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意外すぎる聖書のおはなし

聖書ってそんな話だったの?イメージと違っていた意外なストーリー展開にびっくりしたことを書いてます。

 

 

使徒パウロとパウロの師についてのお話です。

 

 

 

イエスが亡くなってから

イエスにより直接伝道されたパウロですが

もともとはパリサイ派の熱心なユダヤ教徒でした。



パリサイ派といえば、

イエスの生前はしきりにイエスの言動を監視して

 

訴える口実を探していたし

 

イエスの死後も弟子たちを迫害していました。

 

 


新約聖書

〔使徒行伝22章3節〕

そこで彼は言葉をついで言った、

「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、

この都で育てられ、

ガマリエルのひざもとで

 

先祖伝来の律法について、

きびしい薫陶を受け、

今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。 
 

 

 

パウロがイエスを信じるようになり、各地で宣教しましたが

 

エルサレムで清めの儀式を神殿で行っていた時、

 

アジヤから来たユダヤ人がエルサレムで群衆を扇動して

 

パウロを殺そうとする騒ぎが起きた時に

 

パウロが人々の前で語った言葉の一部です。

 

 

 

そんな物騒な事件に巻き込まれながら

 

人々の前で話すパウロの度胸にびっくりです。

 

 

 

さて、パウロはイエスに伝道される前は

 

ガマリエルのひざもとで

 

律法について厳しい教えを受けたそうですが

 

ガマリエルはこの記述より前の

 

使徒行伝5章に登場しています。

 

 


〔使徒行伝5章33-40節〕

これを聞いた者たちは、

激しい怒りのあまり、

使徒たちを殺そうと思った。 

ところが、国民全体に尊敬されていた

律法学者ガマリエルというパリサイ人が、

議会で立って、

使徒たちをしばらくのあいだ

外に出すように要求してから、 

一同にむかって言った、

「イスラエルの諸君、

 

あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。 

先ごろ、チゥダが起って、

自分を何か偉い者のように言いふらしたため、

彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、

結局、彼は殺されてしまい、

従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。 

そののち、人口調査の時に、

ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、

この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。 

そこで、この際、諸君に申し上げる。

あの人たちから手を引いて、

そのなすままにしておきなさい。

その企てや、しわざが、

人間から出たものなら、自滅するだろう。 

しかし、もし神から出たものなら、

あの人たちを滅ぼすことはできまい。

まかり違えば、

諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。

そこで彼らはその勧告にしたがい、 

使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、

今後イエスの名によって語ることは相成らぬと

言いわたして、ゆるしてやった。 

 

 

 

 

そんなことがあったんですか!!

 



この時のガマリエルの助言により

使徒たちは殺されずに済んでいました。



国民全体に尊敬されていたガマリエルの言葉は

 

怒り狂う人々をも治めていました。

 

 

 

パウロの師匠がこんなところで活躍していたとは。





神様はいつ誰を通して助けてくださるのか

本当にわからないものです。


 

 

どうしてその喩えなのか少しわかった話です。

 


今日は『ひな』の喩え話です。

 

 

新約聖書

 

〔マタイによる福音書23章37節〕

 

ああ、エルサレム、エルサレム、

 

預言者たちを殺し、

 

おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。

 

ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、

 

わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。

 

それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

 

 

ひなの喩えっていうから

 

ぴよぴよしたかわいい話かと思ったら

 

その前にすごい怖い話してますけど、

 

これは一体・・・

 

 

 

イエスはキリスト(救い主)と言われる方だから

 

さぞかし癒しや慰めの言葉が多いのかと思ったら

 

わりと厳しめな話が多くてびっくりします。

 

 

 

当時、イエスや弟子の言動を批判し

 

イエスの命を狙うユダヤ教の人々がいて

 

身の危険を感じる中での宣教だったのと

 

純粋にイエスの話を聞きに来たのではなくて

 

訴える口実を作るために

 

どうにかしてその言葉じりを捉えようと

 

質問しにくる人もいたので

 

だいぶ話しにくい状況というか

 

わりと緊張感のあるやりとりが多かったようです。

 

 

 

でも、そのわりには

 

「今、そういうこと言っちゃう!?」っていう

 

誰にも忖度しない発言が多くて

 

そっちにもびっくりします。

 

 

 

今日の話は弟子たちと群衆に語った言葉の一部です。

 

 

 

ああ、エルサレム、エルサレムって呼びかけた後に

 

預言者たちを殺し、

 

おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。

 

って言ってましたがこれはどういう・・・!?

