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意外すぎる聖書のおはなし

聖書ってそんな話だったの?イメージと違っていた意外なストーリー展開にびっくりしたことを書いてます。

 

イエスキリストの説教にびっくりしちゃった話です。

 

 

 

ユダヤの人々は安息日に会堂に集まり

 

礼拝を守っていました。

 

 

イエスはこれらの会堂で

福音を伝えていたようです。



ある日、イエスは安息日に

いつものように会堂に入り

聖書を朗読しようとして立ちました。

 

 


新約聖書

〔ルカによる福音書4章17-21節〕

すると預言者イザヤの書が手渡されたので、

その書を開いて、こう書いてある所を出された、

「主の御霊がわたしに宿っている。

貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、

わたしを聖別してくださったからである。

主はわたしをつかわして、

囚人が解放され、

盲人の目が開かれることを告げ知らせ、

打ちひしがれている者に自由を得させ、

主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。

イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、

席に着かれると、

会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。

そこでイエスは、

「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」

と説きはじめられた。
 

 

 

イザヤの書というのは

 

紀元前700年代に生きたイザヤ預言者が記した預言書で

 

66章から成るボリュームある預言書ですが

 

イエスが朗読した聖句はこちら。

 

 


旧約聖書


〔イザヤ書 61章1-2節〕

主なる神の霊がわたしに臨んだ。

これは主がわたしに油を注いで、

貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、

わたしをつかわして心のいためる者をいやし、

捕われ人に放免を告げ、

縛られている者に解放を告げ、

主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、

また、すべての悲しむ者を慰め、
 

 

という部分を読んでいたようです。


イエスが産まれる700年以上前に記されたこの預言は

あなたがたが耳にしてこの日に成就したと言いました。



つまり、こういうこと!?

 



『主なる神の霊がイエスに臨んだ。

これは主がイエスに油を注いで、

貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだねた』。



なんとダイレクトな自己紹介!!


じゃなかった、、

 

 

説教でした。




自分が何者であるかを


こんなにはっきり伝えていたとは。



ただの聖句朗読かと思ったら

思わぬ爆弾発言!?に

 

周りの反応は

 

感嘆する人、驚く人それぞれでした。

 

 

 

このあと、イエスのある言葉に

 

人々が猛烈に怒ってしまいます。

 

 

イエスキリストは柔和で温厚なイメージでしたが

 

発言は驚くほど大胆でした。

 

 

この方の言動、ますます目が離せません。

 

 

 

 

 

聖書の中の養子縁組の話です。

 

モーセが産まれるもっと前のお話です。

 

 

 

旧約聖書

 

〔創世記48章3-6節〕

 

そしてヤコブはヨセフに言った、

 

「先に全能の神がカナンの地ルズでわたしに現れ、

 

わたしを祝福して、 言われた、

 

『わたしはおまえに多くの子を得させ、

 

おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。

 

また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる』。

 

エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、

 

エジプトの国で生れたあなたのふたりの子は

 

いまわたしの子とします。

 

すなわちエフライムとマナセとは

 

ルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします。

 

ただし彼らの後にあなたに生れた子らは

 

あなたのものとなります。

 

しかし、その嗣業はその兄弟の名で呼ばれるでしょう。

 

 

 

エジプトの宰相となっていたヨセフは

 

父ヤコブが病気と聞いて

 

自分の息子二人を連れて父に会いにいったところ、

 

父ヤコブがこのように伝えて

 

ヨセフの二人の子供をヤコブの子供としました。

 

 

 

実の祖父が自分の孫と養子縁組してました!

 

 

 

それで、イスラエルの12部族の中に

 

ヤコブの11番目の息子ヨセフの名前じゃなくて

 

エフライムとマナセの名前があったんですね。

 

 

それともうひとつ、ヤコブは気になることを話してました。

 

 

 

〔創世記48章17-19節〕

 

ヨセフは父が右の手を

 

エフライムの頭に置いているのを見て不満に思い、

 

父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。

 

そしてヨセフは父に言った、

 

「父よ、そうではありません。こちらが長子です。

 

その頭に右の手を置いてください」。

 

 父は拒んで言った、「わかっている。

 

子よ、わたしにはわかっている。

 

彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。

 

しかし弟は彼よりも大いなる者となり、

 

その子孫は多くの国民となるであろう」。

 

 

 

ヨセフの子供は長男がマナセ、次男がエフライムでした。

 

ヤコブが祝福するときに

 

エフライムを長男のように扱ったので

 

ヨセフは長男はマナセだと伝えたけど

 

ヤコブは「わかっている。」と答えました。

 

 

 

わかってるけど、

 

次男エフライムは長男マナセより

 

大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろうって

 

どういうこと!?

