普通人の映画体験―虚心な出会い -22ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2018年11月13日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、19:00~鑑賞。

「名前」

作品データ :
製作年 2018年
製作国 日本
配給 アルゴ・ピクチャーズ
上映時間 114分


「名前」チラシ

直木賞作家の道尾秀介が映画のために書き下ろしたオリジナル原案を基に『ねこにみかん』の戸田彬弘監督が映画化した人間ドラマ。過去を隠し名前を偽って生きる孤独な中年男と、彼を“お父さん”と呼ぶ謎めいた女子高生が親子のような時間を過ごす中で、互いに自分自身を見つめ直していく姿を描く。主演を務めるのは、『アウトレイジ 最終章』の津田寛治と『心に吹く風』の駒井蓮。筒井真理子、勧修寺保都、松本穂香、川瀬陽太らが脇を固めている。脚本を『つむぐもの』の守口悠介、撮影を『淵に立つ』の根岸憲一、音楽を『トイレのピエタ』の茂野雅道が務める。2018年3月18日、「第13回大阪アジアン映画祭」にて特別招待作品部門のクロージング作品としてワールドプレミア上映。

ストーリー :
妻と別れ、経営していた会社が倒産し、茨城の片田舎に身を寄せた男・正男(津田寛治)。ある時は外国へ飛びまわるエリートサラリーマン、ある時は入院した妻をもつ工場員と、様々な偽名を使って何とか体面を保ちながら自堕落な生活を送っていた。そんな嘘がバレそうになった刹那、正男を「お父さん」と呼ぶ見知らぬ女子高生(駒井蓮)が現われる。彼女の助けで難を逃れながらも戸惑う正男は、「お前は誰なんだ?」と彼女に詰め寄るが、体よくはぐらかされるばかりだった。別れ際、また会いに来るという彼女は自分の名前を葉山笑子だと明かし、正男も本当の名前を告げる。「中村正男だ。」

笑子が訪ねてくるたびに、何かを言いたそうにしながらも隠している態度に、正男はもどかしさを感じていた。ある日の昼、彼女の携帯電話に登録された自分の連絡先が「お父さん」と表示されていることを知る。だが、彼女のペースに振り回されながらも、少しずつ親子のような生活に安らぎを見出していくにつれ、彼女に子細を聞きただすことができずに日々を過ごしていた。

笑子は母親と二人暮らし。母親は水商売で働いているため、夕食はいつも1人寂しく摂る。高校では友達の理帆(松本穂香)やその彼氏・翔矢(勧修寺保都)たちと過ごしながらも、いつもどこか遠くを見つめていた。ある日、彼女は家の押し入れで、母宛ての手紙を見つける。その手紙は自分の父親と思われる人物が母娘を置いて出ていったことを謝っている文面で、差出人の住所が正男の住む家の所在地となっていた―。

ある日、笑子は幽霊部員として入部していた演劇部の公演に参加することになる。演目は清水邦夫の戯曲「楽屋~流れ去るものやがてなつかしき~」。稽古の最中、理帆が笑子に惹かれていく翔矢のことで、いきり立って現われる。笑子は「最低だね、あんた」と毒づかれる。その日、演劇部で通し稽古をする笑子は、演出を行なう部長と口論をする。「素の自分をもっと芝居で出さないと、嘘っぽい」と言われた彼女は、カッとなり部室を飛び出してしまう。
その夜、雨の中、ずぶ濡れになって正男の家にやってきた笑子は、堰を切ったように話し出す。母から父は死んだと聞かされていたこと。ここに来たら、正男がいてお父さんが生きているのがわかったこと。毎日、この家に来るのが楽しみで、一緒にお父さんと過ごせる時間が幸せなこと…。「だから演劇を観に来てほしくて。」(ねえお父さん、お父さん…)何度も心の中でお父さんと呼ぶ笑子。そして、無言で目を逸らす正男。

正男は笑子の飾らない言葉の数々にまっすぐ向き合うとともに、自分が消してきた過去に思いを馳せる。実は、正男には死産した娘がいたのだ。別れた妻・香苗(筒井真理子)ともう一度やり直そうとしたのだが…。静かに自分を見つめ直して少しずつ本当の自分を取り戻していく正男。
そして、心を閉ざして高校生活を送ってきた笑子も、演劇部で主演のひとりに抜擢され、少しずつ変わっていく。実は、笑子の生き別れた父親は正男その人ではなく、正男の住む家の、前の住人で、すでに亡くなっていた…。
やがて正男と笑子は、“父娘”の関係を越えてお互いの存在を認め合うことで、どちらも自らの存在意義を見出しながら、今までよりも少し強くなって、元気になって一歩前に進めるようになっていく―。

▼予告編



■私感 :
予想外に“おもしろい”映画だった。
私は常々思っている。現代(現在)日本映画には、見応えのある作品が少なすぎる、と。役立たずのガラクタをごたごたと詰め込んだ、テーマ性のない作品があまりに多いのだ。ところが意外や意外、たまたま時間潰しに観た本作は、そこらの安物とは違っていた。
「良作」たるゆえんのものは、何だろうか。
私を何より惹きつけたのは、ストーリー展開の妙にある。主人公はいくつもの偽名を名乗る一人暮らしの中年男(正男)と、その男の前に突如現われた素性が知れない謎の女子高生(笑子)。この二人の“愛”の交錯⇒交流が<笑子は座敷童子(ざしきわらし)!?>→<正男と笑子は実の親子!?>→<正男と笑子は赤の他人どうし!?>と発展的に進む物語~突きつめて言えば、「父親」がいない笑子と「娘」がいない正男のそれぞれの“自分探し”の物語~が、明るく堅すぎず優しく爽やかに展開される。
私は上映時間2時間ばかり終始、目をそらさずに画面を直視し続けた。何しろ冒頭シーンからして、私の知的好奇心はくすぐられっぱなし。男はまるで住所を変更するがごとく、何故に「鈴木」「吉川」「石井」「久保」と次々に名前を変えるのか?そして、当の男の職場にいきなり現れ出て、「父がお世話になってます」とにこやかに告げる不思議な女子高生は、一体何者か?謎に次ぐ謎で、先行きが非常に気になる展開のため、その謎解きに心が動き、真相の糸を手繰ろうといろいろ深読みせざるをえず、私はラストシーンまで飽くことなく探るように画面に見入ったのだった。

本作は端的に言って、脚本の出来がよく、用意周到に練られたストーリー構成になっている。そして実質的に、ダブル主演二人の存在感のある演技の実在性が本作を真に味わい深い佳作たらしめている。
本作オフィシャルサイトhttps://namae-movie.com/#introductionによれば、
「嘘を重ねて生きる主人公・正男を演じるのは、北野武監督『ソナチネ』で映画デビューを飾り、メジャー・インディペンデント問わず数多の作品に出演し、今や日本映画界に欠かせない存在となった名バイプレイヤーの津田寛治。ある秘密を心に秘めた女子高生・笑子には『心に吹く風』で映画デビュー後、CM やドラマで鮮烈な印象を残している若手注目度No.1女優、駒井蓮。」(引用者註:駒井蓮の映画デビュー作は、『心に吹く風』〈2017年〉ではなく、『セーラー服と機関銃-卒業-』〈2016年〉。)

私はもともと正男に扮した津田寛治(つだ・かんじ、1965~)については不案内である。
彼はこれまで150本以上もの映画にバイプレーヤーとして幅広く出演を重ねている―。そんな彼の出演作を、私はこれまでに、いろいろ観てきたようだ。ざっと調べてみると、古くは『ソナチネ』(1995年)、『HANA-BI』(1998年)、『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年)、『鮫肌男と桃尻女』(1999年)など、21世紀に入って『座頭市』(2003年)、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)、『日本沈没』(2006年)、『余命1ヶ月の花嫁』(2009年)、『東京難民』(2014年)、『シン・ゴジラ』(2016年)など、恐らく優に20作を超える作品を鑑賞ずみか。しかし、これらの作品に彼が出演していることを私が知ったのは、あくまでも鑑賞後のこと。「そう言えば、そういう俳優も出演していた」と、たまたま事後的に彼の存在を何とか知覚する程度にすぎなかった。私の場合、どういう加減だろうか、主役に目が行き届いても脇役をことさら視野から遠ざけてしまうのか、彼の立ち位置~役者ぶり~が今なお消えがたく記憶に残る作品とは、ついぞ出会ったことがなかった。

津田寛治は本作で“逃げている奴”~行く先々で違う名前を名乗って自分を偽り刹那的に生きる正男~を全身的に巧演している。彼の風貌は率直に言って、私好みのタイプの男優に該当しないが、彼が安定感のある演技力の持ち主である点は紛れもない事実。このベテラン役者の今後の映画出演作を、私としては注意深くフォローしていきたい―。

本作キャストの点で、私個人の関心を一番引き寄せたのが、笑子に扮した駒井蓮(こまい・れん、2000~)である。ポカリスエットのCMなどで注目され、ファッション誌『ニコラ』の専属モデルとしても活躍する彼女は、本作のオーディションで映画初主演を勝ち取った。
私が今回初めて観た彼女の印象は、一目見て〈かわいい…〉→しかし、よく見ると〈憂いが浮いて強くて清々しくて…〉。ウーン、これは観る者を柔らかに惹きつける存在だと、私は勝手に独り合点する―。【彼女は少なくとも去る7月に観た『人狼ゲーム インフェルノ』(本ブログ〈July 10, 2018〉)に出演の若手女優たちとは(役柄の違いはあるものの)比較にならないほど魅力的!】

彼女は本作で“自分がわかっていない子”~笑子の無邪気でやんちゃな姿、また大人びた表情や隠された激しいもがき~を前向きに、そして柔軟に演じきっている。彼女の今後一層の活躍が期待される。
2018年11月13日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、16:40~鑑賞。

「タリーと私の秘密の時間」

作品データ :
原題 TULLY
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 キノフィルムズ
上映時間 95分


『ヤング≒アダルト』のジェイソン・ライトマン監督と脚本のディアブロ・コディ、オスカー女優のシャーリーズ・セロン(主演兼製作)が再び組んだ人間ドラマ。3人目の子供が誕生して心も体も限界に達したヒロインが、若くて有能でどこかミステリアスな、夜だけのベビーシッターとの交流を通して、疲れ果てた主婦の心を解放していくさまを、コミカルかつハートウォーミングに綴る。生き生きと魅力的なシッターを『オデッセイ』『ブレードランナー 2049』のマッケンジー・デイヴィスが好演している。

