大村知事をリコール!? | 地方の政治と選挙を考えるミニ講座

地方の政治と選挙を考えるミニ講座

勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。 (村山聖/将棋棋士)

久しぶりの投稿になります。実に3年ぶりです。

この間、個人的にはいろいろな環境変化があったのですが、

目下、選挙を指導するという仕事を縮小しつつ、

自身が政治活動を主導する立場になるようライフワークの移行を進めています。

具体的には「選挙のやり方」「運動のしかた」を定めている(不当に制限している)

現行の公選法を変えるための「筋道ある案」を確立しようと、

勉強に勤しみ、協力者を求めているところです。

 

 

言うまでもなく世の中コロナ渦中ですが、

世界中の人々と同時に被災を経験するというのは、

55年間生きていて初めてのことです。

「外に出られない」「人に会えない」「逃げ場がない」

それが日本中や世界の広い範囲で、

数か月、どうかしたら数年も続くなんて未曽有の大災害です。

 

 

そのような時世ですから、

当然、国なり自治体を先頭で引っ張る政治家にはたくさんの要求が寄せられます。

中には理不尽なものもあるでしょうが、

最適な判断を示し、国民・市民を安心納得させるのが彼らの仕事です。

今夜も担当大臣や各県の知事のコメントをニュースで見ることになりますが、

私たちは毎日毎晩、

世界各国の国家元首と日本中の都道府県知事の仕事ぶりを見比べています。

国内では吉村大阪府知事や鈴木北海道知事等が支持を集め、

反対にテレビに出るたびに支持率を下げている人も何人かいますが、

皆さんはどう感じていらっしゃるでしょうか。

私はなるべく、表面だけで政治家の優劣を判断しないことにしていますが、

見せ方に上手いか下手かの差があることは明らかですね。

 

 

しかし、コロナとの戦いはまだ始まったばかりです。

これから教育の遅れをどう取り戻すのか、

経済と暮らしをどう立て直すのか、

つまり自粛解禁後に何をするかが政治家にとっての本番、

力量の見せ所だと思います。

 

 

先般、学期9月開始論が唱えられ政府も前広の考えを示しましたが、

早速、現場サイドや諸官庁から派生する公益団体あたりから、

性急に判断すべき問題ではないとの慎重論、反対論が出されました。

そりゃ役人感覚や学者肌にモノを言わせれば、

「まず、高名たる学者先生を座長に有識者会議を組織し…。」

「次に、何年も、何回も議論を重ね…。」

「さらに、国外の事例や歴史上の事例を再確認し…。

と、できない理由を並べるに決まっています。

 

 

はたして9月新学期案が国民からも支持されて、

これが実現の向きになるかどうかわかりませんが、

私がテレビやネットで映像を見た範囲では、

吉村知事と小池知事は「できる」という前提で見解を述べています。

実際この人たちだったらできちゃうかもしれないと思わせる気迫があります。

経済復興に3年かかると役人が言えば、

それを1年でやってしまう計画を立て主導するのが政治家の立場ではないでしょうか。

9月新学期案に反対なら反対とはっきり言えばいいのですが、

「時間が足りない」とかっていう発想、発言をするならば、

その人は政治家よりも役人向きです。

スタンダードを超越した思考を持ち合わせていない人物は、

政治向きではないと思います。

 

 

さて、そんな渦中に、

スタンダードを超越した政治活動を始めようとする人が現れました。

高須クリニック院長・高須克弥先生が一昨日(5/23)早朝にツイートしたものです。

 

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1263954532251267072?s=20 

 

「天皇陛下の御真影に火をつけて踏みにじる作品や、

僕たちを守って散った英霊の皆さんを侮辱する作品展を

愛知県の血税を使って行う大村知事は愛知県の恥です。(中略)

大村知事をリコールします。ご協力お願いいたします。」

と、綴られ、後続のツイートでは、

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」の決意を述べられています。

 

 