 

 

 

 

次男エフライムの子孫は

 

モーセの後継者ヨシュアです。

 

 

モーセについて行ってエジプトを出たイスラエルの民は

 

最初の世代はシンの荒野で生涯を終えますが

 

その後、ヨシュアが次の世代の人々を引き連れて

 

神様が約束したカナンの地に入りました。

 

最後まで神様を信じ抜き、勇敢な人物でした。

 

 

 

そして数百年後、

 

エフライム族のヤラベアムは

 

北イスラエルの王となりました。

 

 

 

聖書って過去から未来へ

 

預言が成されていくから不思議です。

 

 

 

その時代の話だけじゃなくて

 

その時代の話が未来にも繋がっていて

 

新たな物語ができてるんですよね。

 

 

 

 

聖書ってどんな本なの?

 

と聞かれたら

 

永遠に続く本とも答えたい。

 

 

 

 

 

 

モーセが生きていた時代のびっくりエピソードです。



お近くの国の王バラクと

 

王が頼りにしたバラムが関わる物語。



まずこのお二人、名前が似ててわかりにくい。


それと、バラクとバラムのエピソードが大きく2つあって、

 

1つはイスラエルの民を祝福する話で

 

1つはその逆の話だからこんがらがりました。


 

 

 

まず1つめ。

 

 

 

モアブの王様バラクは

自分の地にやってきた

 

イスラエルの民を恐れていたので

 

ベオルの子バラムに

 

イスラエルの民を呪ってほしいと言って呼び出そうとします。

 

しかし、神様がバラムにイスラエルを呪ってはならないと伝えました。

王様バラクとバラムは何度もやりとりをして

王は三度、イスラエルを呪うようにバラムに依頼しましたが

バラムは三度もイスラエルを祝福する言葉を伝え

 

王様バラクは怒りました。

 

 

 

 

2つめがこちら。

 


旧約聖書

〔民数記 25章1-3節〕

イスラエルはシッテムにとどまっていたが、

民はモアブの娘たちと、みだらな事をし始めた。

その娘たちが神々に犠牲をささげる時に民を招くと、

 

民は一緒にそれを食べ、娘たちの神々を拝んだ。

イスラエルはこうして

ペオルのバアルにつきしたがったので、

主はイスラエルにむかって怒りを発せられた。

 

 

 

ぺオルとはモアブで信仰されていた神だそうです。

 

異邦の神を拝む娘たちを関係を結ぶことによって 

イスラエルの民たちの神様に対する信仰が崩れていきました。



これとバラムと一体どんな関係が!?

 

 

 

 

旧約聖書

 

〔民数記 31章14-16節〕

モーセは軍勢の将たち、

すなわち戦場から帰ってきた千人の長たちと、

百人の長たちに対して怒った。

モーセは彼らに言った、

「あなたがたは女たちをみな生かしておいたのか。

彼らはバラムのはかりごとによって、

イスラエルの人々に、

ペオルのことで主に罪を犯させ、

ついに主の会衆のうちに疫病を起すに至った。

 

 

 

 

 

 

バラムのはかりごとって書いてますが

 

モアブの地で信仰されていた神を拝む

 

女性たちをイスラエルの民に近づけることが

 

バラムの計略だったということ!?

 

 

 

はかりごとってハニートラップ・・・!?

 

 

 

モアブの王バラクがバラムに

 

イスラエルの民を呪うよう頼んだ時は

 

神様から呪ってはいけないと言われて

 

祝福の言葉を伝えましたが

 

今度は神様と正面対決するんじゃなくて

 

神様を信じる人々の心を別の方法で離れさせて

 

モアブの王バラクの思惑が

 

実現するようにしたってことですか!?