ストーリー :
もうすぐ3人目の子供が生まれるマーロ(シャーリーズ・セロン)は、大忙しの毎日を送っている。娘のサラ(リア・フランクランド)は手がかからないが、息子のジョナ(アッシャー・マイルズ・フォーリカ)は情緒が不安定だ。今日も姉弟が通う小学校の校長に呼び出され、ジョナをサポートする専門家を自分で雇ってほしいと言われてしまう。夫のドリュー(ロン・リヴィングストン)は優しいが、家事も育児も妻に任せっきりで、マーロもそれが当たり前だと思っていた。
ある日、事業で成功して贅沢な暮らしを送るマーロの兄のクレイグ(マーク・デュプラス)が、出産祝いにナイトナニー~字幕は“ナイトシッター”だが、セリフは“ナイトナニー”(night nanny、夜間専門の子守)~を手配してくれると言う。見知らぬ人に赤ん坊を預けることに抵抗と罪悪感のあるマーロは断るが、クレイグは妹に強引にシッターの電話番号を渡すのだった。
無事に女の子を出産したマーロだが、家事は膨大に増えていた。さらに、再び校長に呼び出され、ジョナには違う学校へ行ってもらうと言われ、遂に感情が爆発し、校長を怒鳴りつけてしまう。
帰宅したマーロは、もはや限界とナイトナニーを頼む。夜10時に現われたタリー(マッケンジー・デイヴィス)と名乗る若い女性を見て、唖然とするマーロ。お臍の見えるTシャツにジーンズのファッション、いきなりタメグチのイマドキの女の子だったのだ。だが、戸惑うマーロにタリーは、「私を頼って」と自信たっぷりに宣言し、2階でゆっくり眠るようにと促すのだった。
翌朝、目覚めると、タリーの姿はすでになく、代わりに8年間全く掃除していなかった1階のリビングとキッチンが、すっかり綺麗に片付けられて、花瓶には花まで挿してある。マーロは夫に、「彼女は何もかも完璧。なんだか、世界が明るくなった」と、久しぶりに晴れ晴れとした顔で微笑むのだった。
それからというもの、タリーは定期的にやってきて、“完璧”を更新し続ける。さらに、「人生の全部をケアしなきゃ」と、マーロの昔話や愚痴を聞いてくれ、悩みごとの相談にまで乗ってくれる上に次から次へと解決もしてくれる。そんな彼女にマーロは次第に心を開いていくようになった。
しかし、マーロとは対照的にタリーは、決して自分のことは語らず、そして必ず夜明け前には姿を消してしまう。それでも、マーロとタリーの不思議な絆は深まり、いつしか二人は友情を結んでいく。
ある夜、マーロとタリーは、車でブルックリンに飲みに出かける。車の中で、タリーは「もうナイトナニーには来れない」と言う。「その時が来たの」マーロは、行かないで!と懇願するが、タリーの意思は固そうだ。
しかも、その夜、ブルックリンでタリーとマーロは喧嘩してしまい、怒りに任せてタリーは一人で車を運転して帰ろうとする。しかし、さんざん飲んだ後のこと。マーロは車で自損事故を起こし、川の中に転落。沈んでいく車。そこに、人魚の姿のタリーが泳いできて、マーロのシートベルトを外し、脱出を手伝う。マーロは水中の車から脱出して、病院に運ばれた。
駆けつけた夫は、医師から「奥さんは極度の睡眠不足で疲労の極致にあります」と告げられ、大反省。「俺は、家事や育児のことを何にも知らなかった。ナイトナニーが来てることは知っていたが、会ったことがない」
病室に1人でいるマーロのところに、タリーがお別れに来た。「26歳の私は、パワーが有り余っていた」と、自分にしか見えない、若い時の自分自身に言うマーロ。「子どもを産んだら、みんな忘れちゃうの?習ってたイタリア語も?」とタリーは笑う。2人は和解し、別れの時がやってきた。でも、もうマーロは一人でも大丈夫。「チャオ!」と言って去って行くタリー。
しばらく後。キッチンで、料理を作ろうとしているマーロ。その横に、夫が自然な感じで入ってきて、手慣れた手つきで料理を手伝い始めた。この夫婦も、もう大丈夫―。

▼予告編



▼シャーリーズ・セロン(Charlize Theron、1975~) インタビュー (→予告編) :



◆ Interview:シャーリーズ・セロンとマッケンジー・デイヴィス(Mackenzie Davis、1987~)が『Tully』の裏側、映画業界の展望について語る(DIRECTION(NewSphereのアート&デザインセクション)-May 24, 2018)―
(Mackenzie Davis as Tully and Charlize Theron as Marlo star in Jason Reitman's TULLY) 
《アルコール中毒で、あらゆる面で大人になりきれず、意地が悪くておバカなダメ人間を映画『ヤング≒アダルト』で演じて以来、脚本のディアブロ・コーディと監督のジェイソン・ライトマンとまた仕事がしたいと、シャーリーズ・セロンは考えていた。
そんなわけで、つらく厄介な、時に笑いを誘う母親の現実を曖昧な視点で描く『Tully』(タリー)のアイデアをコーディが思いついたとき、セロンは脚本を読むまでもなく3人の子どもの母親役を引き受けた。育児に疲れ果てた彼女が意を決して迎え入れるナイトナニー(夜だけの子守)が、マッケンジー・デイヴィス演じるタリーだ。
主演のふたりが先ごろ、この型破りな映画(詳細は観てのお楽しみ)、テレビドラマに対抗するためには映画が進歩しなければならない理由、女性映画の脇役を喜んで演じてくれる男優に出会うというめったにない喜びについてAP通信に語った。》


AP通信(以下AP):デイヴィスさんにお伺いします。この映画への出演が決まった経緯は?
シャーリーズ・セロン(以下セロン):最初にオファーした女優のスケジュールが合わなかったんですが、私のエージェントが彼女をよく知っていて…
マッケンジー・デイヴィス(以下デイヴィス):それで、コネで入ったんです。いえ、ライトマン監督からお話をいただきましたよ。私、『ヤング≒アダルト』がものすごく好きなんです。タリーは、これまで演じたことのない、とても素敵な役でした。彼女はマーロ(セロン)というひとりの女性を成長させる。友だちってそういうものですよね。私の人生の糧になる大切な役でシャーリーズと共演できてよかったです。

AP:タリーはマニック・ピクシー・ドリーム・ガール(映画で描かれる、男性を惹きつける明るくてかわいい典型的な理想の女の子像)的な役柄なのではと最初はちょっと心配だったのですが、まったくそんなことはなかったですね。
セロン:そう思いますよね。ずっとそういう女性像を見せられてきたから、女性が女性を支えるなんて絶対にないだろうと思い込んでしまう。それで、どうにかして私から夫を奪おうとするような展開を想像する。そんな幻想を笑い飛ばすのがこの映画です。
デイヴィス:トレイラーからはそういう要素が読み取れますよね。「ああ、やっぱり彼女は旦那を…」ってみなさん思うでしょう。私を含め、みなさんの想像を裏切る映画ではないでしょうか。

AP:この映画では男性が脇役ですよね。
セロン:こういうことがあると、すごくうれしいです。女性映画の脇役をやりたがらない男優が多いので。『アトミック・ブロンド』で共演したジェームズ・マカヴォイのように、「僕の役目は君のサポート。それで満足だ」と言ってくれる男優がいると本当にうれしいです。
デイヴィス:キャリアがあって喜んで脇役を演じてくれるいい男優って、めったにいないんです。
セロン:そう、そしてそれは決していいことではありません。ロン(夫役のロン・リビングストン)は毎日欠かさずやって来て、作品全体に貢献してくれました。男優がそんな風にしてくれるのは、本当にうれしいことです。
デイヴィス:口先だけじゃなく、行動で示さなきゃダメってことですね。

AP:セロンさんにお伺いします。マーロの外見的な役作りはどのように決められたのですか?
セロン:仲のいい友だちが妊娠したときは、いつも一番近くで見守っていました。話し合ったわけではないですが、考えるまでもないことですよね。脚本の10ページ目で3人目の子どもを産む女性を演じるなんて想像もできなかったし、出産後の影響がどんなものか考えられませんでしたが、できるだけ近づきたいと思ったんです。「真似すればいいや」という演技は私には無理でしょうね。そういうのがヘタなんです。私にはできない。私がメソッド俳優だからではなく、身体的な部分では、ダンスをしていた頃の影響が大きいのかもしれません。私にとって、外見で語ることは言葉で語るよりも重要だと言っても過言ではありません。

AP:15年ほど前から製作を手掛けておられますが、製作の魅力とは何ですか?
セロン:元はと言えば、自分を守りたい一心で始めました。初めて製作した『モンスター』は、パティ・ジェンキンス監督の初監督作品でした。怖かったんです。全身全霊をささげた映画がまったく納得できない代物になってしまう、そんな目にそれまでさんざん遭ってきたので。あるとき、「自分で製作したら自分でコントロールできるようになるじゃない」と思い付いたんです。そして、そんな考えが変わって、製作を楽しむようになりました。映画製作の計画を立てるのが楽しかったんです。製作できないかもしれない作品を製作したり、雇われないかもしれない人たちを雇ったりできる立場でいられるのが魅力ですね。

AP:この映画は、並み居る超大作と同時期に、そして、映画ビジネスが流動的な時期に公開予定です。映画業界についていささかの懸念はありますか?
デイヴィス:爆発シーンばかり見せられて退屈だっていうのが映画離れの理由のひとつじゃないかな。ほかのものが見たいし、映画館に映画を観に来る理由がほしいですよね。
セロン:映画業界に不安があるとは言いませんが、ストリーミングやテレビで行われていることは、映画のそれと同じだと思う。私たちはもう少し頑張らないといけませんね。テレビには魅力的なキャラクターやストーリーが映画の中以上にあふれてる。特に女性に関しては。
デイヴィス:それに、テレビだと冒険できるし。『アトランタ』(原題:Atlanta-引用者)って観たことある?
セロン:あるある。あれはすごいわよね。
デイヴィス:ジャズみたい。実験的なドラマよね。
セロン:『このサイテーな世界の終わり』(原題:The End of the Fucking World-引用者)は? 勇敢で実験的な、ストーリーを語るうえで最高の形―あのストーリーテリングには映画ではもうお目にかかれない。(映画では)大抵、やれ観客層だ、やれ動員数だって調子で大事なことを見失ってますよね。テレビはそんな風に機能しない。テレビはストーリーテリングのうまさだけで勝負する。テレビドラマを売り込もうとしたら、局のお偉方に「もっと踏み込んでもらえないか」って言われたんです。その後、映画業界で作品を売り込もうとしたら、「それはちょっとやりすぎだ」って言われました。素晴らしいテレビドラマが次々と製作されてハードルがどんどん上がっているので、私たちも本気を出さないといけないですね。

《LOS ANGELES (AP) — Charlize Theron had wanted to work again with screenwriter Diablo Cody and director Jason Reitman since the movie “Young Adult,” in which Theron got to play a true mess of a character — alcoholic, all-around stunted and viciously hilarious.
So when Cody dreamed up the idea for “Tully,” a somewhat undefinable look at the harsh, messy and often funny realities of motherhood, Theron didn’t even have to read the script before saying yes to playing the mother of three, who finally decides to let someone into her life to help in the form of a night nanny, Tully, played by Mackenzie Davis.
The two actresses spoke recently to The Associated Press about this unconventional movie (the less you know, the better), why film needs to step it up to compete with what’s on television and the rare joy of finding an actor willing to play a secondary role to a woman.》

AP: Mackenzie, how did you join this team?
THERON: Well the actress that we wanted wasn’t available, but she was a close friend of my agent… 
DAVIS: And so I snuck through the grapevine. No, Jason told me about it. I was a die-hard fan of “Young Adult.” And the role is so lovely. It’s something I hadn’t played before. I found it really nurturing to be in that role to another woman. That’s so much of how you are with your friends. And it’s such an important part of my life and a nourishing part of my life that it was nice to perform that on film and with Charlize.

