正公平な規制の範疇で戦えという、

公職選挙法で決められた「選挙運動」の姿かたちが見えてきます。



しかしこれはあくまでも「選挙運動」の話。

つまり選挙が告示(公示)され、立候補届け出が済んだあとから、

投票前日の2359分まで、市議会選では7日間の運動期間内の決まり事です。

そしてここまでの内容は広く発信されており、いろいろな書物やネット、

自治体選管が候補者向けに配る資料等で知ることができるはずです。



では告示(公示)以前の規制はというと…。

ここからが皆さんが頭を悩ませる部分であると推測します。

告示前に戸別訪問ってやっていいのかどうか、

リーフレットの法的規格ってあるのかどうか…。

いろいろ調べてみても、明確かつスッキリと疑問を解決できる指南書や回答に

なかなか出会えないと思います。



それもそのはず、

実は告示前の活動である「政治活動」には原則規制がないのです。

規制がないということは条文がないわけなので、解釈文も読み下し文もないわけです。

つまり何でも自由にできるということです。

※ただしある一つの条件を満たしていればの話ですが…。(これは後述します)



おそらく中学校の社会科で習ったと思いますが、

我が国では基本的人権を、侵すことのできない国民の永久の権利として

憲法が制定しております。



19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。

21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。



つまり日本国内においては、個人がどんな信教を持っても自由ですし、

さらに思想を表現し、媒体を使って情報発信することも許されているわけです。

よって政治信条を表現すること、それを広めようとすることに関して、

文書図画の規制もなければ、運動方法の規制もないのです。



じゃあ「告示前の戸別訪問がよいか悪いか?」と問われれば、

当然のことですが「いいんです。」

憲法が思想・言論・表現等の自由を認めているのですから、

これは国民としての権利を行使しているということになります。



くれぐれも「政治活動」は国民としての権利の行使ですから自由です。

軍歌を大音量で流す右翼団体の街宣活動も、政治活動の一手法なので、

警察から道路使用許可を受けていれば全く合法です。

政治信条を綴った印刷物を作り頒布すること、

これとて規格に制限はありません、座布団大だろうと単行本形式だろうと可。

頒布の方法も、新聞折り込みや郵送等の有料配布のほか、

駅で通行人に手渡ししても、軒並みポスティングするにしても全くの自由です。



どうですか? 簡単でしょう。



でも念のためおさらいしましょうか。

まず「選挙運動」と「政治活動」は似て異なる全くの別物であると認識し、

しっかりと分けて考えてください。



「選挙運動」ができるのは、選挙告示(公示)日から投票前日の2359までです。

この「選挙運動」には細かい規制と決まりごとがありますが、

選管が配る「立候補の手引き」等にその詳細はきっちりと記されています。

細かい規制の根拠は、資金力が陣営の優劣を決める要因にならないための配慮です。



そして「政治活動」は、選挙運動期間と投票日を除いた期間に行える活動ですが、

原則規制はありません。自由に行えるものです。

その背景には、国民の基本的人権を侵してはならないという憲法の定めがあります。



さて「選挙運動」と「政治活動」の違いが理解できれば、

公選法の概要のうち、3分の2が理解できたことになります。

残り3分の1、それが先ほど赤字で書いた政治活動を行うにあたって、

満たさなければならないある一つの条件を理解することです。



それは「政治活動」が「事前運動」にならないようにすることです。



「事前運動」という新たな言葉が出てきましたが、

「事前運動」とはその名が示す通り、告示以前に選挙運動を行うことです。

公選法において「事前運動」は固く禁じられております。



あなたが某市議会議員選挙に出ようとする場合、

「市議会議員候補」と名乗れるのは告示日に立候補届を出してからになります。

告示以前は立候補をしようと準備はしていても、身分は候補者ではありません。

