
作品データ :
製作年 2012年
製作国 日本
製作・配給 東海テレビ放送
配給協力 東風
上映時間 120分
【2012年6月30日に東海テレビで放送され、その再編集版が翌年2月16日より映画として公開される】
1961年に三重県名張市で起きた、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した事件により、戦後初の無罪からの逆転死刑判決を下された奥西勝(おくにし・まさる)の苦悩と戦いを、実録ドラマを交えて描いたドキュメンタリー。無罪を主張し、物証もほとんどなく、関係人物の証言も確たるものではないにもかかわらず、51年間も獄中にいる奥西の真実~いつ訪れるか分からない刑執行に怯え、際限なく再審請求を繰り返している奥西の孤独や恐怖~を映し出していく。事件発生当初から蓄積した圧倒的な記録と証言を再検証し、本作を作り上げたのは、『平成ジレンマ』『死刑弁護人』の齊藤潤一(監督・脚本)と阿武野勝彦(プロデューサー)。これは、東海テレビ放送の名物ドキュメンタリー「司法シリーズ」を手掛ける二人が、カメラが入ることが許されない独房の死刑囚を描き出す野心作である。ドラマ部分では青年時代と現在の奥西をそれぞれ山本太郎と仲代達矢が演じ、母・奥西タツノを樹木希林が熱演。ナレーターを務めるのは、寺島しのぶ。

1961年3月28日の夜、三重県名張(なばり)市葛尾(くずお)の「薦原(こもはら)地区公民館葛尾分館」で、三重県と奈良県の県境に跨がる「葛尾」集落の村民らで構成する「三奈(みな)の会」※の年次総会が開かれ、男性12人、女性20人が出席する。総会後の懇親会の席で男性には清酒、女性にはぶどう酒が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、そのうち5人が亡くなった(死亡者は、奥西フミ子〈30歳〉、奥西千恵子〈34歳〉、新矢好〈25歳〉、中島登代子〈36歳〉、北浦ヤス子〈36歳〉)。捜査当局は清酒を飲んだ男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に異常が見られなかったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査する。その結果、ぶどう酒に有機リン系テップ剤の農薬が混入されていることが判明した。
※「三奈の会」は、三重県名張市葛尾と奈良県山辺郡山添村葛尾の両地区合同の「農村生活改善クラブ」~農業改良・生活改善・文化向上と両村民の親睦を兼ねたクラブ~である(「三奈」は三重の三と、奈良の奈、両県の頭文字をとって命名された)。
その後、捜査当局は重要参考人として「三奈の会」会員の、ぶどう酒の購入や運搬に関与した男性3人を聴取する。3人はいずれも犯行を否認したが、そのうちの1人、奥西勝(35歳)に疑いの目を向けた。妻の千恵子と愛人の北浦ヤス子が共に被害者だったことから、「三角関係を一気に解消しようとした」ことを犯行の動機と見て、彼を追及する。
奧西は警察から連日激しい取り調べを受けた。任意の取り調べだったが、彼はジープで警察に連行され、長時間にわたって執拗に尋問され、自宅に帰っても泊まり込んだ警察官に監視された。その監視は寝食から排便に及まで及ぶもので、ついに彼は事件発生から6日後の4月3日早朝、「妻と愛人との三角関係を清算するため」ブドウ酒に農薬を入れたと自白、殺人と殺人未遂の容疑で逮捕された。逮捕直前~自白直後~、彼は名張警察署で記者会見に応じて犯行を告白している。この記者会見は“自白の任意性”を世間に知らしめる警察の演出だった。
奥西は逮捕後の取り調べ中から「警察に自白を強要された」として、自供を翻し、犯行否認に転じる。だが、津地検は「総会前に一人きりになった午後5時過ぎの10分間に、ブドウ酒の王冠を歯でこじ開け、農薬を混入した」と殺人罪などで彼を起訴した。
事件は物的証拠がほとんどなく、奥西の“自白”が逮捕の決め手だった。1964年12月23日、第一審の津地裁(小川潤裁判長)は、自白は信憑性がなく、物的証拠も乏しいとして、検察側の死刑求刑を退け、奥西に無罪判決を言い渡す。判決理由で、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認め、同日、彼は釈放された。検察側はこの判決を不服として、名古屋高裁に控訴する。