 

 

 

表面上は土地の奪い合いだったかもしれないけど

 

まずは敵の心を奪って骨抜きにすれば

 

勝利を得たも同然ということか・・・

 

 

 

 

この話、イエスの弟子ヨハネが

 

数々の幻を見て記録した黙示録にも出てきます。

 

 

新約聖書

〔ヨハネの黙示録2章14節〕

しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。

あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。

バラムは、バラクに教え込み、

イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、

偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。


 

 

 

 

神様を信じるって「自分の心がどこに向くか」という話だから

 

そこがつまづくようにしたんですね・・・

 

 

 

 

 

人間が考えることって

 

何千年経っても変わらないんだなあって思ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

これ、誰の話だと思いますか?

 

 

新約聖書

 

〔ルカによる福音書1章77-79節〕

 

幼な子よ、あなたは、

 

いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。

 

主のみまえに先立って行き、その道を備え、

 

罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。

 

これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。

 

また、そのあわれみによって、

 

日の光が上からわたしたちに臨み、

 

暗黒と死の陰とに住む者を照し、

 

わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。

 

 

イエスキリストのことじゃないの?

 

 

 

ここに出てくる幼な子は

 

イエスが産まれる半年前に産まれた

 

バプテスマのヨハネの話でした。

 

 

 

バプテスマのヨハネってだれ?

 

 

彼の母エリサベツはイエスの母となるマリヤと親戚で

 

彼の父ザカリヤは祭司でした。

 

この言葉は父ザカリヤが

 

聖霊に満たされて預言した時の言葉です。

 

 

主のみまえに先立って行き、その道を備え、

 

罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。

 

との預言の通り、

 

バプテスマのヨハネは多くの人々を悔い改めに導きました。

 

 

 

ルカによる福音書はイエス誕生の前に

 

バプテスマのヨハネの誕生を記していますが

 

時系列的に先に書かれたことよりも

 

もっと大切なことがありました。

 

 

 

彼の誕生により預言が成されたことです。

 

御使いが父ザカリヤに

 

産まれてくる子供のことをこう話しています。

 

 

〔ルカによる福音書1章16-17節〕

 

そして、イスラエルの多くの子らを、

 

主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。

 

彼はエリヤの霊と力とをもって、

 

みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、

 

逆らう者に義人の思いを持たせて、

 

整えられた民を主に備えるであろう」。

 

 

 

同じような記述が

 

旧約聖書の一番最後のマラキ書にあります。

 

 

 

旧約聖書

 

〔マラキ書4章5-6節〕

 

見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、

 

わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。

 

彼は父の心をその子供たちに向けさせ、

 

子供たちの心をその父に向けさせる。

 

これはわたしが来て、

 

のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。

 

 

 

 

エリヤは紀元前800年代に生きた預言者です。

 

彼は後継者である預言者エリシャの見てる前で

 

つむじ風に乗って天に昇ったと聖書に記されてます。

 

そして先ほどのマラキ書が書かれた年代

 

詳しくはわかりませんが紀元前400年代のようです。

 

 

主の大いなる恐るべき日って書いてあるから

 

恐ろしい感じがしますが

 

この日は主の救いが成される時でもあります。

 

 

 

 

旧約聖書のマラキ書の預言の通りに

 

エリヤの霊と力をもつ人物を神様が送ったから

 

こりゃいよいよ、主の日が来るということですね!

 

 

 

だから、キリストの誕生の前に

 

どうしても書かないといけなかった大切な人でした。

 

 

 

彼の誕生は旧約聖書の数々の預言書に記された

 

救いの日が近いしるしであり

 

新しい時代の幕開けだったようです。

 

 

 

 

なじみのある昔話とかだと

 

「あ、そういうことね!」ってすぐわかるんだけど

 

聖書の内容がわかってないと

 

エリヤが来るって言われても

 

「エリヤって誰?」ってところから始まっちゃうのが

 

個人的にはまどろっこしい・・・

 

 

 

文化的背景というか

 

宗教の背景というか

 

どこで何を聞いて育ってきたのかって

 