 

 

 

預言者というのは

 

神様の言葉を預かる人で

 

神様を信じるユダヤ人の中から預言者が出ています。

 

なんでその預言者をユダヤ人が殺さなきゃいけないの?

 

という事からまずわからなかったんですが

 

 

 

神様の言葉というのは

 

必ずしも人間が聞きたい言葉だけじゃありません。

 

なので、

 

預言者が語る神様のメッセージを受け入れない

 

当時の王や人々によって

 

迫害を受けた預言者たちが大勢いました。

 

 

 

預言者は身を隠さなければならない場合もあったし

 

投獄された預言者もいたし、

 

最悪の場合、処刑されていました。

 

 

 

 

そういう過去に触れた上で、イエスがこう話しました。

 

ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、

 

わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。

 

それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

 

そうでしたか・・・

 

 

 

 

そして、ひなの喩えは

 

旧約聖書のイザヤ書にこう書かれています。

 

 

〔イザヤ書31章5節〕

 

鳥がひなを守るように、

 

万軍の主はエルサレムを守り、

 

これを守って救い、これを惜しんで助けられる」。

 

 

 

ここにも「鳥がひなを守るように」と記されています。

 

 

イザヤは預言の中で

 

民が神様に背を向けた罪により

 

国が外国に攻められ大変なことになって

 

それをまた別の国の力に頼ろうとする人々の様子も書きつつ

 

鳥がひなを守るように、

 

神様がエルサレムを守り、救い、助けられると伝えました。

 

 

 

イエスよりもおよそ700年ほど前に記されたこの預言は

 

イエスが今、成就しに来たから

 

鳥がひなを守るように

 

その救いと助けの時が来て

 

何度もひなたちを集めようとしたけれど

 

律法学者やパリサイ派の宗教人たちが応じようとしなかった

 

当時の様子をこのように語っていたようです。

 

 

 

 

いくら愛情を込めて育てようとしても

 

応じようともしなかった人々を前にしたら

 

「聞いてくれないならもうやめるわ」

 

って思いたくなりそうですが

 

時には厳しい話をしながらも

 

イエスは最後までメッセージを伝えていました。

 

 

 

 

誰がどう言おうが

 

伝えることは伝える

 

こういうところもこの方は本当に貫いてますね。

 

 

 

「ひな」というからかわいい喩えなのかと思ったら

 

神様の悲痛な!?切実な!?心を含んだ

 

ひなの喩え話でした。

 

 

 

 

 

ヒゼキヤ王が壊したものにびっくりしちゃった話です。

 

旧約聖書

 

〔列王紀下18章3-4節〕

 

ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように

 

主の目にかなう事を行い、

 

高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、

 

モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。

 

イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって

 

香をたいていたからである。

 

人々はこれをネホシタンと呼んだ。

 

 

旧約聖書には、神様以外を信仰していた

 

イスラエルの人々の様子がちらほら出ています。

 

 

 

律法では

 

あなたはわたしのほかに、

 

なにものをも神としてはならない。

 

とあり、

 

神様以外のものを拝むことは

 

主の前に罪を犯すことでした。

 

 

ヒゼキヤ王は神様を頼りとした王様で

 

他の神々の祭壇を取り除いたのですが

 

その時モーセの造った青銅のへびを壊したそうです。

 

 

 

ところで、モーセが作った青銅のへびって?

 

 

 

時は数百年前にさかのぼります。

 

ある時民が神とモーセに向かいつぶやいて

 

主の前に罪を犯したため

 

神様が火のへびを民に送り

 

多くの人が死んだそうです。

 

 

 

そのあと、民がモーセに

 

へびを取り去るよう祈ってくださいとお願いして

 

モーセが神様に祈ったところ

 

神様が言いました。

 

 

旧約聖書

 

〔民数記21章8節〕

 

そこで主はモーセに言われた、

 

「火のへびを造って、

 

それをさおの上に掛けなさい。

 

すべてのかまれた者が仰いで、

 

それを見るならば生きるであろう」。

 

 

それで、モーセが青銅のへびを造り、

 

それを仰いだ人々は生きました。

 

 

 

その後、ヒゼキヤ王が壊す時まで

 

人々はこのへびに向かって香をたいていたようです。

 

 

これって

 

青銅のへびのことも

 

神様のように拝んでたってことですか!?