ですから、告示以前の政治活動に使う看板等に「市議会議員候補」と書くことや、

選挙に出るということが文中から読みとれる広報物を作ったり、

活動のなかで「選挙に出る」ということを公言したりすると

「事前運動」になってしまいます。

「立候補予定者」というような言葉も使ってはいけません。

政治信条等の記載がなく、単に名前と顔だけを売ろうと意図された制作物も、

「選挙を意識した売名のための道具」とみなされますので、

政治活動におけるポスターというのは、原則あり得ません。

名前を大きく書いた看板等も、売名の道具とみなされますので認められません。

「政治活動」とはあくまでも政治信条を訴える活動のこと。と、理解してください。



ただ広報物については、

「討議資料」と小さく書いて「これは事前運動用ではありませんよ」とアピールしたり、

ポスターにわざわざ「室内用」と書いて「公衆の面前には貼らんけんね」と宣言したり、

「事前運動」ととられない工夫と通念が存在します。

あと政党としての活動についてはこの限りではありませんし、

さらに細かいルールと脱法の術がありますが、ここでは割愛します。



「選挙運動」「政治活動」は理解できた。

そこに「事前運動」が出てきて多少話が複雑になりましたが、

政治活動を行おうとするときに、

その行為が「事前運動」あたるか、「そうではない」と自信を持って言えるか。

この判断が自身でできるようになると、あなたは名参謀ということになります。



『「選挙運動」「政治活動」そして「事前運動」も概ねわかった。

でもさぁ、戸別訪問していて「選挙でしょ」って言われたらなんて答えるの?』

私が選挙の現場で本当によく耳にする質問ですが、

そう相手から聞かれたら、

今度は逆にウソをつかないで、ハイと答えた方がいいと思います。

だいたいリーフレットも名刺も、

それを見たら選挙だとわかるようにデザインされているはずですから、

「いえいえ、これは政治活動の一環でして…」なんて弁明するのは野暮だし、

そこまで感の働かない人に出会うこともないと思います。



ただリーフレットに「●●市議会議員候補予定者」みたいな

明らかに証拠となってしまう文言は、絶対に刷り込んではいけません。



前述のように政治活動には何の規制もありません。

然るに、政治活動として後援者名簿の収集を行ったとします。

100人分もの名簿を集めたAさんに、ガソリン代として実費分の現金を渡した…。

ここまでは問題ありません。

しかしこの行為が票の取りまとめ(事前運動)ではないかと容疑をかけられた。

その時、Aさんが「票集めではない」と説明できれば、事件にはなりません。

ところが事前運動にあたる物的証拠(例えば「市議会議員候補」と書かれた名刺)が

名簿収集のために訪問した家々や、Aさんの車中・持ち物から出てきてしまったら、

「票集めではない」という言い逃れは一切聞いてもらえません。

ガソリン代として渡した現金、単に実費弁償分として払っただけのお金が、

違法な運動報酬という黒い金に化けてしまうわけです。

このようなケース、

ガソリン代を渡した人物とAさん、両方罰金刑以上の有罪になると思います。



選挙をちょっとかじったことがある人がよく言う言葉に、

「文書違反くらいなんともない」というのがありますが、

これが事前運動に分けられる文書違反だとしたら、

例えの通り、致命傷になってしまうこともあるわけです。



公選法のキーワードは3つ、「選挙運動」「政治活動」そして「事前運動」。

この三つが理解できれば、とりあえず選挙運動員・参謀として合格です。



冒頭にも申し上げた通り、

今夏以降は18歳のしかも高校生が選挙に参加するようになります。

違法な雇い方をして、高校生が取り調べを受けるなんてことになったら大変です。

「知らなかった」では済まされません。



選挙に携わる人、教育現場の人には特に公選法の肝心なところだけでも

理解をいただければと思います。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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お任せください!

