若者はなぜ選挙に行かないのか | 地方の政治と選挙を考えるミニ講座

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)

今日72日は東京都議会議員一般選挙の投開票日です。

解説するまでもありませんが、非常に注目を集めている選挙であり、

期日前投票者数も例年以上であることから、

高い投票率になることが予想されています。

 

選挙という選挙がすべてこんな風に注目され、報道されれば、

選挙を執行する自治体等としては、事務を粛々とこなすだけでいいわけですが、

ここ数十年来、総務省も地方自治体も投票率の低下に悩んでおります。

とりわけ若年層の選挙棄権防止に関しては、

様々な対策とキャンペーンを施してきました。

 

賑々しい都議選が終われば、少しは注目を浴びるかもしれませんが、

わが茨城県では8月末に知事選挙が執行されます。

7選を目論む現職に対し、自民党が挙党態勢で推す新人が挑むという、

斬った撲ったの大一番が展開されようとしていますが、

やっぱり県としては、特に若者の投票率が気になるのでしょう、

ご覧のような対策に余念がないようです。

 

 

しかし、選挙権を18歳以上に与えるずっと前からも、

若者が選挙に行かないということは公然の社会問題でありました。

 

そこで自治体や政党は、

芸能人やアニメキャラを啓発広報に起用したり、

上の記事のようにネット上で投票を呼び掛ける情報を拡散したり、

模擬投票を企画、実演したりと、

いろいろやりましたけど、奏功した例を見たことはありません。

この手の対策は、もはや各庁担当部署の「言い逃れ」対策であり、

やってもやんなくても、結果に大差はないだろうと私は思っております。

 

なぜ趣向を凝らして対策しても、若者に意図が届かないのでしょうか。

そもそもなぜ、若者は投票に行かないのでしょうか。

 

今回は自治体職員でもない、政党関係者でもない、議員でもない、

選挙策士という立場から、この問題を考えてみたいと思います。

 

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さて、いきなり結論から申し上げることにしますが、

若い人ほど選挙を棄権するその理由は、

政治家や選挙そのものに対する「侮蔑」ではないか。

私はそう思っております。

 

ある候補者が、街頭でマイクを握り、朗々と将来のビジョンや政策を述べる。

その堂々とした姿は勇壮で格好良く、感心を惹きつける。

しかし演説会が終わるや否や、聴衆に駆け寄り、

今度は卑屈なほどに頭を下げて回る。

とにかく日本人の選挙は、平身低頭、三拝九拝が原則なのですが、

候補者がその原則に従い、一生懸命に運動すればするほど、

哀れに媚びる卑しい姿を映し出すわけで、

若い聴衆はそのギャップに違和感を覚え、嫌悪をいだく…。

あとは明らかにウソと解る会見や、失言、スキャンダル…。

最近まで受けてきた教育の反面を連日報道で見せられれば、

侮蔑の対象になっても然りです。

 

いや、その理屈では棄権する人を若い人に限定した理由にならないのでは?

と突っ込まれそうですが、

私自身が議員秘書だった20代のころ、

仕事といえども政治家の卑屈なほどのパフォーマンスに対して

確かに嫌悪がありました。

それは雇用主だけが対象ではなく、職場から見える多くの政治家に対してです。

しかし秘書を辞め会社員となり、その後自営業者として社会経験を積めば積むほど、

平身低頭や三拝九拝が、選挙政治だけの常識ではなく、

世の中全てがこれなんだと気づくわけです。

失言等についても、若いころよりは寛容に受け止められるようになる。

 

自分が会社員であれば、上司に対して、顧客に対して。

自分が経営者であれば、取引先に対して、銀行に対して。

とにかく私たちは、毎日誰かに頭を下げているわけです。

頭を下げなければ食っていけないということに、だんだん気が付くわけです。

謝ることも、責任をとるということも経験します。

それこそどんな職業の人も、

なりふり構わず汚れ役に徹しなければならない時と場合があるはずです。

誰でも、徐々に徐々に、齢を重ねるごとに、

こういうときの対処の仕方や

人との接し方が常識として身に沁みつくのではないでしょうか。

 

ですから、平身低頭に頭を下げる候補者の姿勢に、

私たちは齢を重ねるごとに同調できるようになるんです。

若いころ「俺はあんな風にはなりたくない」と思っていた姿なのに

年を取ってからは「ああ立派な姿だなぁ」と思えるようになるんです。

 

今日の話は主に私観なので、断定するわけではありませんが、

政治家や選挙そのものに対する「侮蔑」が若者の棄権の主な理由であるならば、

その理由に直接作用しない自治体や政党の棄権防止対策は、

どれだけ予算をつぎ込み周到に対策しても、効果を出すわけがありません。

 

若者の中には、早熟にして処世術に長けているか、

あるいは成長が遅れ気味のバカかで、

いわゆる「良識ある大人」が勧めるものを無条件で喜んで受け入れ、

理想的な好青年の評価を得て満足する者もいます。

しかし若年の大多数は、世の中の不条理に対して反発する存在であるはずです。

ですから、この年代がこぞって選挙に行くという状況があるならば、

国政が危機的に政情不安に陥っているとき以外にないのではないかと思います。

 