 

 

 

当時、へびに対する信仰が存在したようで

 

人々が拝みやすい対象だったのかもしれません。

 

 

確かにあの時は罪を犯した人々が

 

モーセが造った青銅のへびを仰いで生きたけれど

 

その後もずっとへびを神様のように信じて生きなさいと

 

言いたかったわけじゃない気がしますが

 

神様はこれらをどのような目で見ていたんでしょうか・・・

 

 

 

 

聖書は神様を信じる人と神様との間のお話だと思っていたのだけど

 

それだけではなくて

 

神様を信じきれない人々や

 

神様を信じていない人々、

 

神様を信じてはいるけれど

 

他の神々も大切にしている人々がいて

 

それに対してあれこれメッセージを送る

 

神様のお話なんでしょうか!?

 

 

 

神様を信じているけれど、

 

不安になって信じきれずに自分の判断で行った人の話とか

 

信じていたけれど

 

自分の気持ちとか環境の変化とか

 

いろんな状況が変わっていくうちに

 

別の存在に心が傾いていく様子とか

 

それほど詳しい描写じゃないのに

 

めちゃくちゃリアルに感じることがあります。

 

 

 

意図的なのか

 

無意識なのかわかりませんが、

 

人間の深層心理を巧みに描いていたりして

 

そういう意味でも

 

聖書は永遠なベストセラーかもしれません。

 

 

 



イエスと同じ時代に生きた人達の多くは

イエスが救い主だとわかりませんでした。

 

バプテスマのヨハネですら

 

自分の弟子をつかわしてこう尋ねていました。

 

 

新約聖書


〔マタイによる福音書 11章2-6節〕

さて、ヨハネは獄中で

 

キリストのみわざについて伝え聞き、

自分の弟子たちをつかわして、 

イエスに言わせた、

「『きたるべきかた』はあなたなのですか。

それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。 

イエスは答えて言われた、

「行って、

あなたがたが見聞きしていることを

 

ヨハネに報告しなさい。
 
盲人は見え、足なえは歩き、

 

重い皮膚病にかかった人はきよまり、

耳しいは聞え、死人は生きかえり、

貧しい人々は福音を聞かされている。 

わたしにつまずかない者は、さいわいである」。 
 

 

 

あれ?

 

 

これが答えなの??

 

 

あんまり答えになってなくない?って思ってましたが

 

イエスは過去の聖句を通して答えてました。



以前、イエスが安息日に会堂で

 

旧約聖書のイザヤ書を読み

 

過去の預言が、この日に成されたと話して

 

つまりはイエスが神が遣わしたキリストだと

 

暗に語っている場面がありましたが

 

それと同じように、イザヤ書で返事をしてました。

 

 

 

該当する聖句は他にもあるかもしれないですが

 

いくつかピックアップしました。

 

 

旧約聖書

 

〔イザヤ書29章18,19節〕

その日、耳しいは書物の言葉を聞き、

目しいの目はその暗やみから、見ることができる。 

柔和な者は主によって新たなる喜びを得、

人のなかの貧しい者は

イスラエルの聖者によって楽しみを得る。 


 

 

 

 

〔イザヤ書35章3-6節〕

 

あなたがたは弱った手を強くし、

 

よろめくひざを健やかにせよ。 


心おののく者に言え、

 

「強くあれ、恐れてはならない。

 

見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、

 

神の報いをもってこられる。

 

神は来て、あなたがたを救われる」と。 


その時、目しいの目は開かれ、

 

耳しいの耳はあけられる。 

 

その時、足なえは、しかのように飛び走り、

 

おしの舌は喜び歌う。

 

それは荒野に水がわきいで、

 

さばくに川が流れるからである。 

 

 

 


そういうことだったんですか!!

 

 

イエスが今まで行ってきた事柄が

 

イザヤ書の預言を成就したことだから

 

イエスが『きたるべきかた』かどうか判断しなさい

 

と返事してたんですね。

 

 

 

私はてっきり、イエスが数々の奇跡を行ったから

 

この奇跡を見たら誰だかわかるよねって言ってるのかとばかり・・・

 

 

こんなにはっきり返事をしていたとは知りませんでした。

 

 

 

イエスが話している内容は

 

モーセの律法や過去の預言書など

 

旧約聖書の聖句が深く関わってるので

 

その話を知らないと

 

イエスと当時の人々との対話が

 

よくわかんないやりとりで終わってることが

 

多いかもしれません。

 


 

 

 

 

律法を行うか行わないかで

 