1969年9月10日、控訴審の名古屋高裁(上田孝造裁判長)は、第一審の無罪判決を破棄し、奥西に死刑判決を言い渡す。彼は同日、名古屋拘置所に収監された。自白が不当な取り調べに基づくという疑いを示す証拠がないというのが判決理由だった。目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたことについて、時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした。戦後の裁判で唯一、無罪から極刑への逆転判決である。奥西は判決を不服として最高裁に上告する。
1972年6月15日、最高裁(岩田誠裁判長)は上告を棄却する。これにより、奥西の死刑判決が確定した。
確定死刑囚として収監された奥西(1926/01/14~2015/10/04)は、死亡するまでの43年にわたり“冤罪”を叫び続け、1973年4月から何度も再審請求と棄却を繰り返した。
1973~2002年に名古屋高裁への第1~6次再審請求はいずれも棄却され(第5次再審請求審から日本弁護士連合会〈日弁連〉が支援。第5次再審請求審は20年に及んだ)→第7次再審請求で2005年4月に一度は再審開始決定が出たが、結局それも取り消され(第7次再審請求審は11年半に及んだ)→2013年11月申し立ての第8次再審請求は棄却され→第9次再審請求中の2015年10月4日午後0時19分、奥西はかねて患っていた肺炎のため、八王子医療刑務所(東京都八王子市)で病死(享年89歳。彼は2012年5月初め頃、軽い肺炎症状を呈し→同月27日、高熱を発して名古屋拘置所の外部の病院に緊急入院→翌6月11日、当の病院から八王子医療刑務所に移送され、以来人工呼吸器を装着しながら再審開始を要求)→再審請求人の奥西の死に伴い、第9次再審請求審は終結。
警察や裁判所が有効とした自供や証拠には不審な点が多く見受けられるにもかかわらず、再審請求が棄却され続け、第9次再審請求の道半ばで帰らぬ人となった奥西死刑囚。彼のために決然と立ち上がった弁護団は、<名張毒ぶどう酒事件>を「ずば抜けて不当」とし、彼が獄死した今もなお遺族とともに、奥西の無念を晴らさんと、事件の真相解明に当たっている。
2015年11月6日、奥西の妹・岡美代子(85歳)が名古屋高裁へ第10次再審請求を申し立てる。奥西の遺志を引き継いで新たな再審請求人となった岡による、奥西の名誉回復のための死後再審請求である。しかし、2017年12月8日、名古屋高裁はこの再審請求を、又しても棄却した―。
本作『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』では、いつ訪れるか分からない処刑という“絶望”と何度も提出される再審請求という“希望”の狭間で生きる奥西死刑囚の痛切な心情が絶妙に表現されている。何度裏切られても、彼は信じ続ける。裁判所が事実と良心に従って無実を認めてくれる、と。
本作が対象とする「再審請求」は、2012年5月25日の名古屋高裁「第7次再審請求差し戻し審」までである。本作の<2012年6月30日TV放映→2013年2月16日劇場初公開>後に、保身と偽善の気配が漂う司法の歪みを身をもって知らしめた奥西死刑囚は、無念の獄死を遂げた―。
ストーリー :
獄中から半世紀の間、無実を訴え続けている死刑囚がいる。奥西勝(仲代達矢)、86歳。
1961(昭和36)年3月28日、三重県名張市の小さな村の寄り合いで、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。逮捕された奥西は、「警察に自白を強要された」と訴え、無実を主張。1964年の第一審は無罪だったものの、1969年の第二審は逆転死刑判決。そして1972年6月15日、最高裁で死刑が確定した。奥西は死刑執行の恐怖と闘いながら、繰り返し再審を求め続けて今に至っている。