AP: I was a little worried she might be a sort of manic pixie dream night nanny at the beginning, but that’s not the case at all.
THERON: You go there because we’ve been fed that for so long, this misconception that women could never be supportive of one another. Like, you would definitely just try to steal my husband from me. And we make fun of that in the movie.
DAVIS: I’ve seen some of that stuff already from the trailer. People being like, “Well of course she (expletives) the husband.” And I’m like well it might be different than what you think.

AP: And the men are almost a side-show here.
THERON: Sometimes you’re super grateful when you get that. A lot of men won’t do that for women. I’m just grateful whenever a man will walk on, and I had this with James McAvoy on “Atomic Blonde,” when you have a guy who is like, “yeah, I’m here to support you, and I’m OK with that.”
DAVIS: It is so hard to find a good actor who has some career trajectory who is willing to play a secondary part.
THERON: And that’s wrong. Ron (Livingston) showed up every single day so invested in the whole thing. When a man does that it means a lot to me.
DAVIS: It’s putting your money where your mouth is.

AP: Charlize, how did you decide on the physicality of your character?
THERON: I’ve had a lot of very, very close friends of mine go through pregnancies and I’ve had a front seat to it all, and it’s not even that we had a conversation about it, I think it was a no-brainer. It was just impossible for me to even imagine playing a woman who is giving birth to her third child on page 10 and not thinking what the aftermath would be. I wanted to get as close as I possibly could do that. It would be hard for me to be like, “oh, I’ll just pretend.” I’m just not that good. I can’t do it. Not that I’m method, but the physical part, maybe it goes back to being a dancer most of my life. That physical storytelling is almost more important to me than the verbal storytelling.

AP: You’ve been producing now for 15-some years, what do you like about it?
THERON: Initially it started as just trying to protect myself. The first thing I produced was “Monster” and it really just came out of fear. I was working with a first-time director and up until that point in my career had just been really let down. You put yourself out there and the film ends up being something that was never agreed on. And I had a moment there that was like, ok, if I do this I just want to be able to have that control. And then it changed. Producing became something I liked. I liked the logistics of making a film. I love that we’re in a position where we can make things that might not be able to get made and also, you know, hire people who might not get hired.

AP: This is coming out alongside some pretty big blockbusters and at a time when the movie business is in flux. Are you worried at all about the film industry?
DAVIS: I think part of the reason people stopped going to the movies is it’s (expletive) boring to just watch explosions all the time. You want something else and some reason to have a communal experience.
THERON: I wouldn’t say I’m worried about the film industry, but I think that what’s happening in streaming and on television is something that we in film, well we have to step it up a little bit. There are way more conflicting characters on television and story lines, especially for women, than there is in film.
DAVIS: And playing with form in TV. Like have you watched “Atlanta”?
THERON: Yeah, it’s amazing.
DAVIS: It’s like jazz. It’s this experimental thing.
THERON: Or “The End of the F***ing World”? The way they go about telling that story, you don’t see that on film anymore — being brave and experimental and going about the best way to tell the story, when I think a lot of the time (in film) we’re putting the cart before the horse like “this audience, this audience.” Television doesn’t’ function like that. It’s just good storytelling. I remember going in and pitching TV shows and having TV execs say, “Can you go further with that” and then finding myself in film pitching something and hearing, “That’s a little too much.” I think we have to step up to the plate because the bar has been set really, really high by a lot of great shows in television.

■私感 :
謎めいた現代のメリー・ポピンズ=タリーの“正体”は?
それは、マーロが作ったもう一人の自分、いわば幻影である。マーロは産後うつに苦しみ、過度な寝不足と不安定な精神状態からもう一人の“理想”の自分を作り出し、その彼女に肉体的にも精神的にも頼ることで、現実逃避をしていた。自由で活力に満ち、怖いもの知らずで、スタイルも抜群にいい、過去10年前の自己が“理想化”されたマーロ⇒タリ-、そして3人の子供を産んで、日々に疲れ果て、時間に追われ、容姿を気遣う余裕もない、現在のマーロ!
このマーロを演じたシャーリーズ・セロン。
彼女は産後うつと戦い、誰にも頼らずに頑張りすぎて、心が悲鳴を上げているマーロの痛々しさを見事に体現している!
セロンは美貌とスタイルをかなぐり捨てて約18キロ(一説に約23キロ?)も体重を増やして、マーロ役に挑んだとのこと。役作りのために体形を変えることはこれが初めてではなく、アカデミー賞主演女優賞を受賞した2003年の『モンスター』で演じた娼婦・殺人犯役でも約13キロ増やしていた(cf. 本ブログ〈December 31, 2015〉)。今回はそれよりも5キロ重い増量で、産前・産後の主婦の役を積極的にこなしている。ストレスから産後太りが加速してしまう役で、惜しげもなく弛(たる)みきった体をスクリーンに映し出す。
シャーリーズ・セロンの“女優魂”は、まことにもって驚異的!彼女が天来の美貌の持ち主なるがゆえに、それがことさら際立つ。
2018年11月12日(月)「ココロヲ・動かす・映画館○」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-15、JR吉祥寺駅北口徒歩約5分)で、16:10~鑑賞。

「美術館を手玉にとった男」

作品データ :
原題 ART AND CRAFT
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 トレノバ
上映時間 89分


30年にわたりアメリカの美術館をだまし続けた希代の贋作画家マーク・ランディス(Mark Landis、1955~)を追ったドキュメンタリー。事件関係者の証言などから、謎の男ランディスの興味深い素顔に迫る。監督は、「ニューヨーク近代美術館」(MoMA〈モマ〉)での勤務経験を持つジェニファー・グラウスマンと画家の活動経験を持つサム・カルマン。

ストーリー :
2011年、アメリカの多くの美術館で展示されていた大量の絵画が、贋作であることが発覚した。贋作事件は遥か昔から繰り返し起きているが、この事件は極めて特殊だった。なぜなら、1人の男が精巧な贋作を100点以上制作し、美術マーケットで莫大な金額で売ることができるにもかかわらず、すべて無償で寄贈していたからだ。その男の名は、マーク・ランディス。彼は30年以上に渡って、15世紀のイコンから、ピカソ、マグリット、ディズニーまで、幅広いスタイルの絵画を模倣し続けてきた。そして、“慈善活動”と称し、神父など様々な人物を装って、それらの贋作を美術館に寄贈してきたのだ。騙された美術館は、全米20州、46館にも上った。それらの作品群が贋作であることを最初に発見したのは、当時オクラホマ美術館の職員だったマシュー・レイニンガー。ニューヨークタイムズやフィナンシャルタイムズ、テレビなどのメディアが、この事件をセンセーショナルに取り上げ、彼を追いかけた。FBIも捜査に乗り出すが、ランディスは金銭を一切受け取っていないため、罪に問われることはなかった。結局、贋作活動をやめさせようとするレイニンガーたちを無視して、ランディスはこの奇妙な“慈善活動”を継続。しかし、レイニンガーの元同僚、アーロン・コーワンが思いついた一つのアイデアによって、彼の運命は新たな局面を迎えることに…。贋作制作に執念を燃やすランディスと、彼を追うことに執念を燃やす人々、そして彼に騙された人々。彼ら自身や社会が持つ歪み、苦悩、良心が、ユーモラスかつ鋭い眼差しをもって描かれていく…。

▼予告編

2018年11月8日(木)目黒シネマ(東京都品川区上大崎2-24-15 目黒西口ビルB1、JR山手線目黒駅西口から徒歩3分)で、15:20~鑑賞。『レディ・バード』13:30~と2本立て上映。

「君の名前で僕を呼んで」

作品データ :
原題 Call Me by Your Name
製作年 2017年
製作国 イタリア/フランス/ブラジル/アメリカ
配給 ファントム・フィルム
上映時間 132分


アンドレ・アシマン(André Aciman、1951~)の同名小説“Call Me by Your Name”(2007)を『モーリス』『日の名残り』の名匠ジェームズ・アイヴォリー監督が脚色し、『ミラノ、愛に生きる』『胸騒ぎのシチリア』のルカ・グァダニーノ監督で映画化した青春ラブ・ストーリー。1983年の北イタリアの避暑地を舞台に、17歳の少年と24歳の青年が織りなすひと夏の情熱的な恋の行方を、美しい風景とともに郷愁溢れる筆致で繊細に綴っていく。主演は本作の演技でみごとアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた新星ティモシー・シャラメと『ソーシャル・ネットワーク』のアーミー・ハマー。共演にマイケル・スタールバーグ、アミラ・カサール。

ストーリー :
1983年の夏。17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、例年のように両親と一緒に北イタリアを訪れ、母が相続した歴史あるヴィラで過ごしていた。父パールマン(マイケル・スタールバーグ)はアメリカで教鞭を取るギリシア=ローマの美術史学専門の大学教授で、母のアネラ(アミラ・カサール)は何か国語も流暢に話す翻訳家。自然に恵まれた環境の中で、エリオに高い教養に身に付けさせたいという両親の考えにより、クラシック音楽を編曲したり、ピアノやギターを演奏したり、読書をしたり…。その一方で、時には夜遊びをしたり、近くに住むフランス人のマルシア(エステール・ガレル)とふざけ合ったりするのが、エリオの夏の過ごし方だった。そんな彼の前に、アメリカからやってきた24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)が現われる。エリオの父は毎年、研究を手伝ってくれるインターンをヴィラに連れてくるのだが、オリヴァーはそのインターンだった。エリオの隣の部屋に泊まることになったオリヴァーは、これまでのインターンよりも知的で、振る舞いも自信に溢れているように見えた。ある日、マルシアやキアラ(ヴィクトワール・デュボワ)らと共にバレーボールをしている最中、冗談半分のようにオリヴァーがエリオの裸の肩に触れる。これを機に、互いの存在を意識するようになる2人。時に意地悪をしたかと思えば、互いに気を引こうとしてキアラやマルシアを誘ってみたり…。エリオとオリヴァーの間には、まるで不思議な磁石があるように、引きつけ合ったり、反発したりを繰り返した。そして、ある王女に熱烈な恋をした騎士の物語をアネラが読んでくれたことをきっかけに、ついにエリオはオリヴァーに自分の想いを打ち明ける。オリヴァーも同じ気持ちを抱いていた。互いの想いを確認したことで激しく恋に落ちていく2人。「君の名前で僕を呼んで。僕の名前で君を呼ぶよ」とオリヴァー。自分の名前で相手を呼ぶことで、さらに強烈なつながりを深く感じていくのだった。しかし、夏の終わりとともに、オリヴァーの去る日が近づいていた…。