国の行く末が変わりすぎて衝撃だった話です。



聖書の中で、主の前に良しされることは

 

神様がモーセに与えた律法に聞き従ったことで

 

主の前に罪になることは

 

律法に聞き従わなかったことでした。

 

 


今日はダニエルという預言者の話です。



彼は南ユダ王国に住むユダ族の若者でしたが

 

バビロンという国に王族や貴族たちと共に捕囚され、

 

バビロン王に仕えました。

 

南ユダの人々は何度かバビロンに捕囚され国は滅びました。

 

 

 

ダニエルと同じ時代に生きていたエレミヤ預言者が

「エルサレムの荒廃の期間は70年だ」と語った文書を

 

ダニエルは受け取り

民族の罪について悔い改めました。

 

 

 


旧約聖書

〔ダニエル書9章11節〕

「まことにイスラエルの人々は皆あなたの律法を犯し、

離れ去って、あなたのみ声に聞き従わなかったので、

神のしもべモーセの律法にしるされたのろいと誓いが、

われわれの上に注ぎかかりました。

これはわれわれが神にむかって罪を犯したからです。 」

 


モーセの律法にしるされたのろいと誓いというのが

 

レビ記26章に記されていますが、

 

その一部がこちらです。



 

旧約聖書

 

〔レビ記26章15-17節〕

 

わたしの定めを軽んじ、

 

心にわたしのおきてを忌みきらって、

 

わたしのすべての戒めを守らず、

 

わたしの契約を破るならば、

 

わたしはあなたがたにこのようにするであろう。

 

すなわち、あなたがたの上に恐怖を臨ませ、

 

肺病と熱病をもって、

 

あなたがたの目を見えなくし、

 

命をやせ衰えさせるであろう。

 

あなたがたが種をまいてもむだである。

 

敵がそれを食べるであろう。

 

わたしは顔をあなたがたにむけて攻め、

 

あなたがたは敵の前に撃ちひしがれるであろう。

 

またあなたがたの憎む者があなたがたを治めるであろう。

 

あなたがたは追う者もないのに逃げるであろう。

 

 

 

神様の定めを軽んじた時が

 

めちゃくちゃ怖いんですけど!!

 

 

 

「律法を犯し」というのは、律法を守ってないことですが、

 

例えば

 

神様でない別の神々を拝む、

 

殺人、隣人の所有物(妻も含む)をかすめる、

 

寡婦やみなしごの訴えを聞かない、寄留の他国人を虐げる

 

不正をする、賄賂、偽証するなどなどです。

 

 

 

 

北イスラエルと南ユダが神様に背を向けていた頃の預言書には

 

飢饉や疫病、戦争が起こることが記されていて

 

悔い改めれば神様が希望を与えることも記されています。




ダニエル預言者は

 

今までにない大惨事に見舞われた自分の国の状況は

 

イスラエルの民が律法を犯し

 

神様に聞き従わなかったから起きたことですと

 

悔い改めていました。

 

 


実はこの話、それだけで終わりません。

 

ダニエルがこのように祈っていたら

 

幻で天使ガブリエルが飛んできてこう伝えました。

 

 

〔ダニエル書9章24-25節〕

 

あなたの民と、あなたの聖なる町については、

 

七十週が定められています。

 

これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、

 

不義をあがない、永遠の義をもたらし、

 

幻と預言者を封じ、

 

いと聖なる者に油を注ぐためです。

 

 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、

 

メシヤなるひとりの君が来るまで、

 

七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。

 

その間に、しかも不安な時代に、

 

エルサレムは広場と街路とをもって、

 

建て直されるでしょう。

 

 

そのあともガブリエルの言葉は続いてます。

 

なんだか難しいですが、

 

メシヤ(キリスト)のことを話してました!

 

 

 

ダニエルが生きていた時代に

 

国は大変な事態になってしまいましたが

 

真実に悔い改める人々の前に神様は

 

メシヤ(キリスト)を送るということでしょうか。

 

 

 

ダニエル書だけでなく

 

他の預言書にも

 

神様がメシヤ(キリスト)を送るという預言が

 

ちょこちょこ出てきます。

 

 

 

これらの預言書と

 

新約聖書でイエスが語った言葉や

 

行ったことを照らし合わせていくと

 

いろいろ深いです。

 

 

 

預言の中に名前もばっちり書いてあった話です。

 

 

 

紀元前600年代に南ユダ王国の

 

16代目の王様になったヨシヤは

 

8歳で王となりましたが

 

王となった18年目に

 

神の宮で律法の書が見つかりました。

 

律法を確認した王は

 

今まで律法を守り行わなったことを

 

国をあげて悔い改め、その後

 

過越の祭りを行ったそうです。

 

 

 

ということは

 

律法の書を読んでなかった時代があったんですか!?

