読売新聞10月11日付国際面「欧州新事情(中)フランス」の記事。その大見出しに、「新生児の56%婚外子」サブに「事実婚『緩やかな家族』」とある。
その中身は、「子育て大国フランス」とあり、「出生から19歳まで続く手厚い家族手当により合計特殊出生率は昨年まで4年連続2.0を越えた。西欧大国では唯一だ」そうだ。
また「『とにかく増やす』が国策。ユーロ危機でも家族手当の減額は論外」だとパリ第4大の名誉教授に語らせている。
そして、「人口増を支えているのはカネだけではない。多様な家族を認める社会がもう一つの秘密」だとし、その具体例として、とある事実婚の家族を好意的に紹介している。
ここに至るまでフランスは「90年代半ばには合計特殊出生率は、1.66まで落ちた」が、99年に政府が「『民事連帯契約』を成立させ、同棲カップルも事実婚として登録すれば正式な結婚と同じ社会保障を受けられるようにした。結婚をためらっていたカップルがこれに飛びつき、事実婚は08年には13万件を突破。結婚、事実婚の合計は00年の32万組から一昨年には44万組に増えた。『家族』が急増したことで、出生率も上がった。いまや結婚と事実婚の比率は5対4。新生児の中で婚外子は56%に達した」のだそう。因みに日本の現在の合計特殊出生率は、1.4ほど。
さてわが国は、村山政権以来、急速に左旋回し、男女共同参画、ジェンダーフリー思想を撒き散らかし、果ては夫婦別姓の民法改悪論が保守派からも飛び出す始末だった。そしてその集大成としての民主党政権の登場だったろう。
このことから上記の話題は日本人には、耳心地よく聞こえようか。しかし東日本大震災を経験することで、あらためて家族の有り難みを痛感したり、これまで気にも留めずにきたが、ここにあえて入籍する向きが少なくなかったようだ。それは人間の自然の心の発露なのであり、本心に目覚めたのだと思う。
このような良き傾向を持続させなければならないのであって、日本社会に事実婚の承認などもってのほかだ。悪貨は良貨を駆逐しかねない。なぜ記事のように正式な法律婚をためらうか。ぶっちゃけ社会的責任を免れたいからだ。子供は可愛いが、旧来の結婚に縛られたくない。自分の自由まで犠牲にしたくないということだろう。価値相対主義による事実婚の承認はいずれ同性婚も選択肢のひとつになる。
さらに記事は続けて「複雑な家庭環境が子供に与える影響を懸念する声はあるが、『子供の支援体制を整えればよい』が政府の方針だ」という。「オランド大統領自身が『緩やかな家族』で、事実婚の元パートナーとの間に子供が4人。現在同居するパートナーは離婚した夫との間に男の子が3人いる」のだそう。
子供にとって親は、他に誰一人信用できないとしても、無条件に絶対的な信頼をよせることのできる唯一無二の存在だ。それは全ての人間関係の基礎となるものだ。その子供に対して親が離婚だ再婚だ、連れ子だと一方的に押し付けてきたとしても拒否する術はない。逆に健気に振舞ってみせるかもしれない。しかしその心はズタズタだろう。親が大人の勝手な論理を無垢な子に押し付けてはならないはずだ。結婚し子をもつ者の責務だろう。
昨今のニュースでいやというほど聞かされるのが、連れ子に対する内縁の夫あるいは妻による虐待はては殺害である。好いた惚れたの瞬間的な恋愛感情だけで一緒になることが、いかに不確かなことかということだ。
結婚は二人の愛の到達点であるとともに、第二の人生のスタートである。最高の喜びとともに、この瞬間から社会的義務と責任を背負ったのである。だからこそ各自の信仰に基づき、あるいは信仰がなくてもこの時ばかりは「神前式だ」「キリスト教式だ」として、ともかくも厳かで霊験あらたかな挙式を執り行い、親戚縁者を集めてお披露目し、これから両家の親族として正式に仲間入りすることを認めてもらうのだ。
もともとは、夫婦といえども赤の他人なのであり、恋愛感情だけで結婚生活が長続きするはずもない。喧嘩もするし、相手が嫌になる場面もしばしばだ。そんな時に結婚式の原点に返るのだ。そういう意味では近年流行りの“ジミ婚”も、現下の経済情勢の反映もあろうが、憂慮されるべきだ。
夫婦は伴侶としてお互い人間を磨き上げ、人生のステージに見合った成長を遂げていく。その間、産み育てた子はかすがいともなる。そして不完全だった者どうしが円熟し、やがて理想像を掴みとるのだ。
これは一朝一夕にできる話しでない。だから容姿以上に価値感が中心となるべきだ。さもなくば時とともに刺激が薄れ、不平不満のみ募り、かたちだけの関係だったり、果ては憎悪の対象となり、離婚のハードルは著しく低められ、あとは損得勘定だけが支配することになる。犠牲になるのはいつも子供だ。
世界日報2010年7月27日付、増記代司氏のメディアウオッチの論考から引く。
「『家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する』 これは1948年に国連で採択された世界人権宣言の一節である(16条3項)。
わが国の場合、民法に家族条項(第4編・親族)を設けて、家族を保護してきた。その基礎となっているのは、届け出による法律婚主義である。この意義は小さくない。
民法は法律婚をもとに夫婦の氏(姓)は『夫又は妻の氏を称する』(750条)とし、子の氏は『嫡出である子は、父母の氏を称する』(790条)として『家族は一つ』とする(非嫡出子は母の氏を称する)。法律婚があるから、重婚は禁止され(732条)、それに背けば刑法で罰せられる。
また『夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない』(752条)とし、守操義務を課し配偶者に不貞な行為があれば離婚の訴えが提起できるとする(770条)。このように民法は法律婚をもとに親族の扶(たす)け合いを責務とし、婚姻や夫婦財産、親権などの権利と義務を明示して家庭の安寧を図る。それで正妻の子とそうでない子の相続については『非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分の2分の1とする』(900条)との格差を設けている」
—以上引用終わり
現民法を改悪してはならない。さらに中川八洋氏から引く
「レーニンは、1917年の革命直後から離婚を奨励し、刑法から重婚/近親相姦等の加罰規定条項を全面削除した。レーニンの命令としての家族制度破壊の総仕上げが1926年の<婚姻、家族及び後見に関する法典>だった。
しかしこの家族制度の廃止は、凄まじい数の重婚とレイプの大洪水となった。当たり前ではないか。事実婚になればモテる男はとっかえひっかえ若い『妻』を20~30名持つことができる。若さと性的魅力を失った女性はことごとく棄てられる。
また、レイプを、短期間の事実婚と法的に区別することは困難である」「このレーニンの史上最悪・史上最愚の実験によって逆に判明したのは、法律婚や慣習の儀式を経た婚姻こそが、“女性を守る”ことを第一の目的として、自生的に発展してきた人類最高の智恵に基づく制度であるということであった」〔中川八洋著「国が亡びる」(徳間書店)〕
この読売の記事には否定的な言及が一切ないが、中川氏のこの指摘がそのままは当て嵌まらないまでも、まず常識的に考えて結構ずくめなはずなかろうが。「日本の出生率回復のためには家族制度の強化が不可欠」(同上)である。
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