奥西の無実を信じているのが、母、タツノ(樹木希林)。事件で村を追われ、見知らぬ町で独り暮らしを始めた。内職をして電車賃を稼ぎ、月に1度、名古屋拘置所にいる息子に会いに行く。タツノは奥西に969通の手紙を送った。「お金のあるあいだ、湯たんぽを貸してもらい、牛乳も飲みなさい」「やっていないのは、おっかあが一番知っている」「長い間の苦労は毎日、涙いっぱいですよ」 奥西は再審を待ち続けるタツノと約束をする。“無実を晴らして、必ず帰る” しかし、その約束は果たされることなく、彼女は1988年11月4日、84歳で亡くなった。
そして、もう一人、奥西を支え続けたのが支援者の川村富左𠮷(天野鎮雄)。確定死刑囚への面会は、肉親と弁護士以外許されていないが、川村は法務省に掛け合い、 奥西との面会を許される。川村は彼との面会を10冊のノートに記録した(1987年12月から2005年10月まで約18年259回にわたる面会記録)。「起床7時。運動毎日50分。運動は3坪ほどの部屋で歩くばかり」「作業、朝7時40分頃から袋貼り。午後4時に終わる。報酬は月2千円」「正月の食事、鯛の塩焼き・数の子・餅・赤飯・みかん・菓子。普段は米麦6対4」「息子が突然、面会に来た。20数年ぶり。嬉しかった」「誰かの死刑が執行された。一斉放送のニュースが突然切れたのでおかしいと思った」「胃がんの手術。3分の2を切除」
事件から44年後の2005(平成17)年4月、名古屋高裁はようやく奥西の再審開始を決定した。川村と奥西は名古屋拘置所の面会室のガラス越しに握手。「今度は晴れて、塀の外で握手しましょう。…お互いしぶとく、しぶとく生き続けましょう」と二人は約束した。しかし、喜びも束の間、検察が異議申し立てをし、再審は棚上げとなった。そして、その半年後の10月23日、川村は病に倒れ、この世を去る(享年74歳)。奥西との約束を果たすことができずに…。
2006年12月に奥西の再審開始決定は名古屋高裁の別の裁判官によって取り消されたが、2010年4月に最高裁は名古屋高裁に審理を差し戻し。2012年5月、名古屋高裁~第7次再審請求差し戻し審~は再び、検察側の異議申し立てを認めて再審開始決定を取り消した―。
今でも続く再審請求の行方は見えず、弁護団の鈴木泉弁護士は“これまでに奥西さんに死刑宣告をし、その死刑宣告を維持し続けた50人以上もの裁判官の責任を問いたい”と語る。司法は一体、何を狙っているのか?獄中死を望んでいるのか?司法の正義とは何か。
▼予告編
▼ Full Movie :
◆齊藤潤一(1967~)監督インタビュー(neoneo web-【Interview】2013/02/14) :
《選択肢はドラマしかなかった》
― これまでの東海テレビ放送の劇場公開ドキュメンタリーには、観客にテーマの是非を問いかける作りという共通項がありました。去年(2012年)の『死刑弁護人』(齊藤監督)、『長良川ド根性』(阿武野勝彦・片本武志監督)になるともう、世の中や人間のうらおもてを見る目が試される域にまで達していて。/ところが『約束』は、とてもまっすぐです。名張毒ぶどう酒事件のこと、獄中で50年以上も無罪を求め続けている奥西勝さんのことを知ってほしいとストレートに訴えている。ドキュメンタリーから初めて俳優をキャスティングしたドラマ作品になりましたが、それと同質なほどの方向の違いだと感じます。
齊藤 『平成ジレンマ』は確かに、戸塚さんの信念を聞いて、みなさんはどう思いますか? と投げかける作りでした。今回は事件と奥西さんについて自分はこう思う、これは冤罪だ、と伝えています。その違いはありますね。/名張毒ぶどう酒事件は、僕にとってとても思い入れのある題材です。ディレクターになって初めてのドキュメンタリー番組が「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(06)でした。その時点で、これはとんでもない事件だ、再審請求と取り消しが繰り返されている限り、作り続けなければ駄目だと思いました。
― それから「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」(08)、「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」(10)と続き、初めてのドラマ『約束』は4作目にあたるわけですね。