▼予告編

2018年11月8日(木)目黒シネマ(東京都品川区上大崎2-24-15 目黒西口ビルB1、JR山手線目黒駅西口から徒歩3分)で、13:30~鑑賞。『君の名前で僕を呼んで』15:20~と2本立て上映。

「レディ・バード」

作品データ :
原題 LADY BIRD
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 94分


『フランシス・ハ』『20センチュリー・ウーマン』の女優グレタ・ガーウィグが、自伝的要素を取り入れながら単独監督デビューを飾った青春ドラマ。静かな地元の町に閉塞感を抱き、都会に憧れる活発で反抗的なヒロインの恋や友情、母親との確執など悩める高校最後の1年を瑞々しくユーモアたっぷりに綴る。主演は本作の演技で『つぐない』『ブルックリン』に続いて3度目の第90回アカデミー賞ノミネートとなった、若手実力派のシアーシャ・ローナン。共演も同じく第90回アカデミー賞にノミネートされた、テレビや舞台で活躍するベテラン女優のローリー・メトカーフ。

ストーリー :
2002年、カリフォルニア州サクラメント。17歳のクリスティン(シアーシャ・ローナン)は、この閉塞感あふれる田舎町を飛び出したくてたまらない。カトリック系の高校で最後の年を迎え、東海岸の大学に行きたい彼女は、地元の大学に行かせたい母マリオン(ローリー・メトカーフ)と大ゲンカに。クリスティンは癇癪を起こして走っている車から飛び降り、右腕を骨折する。背景には、カリフォルニア大学バークレー校を卒業するも碌に働かない養子の兄ミゲル(ジョーダン・ロドリゲス)と、うつ病にかかり失業中の父ラリー(トレイシー・レッツ)を、看護師の母が支えている家庭の経済状況があった。
クリスティンは“レディ・バード”と名乗り、周囲にもそう呼ばせている。親友ジュリー(ビーニー・フェルドスタイン)と一緒に受けたミュージカルのオーディションで、ダニー(ルーカス・ヘッジズ)と出会う。ダニーと高校のダンス・パーティーでキスをするが、帰宅して母に叱られ、また衝突する。それでも恋は順調で、感謝祭には彼の祖母の家に招待される。夜はそのまま、ダニーやジュリーたちとクールなバンドのライブに行く。帰宅すると、寂しかったと母に告げられる。ミュージカルは成功を収めるが、アフター・パーティーでダニーが男子とキスしているのを見つけ、彼と別れる。一方、東部の大学に入るための助成金の申請書を母に内緒で父に頼む。年が明け、アルバイトを始めたカフェにダニーたちと見たバンドの美少年カイル(ティモシー・シャラメ)がやってくる。彼とまた会う約束をしたレディ・バードは、学校ではカイルと同じ人気者グループのジェナ(オデイア・ラッシュ)とつるむようになり、ジュリーと疎遠になる。ある日、ジェナの家のパーティーでカイルとキスした後、母に「初めてセックスするのって、普通は何歳?」と尋ねる。ところが母の意見も聞かず、カイルとすぐに初体験を済ませるが、彼の言葉で傷つき、母が迎えに来た途端泣き出してしまう。その後、東部の大学からの不合格通知の中に一通だけ補欠合格があったが、まだ母には言えなかった。高校卒業が近づき、卒業式のプロム用のドレス選びで、再び母とぶつかり合う。
レディ・バードは高校を無事に卒業する。家族でレストランに行き、卒業祝いの食事中、たまたまダニーが現われ、レディ・バードがニューヨークの大学の補欠学生リストに載っていると口を滑らす。母のマリオンは娘がニューヨークの大学に行くことは知らず、てっきり地元の大学へ進むと思っていたので、大激怒。それから数ヶ月間、口も利かなくなる。辞退者がでて、正式な合格通知がレディ・バードのもとに届いた。父のラリーが奨学金を始め金の工面をしてくれ、レディ・バードもバイトを掛け持ちし、車の免許もとり、9月になりニューヨークに旅立つ日がやってくる。マリオンはラリーと一緒にレディ・バードを空港まで送るものの、駐車場代が高いということを理由に、車から降りることを拒否。レディーバードはラリーと一緒に空港内に向かい、セキュリティゲートをくぐって行く。車の中で待つマリオンだったが、自分のしていること、このままでは娘と長期間再会できないことを段々と認識していき、車を飛び出してレディーバードの後を追う。しかし、すでに娘はセキュリティゲートの中に消えて、ラリーしかいなかった。夫は彼女を固く抱きしめる。「大丈夫。帰ってくる。いつかね。」
憧れのニューヨークへやってきて、自分の部屋に落ち着いたレディ・バードは、荷物の中に覚えのない書類らしきものが入っているのに気が付く。見てみると、それは母からの手紙だった。自分の思いを娘に伝えようと、何枚にも渡って夜な夜な書いていたが、マリオンは結局それをゴミ箱に捨ててしまった。それをラリーが取り出し、そっと荷物に入れてくれたのだ。父に電話を入れると、「ママの愛情だが、ゴミ箱から拾ったのは内緒だよ」と笑って言う。
ニューヨークで大学生活を営むレディ・バードは、ホームパーティーに参加、見知らぬ男の子に、「レディ・バード」ではなく、親からもらった本名「クリスティン」を名乗る。そして、酒の飲み過ぎから嘔吐し、意識を朦朧とさせ、救急車で病院に運ばれてしまう。翌朝、マスカラがとれ目元が黒く汚れた顔で目覚めたクリスティンは、前のベッドに、頭と目の周りに大きな包帯を巻いたアジア系の少年とその母親が座っているのに気づく。退院し、寮に帰る道で偶然教会を見つけ、中に入りカトリックのミサを目撃し、聖歌隊の歌を聞く。教会を出たクリスティンは、実家の留守電にメッセージを残す。初めて車を運転してサクラメントの街に出たとき感動したこと、クリスティンという名前を気に入っていること、そして…。「ママへ。伝えたかったの。愛してるわ。ありがとう。感謝してる」

▼予告編

2018年11月7日(水)「ココロヲ・動かす・映画館○」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-15、JR吉祥寺駅北口徒歩約5分)で、16:40~鑑賞。

「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」

作品データ :
製作年 2012年
製作国 日本
製作・配給 東海テレビ放送
配給協力 東風 
上映時間 120分

【2012年6月30日に東海テレビで放送され、その再編集版が翌年2月16日より映画として公開される】

1961年に三重県名張市で起きた、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した事件により、戦後初の無罪からの逆転死刑判決を下された奥西勝(おくにし・まさる)の苦悩と戦いを、実録ドラマを交えて描いたドキュメンタリー。無罪を主張し、物証もほとんどなく、関係人物の証言も確たるものではないにもかかわらず、51年間も獄中にいる奥西の真実~いつ訪れるか分からない刑執行に怯え、際限なく再審請求を繰り返している奥西の孤独や恐怖~を映し出していく。事件発生当初から蓄積した圧倒的な記録と証言を再検証し、本作を作り上げたのは、『平成ジレンマ』『死刑弁護人』の齊藤潤一(監督・脚本)と阿武野勝彦(プロデューサー)。これは、東海テレビ放送の名物ドキュメンタリー「司法シリーズ」を手掛ける二人が、カメラが入ることが許されない独房の死刑囚を描き出す野心作である。ドラマ部分では青年時代と現在の奥西をそれぞれ山本太郎と仲代達矢が演じ、母・奥西タツノを樹木希林が熱演。ナレーターを務めるのは、寺島しのぶ。

メモ 名張毒ぶどう酒事件とは :
1961年3月28日の夜、三重県名張(なばり)市葛尾(くずお)の「薦原(こもはら)地区公民館葛尾分館」で、三重県と奈良県の県境に跨がる「葛尾」集落の村民らで構成する「三奈(みな)の会」※の年次総会が開かれ、男性12人、女性20人が出席する。総会後の懇親会の席で男性には清酒、女性にはぶどう酒が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、そのうち5人が亡くなった(死亡者は、奥西フミ子〈30歳〉、奥西千恵子〈34歳〉、新矢好〈25歳〉、中島登代子〈36歳〉、北浦ヤス子〈36歳〉)。捜査当局は清酒を飲んだ男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に異常が見られなかったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査する。その結果、ぶどう酒に有機リン系テップ剤の農薬が混入されていることが判明した。

※「三奈の会」は、三重県名張市葛尾と奈良県山辺郡山添村葛尾の両地区合同の「農村生活改善クラブ」~農業改良・生活改善・文化向上と両村民の親睦を兼ねたクラブ~である(「三奈」は三重の三と、奈良の奈、両県の頭文字をとって命名された)。

その後、捜査当局は重要参考人として「三奈の会」会員の、ぶどう酒の購入や運搬に関与した男性3人を聴取する。3人はいずれも犯行を否認したが、そのうちの1人、奥西勝(35歳)に疑いの目を向けた。妻の千恵子と愛人の北浦ヤス子が共に被害者だったことから、「三角関係を一気に解消しようとした」ことを犯行の動機と見て、彼を追及する。
奧西は警察から連日激しい取り調べを受けた。任意の取り調べだったが、彼はジープで警察に連行され、長時間にわたって執拗に尋問され、自宅に帰っても泊まり込んだ警察官に監視された。その監視は寝食から排便に及まで及ぶもので、ついに彼は事件発生から6日後の4月3日早朝、「妻と愛人との三角関係を清算するため」ブドウ酒に農薬を入れたと自白、殺人と殺人未遂の容疑で逮捕された。逮捕直前~自白直後~、彼は名張警察署で記者会見に応じて犯行を告白している。この記者会見は“自白の任意性”を世間に知らしめる警察の演出だった。
奥西は逮捕後の取り調べ中から「警察に自白を強要された」として、自供を翻し、犯行否認に転じる。だが、津地検は「総会前に一人きりになった午後5時過ぎの10分間に、ブドウ酒の王冠を歯でこじ開け、農薬を混入した」と殺人罪などで彼を起訴した。

