今回は、モラハラなどの支配の環境から解放された時の影響を考えます。
モラハラの環境から解放されると、空虚感に襲われます。
モラハラの環境にいたとき、いつもモラハラな人に注意を払っていて、いつも頭の中の多くをモラハラな人のために使っています。
モラハラな人との関係を清算し、モラハラな人を恐れる必要がなくなくなってしまうと、頭や心を自分の自由に使えるようになるはずです。
ところが、モラハラな人からの影響で、自分のやりたいことが見つけづらい状態になっていますから、その自由になった部分を自分の好きなことをで埋めることができません。
しかも、モラハラ環境で癖になってしまった緊張状態も簡単には緩んできません。
この時、大きな空虚感、空洞感のようなものを感じ、今の自分にも未来の自分にも何もないような感覚になる場合があります。
モラハラな環境にいる時、批判され、価値観や感情を踏みにじられ大きな悲しみを負っています。
特に、継続的なモラハラな環境の相手は、配偶者、恋人、親子のような、本来は認めて欲しい、助けて欲しいと思う間柄ですから、悲しみは大きいものです。
ですが、モラハラな環境に身を置いていた時は、その相手への対象に忙しかったり、その関係を維持するためには悲しみを忘れる必要があって、そのような悲しみを無視していて鈍感になっています。
モラハラな環境から脱し、自分の心に向き合えるようになると、無視してきた悲しみに気付き、味わうようになります。
本人には、関係が無くなったことからくる深い悲しみのように感じる場合がありますが、本当は今まで蓄積していた悲しみを感じているだけで、関係を清算したことによるものではありません。
モラハラな環境にも身を置いていた時は、相手に対処したり関係を維持する必要があり、その相手への怒りを押し殺しています。
関係を清算すると、対処や維持を考える必要がんくなり、怒りのみが明確に感じ取れるようになってきます。
そして、モラハラな人ばかり考える癖もあり、大きんな空虚感もかんもありますから、その怒りの記憶でそれらを埋めるようになる場合があります。
本人には、モラハラな人に対する憎悪として感じられます。
誰かに怒りをぶつけるのは、心に活力が生まれる感覚があり、気持ちが良いので、繰り返してしまう傾向がありますが、これは心にとって良いことではありません。
憎悪と一緒に辛い過去を思い出し、モラハラな環境を追体験絵することで、、また、モラハラで受けた心のキズを負ってしまいます。
つまり、モラハラでうけた心のキズを癒すのが遅くなるのです。
過去に関係のあった人への憎悪は、無駄な考えです。