齊藤 2年に1度の間隔で、名張市葛尾の住民を通して、弁護士の鈴木泉先生を通して、と視点を変えながら作ってきましたが、3作目の「毒とひまわり」を作った時に、あれ、4作目はどうしよう…と行き詰まりを感じたんです。視点がなくなってきたこともあるのですが、もっと大きく感じたのは、この題材をドキュメンタリーで作り続ける限界です。/主人公と定めた人にとにかく朝から晩まで密着して、プライベートも関係なしに追ってこそ良い作品ができる。これが原則的なドキュメンタリーのありかたです。しかし名張毒ぶどう酒事件の場合は、主人公が塀の中にいて取材ができないジレンマを抱えていました。奥西さんの心境や苦しみ、今何を考えているのかは、直筆の手紙をお借りして撮る、文面をナレーションにする、あるいは面会を終えた弁護士や肉親の方にどんな様子だったかを聞く、といった間接的な形で伝えてきましたが、「毒とひまわり」まで作った時点で、奥西さん本人の姿を撮れないまま主人公として描くことはもう出来ないなと感じたんです。これだけ長いあいだ独房にいる死刑囚の心境には計り知れないものがあるはずなのに、それを伝えられる表現がない。苦しむうちに、ああ、残された選択はドラマしか無いなと。
― ドキュメンタリーからドラマへは、つまり必然だった。
齊藤 はい。僕はドキュメンタリーしか作ったことがありませんし、ドキュメンタリーが大好きです。どっちが上という話ではありませんが、ドラマは所詮フィクションに過ぎない、ドキュメンタリーのほうが真実を伝えられるという思いを僕自身が持っていました。しかし今回はドキュメンタリーの限界を感じた。だったらドラマの力を借りてみよう。そう思ったのが『約束』を作るきっかけです。
《仲代達矢さんしかいない》
― ドキュメンタリーにも、カメラがその場にあること自体によって被写体を動かしていくところがあります。ドラマに挑戦しても、演出の方法論は意外と違わなかったのでは、と想像しているのですが。
齊藤 そう、現場でやっていること自体はそんなに違わないですね。違ったのは、シナリオの存在があることです。作り方はそれぞれあると思いますが、東海テレビのドキュメンタリーでは台本を用意しません。とにかく取材を重ねていい素材を集めて、そこからどんな料理を作ろうかと考えていきます。取材対象者にこんなことを言ってほしい、こんな動きや表情をしてほしい、笑ってほしい、泣いてほしい…と幾ら思っても、その通りにいくことはまずありません。でも今回は、自分の希望を最初からシナリオとして書ける。これは楽しかったですねえ(笑)。
― しかし俳優さんもまた、齊藤さんがシナリオを書いた時のイメージとは違う演技をするわけでしょう。
齊藤 もちろん。芝居を付けるという意味での演出は、僕は仲代達矢さんに対して一切していません。奥西勝死刑囚は今こういう状況に置かれ、おそらくこんなことを考えていると状況だけをお伝えして、後はお任せしたんです。これは奥西さんの母親役の樹木希林さんも同じです。今日は1年振りに息子に面会できる日で、とても楽しみにしながら塀の前を歩いている状況だと伝えて、「お願いします!」。あとはお2人が自分で自分を演出し、的確な演技を出してくれました。
― 阿武野勝彦プロデューサーはプロダクションノートで、この企画をドラマにすると決めた時に「巨星とも言うべき名優が必須と直感した」と書かれています。
齊藤 仲代さんや希林さんのような方に出演して頂けたからこそ作品ができた、そうでなければ作品にすること自体が無理だったと思っています。
― ここで、「毒とひまわり」と『約束』のどちらにも「司法は、何を狙っているのか」というナレーションがある点についてお聞きします。/「毒とひまわり」では、司法には冤罪の可能性のある高齢の死刑囚はこのまま獄中死させ、面倒を避けたい思惑の可能性が多分にあるのだぞ、と訴える意図がハッキリと伝わりました。しかし、なぜか『約束』では同じナレーションなのにスムーズに入らなかった。例えば「司法は何を守ろうとしているのか」ならばストンと落ちるのに、などと思ったんです。/ここをよくよく考えると、ドラマにする難しさも感じます。仲代達矢という俳優の出すパワーはやはり凄く、ライオンのような覇気があるので…。
齊藤 実際の奥西さんは現在86歳で、がんの手術もし、もっとやせ細っていると思います。仲代さんが演じると元気に見えてしまうというのは、うーん、そこは確かに難しいところですね。