 


どうやらそのようです。

 

 

ヨシヤ王の曽祖父にあたる

 

ヒゼキヤ王の時代は

 

神様がイスラエルの民をエジプトから導き出してくださったことを記念とする

 

過越の祭をした様子が聖書にあります。

 

 

しかし、ヨシヤ王の父と祖父は別の神々を信仰していました。

 

 


ところで、ヨシヤ王が産まれることは

 

彼が産まれる300年ほど前に預言されてました。

 

 


旧約聖書

〔列王紀上13章1-2節〕


見よ、神の人が主の命によってユダからベテルにきた。

その時ヤラベアムは祭壇の上に立って香をたいていた。 

神の人は祭壇にむかい主の命によって呼ばわって言った、

「祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、

『見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。

その名をヨシヤという。

彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、

おまえの上にささげる。

また人の骨がおまえの上で焼かれる』」。 
 

 

 

 

これは、紀元前900年代に北イスラエル初の王様となったヤラベアムが

 

金の子牛のための祭壇を築いて

 

香をたいていたときのことです。

 

 

 

一人の神の人が祭壇に向かって

 

ダビデの家にヨシヤという子が産まれると預言してました!

 

 

ヨシヤは律法の書が見つかってから

 

神様のものではない別の神々の祭壇をことごとく廃し

 

ヤラベアムが作ったべテルの祭壇も

 

他の神々の祭壇もすべて廃してました。




実は、北イスラエルは紀元前722年に

 

アッシリヤにより滅ぼされています。

 

個人的には、自分の国の領地だけでなく

 

すでに滅んだ北イスラエルの

 

かつての領地まで行って

 

別の神々の祭壇をすべて廃していたことが驚きでした。

 

 

 

自分の国の領地かどうかよりも

 

神様の前にイスラエルの人々が罪を行ったことは

 

過去の罪も含めてすべて悔い改めるということだったのかもしれません。

 

 

 

ところで

 

ヨシヤが産まれるという預言は

 

人ではなく「祭壇」に向かって預言し

 

人の骨がお前の上で焼かれるって書いてますが

 

これは、お墓の中にあった骨を

 

祭壇の上で焼いたということのようです。

 

 

 

 

 

旧約聖書

 

〔列王紀下23章16節〕

 

そしてヨシヤは身をめぐらして山に墓のあるのを見、

 

人をつかわしてその墓から骨を取らせ、

 

それをその祭壇の上で焼いて、それを汚した。

 

昔、神の人が主の言葉としてこの事を呼ばわり告げたが、

 

そのとおりになった。

 

 

 

お墓を暴いちゃったんですか!?

 

 

 

いや、なんと言うか

 

とてもびっくりなお話でした。

 

 

 

 

 

 

聖書を読んでて

 

なんでそこまでって思った出来事です。

 

新約聖書

 

〔マタイによる福音書2章16節〕

 

さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、

 

非常に立腹した。

 

そして人々をつかわし、

 

博士たちから確かめた時に基いて、

 

ベツレヘムとその附近の地方とにいる

 

二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。

 

 

 

ヘロデが立腹しちゃった理由はこちら。

 

 

 

ユダヤを治めるヘロデ王のところに

 

東方の博士がやってきて

 

「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、

 

どこにおられますか。

 

わたしたちは東の方でその星を見たので、

 

そのかたを拝みにきました」。

 

と言ったので、ヘロデは不安に思いました。

 

ヘロデは「幼な子が見つかったら知らせてくれ」と

 

博士たちに伝えました。

 

博士たちは幼な子イエスに会った後

 

夢で「ヘロデのところへ帰るな」とみ告げを受けて

 

そのまま帰っちゃったので

 

ヘロデが怒ってしまいました。

 

 

 

 

いくら立腹したからといってそこまでしなくても・・・

 

モーセの時にエジプトのファラオが

 

産まれた男の子をナイル川へ投げ込めと命令してましたが

 

今度は同じユダヤ人でしょ?

 

いくらなんでもそれはちょっと、、、

 

って思ってましたが違いました。

 

 

 

ヘロデ王はイドマヤ人でした!!!

 

 

 

ヘロデってユダヤ人じゃなかったの??

