「ムダな考え」というのは、誰の幸せにもつながらない考えのことです。
「ムダな考え」は、不調和な欲求に気付く手がかりになります。
また、「ムダな考え」は、自分の中の欲求に気付くのを邪魔するものでもあります。
この「ムダな考え」について考えてみましょう
冒頭で、「誰の役にも立たない考え」と紹介しました。
では、「ムダな考え」としてどんなものがあるかを考えてみましょう。
- あいつのせいで、こんな酷いことになっている
- 私が正しいはずだ
- 私が怒るのは、当たり前だ
- やっぱり、私はすごい!
- 今のわたしはみじめだ
- ああしておけばよかった。
といった類の考えです。
「正しいか否か」ではなく、「役にたつか否か」で、考えてみると判断しやすいと思います。
私たちは、多くの時間この「ムダな考え」を、何度も繰り返し考えています。
このような「ムダな考え」が必要だとか、正しいと考えていると、周囲をありのままに受け入れることも、建設的な考えに意識を向けるのも難しくなります。
このような「ムダな考え」に早く気づいて、その考えを手放す必要があります。
私たちは、つい「正しさ」にこだわってしまいます。
「正しさ」に従えば幸せになると感じがちですが、その正しさは本当に役立つでしょうか?あなたや相手を幸せにするでしょうか?
「あなたが正しい」と言ってもらいただけになっていませんか?
そう言ってもらったら少し満足しますが、それで誰かが幸せになりますか?
その満足は長持ちするものですか?
私たちが正しさにこだわるのは、他者から「あなたが正しい」と言ってもらえると、すこし満足する(承認欲求が満たされる)というだけの目的しかありません。
人間関係の揉め事のほとんどは、互いの「正しさ」のぶつけあい、価値観のぶつけあいです。
それを無理やり、自分の正しさを勝ち取っても、相手の関係はよくなりません。
この自分の正しさにこだわるのは、仏教で慢という状態です。
仏教では、慢を代表的な煩悩 (不幸せにする心の状態)として注意するように教えます。
これも、代表的な "無駄な考え" です。
そして、慢の背景には強い承認欲求が隠れています。
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「絶対、すてきな恋人が必要!」
「絶対、すばらしい仕事に就くことが必要!」
「絶対、勝たなきゃ!」
と、こだわることも、多くあります。
その考えは役に立ちますか?
多くの場合、緊張や力みを生んで、目標に近づくのを邪魔していませんか?
手に入らない不安や、持っていない不満を生むだけになっていませんか?
「手に入らないから不満」なのではありません。
「手に入れたいのに、手に入らないから不満」なのです。
"手に入れたい" つまり欲求がなければ不満ありません。
これを仏教では、執着と言って代表的な煩悩としています。
これも、ムダな考え代表的な例です。
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過去の出来事を反省して次に生かしたり、未来のための計画は建設的なこと、つまり役に立つこともあります。
ですが、多くの場合、ムダな考えになっています。
- 本当にうまくいくだろうか?
- あれも、これもやらなきゃ
- ああ、なんで、こんなことをしてしまったんだ
といった類です。
未来や過去について考えた時に、感情をともなったり、緊張などを伴うのであれば、無断な考えです。
感情に飲まれているだけです。
これらも、私たちが陥りやすい無断な考えです。
「今ここに集中しよう」と言いますね?
このようなムダな考えに陥らないようにするための教えでもあります。
仏教には、「ムダな考え」の反対を意味する考え方として、以下をあげています。
- 正見:正しく理解する
- 正思惟:正しく考える
この2つをまとめて「慧」と言います。
この「正」は理解の内容や考えの内容ではなく、理解の仕方や考え方です。
つまり、「建設的で誰かの幸せに繋がる理解の仕方、考えかた」という意味です。
これらについては、別の記事でお話をします。
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