だいぶ影響しますねぇ。

 

 

バプテスマのヨハネが

 

そんなに大きな鍵を握る人物だっとは知りませんでした。

 

 

 

 

2000年前のイスラエルでは

 

主人と奴隷が存在していて

 

足を洗うことが奴隷の仕事だった

 

ということを知って

 

聖書の中のいろんな

 

足に関する場面が気になってきました。

 

 

ここにも足を洗う場面が載ってます。

 

 

新約聖書

 

〔ルカによる福音書7章44節〕

 

それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、

 

「この女を見ないか。

 

わたしがあなたの家にはいってきた時に、

 

あなたは足を洗う水をくれなかった。

 

ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、

 

髪の毛でふいてくれた。

 

 

 

 

足を洗う水をくれなかったって

 

一体どうしちゃったんでしょうか。

 

 

 

これはイエスが、パリサイ人のシモンに語った言葉です。

 

パリサイ人のシモン(イエスの弟子シモンペテロとは別人)が

 

イエスに食事を共にしたいと申し出てたので

 

イエスがシモンの家に行ったんですけど

 

その時に足を洗う水をくれなかったそうです。

 

 

 

当時は奴隷が主人の足を洗っていたし

 

食卓に招いた客人であれば、

 

食事の前に足を洗えるよう準備してもいいはず。

 

でもパリサイ人のシモンはそうしなかったようです。

 

 

〔ルカによる福音書7章38-39節〕

 

するとそのとき、その町で罪の女であったものが、

 

パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、

 

香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、

 

泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、

 

まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、

 

そして、その足に接吻して、香油を塗った。

 

 

 

えっっ

 

これってもしかして

 

足を洗う水の代わりに涙で足を洗って

 

手ぬぐいの代わりに

 

当時女性が大切にしていた髪の毛を使って

 

そのあと貴重な香油を塗ったということですか?

 

 

 

なんで人が食事している時に

 

いきなり女の人が出てきて

 

突拍子もない事をしているのか

 

全然意味がわかりませんでしたが

 

なんと、シモンが足を洗う水をくれなかったために

 

このことが起きていたとは・・・

 

 

 

シモンが足を洗う水をくれなくて

 

罪のある女が涙で足を洗ったら

 

シモンが心の中で

 

「もしこの人が預言者であるなら、

 

自分にさわっている女がだれだか、

 

どんな女かわかるはずだ。

 

それは罪の女なのだから」。

 

と思ったことに対して

 

イエスが金貸しの喩え話をして

 

『この女は多く愛したから、

 

その多くの罪はゆるされているのである』

 

と伝えたんですね。

 

 

事の背景が見えてきた気がします。

 

 

 

ちなみに香油は当時の年収1年分に値する高価なものだそうで。

 

 

年収1年分!!

 

 

 

それほど高価な香油を使ったことも驚きです。

 

 

 

ここに登場したパリサイ人シモンのように

 

イエスをいぶかしく思う人々がいる中で

 

自分の尽くせる限りの礼を尽くした女性の行動は

 

その信仰告白以上に

 

ものすごく勇気ある行動のように思えてきました。

 

 

彼女の涙は年収1年分の香油より

 

はるかに尊いものだったかもしれません。

 

 

 

聖書の人物の出身部族を知ると

 

聖書がわかりやすくなる話です。

 

 

 

 

神様がモーセに律法を与えたとき

 

イスラエルの人々をレビ人と12部族とにわけました。

 

神様の幕屋に仕え、神様のものとなったレビ人と

 

神様が嗣業(土地などの財産)を与えた12部族です。

 

 

 

 

以降、全員ではないものの

 

聖書には誰がどの部族か書いてあったりします。

 

そして、部族名を使ってその国をさしてる言葉が

 

旧約聖書の預言書にたくさん出てきます。

 

 

 

その部族の名前は

 

「ユダ」と「エフライム」です。

 

イスラエルなのになんで2つの部族の名前なの?