事件は物的証拠がほとんどなく、奥西の“自白”が逮捕の決め手だった。1964年12月23日、第一審の津地裁(小川潤裁判長)は、自白は信憑性がなく、物的証拠も乏しいとして、検察側の死刑求刑を退け、奥西に無罪判決を言い渡す。判決理由で、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認め、同日、彼は釈放された。検察側はこの判決を不服として、名古屋高裁に控訴する。
1969年9月10日、控訴審の名古屋高裁(上田孝造裁判長)は、第一審の無罪判決を破棄し、奥西に死刑判決を言い渡す。彼は同日、名古屋拘置所に収監された。自白が不当な取り調べに基づくという疑いを示す証拠がないというのが判決理由だった。目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたことについて、時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした。戦後の裁判で唯一、無罪から極刑への逆転判決である。奥西は判決を不服として最高裁に上告する。
1972年6月15日、最高裁(岩田誠裁判長)は上告を棄却する。これにより、奥西の死刑判決が確定した。

確定死刑囚として収監された奥西(1926/01/14~2015/10/04)は、死亡するまでの43年にわたり“冤罪”を叫び続け、1973年4月から何度も再審請求と棄却を繰り返した。
1973~2002年に名古屋高裁への第1~6次再審請求はいずれも棄却され(第5次再審請求審から日本弁護士連合会〈日弁連〉が支援。第5次再審請求審は20年に及んだ)→第7次再審請求で2005年4月に一度は再審開始決定が出たが、結局それも取り消され(第7次再審請求審は11年半に及んだ)→2013年11月申し立ての第8次再審請求は棄却され→第9次再審請求中の2015年10月4日午後0時19分、奥西はかねて患っていた肺炎のため、八王子医療刑務所(東京都八王子市)で病死(享年89歳。彼は2012年5月初め頃、軽い肺炎症状を呈し→同月27日、高熱を発して名古屋拘置所の外部の病院に緊急入院→翌6月11日、当の病院から八王子医療刑務所に移送され、以来人工呼吸器を装着しながら再審開始を要求)→再審請求人の奥西の死に伴い、第9次再審請求審は終結。

警察や裁判所が有効とした自供や証拠には不審な点が多く見受けられるにもかかわらず、再審請求が棄却され続け、第9次再審請求の道半ばで帰らぬ人となった奥西死刑囚。彼のために決然と立ち上がった弁護団は、<名張毒ぶどう酒事件>を「ずば抜けて不当」とし、彼が獄死した今もなお遺族とともに、奥西の無念を晴らさんと、事件の真相解明に当たっている。
2015年11月6日、奥西の妹・岡美代子(85歳)が名古屋高裁へ第10次再審請求を申し立てる。奥西の遺志を引き継いで新たな再審請求人となった岡による、奥西の名誉回復のための死後再審請求である。しかし、2017年12月8日、名古屋高裁はこの再審請求を、又しても棄却した―。

本作『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』では、いつ訪れるか分からない処刑という“絶望”と何度も提出される再審請求という“希望”の狭間で生きる奥西死刑囚の痛切な心情が絶妙に表現されている。何度裏切られても、彼は信じ続ける。裁判所が事実と良心に従って無実を認めてくれる、と。
本作が対象とする「再審請求」は、2012年5月25日の名古屋高裁「第7次再審請求差し戻し審」までである。本作の<2012年6月30日TV放映→2013年2月16日劇場初公開>後に、保身と偽善の気配が漂う司法の歪みを身をもって知らしめた奥西死刑囚は、無念の獄死を遂げた―。

ストーリー :
獄中から半世紀の間、無実を訴え続けている死刑囚がいる。奥西勝(仲代達矢)、86歳。
1961(昭和36)年3月28日、三重県名張市の小さな村の寄り合いで、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。逮捕された奥西は、「警察に自白を強要された」と訴え、無実を主張。1964年の第一審は無罪だったものの、1969年の第二審は逆転死刑判決。そして1972年6月15日、最高裁で死刑が確定した。奥西は死刑執行の恐怖と闘いながら、繰り返し再審を求め続けて今に至っている。
奥西の無実を信じているのが、母、タツノ(樹木希林)。事件で村を追われ、見知らぬ町で独り暮らしを始めた。内職をして電車賃を稼ぎ、月に1度、名古屋拘置所にいる息子に会いに行く。タツノは奥西に969通の手紙を送った。「お金のあるあいだ、湯たんぽを貸してもらい、牛乳も飲みなさい」「やっていないのは、おっかあが一番知っている」「長い間の苦労は毎日、涙いっぱいですよ」 奥西は再審を待ち続けるタツノと約束をする。“無実を晴らして、必ず帰る” しかし、その約束は果たされることなく、彼女は1988年11月4日、84歳で亡くなった。
そして、もう一人、奥西を支え続けたのが支援者の川村富左𠮷(天野鎮雄)。確定死刑囚への面会は、肉親と弁護士以外許されていないが、川村は法務省に掛け合い、 奥西との面会を許される。川村は彼との面会を10冊のノートに記録した(1987年12月から2005年10月まで約18年259回にわたる面会記録)。「起床7時。運動毎日50分。運動は3坪ほどの部屋で歩くばかり」「作業、朝7時40分頃から袋貼り。午後4時に終わる。報酬は月2千円」「正月の食事、鯛の塩焼き・数の子・餅・赤飯・みかん・菓子。普段は米麦6対4」「息子が突然、面会に来た。20数年ぶり。嬉しかった」「誰かの死刑が執行された。一斉放送のニュースが突然切れたのでおかしいと思った」「胃がんの手術。3分の2を切除」
事件から44年後の2005(平成17)年4月、名古屋高裁はようやく奥西の再審開始を決定した。川村と奥西は名古屋拘置所の面会室のガラス越しに握手。「今度は晴れて、塀の外で握手しましょう。…お互いしぶとく、しぶとく生き続けましょう」と二人は約束した。しかし、喜びも束の間、検察が異議申し立てをし、再審は棚上げとなった。そして、その半年後の10月23日、川村は病に倒れ、この世を去る(享年74歳)。奥西との約束を果たすことができずに…。
2006年12月に奥西の再審開始決定は名古屋高裁の別の裁判官によって取り消されたが、2010年4月に最高裁は名古屋高裁に審理を差し戻し。2012年5月、名古屋高裁~第7次再審請求差し戻し審~は再び、検察側の異議申し立てを認めて再審開始決定を取り消した―。
今でも続く再審請求の行方は見えず、弁護団の鈴木泉弁護士は“これまでに奥西さんに死刑宣告をし、その死刑宣告を維持し続けた50人以上もの裁判官の責任を問いたい”と語る。司法は一体、何を狙っているのか?獄中死を望んでいるのか?司法の正義とは何か。

▼予告編



▼ Full Movie :



◆齊藤潤一(1967~)監督インタビュー(neoneo web-【Interview】2013/02/14) :
《選択肢はドラマしかなかった》
― これまでの東海テレビ放送の劇場公開ドキュメンタリーには、観客にテーマの是非を問いかける作りという共通項がありました。去年(2012年)の『死刑弁護人』(齊藤監督)、『長良川ド根性』(阿武野勝彦・片本武志監督)になるともう、世の中や人間のうらおもてを見る目が試される域にまで達していて。/ところが『約束』は、とてもまっすぐです。名張毒ぶどう酒事件のこと、獄中で50年以上も無罪を求め続けている奥西勝さんのことを知ってほしいとストレートに訴えている。ドキュメンタリーから初めて俳優をキャスティングしたドラマ作品になりましたが、それと同質なほどの方向の違いだと感じます。
齊藤 『平成ジレンマ』は確かに、戸塚さんの信念を聞いて、みなさんはどう思いますか? と投げかける作りでした。今回は事件と奥西さんについて自分はこう思う、これは冤罪だ、と伝えています。その違いはありますね。/名張毒ぶどう酒事件は、僕にとってとても思い入れのある題材です。ディレクターになって初めてのドキュメンタリー番組が「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(06)でした。その時点で、これはとんでもない事件だ、再審請求と取り消しが繰り返されている限り、作り続けなければ駄目だと思いました。

― それから「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」(08)、「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」(10)と続き、初めてのドラマ『約束』は4作目にあたるわけですね。
齊藤 2年に1度の間隔で、名張市葛尾の住民を通して、弁護士の鈴木泉先生を通して、と視点を変えながら作ってきましたが、3作目の「毒とひまわり」を作った時に、あれ、4作目はどうしよう…と行き詰まりを感じたんです。視点がなくなってきたこともあるのですが、もっと大きく感じたのは、この題材をドキュメンタリーで作り続ける限界です。/主人公と定めた人にとにかく朝から晩まで密着して、プライベートも関係なしに追ってこそ良い作品ができる。これが原則的なドキュメンタリーのありかたです。しかし名張毒ぶどう酒事件の場合は、主人公が塀の中にいて取材ができないジレンマを抱えていました。奥西さんの心境や苦しみ、今何を考えているのかは、直筆の手紙をお借りして撮る、文面をナレーションにする、あるいは面会を終えた弁護士や肉親の方にどんな様子だったかを聞く、といった間接的な形で伝えてきましたが、「毒とひまわり」まで作った時点で、奥西さん本人の姿を撮れないまま主人公として描くことはもう出来ないなと感じたんです。これだけ長いあいだ独房にいる死刑囚の心境には計り知れないものがあるはずなのに、それを伝えられる表現がない。苦しむうちに、ああ、残された選択はドラマしか無いなと。

― ドキュメンタリーからドラマへは、つまり必然だった。
齊藤 はい。僕はドキュメンタリーしか作ったことがありませんし、ドキュメンタリーが大好きです。どっちが上という話ではありませんが、ドラマは所詮フィクションに過ぎない、ドキュメンタリーのほうが真実を伝えられるという思いを僕自身が持っていました。しかし今回はドキュメンタリーの限界を感じた。だったらドラマの力を借りてみよう。そう思ったのが『約束』を作るきっかけです。

《仲代達矢さんしかいない》
― ドキュメンタリーにも、カメラがその場にあること自体によって被写体を動かしていくところがあります。ドラマに挑戦しても、演出の方法論は意外と違わなかったのでは、と想像しているのですが。
齊藤 そう、現場でやっていること自体はそんなに違わないですね。違ったのは、シナリオの存在があることです。作り方はそれぞれあると思いますが、東海テレビのドキュメンタリーでは台本を用意しません。とにかく取材を重ねていい素材を集めて、そこからどんな料理を作ろうかと考えていきます。取材対象者にこんなことを言ってほしい、こんな動きや表情をしてほしい、笑ってほしい、泣いてほしい…と幾ら思っても、その通りにいくことはまずありません。でも今回は、自分の希望を最初からシナリオとして書ける。これは楽しかったですねえ(笑)。