― キャスティングが違っていた可能性はありましたか?救援活動をする川村富左𠮷さんを演じているのは名古屋を拠点に活動している天野鎮雄ですが、朴訥な味のこの俳優さんが奥西さんを演じ、仲代達矢が川村さん役になるという。川村さん役なら外で動く場面もいろいろ作りやすいし、<市井のヒーロー>として演じ甲斐もある。これもひとつのセオリーですよね。
齊藤 でも、僕は最初から奥西さん役は仲代さんでと決めていました。奥西さんの風貌は、「毒とひまわり」でも入れている、面会者が描いた似顔絵でイメージするよりなかったのですが、仲代さんに「毒とひまわり」のナレーションをお願いして初めてお会いした時に、ああ奥西さんはこんな雰囲気なのでは!とイメージが重なりました。それに事件当時の映像で見られる、若い頃の奥西さんはけっこうハンサム、いい男でしょう。/ですから、奥西さん役は仲代さんありき。仲代達矢による奥西勝を描きたかったに尽きるんです(笑)。/母親役も、希林さんしか頭に浮かびませんでした。これはもう、ピピッときたとしか言いようがないかな。今から他のキャスティングを考えてみろと言われても、出来ませんね。この2人しかいない、無理なら作れないというぐらいに惚れ込んで出演をお願いしました。
《名前を呼ばれた途端、白髪になる》
― ドラマなればこそ、仲代達矢なればこその説得力は確かに横溢しています。死刑囚はいつ刑が執行されるかと、毎日朝が来ることに怯えながら暮らしている。その酷な現実が熟達の一人芝居によって表現されている。
齊藤 午前中は廊下の足音が怖い。ああいう描写は、初めて死刑確定から再審無罪が確定した免田事件の免田栄さんに取材して伺った話がずいぶん参考になっています。/本当に怖かったそうです。死刑執行は午前中なので、昼食が配給されるとやっと、明日の朝までは助かったとホッとできるそうです。しかし、夜になると朝の訪れが怖い。その繰り返しだったという免田さんの話を、かなりシナリオに取り入れさせてもらっています。/もう一人、やはり再審無罪になった死刑冤罪事件である島田事件の赤堀政夫さんにも取材のためにお話を伺っています。赤堀さんは、廊下からコツコツと足音が聞こえてきて「お迎えが来たぞ」と呼ばれた瞬間に、頭髪が白髪になったそうです。実際は刑務官が房を間違えたそうですが。死刑囚はそんな思いを毎朝している。そこまでの恐怖は想像がつきません。
― 映画と直接関係のない、ややぶしつけな質問をします。『約束』という映画はこれから公開されて、観客の審判を受けます。齊藤さんは映画の生みの親であり、同時に映画の弁護人であり、被告本人でもある。今日も多くの取材を受けていますが、疲れていつのまにか微妙に答えが変わってきてしまう、ということは?冤罪事件は長い取り調べの苦痛から逃れるため自白へ誘導されることが問題なので、齊藤さんにも聞いてみたいのです。
齊藤 なるほど、複数の取材に答えるうちに表現が微妙に変わり、違う受け取り方をされてしまう可能性は確かに付いて回りますね。過去の冤罪事件の被害者に話を伺うと、やっていないことをいったん自白してしまうのは、その事件に対して主体性がないからだそうです。無実の人間には、自白すると死刑になってしまうという発想そのものが無い。/『約束』に関しては、もしかしたら表現する言葉はそのつど変わるかもしれないけれど、言いたいことは全くブレない自信があります。名張毒ぶどう酒事件は、僕のライフワークといっていい位、思い入れを持っている題材だからです。/『約束』はまず東海テレビで放送しましたが、完全に「これは冤罪だ」と言い切り、踏み込んでいる作りですから、NHKではオンエアはあり得なかったでしょうし、他局でも相当の喧々諤々があったと思います。それ位、決断と覚悟を持って作った作品です。/それに今回は初めてのドラマですから、プロデューサーの阿武野には、脚本や演出は手慣れた外部の人に頼む選択肢はあったと思います。全く作ったことが無いのに「絶対に自分でやりたい」と言う僕に任せるのは大きな賭けだったんじゃないかな。プロデューサーとしては社内からお金を集める仕事がありますし、放送の最終責任も担いますから、不安はあったはずです。しかしそれを阿武野は僕の前で全く口にしなかったし、「やるべきだ」と背中を押してくれました。
― 『約束』は撮影・坂井洋紀、編集・奥田繁と、メインスタッフも「毒とひまわり」に続いて同じですが、スタッフにドラマ経験は?