 

 

イスラエルが2つの国に分かれたからです。

 

 

 

その昔、イスラエルに王はいませんでした。

 

紀元前11世紀頃、初代サウル王が誕生します。

 

2代目はサウル王の娘婿のダビデ王

 

彼はサウル王の娘婿になる前、

 

まだダビデが羊飼いをしていた少年だった頃

 

神様がダビデを王にするよう預言者に伝えました。

 

3代目はダビデの息子のソロモン王です。

 

イスラエルはソロモン王の時代に最盛期を迎えました。

 

 

 

そして、4代目、ソロモン王の息子レハベアム王の時代

 

イスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂します。

 

 

レハベアム王はユダ族、ベニヤミン族、レビ人を率いて南ユダ王国を、

 

ソロモン王の家来だったヤラベアムが残りの10部族を率いて

 

北イスラエル王国の王となりました。

 

 


 

旧約聖書の預言書の中には

 

「ユダ」と「エフライム」についての記述がありますが

 

ユダとエフライムの部族をさしてる場合もありますが

 

南ユダを建国したレハベアムがユダ族で

 

北イスラエルを建国したヤラベアムがエフライム族だから

 

ユダが南ユダ王国を

 

エフライムが北イスラエル王国をさしてる場合もあります。

 

 

 

 

最初読んだ時は

 

ユダって誰だっけとか

 

エフライムってどこの土地だったっけ?と

 

だいぶこんがらがりましたが

 

そういうことだったみたいです。

 

 

 

ちなみに、イスラエルが2つの国に分かれた要因はいくつかあるものの

 

決定的だったのは、ソロモンが晩年に

 

主なるあなたの神のみ愛せよ

 

という一番大事な律法を守らなかったことです。

 

 

旧約聖書

 

〔列王紀上11章11節〕

 

それゆえ、主はソロモンに言われた、

 

「これがあなたの本心であり、

 

わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、

 

わたしは必ずあなたから国を裂き離して、

 

それをあなたの家来に与える。


 

 

 

あれ?

 

ソロモン王は箴言を残すくらいに

 

聡明で信仰深い王様だったんじゃ・・・

 

 

そうなんです。

 

ソロモン王はエルサレム神殿も建てた功績のある王様です。

 

 

そして、外交政策の一環として

 

外国から多くの妻を迎えていていましたが

 

彼は晩年、その妻たちの影響で

 

異邦の神々への信仰に傾いていったようです。

 

 

 

国が2つに分かれて以降、

 

それぞれの時代に即位した王が

 

神様にどのように接したのかや

 

各王が打ち出す外交政策を

 

神様がどのような目で見て

 

預言者を通して何を語っていたかが書かれています。

 

 

 

国が分裂した後

 

神様に背を向けて生きる王様も出てくる中で

 

この時代は

 

神様にとって心痛い日々だったかもしれません。

 

 

 

聖書の列王紀や歴代志は

 

「戦争ばっかやん!」って思ってましたが

 

どうやら戦争について語りたかったわけはなさそうです。

 

 

 

 

 


これは聖書にあった集団リストラ事件です。

 

 

 

いつの時代も

 

社会の大きな変動によって

 

雇用の問題が発生しますが、

 

当時も国を揺るがす大きな出来事がありました。

 

 

 

国が2つに分かれてしまったのです。

 

 

 

紀元前900年代に

 

イスラエルが北イスラエルと南ユダにわかれました。

 

 

国が分かれてリストラに遭うって

 

どこか倒産したんですか!?

 

 

 

会社ではなく

 

宗教に関するリストラでした!!

 

 

 

リストラにあってしまったのは

 

北イスラエルに住むレビ人たちでした。

 

 

 

旧約聖書

 

〔列王紀上12章28-31節〕

 

そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、

 

「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。

 

イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から

 

導き上ったあなたがたの神を見よ」。

 

そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。

 

この事は罪となった。

 

民がベテルへ行って一つを礼拝し、

 

ダンへ行って一つを礼拝したからである。

 

彼はまた高き所に家を造り、

 

レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。

 

 

 

 

 

旧約聖書

 

〔歴代志下11章13-15節〕

 

イスラエルの全地の祭司とレビびとは

 

四方の境から来てレハベアムに身を寄せた。

 

すなわちレビびとは自分の放牧地と領地を離れて

 

ユダとエルサレムに来た。

 

これはヤラベアムとその子らが彼らを排斥して、

 

主の前に祭司の務をさせなかったためである。

 

ヤラベアムは高き所と、みだらな神と、

 

自分で造った子牛のために自分の祭司を立てた。

 

 

 

 

 

何が起きたかというと、

 

北イスラエルの王となったヤラベアムが

 

金の子牛を作ってました。

 

 

 

金の子牛って新しい宗教ですか!?