― しかし俳優さんもまた、齊藤さんがシナリオを書いた時のイメージとは違う演技をするわけでしょう。
齊藤 もちろん。芝居を付けるという意味での演出は、僕は仲代達矢さんに対して一切していません。奥西勝死刑囚は今こういう状況に置かれ、おそらくこんなことを考えていると状況だけをお伝えして、後はお任せしたんです。これは奥西さんの母親役の樹木希林さんも同じです。今日は1年振りに息子に面会できる日で、とても楽しみにしながら塀の前を歩いている状況だと伝えて、「お願いします!」。あとはお2人が自分で自分を演出し、的確な演技を出してくれました。

― 阿武野勝彦プロデューサーはプロダクションノートで、この企画をドラマにすると決めた時に「巨星とも言うべき名優が必須と直感した」と書かれています。
齊藤 仲代さんや希林さんのような方に出演して頂けたからこそ作品ができた、そうでなければ作品にすること自体が無理だったと思っています。

― ここで、「毒とひまわり」と『約束』のどちらにも「司法は、何を狙っているのか」というナレーションがある点についてお聞きします。/「毒とひまわり」では、司法には冤罪の可能性のある高齢の死刑囚はこのまま獄中死させ、面倒を避けたい思惑の可能性が多分にあるのだぞ、と訴える意図がハッキリと伝わりました。しかし、なぜか『約束』では同じナレーションなのにスムーズに入らなかった。例えば「司法は何を守ろうとしているのか」ならばストンと落ちるのに、などと思ったんです。/ここをよくよく考えると、ドラマにする難しさも感じます。仲代達矢という俳優の出すパワーはやはり凄く、ライオンのような覇気があるので…。
齊藤 実際の奥西さんは現在86歳で、がんの手術もし、もっとやせ細っていると思います。仲代さんが演じると元気に見えてしまうというのは、うーん、そこは確かに難しいところですね。

― キャスティングが違っていた可能性はありましたか?救援活動をする川村富左𠮷さんを演じているのは名古屋を拠点に活動している天野鎮雄ですが、朴訥な味のこの俳優さんが奥西さんを演じ、仲代達矢が川村さん役になるという。川村さん役なら外で動く場面もいろいろ作りやすいし、<市井のヒーロー>として演じ甲斐もある。これもひとつのセオリーですよね。
齊藤 でも、僕は最初から奥西さん役は仲代さんでと決めていました。奥西さんの風貌は、「毒とひまわり」でも入れている、面会者が描いた似顔絵でイメージするよりなかったのですが、仲代さんに「毒とひまわり」のナレーションをお願いして初めてお会いした時に、ああ奥西さんはこんな雰囲気なのでは!とイメージが重なりました。それに事件当時の映像で見られる、若い頃の奥西さんはけっこうハンサム、いい男でしょう。/ですから、奥西さん役は仲代さんありき。仲代達矢による奥西勝を描きたかったに尽きるんです(笑)。/母親役も、希林さんしか頭に浮かびませんでした。これはもう、ピピッときたとしか言いようがないかな。今から他のキャスティングを考えてみろと言われても、出来ませんね。この2人しかいない、無理なら作れないというぐらいに惚れ込んで出演をお願いしました。

《名前を呼ばれた途端、白髪になる》
― ドラマなればこそ、仲代達矢なればこその説得力は確かに横溢しています。死刑囚はいつ刑が執行されるかと、毎日朝が来ることに怯えながら暮らしている。その酷な現実が熟達の一人芝居によって表現されている。
齊藤 午前中は廊下の足音が怖い。ああいう描写は、初めて死刑確定から再審無罪が確定した免田事件の免田栄さんに取材して伺った話がずいぶん参考になっています。/本当に怖かったそうです。死刑執行は午前中なので、昼食が配給されるとやっと、明日の朝までは助かったとホッとできるそうです。しかし、夜になると朝の訪れが怖い。その繰り返しだったという免田さんの話を、かなりシナリオに取り入れさせてもらっています。/もう一人、やはり再審無罪になった死刑冤罪事件である島田事件の赤堀政夫さんにも取材のためにお話を伺っています。赤堀さんは、廊下からコツコツと足音が聞こえてきて「お迎えが来たぞ」と呼ばれた瞬間に、頭髪が白髪になったそうです。実際は刑務官が房を間違えたそうですが。死刑囚はそんな思いを毎朝している。そこまでの恐怖は想像がつきません。

― 映画と直接関係のない、ややぶしつけな質問をします。『約束』という映画はこれから公開されて、観客の審判を受けます。齊藤さんは映画の生みの親であり、同時に映画の弁護人であり、被告本人でもある。今日も多くの取材を受けていますが、疲れていつのまにか微妙に答えが変わってきてしまう、ということは?冤罪事件は長い取り調べの苦痛から逃れるため自白へ誘導されることが問題なので、齊藤さんにも聞いてみたいのです。
齊藤 なるほど、複数の取材に答えるうちに表現が微妙に変わり、違う受け取り方をされてしまう可能性は確かに付いて回りますね。過去の冤罪事件の被害者に話を伺うと、やっていないことをいったん自白してしまうのは、その事件に対して主体性がないからだそうです。無実の人間には、自白すると死刑になってしまうという発想そのものが無い。/『約束』に関しては、もしかしたら表現する言葉はそのつど変わるかもしれないけれど、言いたいことは全くブレない自信があります。名張毒ぶどう酒事件は、僕のライフワークといっていい位、思い入れを持っている題材だからです。/『約束』はまず東海テレビで放送しましたが、完全に「これは冤罪だ」と言い切り、踏み込んでいる作りですから、NHKではオンエアはあり得なかったでしょうし、他局でも相当の喧々諤々があったと思います。それ位、決断と覚悟を持って作った作品です。/それに今回は初めてのドラマですから、プロデューサーの阿武野には、脚本や演出は手慣れた外部の人に頼む選択肢はあったと思います。全く作ったことが無いのに「絶対に自分でやりたい」と言う僕に任せるのは大きな賭けだったんじゃないかな。プロデューサーとしては社内からお金を集める仕事がありますし、放送の最終責任も担いますから、不安はあったはずです。しかしそれを阿武野は僕の前で全く口にしなかったし、「やるべきだ」と背中を押してくれました。

― 『約束』は撮影・坂井洋紀、編集・奥田繁と、メインスタッフも「毒とひまわり」に続いて同じですが、スタッフにドラマ経験は?
齊藤 撮影も編集も効果マンも、ドラマを作ったことはありません。普段はニュースを作っているスタッフばかりで作ったんです。美術と照明はドラマ経験がある者が担当しましたが、それにしても相当に特異ですよね。/今、名古屋でドラマを作るということが無いんですよ。東海テレビにも昼ドラはありますが、東京のスタジオで撮っていますし。名古屋でドラマを作る文化は、NHK名古屋制作の「中学生日記」が終了したことで途切れてしまったんです。ですからスタッフは大乗り気でしたね。美術さんも照明さんも、かつてはNHKやCBC(中部日本放送)でドラマを作ってきた人達だから、久し振りにやれるぞと。なんでも東京一極集中のなか、名古屋でもドラマ制作の地盤を作りたいと願っているスタッフが集まってくれました。

― そんな良い話を伺うと改めて、よくドラマにしようと決心できたな、と思います。
齊藤 根が楽観主義者ですから、なんとかなるだろうと。それでも、シナリオを書き始めてから完成までの間に、いつのまにか体重は5キロ落ちていました。楽しい思いをしながら作りましたが、やはりプレッシャーはあったんでしょうね。ちょうど人間ドックで体重を注意されていたので、いい減量ができました。今年の人間ドックでは誉められたんですよ。「よくがんばって落としましたねえ」って(笑)。

《無罪を信じていないと作れない》
― 『約束』に対して僕は、今井正『真昼の暗黒』(56)や山本薩夫『証人の椅子』(65)などといった、かつての独立プロの社会派映画の系譜を継いでくれているという感謝の念があります。映画ファンの感傷でもあるのですが。
齊藤 冤罪を取り上げたそのあたりの映画は、1本目の「重い扉」を作る時に手当たり次第に見ました。自覚はありませんでしたが、今言われてみると、頭の片隅に影響は間違いなくあると思います。ああ、昔はこんな日本映画があったんだと新鮮で、どれも強く印象に残りましたから。「まだ最高裁がある!」とか(笑)。独房の様子をドラマで再現したいというアイデアも、無意識のうちに過去の映画を見たことと結びついているんでしょうね。

― 『証人の椅子』は、まさに『約束』と同じように再審請求のただ中で作られ、無罪を主張する映画でした。
齊藤 こういう題材は、無罪を信じていないと作れないです。中立の立場ではメッセージを伝えきれない。僕も冤罪だと信じたからこそ番組を4本作れました。だから、言い切ることのプレッシャーは当然のようにありますね。反対意見はあると思います。司法のほうが正しいのではないかと、多くの方が思っているかもしれない。実際、「では真犯人は誰なんだ」とよく言われてきました。

― 奥西さんの無罪が証明されることは、すなわち、あの村に真犯人がいたということになる。
齊藤 そういうことになるんです。真犯人探しが始まれば、あの村を崩壊させかねない。放送するたびに覚悟がいりました。ただ、村の人の証言も、パッと行って撮れたものかというと違う。人間関係を構築してから、ようやくカメラを向けました。向こうにも、ひょっとしたら伝えたい思いがあるかもしれない。だとしたら、そこはしっかり引き出さなければいけない。/村人の供述が変っていくのは先輩が撮ったものですが、「自分も自供させられた」と語る会長のインタビューは僕が撮りました。最初は「帰れ!」と門前払いだったんです。あの村にとってマスコミは敵ですからね。家に入れてもらえるまでに何度も何度も通い、家の中で話を聞けるようになっても、撮影は何度も断られ。あのインタビューが撮れるまでに2年近くかかりました。

― 「毒とひまわり」は、弁護団の特別抗告を受けた最高裁が名古屋高裁へ審理を差し戻した2010年春までで終わっています。『約束』の企画がスタートしたのは、2011年の夏だそうですね。ところが、2012年5月に、再審開始の取り消しが決定された。/齊藤さんがシナリオを書かれた時には、前向きな結果を想定していたと思うのですが。
齊藤 していました。2011年の段階では、再審は通るだろうと。最高裁が差し戻したということは、その判決を間違ったものと考えるのが司法の常識ですから。普通ならここで覆ると思ったんですよ。/裁判所の決定は、具体的にこの日にやる、と事前に知らされることはありません。しかしこういう重要な決定は年度末や年度初めに出ることが多いなどがあり、タイミングからすると来年(2012年)の春だろうなと読んで企画を進めました。シナリオの最後は空白にしていましたが、放送の頃にはおそらく再審開始決定が出て、再審裁判はすぐ始まらないにしても、もう間もなく奥西さんは外に出られるだろう。そういう期待のイメージのもとで作ったんです。良い結論で終れるだろうと。/なので、再審開始の取り消し決定には、ガクッときましたね。まさかと思いました。しかし、これまでも何度も何度も棄却を繰り返してきた事件ですから、その可能性があることは覚悟していました。いずれにせよ、奥西さんが再び外の空気を吸っている場面は描いておきたかった。それが、仲代さんが河原を歩いているイメージ場面です。/本当は、『約束』を名張毒ぶどう酒事件へのこだわりの集大成にしたかった。作る側としてはネタも尽きてきて、息切れしている(笑)。しかし今は、獄中死で終るものにはしたくないと祈りながら、もう1本は作らないとアカンだろうと思っています。