ということは、若者は端から選挙に行かない人種なのです。

しかも棄権の理由は単なる無関心ではなく社会に対する「反発心」ですから、

総務省や地方自治体が設える広告なんかに感化されるわけがありません。

「若者向け」に特定した広報物や企画・手段は、

むしろ若者の反感を買っているのではないでしょうか。

 

以前の記事にも書いたことですが、

自治体の選管から本物の投票箱を借りてきて、高校生に模擬投票を経験させるなんて、

学校の対外向けのパフォーマンス以外の何物でもありません。

まさしく主催者側のマスターベーションですね。

私が現代の高校生だったら、

「ガキ扱いするな」とネット上に怒りをぶちまけたと思います。

つまり、対策なんかしない方がいいというのが私の意見です。

 

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さてこのブログは選挙策士が書くブログなので、

今度は候補者や選挙陣営からの視点で、

そういう「若者」から「一票」をいただくにはどうすればよいのかを

考えてみます。

 

その前に、昨年、選挙権が18歳以上に与えられる法が施行されて、

選挙そのものにどんな変化があったのでしょうか?

私自身が関わった選挙の現場でとった対策は後述しますが、

他の陣営を観察して得られた「変化」をお伝えします。

それは、リーフレット等の政策欄に「奨学金」に関する記述が増えたことです。

みんな考えることが一緒なのか、あるいは誰かのパクリが超高速で伝わったのか、

とにかく18歳有権者の気を引くために、急遽頭をひねったんだと察しますが、

みんなこぞって「奨学金」。

昨年以降に目にした政治家の広報物の、実に半数以上にその記述がありました。

 

卑屈なほどに頭を下げ、哀れに媚びる姿への嫌悪が選挙嫌いを招き、

若者の投票率を下げていると考える私にとっては、

浅はかな対策だなぁと感じたところです。

 

で、それくらいしか18歳以上選挙権になってからの現場での変化はないんです。

それ以外に若者を惹きつけようと意図した政策もないんです。

今回の都議選では、選挙の焦点もさることながら、

スキャンダル等の話題が沸騰しているためか、

若年人口比率が日本一高いはずの東京の地方選挙なのに、

18歳以上選挙権に関する報道がほとんどありません。

若者にとって政治が退屈に見えるのは、

大きな問題はないということ、いいことなのかもしれませんがね…。

 

 

さあいよいよ「若者」から「一票」をいただく方法ですが、これは簡単です。

皆さんが、ごく普通の地方議員の候補者になろうとする人であれば、

私は「差別をしない、特別な扱いをしない」ことに尽きると思います。

 

普通ではないというのは、例えば山本太郎参院議員ですね。

誰よりも「アンチ」が多く、破格の嫌われ方だけど、

定数6の片隅に手が届くという、著名人ならではの特殊キャラです。

あるいは大学の学内の票だけで当選を目論む、

というような異端児も「普通」ではありません。

 

「差別をしない、特別な扱いをしない」ということは、

18歳の有権者も80歳の有権者も、高校生の有権者も社長である有権者も

同じように接することです。

それが有権者に対する正しい敬意の表し方です。

お年寄りだから、女性だからという差別も概ねマイナスに作用します。

以前の記事「神の域の有権者」でも書きましたが、

誠実かつ社会的地位が確か、

そして知的であり周囲からの信用に厚い人「神の域の有権者」は、

そういうあなたの「人物」を見ています。

そしてその評価を川の最上流(口コミの源)から流します。

さらに評価される政策とは、

候補者の専門性が垣間見え、かつ全体が見渡せているものであり、

決してピンスポット的に受けを狙ったものではありません。

 

ある日、人口が5万にも満たない市の、特急が通過するような小さな駅前で、

30代前半の市議候補が街頭演説をやっていました。

若い候補なのにスタッフ以外の聴衆は年寄りばかり。

候補者と同年配かと思しきサラリーマン風が、

「うるさいよ」と言わんばかりの顔をして通り過ぎる。

子どもを迎えに来たのか、軽自動車の運転席の若いお母さん風も、

スマホに夢中で演説などには一向に興味を示さない。

 

確かに演説は上手と言えるものではなく聞き苦しい。

 

でもお年寄りは熱心に彼の演説を聞いている。

そして演説後に彼の手を両手で握り、「がんばれ、負けるな」と励ましてくれる。

彼の眼には涙がいっぱいだ。

若い人には通じなくても、

自然とそうなってしまう本心からの平身低頭、三拝九拝は、

彼にとって一番大切な人たちには、十分に伝わっているなと思いました。

 

そしてこのおじいちゃん、おばあちゃんたちが家に帰ってお孫さんたちに、

なあ、○○君に一票入れてあげてくれないか。と頼んでいるはずです。

 

去る者は追わず。

宝であっても手の届かないところにある物に執着しないことです。

 

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