 

 

 

むかし、モーセが神様から律法をもらうために

 

40日シナイ山にいたときにも

 

民がアロンにお願いして金の子牛を作って拝んでましたが

 

新しい宗教を作ったというよりは

 

目には見えない神様という存在を金の子牛で偶像化した

 

ということだったようです。

 

 

 

目には見えない神様を

 

形で表したら子牛になったってことでしょうか・・・

 

 

 

 

ところで、どうしてレビ人だけリストラだったかと言うと

 

レビの子孫たちであったレビ人は神の幕屋に仕える人々として

 

神様に聖別された存在でした。

 

祭司はもちろんレビ人だし、

 

神の幕屋を管理する様々な事柄はすべて

 

レビ人たちしかしてはならないと律法で定められています。

 

 

 

ところが

 

ヤラベアムが金の子牛を拝みなさいと国民に伝えて

 

そのための祭司たちはレビ人でなく

 

一般の人を祭司に任命したから

 

彼らのお仕事がなくなっちゃったのです。

 

 

 

それで、北イスラエルに住んでいたレビ人たちは

 

南ユダのレハベアム王のところに身を寄せました。

 

 

 

この時、レビ人以外の他の部族の人々の中で

 

金の子牛じゃなくて

 

神様を信仰して生きたいと思う人々も

 

北イスラエルを離れて南ユダに身を寄せました。

 

 

 

国が変わっただけじゃなく

 

宗教にも異変が起きていたんですね。

 

 

実はこれ、神様が一番驚いたんじゃないかと思います。

 

 

 

神様は、ヤラベアムが王になる前

 

預言者を通してヤラベアムに

 

10部族を与えるとおっしゃってましたから。

 

 

 

どうしてこうなっちゃったのかというと

 

これにはヤラベアム自身の恐れが大きく影響したようです。

 

 

 

当時、政治と宗教は密接に関わっていました。

 

 

 

信仰の中心地はエルサレム神殿でしたが

 

エルサレムはヤラベアムが統治する北イスラエルではなく

 

南ユダの領地にありました。

 

そのため、エルサレムに燔祭を捧げに行く北イスラエルの民が

 

南ユダのレハベアム王に味方し

 

自分を殺すかもしれないと恐れたようです。

 

 

 

なるほど・・

 

そういう心配があって

 

自国の領土に祭壇を2つ作ったということなんですね。

 

 

 

このことが集団リストラに繋がったこともびっくりですが

 

神様に信頼されて10部族を任されたヤラベアムが

 

身の危険を感じて国の宗教に手を加えて

 

金の子牛を拝ませたことが何より驚きでした。

 

 

 

 

 

神様に10部族を与えると言われた時は

 

自分が将来、金の子牛を作るとは

 

ヤラベアム本人も夢にも思わなかったかもしれません。

 

 

 

緊急時には本当に何が起こるかわからないし

 

自分がその時どんな選択をするのか、

 

自分にもわからないものです。

 

 

なんともびっくりなお話でした。

 

 

 

古代イスラエルでは

 

寝そべって食事をする習慣があったと知り

 

聖書のいろんな食事の場面が

 

私のイメージと全然違ってたことに驚いてます。

 

 

 

 

寝そべってご飯を食べてたとしたら

 

いくら足は反対側にあったとしても

 

足が綺麗がどうか気になるところです。

 

 

 

アスファルトや石畳の道でなかったら

 

いくら靴履いてても

 

砂埃とか土埃がすごそうですし。

 

 

 

しかも、ロバや牛を使って仕事してたことを考えると

 

道端に家畜のふんが転がっていた可能性も・・・

 

 

 

こうなると、食事の前に

 

「手、洗った?」だけじゃなくて

 

「足、洗った?」と確認したくなります。

 