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→ 合同会社筑波創芸

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→ 地方選挙研究会

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もう十分に周知されていることですが、

今夏の参院通常選挙より、18歳以上の国民に選挙権が与えられることになります。

日本国民の多くは高校3年生時に18歳の誕生日を迎えますので、

当然高校生が選挙権・参政権を得ることになります。

すなわち、選挙運動の現場に高校生が現れることになるかもしれないわけです。



選挙権を与える年齢を下げた理由は、

若年層にも政治に関心を持ってもらい、投票率の向上を図るというのが、

世間一般の見解だと思いますし、一定の効果は期待できると思います。

私は本当のところ納税者人口の増加が目的ではないかと思っているのですが、

その考えは置いといて、

高校生が投票行動をするだけならまだしも、

高校生が選挙運動に参加できるようになるということは、

社会のルールの非常に大きな変更であり、

現場や地域にはもっと周到な対策が求められるのではないかと案じています。



ところが地方紙等を購読していますと、

今の教育現場(高校)や地域では「選挙を勉強する」との目的で

模擬投票が盛んに行われていることを知ります。

中には自治体から本物の投票箱を借りてきて投票の仕方を実習するなど、

手の込んだことを実施している高校もあります。

しかし投票って、実習させなきゃならないほど難しい行為でしょうか。

切符を買って電車に乗るより簡単なことだと、

私は思うのですが…。



こんなパフォーマンスで対策したつもりになっているのが教育現場の現状です。

こんなくだらない実習に駆り出される高校生も父兄も怒るべきです。

「バカにするのもいい加減にしろ!」って。



今ほんとうに、高校生に教えなければならないことは公選法の正しい解釈と、

選挙事務所を取り巻く社会環境の実情です。

私は選挙の現場を誰よりも経験している人間の一人として物言いますが、

高校生が選挙に運動に参加できるようになることに伴って、

二つ大きな心配ごとがあります。

その一つは、「公選法の要点を理解している大人があまりにも少ない」こと。

もう一つは、「選挙の現場が盛り場以上に誘惑の多い場所である」ことです。

解説は後にしますが、もし私が高校3年生の親だとしたら、

わが子には選挙事務所に出入りすることを禁じるでしょう。

選挙の現場とはそういうところです。



例えば、これは私が実際に関わった現場で起きたことですが、

某市議会議員選挙、告示後の選挙運動期間のことです。



A候補はとある駅にて通行者(駅利用者)に向かい、

「市議会議員候補の●●です。ご支援よろしくお願いします!」と、

声かけによる運動を行いました。

さらにA候補の両脇にはA候補が雇用した

アルバイトのBさん(18歳・専門学校生)ら数人が立ち、

A候補と同様に声掛け運動を行いました。



さて選挙後A候補はこの行為が事件となり公選法違反で逮捕され、

罰金刑と5年の公民権停止を食らいますが、

皆さんはこの行為の何が違反であったか説明できるでしょうか。



この行為には2つの違反が隠れております。

第一に未成年(選挙権の無い者)を「選挙運動」に参加させたこと。

次に車上以外で行う「選挙運動」に対して報酬を払った(払う約束をした)こと。

この二点が違反行為です。

もし、このアルバイトのBさんらにやらせる仕事が「選挙運動」ではなく、

公営掲示板へのポスター貼りや、選挙ハガキのあて名書きなどの「労務」であれば、

未成年(選挙権の無い者)であっても賃金を払うことを許されていますので、

全く罪に問われることはありません。(金額の上限はありますが)

選挙後にこの人員を雇い、賃金を払った旨を、

領収書を添付して選挙収支報告書に記載報告すれば、事後処理も完璧です。



実はA候補は定年間近まで勤めた行政職のOBです。

でも知らなかったんです。公職選挙法のイロハのイを。

そして処分されるのが自分だけならまだ救われましたが、(本人談)