 

 

イドマヤ人は聖書ではエドム人と書かれてます。

 

 

 

エドム人のルーツはエサウです。

 

エサウはイスラエル民族の先祖ヤコブの双子の兄です。

 

エサウは弟ヤコブに長子権をあげたエピソードが

 

聖書に載ってますが

 

そのエサウの子孫がエドム人でした。

 

 

 

イスラエルの南側に位置するエドムの国の人々は

 

ダビデ王の時にはイスラエルの支配下に置かれ

 

時代が経つと独立し

 

その後も領地を取ったり取られたりしました。

 

聖書には載ってないですが

 

紀元前100年代に

 

イスラエルのハスモン王朝がエドムを攻めて

 

住民の一部はユダヤ教に改宗させられ

 

ユダヤ人との同化が進んだようです。

 

 

 

ヘロデの父はイスラエルのハスモン王朝の側近でした。

 

ややこしくてうまく説明できないのですが

 

ハスモン朝で内輪もめがありました。

 

ヘロデは当時、ハスモン王朝の保護国だった

 

ローマ皇帝の許可をとりつけ

 

自らがユダヤを治める王となりました。

 

 

 

こうしてユダヤ人が王だったハスモン朝は終わり

 

イドマヤ人のヘロデがユダヤを治めるヘロデ朝が始まりました。

 

 

ヘロデはそういうルーツの人だったんですか!!

 

 

 

何を言いたかったかというと

 

自分の代からイドマヤ人がユダヤの地を治めるようになったから

 

ベツレヘムからユダヤの王が産まれるっていう預言は

 

ヘロデにとってだいぶ恐ろしい話だったんじゃないかと。

 

 

 

猜疑心の強かったヘロデは

 

家族を粛正してたようですし

 

この預言にうなされちゃったかもしれません。

 

 

 

ちなみに、このヘロデが死んだあとに登場してくる

 

ガリラヤ領主のヘロデは彼の息子の一人です。

 

 

同じ名前で書くからややこしい・・・

 

 

ヘロデの出自にびっくりしたお話でした。

 

 

 

 

 

その昔、イエス・キリストと同じくらい

 

注目を浴びていた人物のお話です。

 

 

 

新約聖書

 

〔ルカによる福音書3章15-16節〕

 

民衆は救主を待ち望んでいたので、

 

みな心の中でヨハネのことを、

 

もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた。

 

そこでヨハネはみんなの者にむかって言った、

 

「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが、

 

わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。

 

わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない。

 

このかたは、聖霊と火とによっておまえたちに

 

バプテスマをお授けになるであろう。

 

 

 

 

神様が救い主を送るという数々の預言を読み

 

救い主を待ち望んでいた人々は

 

バプテスマのヨハネに対して

 

この人が救い主では、と考えていたようです。

 

 

 

ところで、バプテスマってなに?

 

 

 

 

『洗礼』のことのようですが

 

本来の意味は『一体化』だそうです。

 

バプテスマのヨハネは人々に悔い改めるよう伝えました。

 

ヨハネは悔い改めの言葉を受け入れた人々に

 

同意のしるしとして水で洗礼を授けていました。

 

 

 

今回、私が気になったところは

 

「くつのひもを解く値うちもない」です。

 

 

 

何でわざわざその表現なのかが

 

ずっとわからなかったんですが

 

これもどうやら昔の習慣が関連してそうです。

 

 

 

2000年前のイスラエルでは

 

足を洗うのは奴隷の仕事だったようなので

 

 

足を洗う時のくつを脱ぐ動作も

 

奴隷にやってもらっていたのでは・・・

 

 

 

くつひもを解く値打ちもないっていうのは

 

奴隷がする仕事よりも値打ちがないってこと!?

 

決して奴隷を侮辱したかったのではなくて

 

それぐらい自分とイエスには差があって

 

イエスは別格だと伝えたかったのかもしれません。

 

 

 

そして、

 

バプテスマのヨハネは水でバプテスマを授けたけど

 

イエスは水じゃなくて、

 

聖霊と火で授けるって言ってますね。

 

 

 

聖霊と火!?