 

 

ところで、当時の人々は

 

家に入るとき足を洗っていたようです。

 

 

 

そして、足を洗うという行為は

 

当時、奴隷がする仕事だったそうです。

 

 

 

ついつい忘れがちですが

 

2千年も前のお話なので

 

主人と奴隷という身分が存在してました。

 

 

 

 

聖書でイエスが弟子たちの足を洗う場面があります。

 

 

 

 

 

新約聖書

 

〔ヨハネによる福音書13章4-7節〕

 

 

 

夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、

 

手ぬぐいをとって腰に巻き、

 

それから水をたらいに入れて、

 

弟子たちの足を洗い、

 

腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。

 

こうして、シモン・ペテロの番になった。

 

すると彼はイエスに、

 

「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。

 

イエスは彼に答えて言われた、

 

「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、

 

あとでわかるようになるだろう」。

 


 

 

 

夕食の席についてたのに

 

なぜ突然足を洗い始めたのか

 

全然意味がわかってなかったんですが

 

当時の習慣があった上での行動だったんですね。

 

 

 

ちなみにこの場面は最後の晩餐の時の話です。

 

この時すでにイエスは自分の行く末や

 

誰が自分を裏切るのかを知っていました。

 

 

 

そして、自分が弟子たちの足を洗ったのは

 

弟子たちに手本を示したのだと伝え

 

「あなたがたも互いに足を洗いあうべきだ」

 

とおっしゃいました。

 

 

 

 

奴隷が主人の足を洗うことが常識だった時代に

 

イエス自ら弟子たちの足を洗ってあげ


お互いにそうしなさいと言ったイエスの心は

 

当時の風習を理解する時に

 

心に響くメッセージかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

この人とあの人は

 

ここでこう繋がってたんですか!

 

という話です。

 

 

 

 

今日の始まりはアブラハムからです。

 

 

 

イスラエルの人々の先祖であり、

 

信仰の父と言われるアブラハムがいました。

 

 

 

 

アブラハムの息子はイサクです。

 

イサクの息子が双子の兄エサウと双子の弟ヤコブ。

 

詳しいことは省きますが

 

弟ヤコブが長子権を得て父イサクから祝福を受けました。

 

 

 

ヤコブには4人の奥さんと12人の息子がいました。

 

 

最愛の妻から生まれた

 

11番目の息子のヨセフを父が可愛がり

 

兄たちに嫉妬されたヤコブは

 

兄たちにエジプトに奴隷として売られてしまいます。

 

 

ヨセフはエジプトで苦労し、紆余曲折ありましたが

 

最終的にエジプトの宰相になりました。

 

 

 

飢饉で兄たちがエジプトに食料を買いに来た時

 

いろいろあったんですが

 

ヨセフは過去兄たちが自分を売ったことを許し

 

父ヤコブと兄たち家族みんな

 

エジプトのゴセンという地に移住しました。

 

 

 

歳月が流れ

 

ヨセフのことを知らないエジプトのファラオは


イスラエルの民が増えることを恐れて

 

彼らを奴隷としました。

 

それでも民が増え続けるので

 

男の子が産まれたらナイル川へ投げ込めと命令しました。

 

その頃産まれたのがモーセです。

 

 

 

 

このモーセが

 

後にイスラエルの人々をエジプトから導き出し

 

神様からモーセの律法をもらい

 

イスラエルの人々に伝えました。

 

 

 

そして、モーセの後継者のヨシュアの時代に

 

人々はようやく先祖アブラハムたちが住んでいた

 

カナンという地に戻ってきたのでした。

 

 

 

長い間故郷を離れ

 

そのあと戻ってきたというこの話、

 

実は先祖アブラハムに神様が伝えていました。

 

 

 

 

旧約聖書

 

〔創世記15章12-16節〕

 

日の入るころ、アブラムが深い眠りにおそわれた時、

 

大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ。

 

時に主はアブラムに言われた、

 

「あなたはよく心にとめておきなさい。

 

あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、

 

その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。

 

 しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。

 

その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。

 

あなたは安らかに先祖のもとに行きます。

 

そして高齢に達して葬られるでしょう。

 

 四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。

 

アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。

 

 

解釈は諸説あって

 

一説によると

 

四代目というのは一代を100年として

 

四世代と考えるのだとか。

 

 

 

 

ん?