齊藤 撮影も編集も効果マンも、ドラマを作ったことはありません。普段はニュースを作っているスタッフばかりで作ったんです。美術と照明はドラマ経験がある者が担当しましたが、それにしても相当に特異ですよね。/今、名古屋でドラマを作るということが無いんですよ。東海テレビにも昼ドラはありますが、東京のスタジオで撮っていますし。名古屋でドラマを作る文化は、NHK名古屋制作の「中学生日記」が終了したことで途切れてしまったんです。ですからスタッフは大乗り気でしたね。美術さんも照明さんも、かつてはNHKやCBC(中部日本放送)でドラマを作ってきた人達だから、久し振りにやれるぞと。なんでも東京一極集中のなか、名古屋でもドラマ制作の地盤を作りたいと願っているスタッフが集まってくれました。
― そんな良い話を伺うと改めて、よくドラマにしようと決心できたな、と思います。
齊藤 根が楽観主義者ですから、なんとかなるだろうと。それでも、シナリオを書き始めてから完成までの間に、いつのまにか体重は5キロ落ちていました。楽しい思いをしながら作りましたが、やはりプレッシャーはあったんでしょうね。ちょうど人間ドックで体重を注意されていたので、いい減量ができました。今年の人間ドックでは誉められたんですよ。「よくがんばって落としましたねえ」って(笑)。
《無罪を信じていないと作れない》
― 『約束』に対して僕は、今井正『真昼の暗黒』(56)や山本薩夫『証人の椅子』(65)などといった、かつての独立プロの社会派映画の系譜を継いでくれているという感謝の念があります。映画ファンの感傷でもあるのですが。
齊藤 冤罪を取り上げたそのあたりの映画は、1本目の「重い扉」を作る時に手当たり次第に見ました。自覚はありませんでしたが、今言われてみると、頭の片隅に影響は間違いなくあると思います。ああ、昔はこんな日本映画があったんだと新鮮で、どれも強く印象に残りましたから。「まだ最高裁がある!」とか(笑)。独房の様子をドラマで再現したいというアイデアも、無意識のうちに過去の映画を見たことと結びついているんでしょうね。
― 『証人の椅子』は、まさに『約束』と同じように再審請求のただ中で作られ、無罪を主張する映画でした。
齊藤 こういう題材は、無罪を信じていないと作れないです。中立の立場ではメッセージを伝えきれない。僕も冤罪だと信じたからこそ番組を4本作れました。だから、言い切ることのプレッシャーは当然のようにありますね。反対意見はあると思います。司法のほうが正しいのではないかと、多くの方が思っているかもしれない。実際、「では真犯人は誰なんだ」とよく言われてきました。
― 奥西さんの無罪が証明されることは、すなわち、あの村に真犯人がいたということになる。
齊藤 そういうことになるんです。真犯人探しが始まれば、あの村を崩壊させかねない。放送するたびに覚悟がいりました。ただ、村の人の証言も、パッと行って撮れたものかというと違う。人間関係を構築してから、ようやくカメラを向けました。向こうにも、ひょっとしたら伝えたい思いがあるかもしれない。だとしたら、そこはしっかり引き出さなければいけない。/村人の供述が変っていくのは先輩が撮ったものですが、「自分も自供させられた」と語る会長のインタビューは僕が撮りました。最初は「帰れ!」と門前払いだったんです。あの村にとってマスコミは敵ですからね。家に入れてもらえるまでに何度も何度も通い、家の中で話を聞けるようになっても、撮影は何度も断られ。あのインタビューが撮れるまでに2年近くかかりました。
― 「毒とひまわり」は、弁護団の特別抗告を受けた最高裁が名古屋高裁へ審理を差し戻した2010年春までで終わっています。『約束』の企画がスタートしたのは、2011年の夏だそうですね。ところが、2012年5月に、再審開始の取り消しが決定された。/齊藤さんがシナリオを書かれた時には、前向きな結果を想定していたと思うのですが。
