今日は、あるネット新聞の記事から…。
香川県が作った「うどんかるた」にクレームが寄せられたため、
県は15日から予定していた販売を延期した。
問題になったのは「つ」の読み札「強いコシ 色白太目 まるで妻」。
14日、県に「良いイメージで受け取らない人もいるのでは」と
電話で指摘があったという。 (朝日新聞デジタル)
クレームをつけるほうもどうかと思いますが、
この程度のクレームに屈する香川県もいかがなものかと…。
何と程度の低い争いをしているのだろうと、
私には、情けなくて泣けてくる記事です。
昨今、このような風潮が勢力を強めているように思えますが、
最近施行されている住民投票にもそんな兆しがあると、
私は感じています。
弊社で請ける仕事はほとんどが選挙に関連したものなのですが、
中には住民投票の実施を呼び掛けるビラや、
あるいはその反対意見の活動家が使う内容のもの、
リコールに関する運動用ビラなど、
ちょっと特殊なものを企画・制作することもあったりします。
然るに全国の実例や結果を注視していますが、
特に住民投票については、
ここ数年の傾向が変わりつつあります。
もともと住民投票とは、
例えば市議会において、そこに市長を加えても、ある議題で意見が拮抗し、
どうにも結論が出せない、判断ができないという手詰まりの状態から、
最終手段的に「市民に賛否を問うてみよう」と発議されるものだと、
私は思っていました。
実際2~30年前の住民投票といえば、
自治体合併の是非を問うものや、
原子力発電所の建設の是非、産廃処理施設の建設の是非、基地問題等、
住民の暮らしに大きな変化をもたらすであろう事項について、
自治体は住民投票によって、その可否を選択してきています。
ところが最近、今年に限って例を挙げると、
2月に埼玉県所沢市で市立小中学校へのエアコン設置。
5月に大阪市で特別区設置住民投票。
8月に茨城県つくば市で総合運動公園の基本計画の賛否。
10月に愛知県小牧市で「ツタヤ」と連携した市立図書館建設を問う住民投票と、
大阪を除いては、
「そんなことも議会で決められないのか」という内容です。
投票率という、住民投票の成果を量る数値を見ても、
2~30年前の住民投票では概ね6割越え、
事例によっては80%を超えている例もあり、
住民投票を実施したことに大いなる意義を感じる結果になっていますが、
例に挙げた所沢市は31.54%、つくば市は47.30%、小牧市は50.38%と、
大半の市民にとっては、なにも住民投票など実施しなくても、
市に一任できる事柄であったわけです。
視点を変えれば、
一部の市民(ノイジーマイノリティー)の要求に
行政・議会が屈しているともとれる結果です。
私の住んでいる茨城県では龍ケ崎市でも今年10月、
これは議会が住民投票の実施を否決しましたが、
市内を通るJR常磐線の駅名変更の賛否を問う住民投票の請求がありました。
「駅の名称を変える」…。
ごく一部の市民にとっては問題かもしれませんが、
大半の市民にとっては、
佐貫駅だろうが龍ケ崎市駅だろうが、どうでもいいことです。
生活に変化があるわけではありません。
さらに茨城県ではつい先日、那珂市議会が常設型住民投票条例案を否決しました。
とは言っても賛成10、反対11の僅差です。
市長は市議会改選後に改めて条例案を提出すると意向を示しているようですから、
近い将来、那珂市においてこの条例が可決される可能性は十分にあります。
常設型住民投票とは、市民の請求(署名)が一定数集まれば、
議会の承認を経ることなく直ちに住民投票が実施される制度なのですが、
これまでの例を見聞し、今後のことを予想してみると、
しまいには議会不要論なんかが出るのではないかと危惧されます。
平成22年には私の住むかすみがうら市でも、
ことごとく議会と対立する前市長が、常設型住民投票条例案を提出し否決されましたが、
もし可決されていれば市長と議会の二元代表制の均衡は崩れ、
市長は住民の支持を盾に、思うがままに市政をコントロールできたでしょう。
それがいいか悪いかは、市民が判断することですがね。
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しかしなぜ市民はこんなに発言するようになったのでしょうか。
私の思うところ、選挙の運動形態の変化によるところが大きいと思います。
手法についてはネットの発達が最大の変化ですが、
ネットの発達に伴って
スローガンや公約内容が最近著しく変わったと思います。
2~30年前は、「俺に任せろ」的なものが主だったと思います。
要は「私が(は)~をやります!」「私が(は)~ができます!」と、
スローガンはすなわち候補者が主役の宣言だったわけです。
ところが10年くらい前から「クリーンな行政」「ガラス張りの議会」のように、
自分だけではなく議会や行政をスローガンに登場させるようになり、
さらに昨今は「皆さんの声を議会へ届ける」というように、
有権者がスローガンの主役になってきたわけです。
然るに一票の性質は、「あなたに任せます」という信任から、
「あなたが一番使いやすい」という、委託という性質に変わってきています。
「皆さんの声を議会へ届ける」「ひとり一人の声を聞く」と約束しているのだから、
あれもこれも聞いてくれ、何とかしてくれと、
市民の個人的な要求が政治に向けられるのは当然のことです。
事実、住民投票を企てるような行動力のある市民は、
「私たちに黙って協力してくれる人」を選びます。
あともう一つ、
議員や候補者のブログやFBを見ていて思うことですが、
「信号機をつけた」とか、「被災地でボランティアしてきた」みたいな自慢話は
いい加減にしたほうがいいと思います。
その自慢話のレベルが、その人の器の大きさを示しているわけですが、
その人だけではなく、議員の仕事なんてこの程度のものなんだと思われれば、
政治家そのものの存在価値とステータスが下がることになります。
政治家をバカにしきっている有権者がいたとしても、
この人は好き好んで政治家を罵倒しているわけではありません。
強くて賢い、尊敬できる政治家の登場を熱望しているのは、
実はこの手の人たちです。
ポスターや看板を作るときのスローガンは、多少大げさでもいいと思います。
大きな野望に向かっていく、その気概、情熱を現してください。
スケールの大きさと向かっていく方向を示してください。
そして小中学校にエアコンを設置するかどうかで住民投票をやっているような
退屈な世の中に喝を入れてください。
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