 

 

 

 

イエスの授けるバプテスマは

 

バプテスマのヨハネの洗礼と比べたら

 

別格だということには変わりなさそうです。

 

 

 

 

 

 

 

いろんな経緯が衝撃だった話です。

 

北イスラエルのアハブ王のお話です。

 

 

 

北イスラエルのアハブ王は

 

北イスラエル7代目の王様で

 

他国から嫁いできた妻イゼベルの影響で

 

バアルという神への信仰に熱心でした。

 

 

 

神様は当時の預言者エリヤなどの預言者たちを通して

 

何度もアハブに警告していました。

 

アハブ王のエピソードは聖書にたくさん書いてあるのですが

 

今日の話は、アハブ王が南ユダの王ヨシャパテを誘って

 

スリヤと戦ったときのお話です。

 

 

旧約聖書

 

〔列王紀上 22章30節〕

イスラエルの王はヨシャパテに言った、

「わたしは姿を変えて、戦いに行きます。

あなたは王の服を着けなさい」。

イスラエルの王は姿を変えて戦いに行った。 




〔列王紀上22章33,34節〕

戦車長らは彼がイスラエルの王でないのを見たので、

彼を追うことをやめて引き返した。 

しかし、ひとりの人が何心なく弓をひいて、

イスラエルの王の胸当と草摺の間を射たので、

彼はその戦車の御者に言った、

「わたしは傷を受けた。戦車をめぐらして、

 わたしを戦場から運び出せ」。 
 

 

この傷がもとでアハブ王は亡くなりました。

 



アハブ王がここに至るまでの

背景を少しさかのぼります。




アハブ王の時代

スリヤという隣国は脅威を感じる存在でした。

 

 

 

列王紀上20章では

北イスラエルに攻め込んできたスリヤを

アハブ王が2回迎え撃ったことが記されています。

神様は2回ともアハブ王に預言者を遣わして

主がいることを知らせるために

アハブの手にスリヤの大軍を渡すと話されました。




ところが、スリヤ軍に勝利したアハブ王は

2回目の勝利で

スリヤの王が命乞いをしにきた時に

以前スリヤが北イスラエルから奪い取った町々を

 

返してもらう契約を承諾して

スリヤ王を国に帰してしまいました。



そのため、預言者がアハブに告げました。

 

 

〔列王紀上 20章42節〕

彼は王に言った、

「主はこう仰せられる、

『わたしが滅ぼそうと定めた人を、

あなたは自分の手から放して行かせたので、

あなたの命は彼の命に代り、

あなたの民は彼の民に代るであろう』と」。 
 

 


取られた領地を返してもらえるのは嬉しい話です。

しかも、和解っていう方向になったら、

 

その話、のっちゃうかもしれない・・・

この話、和解が良くなかったのではなくて

 

神様の判断でなく、

 

アハブが自分の判断で決めたことが

 

神様の前で罪となったようです。



その後、北イスラエルとスリヤは3年戦争がなかったようですが

 

アハブ王は、南ユダの王ヨシャパテに

かつてイスラエル領だったラモテ・ギレアデを

取り戻すために一緒にスリヤを攻めないかと声をかけます。



南ユダのヨシャパテ王は、

 

一緒に行くことは承諾したものの、

戦争した方がいいかどうかは

神様に伺いなさいとアハブに伝え

アハブは400人ばかり預言者を集めました。

 

それで、預言者たちに聞いた結果

預言者全員が攻めのぼりなさいという預言でしたが

最後に来たミカヤ預言者がこう話しました。

 

 


〔列王紀上22章19-23節〕

ミカヤは言った、

「それゆえ主の言葉を聞きなさい。

わたしは主がその玉座にすわり、

天の万軍がそのかたわらに、

右左に立っているのを見たが、 

主は『だれがアハブをいざなって

ラモテ・ギレアデに上らせ、

彼を倒れさせるであろうか』

と言われました。

するとひとりはこの事を言い、

ひとりはほかの事を言いました。 

その時一つの霊が進み出て、主の前に立ち、

『わたしが彼をいざないましょう』と言いました。 

主は『どのような方法でするのか』と言われたので、

彼は『わたしが出て行って、偽りを言う霊となって、

すべての預言者の口に宿りましょう』と言いました。

そこで主は『おまえは彼をいざなって、

それを成し遂げるであろう。

出て行って、そうしなさい』と言われました。 

それで主は偽りを言う霊を

あなたのすべての預言者の口に入れ、

また主はあなたの身に起る災を告げられたのです」。 
 

 

 

なんだかびっくり仰天な話し合いが行われてますが、

ミカヤ預言者は天国の様子を見てたようです。




神様はアハブを倒すために

わざわざ全ての預言者に偽りを言わせて

攻め上らせようとさせたということでしょうか!?