未成年を含む数人の若者が警察で、長い時間拘束され、調書を取られ、

取り調べを受ける事件の張本人となってしまったわけです。



皆さんの周りにだってA候補の違反をきちんと説明できる人は、そうは居ないはずです。

現職の議員だって、説明できない人の方が多いと思います。

選挙管理委員会とは名ばかりで、総務課と併設のような小さな役場では、

役場職員であってもA候補の違反を即座には説明できません。

高校の社会科の先生でも無理かもしれません。



投票率がどうのこうのと言う前に、

公職選挙法が一般にほとんど理解されていないことが問題です。

社会問題だといってもいいかもしれません。

市民の中には選挙事務所から払われるお金は全て違反だと思い込んでいる人もいるし、

逆に選挙事務所のバイトはおいしいバイトだと思っている人もいます。

そして選挙事務所=違反行為の巣窟という一般の人が持つイメージも、

公選法を理解していない人がここを仕切っているのであれば、

これは一般の人のイメージ通りということになってしまいます。



次に「盛り場以上に誘惑の多い場所」であることの説明ですが、

選挙は武器を持たない戦争と称される通り、戦いの場所であります。

相手候補の誹謗中傷をやったりやられたり、

選挙事務所としてはそんな下衆な選挙をやりたくなくても、

外野が勝手に怪文書を撒いたり、ネガティブキャンペーンを企画したりします。

日常では味わえない「勝負と緊張」がそこにあり、

この興奮こそが選挙が人を惹きつける麻薬であり、

一度この酔狂を味わった人間にとって、選挙は娯楽と化すわけです。



この独特な興奮状態は、

陣営内において特異な連帯感を生みます。

戦う男からは妙なフェロモンが出るのか、

とにかく男女仲がまとまりやすいのが選挙事務所です。

結婚難の時代、これがいい出会いばかりであれば言うことありませんが、

インスタントの肉体関係や、不倫カップルの成立などを

私はたくさん見てきています。

そうとは知らず「花嫁修業に…」などと親から送り込まれる、

本当は夜遊びと男遊びの大好きな行かず後家なんかが、

事務員や手伝いとして存在しているものだから、

いよいよ選挙事務所は娯楽の場として盛り上がります。



そんなところに高校生ってどうなんでしょうか…。

選挙を仕切る陣営からすれば、

高校生の票というのは未知であり無垢であるとの観点から、

新たな票田を開く取っ掛かりとして欲しくなると思うのです。



顔の効きそうな学生に小遣いを渡して名簿を集めたり、

大きな居酒屋を貸し切って100人単位の学生を集めておいて、

飲食代は陣営もちにして投票依頼をしたり、

これまでも大学生を対象に「小金で票を買う」事件はあちこちで起きています。

私の地元、かの筑波大学でさえ数十年前ですが、

200人近い学生が選挙事務所から金を受け取った事件を起こしています。

対象が高校生でも、選挙陣営は同じような接近を試みると思います。

生徒の中にちょっと大人の世界に顔が利くというような小生意気なのがいれば、

校内に活動範囲を拡げる仲介役・手配役として

選挙事務所としては重用するでしょう。



そして運動員として唯一報酬を受け取ることができるウグイス嬢。

若くてかわいい娘がいれば現場の男たちは俄然張り切ります。

そこに女子高校生のバイトが加わる…。

高校生の初心者に陣営が高給を出すことはないと思いますが、

公選法上車上運動員は日当15,000円を上限に報酬が受け取れます。

プロであれば30,000円。あるいは50,000円という人もいるくらいです。

(完全な違法ですが)

そんなに稼ぐプロに感化されて、

人生の進行方向を変えてしまった女性も私は何人か見ています。

やっぱり若い人ほど感化されやすいのが実情です。

その後本当にプロを極められれば何も言いませんが、

選挙事務所の中でお姫様扱いされることの快感が動機にある場合は、

この経験が人生暗転へのターニングポイントになります。



さらに、選挙事務所で最も高給取りかつ、選挙事務所のマスコットであり、

慰安婦であるウグイス嬢の性質を熟知したうえ、

自在にコントロールできる「ウグイス界の教祖」のような人物がこの世界には存在し、

華のある選挙事務所にはどこからともなく現れ、仕切り始めます。

不貞を極めた人間に「手加減」などという紳士論は通用しません。

スキあらば確実に貞操を奪われます。



「盛り場以上に誘惑の多い場所」とはこういうことです。

裏社会への落とし穴がぽっかりと空いている場所、

それが選挙の現場です。



選挙権があるということは運動も自由。

高校生以外の18歳の方々に説教することは何もありませんが、

「選挙事務所」という魔物が、校内という票田に食い込むために

高校生を毒牙にかけようとあれこれ画策してくることは予測のできることです。



自治体から本物の投票箱を借りてくるくらいの機動力があるなら、

教職員と地域が公選法をよく理解して、

校則でしっかりと生徒の政治活動・選挙運動を規制するべきです。



私が卒業した高校はアルバイト禁止、バイク等の運転免許を取ることも禁止。

理由は「学業を修めるのに必要ないから」だったと記憶していますが、

生徒の政治活動・選挙運動を規制するのも

「学業を修めるのに必要ないから」で、充分だと思います。

さらに生徒を守るのであれば、

選挙が執行される数か月前には自治体選管を経由して、

「わが校の生徒を選挙の現場へ導かないでくれ」と

各陣営に告知して回るような工夫も必要かと思います。



今回は選挙の陰の部分を披露することになりましたが、

18歳が選挙権を得ることを機会に、

まっとうな政治討論や政治家の評価の仕方を勉強し、

活動を拡げている方々も多く見られるようになりました。

私としても18歳選挙権という新たに施行される制度が、

この国の政治を良い方向に導いてくれることを願ってやみません。



選挙への参加の仕方や、

公選法の解釈の仕方等でご質問等があればお寄せください。

できる限りの協力を差し上げたいと思っております。

今回は長い文章になってしまいましたが、

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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