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」

つまり高須先生は、「リコールで知事を引きずり下ろす」ことについて

難易度の高さと、背負うリスクを承知されて挑もうとしている…。

 

 

事の発端になったあいちトリエンナーレについて簡単におさらいしますが、

これは実質愛知県が主催する国際芸術祭で、平成22年から3年毎に開催されています。

そして昨年、4回目が8月1日に愛知芸術文化センターをメイン会場に開幕しました。

そのなかの企画展「表現の不自由展・その後」の展示物には、

平和の少女像(日本政府の呼称は「慰安婦像」)や、

昭和天皇の肖像写真を燃やし、その灰を靴で踏みつける表現が含まれる

大浦信行氏の「遠近を抱えて Part II」があり、

開催初日(8/1)から抗議が殺到し、二日後(8/3)に展示中止になりました。

その後、弾圧に屈してはならないと主張する出展者や文化団体等の後押しで、

10月のトリエンナーレ閉幕1週間前に展示が再開されますが、

(展示は)「芸術の名を借りた政治プロパガンダ」であり、

「地方公共団体が主催するものとして不適である」と、

展示再開を不可とする河村たかし名古屋市長(実行委員会会長代行)と、

展示再開を独断で進めた大村秀章知事(実行委員会会長)の主張が真っ二つに割れ、

中京都構想などを共に進めてきた両者の関係を、完全に断つ結果になりました。

閉会後名古屋市は、「大村知事が独断で企画展の中止や再開を行った」として、

5月20日、市の負担金を愛知県に支払わないことを正式に決定しました。

これを受けて大村知事が会長を務める芸術祭実行委員会は翌21日、

名古屋市に対して3,380万円の支払いを求めて名古屋地裁に提訴し、今日に至ります。

 

 

そのわずか2日後。

これまでの大村県政に業を煮やしていた高須先生が、

「リコール」という主権者に与えられた権利を行使すべく、

先の呼びかけを発信しました。

 

 

このあと、リコール(解職請求)とはどんなものなのか、

選挙に長らく携わってきたものとして解説しますが、

その前に私の信条は、

高須先生と河村市長に協調・同調するものであることをはっきりさせておきます。

さらに、このリコールはぜひ実現させる必要があると考えます。

裁判で県が勝っても、市が勝っても、問題の本質は解決しません。

広く県民・国民に問うて政治的に解決すべき問題であり、

日本人の国家観を議論するまたとないチャンスだと思うのです。

リコールを開始すれば、右の運動も左の運動も愛知県の隅々まで広がり、

日本国中からの衆目を集め議論が起こると思います。

そして結果は「数」となって表れます。

 

 

冒頭に私は自身について、選挙を指導するという仕事を縮小しつつ、

自身が政治活動を始めたと申し上げましたが、

そのきっかけは、

政治活動や選挙運動に本気で関わる人が、どんどん減っていることに対する危機感です。

 

 

私はこれまでに17年間で100人以上の選挙を手伝ってきましたが、

立候補しようとする者にとって最初に訪れる関門は、

後援会長をはじめとする自身の後援会を形にすることです。

選挙で支持を連鎖的に広げることとは、他人の信用を借りることなのですが、

気前よく信用を貸してくれる人、

損得勘定がなく、捨て身で人に協力できる人種がめっきり少なくなりました。

 

 

その結果、特に都市部の選挙は広報物だけの競いになってしまった。

政策を練るよりも、きれいな写真を撮り、印刷物をデザインすることに注力した方が、

結果に結びついてしまうのが現状です。

今の選挙の現場に議論や比較はありません。「衆愚政治」への道を進んでいます。

なので私が始めた政治活動とは、

衆愚政治へと向かないよう選挙のルールを改め、

公選法のリストラを実現させようとするものです。

 

脱線してしまいましたが、

知事の解職請求(リコール)がどのような手順で進められるのか解説します。

 

 