 

これはどこから数えて四世代ですか?

 

 

 

レビ(137年)→コハテ(133年)→

 

アムラム(137年)→モーセの四代です。

 

 

 

レビって誰?

 

 

 

レビはヨセフの父ヤコブの3番目の息子で

 

ヨセフとは異母兄弟です。

 

ということは

 

ヨセフの代で人々がエジプトに移住してから

 

四代目がモーセだったということですか!

 

 

 

さて、エジプト脱出後

 

神様がモーセに律法を与えた時

 

イスラエルの民をヤコブの子供たち毎に12部族にわけました。

 

 

 

この時、ヤコブの三男レビの子孫たちは12部族の中に数えられず

 

神の幕屋を守る役割となりました。

 

 

 

 

その他のヤコブの息子たち

 

ルベン、シメオン、ユダ、イッサカル、ゼブルン、

 

ガド、アシェル、ダン、ナフタリ、ベニヤミンと

 

 

ヤコブの息子ヨセフの2人の息子

 

マナセ、エフライムの子孫たちが

 

それぞれ12部族となりました。

 

 

 

この後の時代は

 

聖書の登場人物がどの部族出身なのかが

 

記されていたりします。

 

 

 

ちなみにイエス・キリストは

 

12部族の中のユダ族の子孫です。

 

 

 

 

いろんな人たちが一気に登場しましたが

 

みんなアブラハムの子孫で

 

ヤコブの子孫たちでした。

 

 

 

旧約聖書

 

〔ミカ書5章2-3節〕

 

 

しかしベツレヘム・エフラタよ、

 

あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、

 

イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。

 

その出るのは昔から、いにしえの日からである。

 

それゆえ、産婦の産みおとす時まで、

 

主は彼らを渡しおかれる。

 

その後その兄弟たちの残れる者はイスラエルの子らのもとに帰る。

 

 

 

 

 

 

 

 

神様と人間の

 

時間の感覚が違い過ぎてびっくりした話です。

 

 

 

新約聖書

 

〔ペテロ第二の手紙3章8節〕

 

愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。

 

主にあっては、一日は千年のようであり、

 

千年は一日のようである。

 

 

 

 

一日が千年のように途方もなく長いのも

 

千年が一日のようにあっという間なのも

 

どっちも感覚的に理解できないんですが

 

神様はこのように感じているんでしょうか・・・

 

 

 

 

以前、モーセがイスラエルの民にこう言いました。

 

 

旧約聖書

 

〔申命記18章15節〕

 

あなたの神、主はあなたのうちから、

 

あなたの同胞のうちから、

 

わたしのようなひとりの預言者を

 

あなたのために起されるであろう。

 

あなたがたは彼に聞き従わなければならない。

 

 

 

 

モーセのようなひとりの預言者というのは

 

新約聖書に登場する

 

イエスキリストをさしているようなのですが

 

モーセとイエスの間には

 

およそ1300年~1500年が経ってます。

 

 

 

もしも、神様の時間の感覚が

 

一日が千年のようでもあるけれども

 

「千年が一日のよう」な感覚でもあるとしたら

 

モーセの時からイエスの時までが

 

一日半くらいの感覚ってことですか???

 

 

 

 

イエスの弟子のヨハネが

 

イエスが亡くなったあと

 

イエスの幻を見て黙示録を書きました。

 

数々の幻を記録したあとこう記しています。

 

 

 

新約聖書

 

〔黙示録22章20節〕

 

これらのことをあかしするかたが仰せになる、

 

「しかり、わたしはすぐに来る」。

 

アァメン、主イエスよ、きたりませ。

 

 

 

ここでの「わたし」とはイエスのことです。

 

イエスがすぐに来ると言ってます。

 

 

 

イエスは今から2000年ほど前の人物です。

 

ひょっとして、神様の感覚では

 

その時から今に至るまで

 

まだ2日しか経ってないとも言えるんでしょうか?

 

 

 

 

神様の「すぐ」の感覚って一体・・・