ネホシタン!? | 意外すぎる聖書のおはなし

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聖書ってそんな話だったの?イメージと違っていた意外なストーリー展開にびっくりしたことを書いてます。

 

ヒゼキヤ王が壊したものにびっくりしちゃった話です。

 

旧約聖書

 

〔列王紀下18章3-4節〕

 

ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように

 

主の目にかなう事を行い、

 

高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、

 

モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。

 

イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって

 

香をたいていたからである。

 

人々はこれをネホシタンと呼んだ。

 

 

旧約聖書には、神様以外を信仰していた

 

イスラエルの人々の様子がちらほら出ています。

 

 

 

律法では

 

あなたはわたしのほかに、

 

なにものをも神としてはならない。

 

とあり、

 

神様以外のものを拝むことは

 

主の前に罪を犯すことでした。

 

 

ヒゼキヤ王は神様を頼りとした王様で

 

他の神々の祭壇を取り除いたのですが

 

その時モーセの造った青銅のへびを壊したそうです。

 

 

 

ところで、モーセが作った青銅のへびって?

 

 

 

時は数百年前にさかのぼります。

 

ある時民が神とモーセに向かいつぶやいて

 

主の前に罪を犯したため

 

神様が火のへびを民に送り

 

多くの人が死んだそうです。

 

 

 

そのあと、民がモーセに

 

へびを取り去るよう祈ってくださいとお願いして

 

モーセが神様に祈ったところ

 

神様が言いました。

 

 

旧約聖書

 

〔民数記21章8節〕

 

そこで主はモーセに言われた、

 

「火のへびを造って、

 

それをさおの上に掛けなさい。

 

すべてのかまれた者が仰いで、

 

それを見るならば生きるであろう」。

 

 

それで、モーセが青銅のへびを造り、

 

それを仰いだ人々は生きました。

 

 

 

その後、ヒゼキヤ王が壊す時まで

 

人々はこのへびに向かって香をたいていたようです。

 

 

これって

 

青銅のへびのことも

 

神様のように拝んでたってことですか!?

 

 

 

当時、へびに対する信仰が存在したようで

 

人々が拝みやすい対象だったのかもしれません。

 

 

確かにあの時は罪を犯した人々が

 

モーセが造った青銅のへびを仰いで生きたけれど

 

その後もずっとへびを神様のように信じて生きなさいと

 

言いたかったわけじゃない気がしますが

 

神様はこれらをどのような目で見ていたんでしょうか・・・

 

 

 

 

聖書は神様を信じる人と神様との間のお話だと思っていたのだけど

 

それだけではなくて

 

神様を信じきれない人々や

 

神様を信じていない人々、

 

神様を信じてはいるけれど

 

他の神々も大切にしている人々がいて

 

それに対してあれこれメッセージを送る

 

神様のお話なんでしょうか!?

 

 

 

神様を信じているけれど、

 

不安になって信じきれずに自分の判断で行った人の話とか

 

信じていたけれど

 

自分の気持ちとか環境の変化とか

 

いろんな状況が変わっていくうちに

 

別の存在に心が傾いていく様子とか

 

それほど詳しい描写じゃないのに

 

めちゃくちゃリアルに感じることがあります。

 

 

 

意図的なのか

 

無意識なのかわかりませんが、

 

人間の深層心理を巧みに描いていたりして

 

そういう意味でも

 

聖書は永遠なベストセラーかもしれません。