▼ cf. NNNドキュメント「裁きの重み 名張毒ブドウ酒事件の半世紀」(中京テレビ放送製作、2006年11月26日放送) :



▼ cf. 「<名張毒ぶどう酒事件>の再審開始を!」 :
(奥西元死刑囚の妹・岡美代子と支援者ら約150人が2017年4月5日、第10次再審請求を申し立てた名古屋高裁前に集まり、早期に再審開始を決定するよう求めた。)



■私感 :
本作を鑑賞しながら、個人的な記憶がいろいろ蘇ってきた。
私の高校時代に、<名張毒ブドウ酒事件>が発生した。当時、家族で食卓を囲んだ際、両親がこの事件をいっとき話題にした。私は父と母、そして二人の姉の言葉のやりとりに耳を傾けてはいた。しかし、その話の趣をトータルに理解できなかったのだろう、事件自体が次第に私の記憶の底に沈んでいった。
私は自分史上、1960年代の日本に起きた犯罪事件に限れば、<名張毒ブドウ酒事件>よりも、「吉展ちゃん事件」(1963年3月31日発生)、「狭山事件」(1963年5月1日発生)、「永山則夫連続射殺事件」(1968年10~11月発生)、「三億円事件」(1968年12月10日)に、ずっと大きな興味と関心を長い間向け続けてきた。

本作を熱心に見入りながら、私は胸が悲しみに重苦しく塞がれ続けた。
この半世紀以上にわたる長い年月の大半を、殺人犯として監獄の中で過ごしてきた奥西勝。その間、彼は2桁を越える囚人が処刑台に行くのを見送った。その恐怖、その孤独…。そして、“必ずや生き抜いて濡れ衣を晴らしてやる”という彼の揺るぎない信念!奥西は私という凡夫の身には想像だにしえぬ悲劇的な世界に身をさらし続けた―。

「東海テレビ」サイトのwebページ http://tokai-tv.com/yakusoku/story.html に本作の出演者である仲代達矢、樹木希林、寺島しのぶの意味深長なコメントが表示されている。
●仲代達矢(奥西勝役):
≪いわゆる“再現ドラマ”というのではなく、 拘置所で50年近く過ごされた奥西さんの心境は測りしれませんが、 仲代達矢がこの状況に追い込まれたらどうなるか、 そういう気持ちで演じました。/60年俳優をやってきた中で、私にとって記念碑的な作品になります。≫
●樹木希林(奥西タツノ役):
≪実際の映像に残っている母・タツノさんから伝わってくる悲しみや苦しさにかなう訳がないと知りつつ、演じました。私たち役者が出演することで、観る人たちにとって見やすくなり、少しでも多くの方にこの出来事が伝われば、と思います。/事件については、関係するそれぞれの人が、みんなそれぞれの立場や事情で証言しているわけで、本当に人間というのは悲しくって、そして愛おしいなと思ったのが正直な気持ちです。/役者を超えて、今は、すごいものと関わったなと思っています。≫
●寺島しのぶ(ナレーター):
≪人が人を裁く難しさも含め、以前から冤罪について関心がありました。/ドラマにするとフィクションに偏りがちですが、この作品は、そうではありません。/普段ドキュメタリーに取り組んでいるスタッフが作っているからでしょう、何とも言えないサラッとした仕上がりで、事件の深層が分かりやすく伝えられています。≫

この際、私という惰弱なる生者が努力すべきは、この3人の味わい深いコメントをゆっくり噛み締めながら、今改めて本作が描く想像を絶する<奥西ワールド>を我と我が身に、そっと手繰り寄せ、「こんな不正義が許されていいはずがない」という素朴な正義感に灯をともすことである。
2018年11月6日(火)シネマカリテ(東京都新宿区新宿3-37-12 新宿NOWAビルB1F、JR新宿駅東南口および中央東口より徒歩2分)で、21:15~鑑賞。

「負け犬の美学」

作品データ :
原題 SPARRING
製作年 2017年
製作国 フランス
配給 クロックワークス
上映時間 95分


『アメリ』への出演や『憎しみ』の監督として知られるマチュー・カソヴィッツが落ち目の中年ボクサーを熱演したフランス製ヒューマンドラマ。ピークを過ぎたボクサーが娘の夢を叶えるため奮闘する姿を描く。共演にミュージシャンのオリヴィア・メリラティ、元WBA世界スーパーライト級王者のソレイマヌ・ムバイエ、これからのフランス映画界を担う新星ビリー・ブレイン。監督は本作が長編デビューとなるサミュエル・ジュイ。

ストーリー :
40代半ばを迎え、盛りを過ぎたプロボクサーのスティーブ(マチュー・カソヴィッツ)。たまに声のかかる試合とバイトで家族を何とか養っていたが、ピアノを習ってパリの学校に行きたいという娘オロール(ビリー・ブレイン)の夢を叶えたい一心で、誰もが敬遠する欧州チャンピオン、タレク(ソレイマヌ・ムバイエ)のスパーリングパートナーになることを決意する。彼はチャンピオンの強烈なパンチを受け続け、ボロボロになりながらも何度でも立ち上がり、スパーリングパートナーをやり遂げた。すると、チャンピオンからある提案が舞い込んでくる。スティーブは愛する家族のため、そして自分自身の引き際のために、最後の大勝負に出る。引退試合のリングで父として娘に伝えたかった思いとは…。

▼予告編



■私感 :
娘オロール・ランドリー(ビリー・ブレイン)の、父スティーブ・ランドリー(マチュー・カソヴィッツ)に向ける、無垢な眼差しと天使のような笑顔が、私という観客を魅了する!

ショートヘアにボーイッシュな服装と一見すると美少年のような出で立ちをしたオロール・ランドリー。そんなスティーブの愛娘オロール役に扮した新星ビリー・ブレイン(Billie Blain)について、サミュエル・ジュイ(Samuel Jouy、1975~)監督はこう語っている。
≪オロール役を選ぶため、少なくとも200人の少女を見たよ。最終的に3人の候補にしぼり、その中から決めようとしていたが、ある夜遅くにキャスティングディレクターが電話をかけてきて、素晴らしい少女に出会ったと言ったんだ。演技テストを見て、すぐにこの子だと思った。他の3人の少女も素晴らしかったのだが、ビリーは特別だった。息づかいが違った。僕の目の前には、セリフを話す子役ではなく、血肉の通った一人の人間がいたんだ。それにビリーには、映画のラストを飾るあの素晴らしい笑顔があった。≫(「負け犬の美学」公式サイト ABOUT THE MOVIE/INTERVIEW )
2018年11月6日(火)シネマカリテ(東京都新宿区新宿3-37-12 新宿NOWAビルB1F、JR新宿駅東南口および中央東口より徒歩2分)で、18:45~鑑賞。

「バグダッド・スキャンダル」

作品データ :
原題 BACKSTABBING FOR BEGINNERS
製作年2018年
製作国 デンマーク/カナダ/アメリカ
配給 アンプラグド
上映時間 106分


元国連職員の作家マイケル・スーサン(Michael Soussan、1973~)が自身の体験を基に書き起こしたベストセラー小説“Backstabbing for Beginners:My Crash Course in International Diplomacy”(2008)を映画化。2002年、困窮するイラク国民を救うはずの国連主導による人道支援計画「OFFP(石油・食料交換プログラム)」の裏で行なわれていた巨額の汚職事件を活写するポリティカル・サスペンス。出演は『ダイバージェント』シリーズのテオ・ジェームズ、『ガンジー』のベン・キングズレー、『2重螺旋の恋人』のジャクリーン・ビセット。メガホンを取るのは、『ストックホルムでワルツを』のペール・フライ。

※ ≪石油食料交換プログラム≫(OFFP:Oil-For-Food Program) :
1995年の国連安保理決議986に基づき翌年12月から開始され、2003年11月に終了。7年間累計で、輸出640億ドル(当時の為替レートで7兆3600億円)、輸入370億ドル(4兆2250億円。このプログラムは、1991年の湾岸戦争(Gulf War)の勃発にともなってサダム・フセイン政権下のイラク国民が経済制裁の影響を過度に受けている(食料や医療品の不足で多数の人命が失われた)、という議論へ対抗する形で、米国ビル・クリントン大統領政権により1995年に提案された。そこでは、イラクが軍隊を再構築することなく、食品・医薬品その他のイラク市民にとって人道的に必要な生活物資と交換に、イラクが石油を輸出できるようにすることが目的であった。
OFFPは汚職や乱用の対象となった。総額640億ドルという巨額の予算のため賄賂や不正が横行。プログラム期間中、常にイラク政府や国連職員へと利益の一部が不正に転用されているとする訴えが、アメリカやノルウェーを始めとした多くの国から挙がった。
OFFPが終了してから、プログラムの資金に関する少なくとも18億ドル(約2000億円)を超える汚職が明らかになった。当時、プログラムを管理していた国連事務次長のベノン・セバン(Benon Sevan、1937~、キプロス共和国出身)/本作での役名はコスタ・パサリス〈通称:パシャ〉)の関与が判明している。後に米国政府会計局(GAO)による調査では、フセイン大統領の取り分だけでも推定101億ドルと、1兆円を超える汚職であった可能性が指摘されるも、国連は調査協力を拒否したために現在も全容不明である。