まず、第一段階の「署名集め」と、第二段階の「住民投票」に分かれます。

解職請求をするためには、有権者の1/3、その数が80万を超える場合は、

「80万を超える数の1/8」+「40万の1/6」+「40万の1/3」以上の署名が必要で、

昨年7月執行の参院通常選挙時の愛知県の有権者数6,119,150人を基に算出すると、

必要な署名数は、864,893筆、全有権者数の概ね1/7となります。

 

 

署名は、署名年月日、住所、生年月日のうちの1つでも記載漏れがあれば無効。

その他、選挙人名簿に登録されていない者の署名、

自署でない署名、押印のない署名も無効です。

さらに署名収集は「受任者」(請求代表者から委任された者)しかできません。

署名収集の権限のない者が収集した署名も無効となります。

後援会入会名簿のように郵送やFAXで送ってもらうとか、

有権者に直接事務所に届けてもらうというわけにはいきません。

基本的に「受任者」が戸別訪問で「自署」であることを確認しつつ、

1軒ずつ、1人ずつ、足で集めて回る以外方法がありません。

また受任者は、自身が居住する市区の住民からしか署名を収集できない規制があります。

期間は都道府県と政令市の場合、解職請求を告示してから2か月以内です。

 

 

さあ86.5万筆の署名ということは、目標数ざっと100万筆です。

署名収集受任者を1,000人集めて任命できたとして、

一人が1,000筆を2か月以内に集めなければなりません。

 

 

このように、首長の解職請求は第一段階のハードルが非常に高く設定されています。

故にこれまでの事例では、住民投票まで到達できなかった例の方が圧倒的に多い。

私は解職請求の現場で采配を振るった経験はありませんが、

署名を集めるための印刷物の作成を請けた経験が1回と、

逆にリコール阻止を目論む町長擁護派の運動ビラを1回頼まれたことがあります。

2件とも署名が足りず住民投票は執行されていないので、戦績は1勝1敗です。

 

 

その経験から言うと、

特に農村の小さな自治体では、受任者のなり手がいません。

村社会のリコールとは選挙戦以上に激しい争いであり、ズバリ戦争です。

政治にそれほどの関わりも興味もない住民が、

そんな面倒な、報酬なき軍隊に加わるわけがありません。

 

 

でも、戸別訪問で署名を集めること以外に方法がないリコールの運動方法には、

選挙運動以上に有権者との「対話の場」が用意されています。

選挙運動では禁止されている戸別訪問をおおっぴらにできるわけですから、

「議論」ができる絶好の機会を創出することになります。

しかも論点は、平時にはタブー視される「日本人の国家観」です。

そう考えるとこの解職請求には非常に意義深いものがあると、私は思います。

 

 

署名収集という第一段階をクリアしたリコールは、

第二段階の住民投票でほぼ勝っています。

 

 

解職請求のハードルは確かに高いですがやるべきことはいたってシンプル。

署名収集受任者を全市区町村・行政区にまんべんなく配置することです。

「人は集められる」、その見込みが立つならば、

成功の可能性はあると考えます。

 

 

愛知県では河村市長が平成23年に名古屋市議会の解散請求に成功しています。

政令市でのリコール成立は初めてのことですが、

この成功体験の記憶は未だ薄れていないと思います。

この時の成功要因は、全国からの注目を集めて毎日毎時マスコミが報道したこと。

それによって本来自前で広報しなければならない手間が省けたことが大きい。

小さな自治体でも平成22年に鹿児島県阿久根市長がリコールにより失職しましたが、

これもマスコミが大々的に報道したことが特異でした。

「大きな自治体の選挙」は報道機会が必然的に多くなります。

さらに論点は決してローカルではなく、全国民にとって非常に関心を惹くものですから、

多くの愛知県民が関心を持ち、意思表示をするのではないでしょうか。

 

 

「返り血を浴びるのは覚悟の上です。」

確かにリスクの高い活動ではありますが、

高須先生ならたくさんの仲間に支えられて、

結果を出すのではないかと期待するところです。