ミカヤのこの預言については

他の預言者もたいそうご立腹だったのと、

アハブ王は預言者ミカヤを獄につなぐよう言い渡します。

それでアハブ王はヨシャパテ王と出ていって

スリヤと戦いましたが

自分だけ姿を変えて出ていって、

何気なく敵が打った矢によって負傷し、亡くなりました。

 

 

アハブ王はミカヤ預言者の言った通りとなり

過去に神様が預言者を通してアハブに伝えた通り、

『わたしが滅ぼそうと定めた人を、

あなたは自分の手から放して行かせたために

あなたの命は彼の命に代り』が現実となりました・・・



数年前の戦争で、スリヤの王を放して行かせたために

 

アハブ王の命がスリヤ王の命に代わっていたとは・・





王に即位して22年、

 

神様に立ち返る機会は

 

預言者を通して幾度もありましたが

 

最後まで自分が良いと思う判断を通したことが

 

アハブの運命を決めてしまったようです。


何とも衝撃的なエピソードでした・・・・
 

 

 

 

イエスが会堂で人々に福音を伝えていた時

人々がイエスの言葉に怒りました。

 

 

新約聖書


〔ルカによる福音書4章25-29節〕

よく聞いておきなさい。

エリヤの時代に、

 

三年六か月にわたって天が閉じ、

イスラエル全土に大ききんがあった際、

そこには多くのやもめがいたのに、

エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、

ただシドンのサレプタにいる

ひとりのやもめにだけつかわされた。

また預言者エリシャの時代に、

イスラエルには重い皮膚病にかかった多くの人がいたのに、

そのうちのひとりもきよめられないで、

ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。

会堂にいた者たちはこれを聞いて、

みな憤りに満ち、

立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、

その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、

突き落そうとした。
 

 

 

怒って追い出すだけじゃなくて

 

突き落とそうとしたんですか!?

いくらなんでもそこまでしなくても・・・

旧約聖書の話そのまんま話しただけなのに。



実はその聖書の話にカチンときちゃったようなんです。

どうやらこの話をユダヤ人に向けて話したことが原因でした。



この話に出てきたやもめ女も

シリヤのナアマンも外国人だったからです。

 

 

 

なんで外国人だと怒るの??

 

 

イエスが話していた2つの話を見てみます。

 

 

 

エリヤの時代というのは

 

紀元前800年代の預言者エリヤが生きていた時です。

 

3年半雨が降らず飢饉になった時に神様がこう言いました。

 

 

旧約聖書

 

〔列王紀上17章9節〕

 

「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。

 

わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。

 



ザレパテはエリヤが住んでた北イスラエルから近いですが

 

別の民族が住む地域で外国でした。



次の話は


預言者エリヤの後継者エリシャの時代の話です。

 

ナアマンという人物はシリヤという国の軍勢の長で

 

重い皮膚病を患っていました。

 

預言者エリシャやナアマンに

「ヨルダン川で七度身を洗いなさい」と伝え

その通りに行ったことで重い皮膚病が癒されました。

 

彼も外国人でした。




イエスは「預言者は自分の郷里では歓迎されない」

という言葉の後にこの2人の外国人の話をしました。




飢饉の時に、多くのユダヤ人のやもめ女がいたのに

神様がわざわざ外国人のやもめ女にエリヤを遣わされ

イスラエルに多くの重い皮膚病患者がいたけれども

外国人のナアマンだけが癒されたという話を通して

 

 

 

今もそのようにしてあなたがたは

 

イエスという預言者を歓迎しておらず

 

過去、神様は預言者を外国人に遣わし

 

外国人が癒された事柄が今にも該当すると言わんばかりの話に

 

聞いてた人たちの怒りが爆発しました。




イザヤの預言はこの日に成就されたと

仰天発言をしたかと思えば

イスラエルの人々ではなく

外国人が救われた話を出してくるものだから

かつて外国によって自国を滅ぼされ

神様がイスラエルを救ってくださるその日を

 

何百年も待ち続けてきたユダヤの人々としては

許しがたい言葉だったのかもしれません。
 

 

 

それにしても、この方

 

思った以上に爆弾発言が多い・・・

 




周りの反応を恐れることなく

 

物事の核心や本質をついてくるイエスの説教は

 

心地良い説教ばかりじゃなかっただろうから

 

彼を良く思わない人々が大勢出たのも頷ける気がします。

 

 

 

耳に痛い話はあまり聞きたくないですもんね。