ストーリー :
2002年10月、24歳のアメリカ人青年マイケル・サリバン(テオ・ジェームズ)は、国連に採用され、外交官だった父親の跡を継ぐことができると希望に胸を膨らませていた。国連事務次長コスタ・パサリス(ベン・キングズレー)、通称パシャの下で特別補佐官として国連主導による「オイル・フォ-・フード・プログラム(OFFP)」の仕事に就くことに。
1991年の湾岸戦争が発端で国連により経済制裁を受けたサダム・フセイン政権下のイラクで、飢餓や病気で苦しむ一般市民の救済として、1995年の国連決議を経て翌96年から始められたのが、「Oil-For-Food Program(OFFP)」と呼ばれる「石油・食料交換プログラム」。国連の管理下でイラクの石油を販売し、その収益で食料などの生活必需品をイラク国民に配給することを目的とする人道支援計画。それは、サダム・フセインが大量破壊兵器を開発することを防ぎながら、国連が監視するなかで、約2000万人というイラク市民を助けることのできる理想的な政策に思われていた(イラクの約2600万人の人々のうち60パーセント1560万人が、OFFPによる食料に完全に依存していた)。
マイケルはこのOFFPの、年間100億ドルという巨額予算上の利権が絡む事態に、徐々に危惧を覚え始める。彼が働くバグダッドの国連現地本部、所長は女性のクリスティーナ・デュプレ(ジャクリーン・ビセット)。彼女はOFFPがすでに破綻していることを報告書にまとめて、告発するつもりでいた。一方のパシャは、OFFPは成功しており、イラク市民に食品や医薬品がしっかり届いていると主張する。
マイケルはバグダッドで知り合った女性通訳のナシーム・フセイニ(ベルシム・ビルギン)から、自分の前任者であるアベックが国連内部のある情報を知ってしまったせいで殺されたという衝撃の事実を打ち明けられる。アベックが掴んだ情報とは何なのか?
マイケルはパシャから「数日後にある写真が届く。それをデュプレに見せるように仕組め」という指示を受ける。その写真に写っていたのは、国連の車両で武器を輸送するというスクープ写真だった。しかし、それは国連本部が紛争に加担しているという事実を捏造し、デュプレを追いやる罠であった。
マイケルは通訳ナシームの故郷であるイラク北部のクルディスタンに行き、サダム・フセインに殺された多数のクルド人墓地を見て、クルド人である彼女の苦しみを理解する。そんなマイケルを見て、ナシームは彼が信用できる人物だと思い、アベックが彼女に託した重要なデータ(USBメモリー)をマイケルに渡す。
バグダッドに戻ってみると、デュプレに見せた写真が捏造であることが判明し、デュプレの激しい怒りを買う。彼女は報告書を国連で発表するとパシャに伝えるとともに、マイケルをバグダッドから追い出してしまう。
仕事のなくなったマイケルは、ニューヨークに帰国するが、その空港でデュプレの訃報を伝えられる。OFFPに関わる人間が次々と不審な死を遂げるのはなぜなのか?
デュプレの死により、再び動き出した「石油・食料交換プログラム(OFFP)」。気落ちしたマイケルを救うべく、パシャは彼に、プログラムが人道支援事業として成功している旨を国連安全保障理事会総会にて発表する、という大役を命ずる。
外交官として最高の栄誉を経験できたはずのマイケルだが、心が軽くなることはなかった。そんな時、義兄に頼んでおいた、あのデータの解読ができたという知らせが入る。そのリストに載っていたのは、サダム・フセインがイラクの石油交換券を販売し、巨額のリベートを手にしている世界各国の政府要人、実業家、銀行家たちだった。そして、データの中に決定的な証拠を発見してしまう。
すべての真実を知ったマイケルは、自分の行動を激しく後悔するとともに、この国連の汚職に立ち向かう決意を固めるのであった―。

▼予告編

2018年11月6日(火)新宿武蔵野館(東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F、JR新宿駅中央東口から徒歩2分)で、15:55~鑑賞。

「ライ麦畑で出会ったら」

作品データ :
原題 COMING THROUGH THE RYE
製作年 2015年
製作国 アメリカ
配給 東北新社/STAR CHANNEL MOVIES
上映時間 97分


小説『ライ麦畑でつかまえて』(原題:The Catcher in the Rye、刊行年:1951年)に魅了された青年が、作者のJ・D・サリンジャー(Jerome David Salinger、1919~2010)を探す旅に出る青春ドラマ。これが長編デビューとなるジェームズ・サドウィズ監督が、謎の隠遁生活を送る伝説の作家サリンジャーに会いに行った自らの高校時代の実体験をもとに描く。主人公を演じるのは、『パトリオット・デイ』のアレックス・ウルフ。『ラブリーボーン』のステファニア・オーウェン、『アダプテーション』のクリス・クーパーらが共演。

ストーリー :
1969年、アメリカ・ペンシルベニア州。16歳の高校生のジェイミー(アレックス・ウルフ)は、体育会系が幅を利かせる全寮制の高校になじめず、孤独な学生生活を送っていた。ある日、彼は若者のバイブルだった小説『ライ麦畑でつかまえて』に感銘を受け、これを演劇として脚色することを思いつく。しかし、教師から舞台化には原作者の許可が必要だと言われ、J・D・サリンジャー(クリス・クーパー)に手紙を送ろうとするが、隠遁生活をするサリンジャーの居所はつかめず、途方に暮れる。やがてジェイミーは窮屈な学生寮を飛び出し、サリンジャーに会いに行こうと決意する。すると演劇サークルで知り合った、サリンジャー好きの女子高生ディーディー(ステファニア・オーウェン)が車で同行することに。こうして二人は、見つかる確証のないままにサリンジャー探しの旅へと繰り出すのだったが…。

▼予告編

2018年11月6日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、12:35~鑑賞。

「禁じられた遊び」⑴
  日本版の映画ポスター

作品データ :
原題 JEUX INTERDITS
製作年 1952年
製作国 フランス
上映時間 87分

日本では1953年9月6日に初公開(配給:東和)。2018年9月1日よりデジタルリマスター版(日本語字幕新訳)を上映(配給:パンドラ)。

「禁じられた遊び」⑵
映画パンフ『禁じられた遊び』(発行: 東宝/日比谷映画劇場〈1953年〉)

『太陽がいっぱい』(原題:Plein soleil、1960年)など多くの傑作を残したフランスの巨匠、ルネ・クレマン監督(René Clément、1913~96)の代表作。「戦争の悲劇を超えて罪なき子供の世界を見事な抒情的純粋さにまで高めた卓越した表現力により」1952年度べネチア国際映画祭サンマルコ金獅子賞を受賞。次いで第25回アカデミー賞名誉賞(後の外国語映画賞)、第7回英国アカデミー賞総合作品賞を受賞し、日本でも1953年に公開されて第27回「“キネマ旬報”ベスト・テン」の「外国映画」部門第1位に選出された。世界中で大ヒットした、映画史上の不朽の名作である。ナルシソ・イエペス(Narciso Yepes、1927~97)のギター独奏による哀しく美しい主題曲「愛のロマンス」、子役たち~11歳の少年役のジョルジュ・プージュリー(Georges Poujouly、1940~2000)と5歳の少女役のブリジット・フォッセー(Brigitte Fossey、1946~)~の無邪気な可愛らしい名演が涙を誘った。

ストーリー :
1940年6月、第2次世界大戦中のフランス。パリはドイツ軍の手に落ち、田舎道を南へ急ぐ難民の群にもナチの爆撃機は襲いかかって来た。5歳の少女ポーレット(B・フォッセー)は、機銃掃射に両親を奪われ、死んだ子犬を抱いたまま、ひとりぼっちになってしまった。
彼女は難民の列から離れてさ迷ううち、牛を追って来た農家の少年ミシェル(G・プージュリー)に出会った。彼はドレ(リュシアン・ユベール)家の11歳になる末っ子で、ポーレットの不幸に同情して自分の家へ連れ帰った。ドレ家では、ちょうど長男のジョルジュ(ジャック・マラン)が牛に蹴られて重傷を負い、大騒ぎしているところだった。ポーレットはミシェルから死んだものは土に埋めるということを初めて知り、廃屋になった水車小屋の中に彼女の子犬を埋め十字架を立てた。墓に十字架が必要なことを知ったのも彼女にとって新知識であり、以来彼女はこのお墓遊びがすっかり気に入ってしまった。ジョルジュは容態が悪化して急死した。そのとき、隣家のグーアル(アンドレ・ワスリー)の息子フランシス(アメディー)が軍隊を脱走して帰って来た。グーアル家とドレ家は犬猿の仲だったが、フランシスとドレの娘ベルテ(ロランス・バディー)とは恋仲であった。ジョルジュの葬式の日、ドレは葬式馬車の十字架がなくなったことに気づいたが、これはミシェルがポーレットを喜ばすために盗んだのだった。ミシェルは更に教会の十字架を盗もうとして司祭に見つかり、大叱言を喰った。しかし、ミシェルとポーレットはとうとう教会の墓地まで出かけて、たくさんの十字架を持ち出した。ジョルジュが死んではじめての日曜日、ドレ一家は墓参に出かけたが、ジョルジュの墓の十字架がなくなっているのを見て、ドレは、グーアルの仕業にちがいないと思い込み、そこへ来たグーアルと大格闘をはじめた。しかし、司祭(ルイ・サンテーブ)の言葉で盗んだのはミシェルだとわかり、ドレはミシェルが何のために十字架を盗んだのか理解に苦しんだ。翌朝、ドレ家に二人の警官が訪れた。ドレはてっきり十字架泥棒がばれたものと思ったが、実はポーレットを孤児院にひきとりに来たのだった。ミシェルの必死の懇願にもかかわらず、ポーレットは連れ去られた。
ポーレットは多くの人であふれる駅に連れてこられる。修道女によって首から名札を下げられたポーレットは、この場所から動かずに待っているように言われて、その場に残される。ポーレットが一人きりになると、人ごみの中から「ミシェル!ミシェル!」と呼ぶ声が聞こえてくる。その声にハッとしたポーレットは涙して、ミシェルの名を叫びながら探しに行く。しかし人違いで、ミシェルはいない。ポーレットはママ(母)とミシェルの名を泣き叫びながら走り出し、雑踏の中へと姿を消していく―。

▼予告編(2018年リバイバル上映)



音符 ナルシソ・イエペスによる哀愁に充ちた「愛のロマンス」のギター独奏 :



■私感 :
私は本作をこれまでに何回観ただろうか。
最初に本作を観たのは、郷里・北海道の映画館で小学生の時だったと思う。そして、2回目、3回目は大学時代に東京の映画館で鑑賞。その後、テレビの洋画劇場やVHS、DVDで何度となく観るチャンスに恵まれた。結局、飽くことを知らず観続けて十数回、今回が15(or 16?)回目に当たるだろうか。
いい映画はいつ観ても、やはり掛け値なしにイイ!この世界の不条理に対する子供たち~ポーレット&ミシェル~の純粋な叫びがいつまでも私の心に突き刺さってやまない!この90分足らずのモノクロ・フィルムは、永遠の輝きにみちた世界映画史上不滅の名作である!

下高井戸シネマは座席数126席。11月6日当日はほぼ満席。さすがに1952年の製作後、六十数年経た現在も世界中の人々に愛されている映画だけのことはある。
映画終了後、同館を出しなに、二人の老婦人が語らっていた。「あのテーマ曲、いつまでも忘れがたいわね…」
ナルシソ・イエペスの切々と鳴り渡るギターのメロディは、涙腺を緩ませる…。私は思わず、「あれはホントに思い出深いですね…」と見ず知らずの彼女らと和して、しばし会話を交わしたのだった―。