使徒パウロとパウロの師についてのお話です。
イエスが亡くなってから
イエスにより直接伝道されたパウロですが
もともとはパリサイ派の熱心なユダヤ教徒でした。
パリサイ派といえば、
イエスの生前はしきりにイエスの言動を監視して
訴える口実を探していたし
イエスの死後も弟子たちを迫害していました。
新約聖書
〔使徒行伝22章3節〕
そこで彼は言葉をついで言った、
「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、
この都で育てられ、
ガマリエルのひざもとで
先祖伝来の律法について、
きびしい薫陶を受け、
今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。
パウロがイエスを信じるようになり、各地で宣教しましたが
エルサレムで清めの儀式を神殿で行っていた時、
アジヤから来たユダヤ人がエルサレムで群衆を扇動して
パウロを殺そうとする騒ぎが起きた時に
パウロが人々の前で語った言葉の一部です。
そんな物騒な事件に巻き込まれながら
人々の前で話すパウロの度胸にびっくりです。
さて、パウロはイエスに伝道される前は
ガマリエルのひざもとで
律法について厳しい教えを受けたそうですが
ガマリエルはこの記述より前の
使徒行伝5章に登場しています。
〔使徒行伝5章33-40節〕
これを聞いた者たちは、
激しい怒りのあまり、
使徒たちを殺そうと思った。
ところが、国民全体に尊敬されていた
律法学者ガマリエルというパリサイ人が、
議会で立って、
使徒たちをしばらくのあいだ
外に出すように要求してから、
一同にむかって言った、
「イスラエルの諸君、
あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。
先ごろ、チゥダが起って、
自分を何か偉い者のように言いふらしたため、
彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、
結局、彼は殺されてしまい、
従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。
そののち、人口調査の時に、
ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、
この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。
そこで、この際、諸君に申し上げる。
あの人たちから手を引いて、
そのなすままにしておきなさい。
その企てや、しわざが、
人間から出たものなら、自滅するだろう。
しかし、もし神から出たものなら、
あの人たちを滅ぼすことはできまい。
まかり違えば、
諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。
そこで彼らはその勧告にしたがい、
使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、
今後イエスの名によって語ることは相成らぬと
言いわたして、ゆるしてやった。
そんなことがあったんですか!!
この時のガマリエルの助言により
使徒たちは殺されずに済んでいました。
国民全体に尊敬されていたガマリエルの言葉は
怒り狂う人々をも治めていました。
パウロの師匠がこんなところで活躍していたとは。
神様はいつ誰を通して助けてくださるのか
本当にわからないものです。