齊藤 していました。2011年の段階では、再審は通るだろうと。最高裁が差し戻したということは、その判決を間違ったものと考えるのが司法の常識ですから。普通ならここで覆ると思ったんですよ。/裁判所の決定は、具体的にこの日にやる、と事前に知らされることはありません。しかしこういう重要な決定は年度末や年度初めに出ることが多いなどがあり、タイミングからすると来年(2012年)の春だろうなと読んで企画を進めました。シナリオの最後は空白にしていましたが、放送の頃にはおそらく再審開始決定が出て、再審裁判はすぐ始まらないにしても、もう間もなく奥西さんは外に出られるだろう。そういう期待のイメージのもとで作ったんです。良い結論で終れるだろうと。/なので、再審開始の取り消し決定には、ガクッときましたね。まさかと思いました。しかし、これまでも何度も何度も棄却を繰り返してきた事件ですから、その可能性があることは覚悟していました。いずれにせよ、奥西さんが再び外の空気を吸っている場面は描いておきたかった。それが、仲代さんが河原を歩いているイメージ場面です。/本当は、『約束』を名張毒ぶどう酒事件へのこだわりの集大成にしたかった。作る側としてはネタも尽きてきて、息切れしている(笑)。しかし今は、獄中死で終るものにはしたくないと祈りながら、もう1本は作らないとアカンだろうと思っています。
▼ cf. NNNドキュメント「裁きの重み 名張毒ブドウ酒事件の半世紀」(中京テレビ放送製作、2006年11月26日放送) :
▼ cf. 「<名張毒ぶどう酒事件>の再審開始を!」 :
(奥西元死刑囚の妹・岡美代子と支援者ら約150人が2017年4月5日、第10次再審請求を申し立てた名古屋高裁前に集まり、早期に再審開始を決定するよう求めた。)
■私感 :
本作を鑑賞しながら、個人的な記憶がいろいろ蘇ってきた。
私の高校時代に、<名張毒ブドウ酒事件>が発生した。当時、家族で食卓を囲んだ際、両親がこの事件をいっとき話題にした。私は父と母、そして二人の姉の言葉のやりとりに耳を傾けてはいた。しかし、その話の趣をトータルに理解できなかったのだろう、事件自体が次第に私の記憶の底に沈んでいった。
私は自分史上、1960年代の日本に起きた犯罪事件に限れば、<名張毒ブドウ酒事件>よりも、「吉展ちゃん事件」(1963年3月31日発生)、「狭山事件」(1963年5月1日発生)、「永山則夫連続射殺事件」(1968年10~11月発生)、「三億円事件」(1968年12月10日)に、ずっと大きな興味と関心を長い間向け続けてきた。
本作を熱心に見入りながら、私は胸が悲しみに重苦しく塞がれ続けた。
この半世紀以上にわたる長い年月の大半を、殺人犯として監獄の中で過ごしてきた奥西勝。その間、彼は2桁を越える囚人が処刑台に行くのを見送った。その恐怖、その孤独…。そして、“必ずや生き抜いて濡れ衣を晴らしてやる”という彼の揺るぎない信念!奥西は私という凡夫の身には想像だにしえぬ悲劇的な世界に身をさらし続けた―。
「東海テレビ」サイトのwebページ http://tokai-tv.com/yakusoku/story.html に本作の出演者である仲代達矢、樹木希林、寺島しのぶの意味深長なコメントが表示されている。
●仲代達矢(奥西勝役):
≪いわゆる“再現ドラマ”というのではなく、 拘置所で50年近く過ごされた奥西さんの心境は測りしれませんが、 仲代達矢がこの状況に追い込まれたらどうなるか、 そういう気持ちで演じました。/60年俳優をやってきた中で、私にとって記念碑的な作品になります。≫
●樹木希林(奥西タツノ役):
≪実際の映像に残っている母・タツノさんから伝わってくる悲しみや苦しさにかなう訳がないと知りつつ、演じました。私たち役者が出演することで、観る人たちにとって見やすくなり、少しでも多くの方にこの出来事が伝われば、と思います。/事件については、関係するそれぞれの人が、みんなそれぞれの立場や事情で証言しているわけで、本当に人間というのは悲しくって、そして愛おしいなと思ったのが正直な気持ちです。/役者を超えて、今は、すごいものと関わったなと思っています。≫
●寺島しのぶ(ナレーター):
≪人が人を裁く難しさも含め、以前から冤罪について関心がありました。/ドラマにするとフィクションに偏りがちですが、この作品は、そうではありません。/普段ドキュメタリーに取り組んでいるスタッフが作っているからでしょう、何とも言えないサラッとした仕上がりで、事件の深層が分かりやすく伝えられています。≫
この際、私という惰弱なる生者が努力すべきは、この3人の味わい深いコメントをゆっくり噛み締めながら、今改めて本作が描く想像を絶する<奥西ワールド>を我と我が身に、そっと手繰り寄せ、「こんな不正義が許されていいはずがない」という素朴な正義感に灯をともすことである。