イエスが幼な子だった頃のお話です。
新約聖書
〔マタイによる福音書2章21-23節〕
そこでヨセフは立って、
幼な子とその母とを連れて、
イスラエルの地に帰った。
しかし、アケラオがその父ヘロデに代って
ユダヤを治めていると聞いたので、
そこへ行くことを恐れた。
そして夢でみ告げを受けたので、
ガリラヤの地方に退き、
ナザレという町に行って住んだ。
これは預言者たちによって、
「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、
成就するためである。
イエスの命を狙っていたヘロデ大王が死んだので
主の使が夢でイスラエルの地に行くよう伝えました。
それで、ヨセフは幼な子イエスと妻のマリヤを連れて
イスラエルに戻りました。
けれど、アケラオが治めていた
ユダヤへ行くことは恐れたと書いてあります。
どうして??
アケラオはヘロデ大王の死後、
ユダヤ、サマリヤ、イドマヤを10年ほど統治しました。
彼は圧政を強いたというか
残酷なやり方もあったようで
民の反感を買い、アケラオは追放され
その後、ユダヤ、サマリヤ、イドマヤは
ローマの直轄領になりました。
ちなみに、ガリラヤ領主は
アケラオの弟ヘロデです。
二人は同じサマリヤ人の女性とヘロデ大王の間に産まれた子供でした。
ヨセフがイスラエルに戻ったのは
アケラオが統治を始めて間もない頃だったと思いますが
ヨセフの耳にもアケラオに関する
良からぬ話が入ってきていたのかもしれません。
ところで、もう少し話を遡ると
ヘロデ大王は
過去に自分の妻の一人
ユダヤ・ハスモン王朝の血を引くマリアンメ1世と
マリアンメ1世が産んだ2人の息子を処刑していました。
3人同時に処刑したのではなく
これまたどろどろのややこしい経緯があるので
ここでの説明は省きます。
ユダヤ・ハスモン王朝は
ヘロデ王朝の前にあった
ユダヤ人が建てた王朝でした。
ハスモン王朝は、過去イスラエルを治めていたダビデの子孫ではなく
祭司の家系であるレビの子孫が建てた王朝でした。
BC586年にバビロンにユダ王国が滅ぼされて以降は
他の民族に支配される形での生活だったので
400年以上経ってようやくユダヤ人が建てた王朝とも言えますが
ダビデの子孫ではない人が王座につくことに
手放しで喜べない人々もいたようです。
そして、ハスモン王朝内では内輪もめが絶えませんでした。
親族内の王位争いが繰り広げられる中
イドマヤ人のヘロデがローマに上手く取り入る形で王座を獲得し、
ヘロデ王朝が誕生しました。
そのような歴史を辿る中で
人々が旧約聖書にある
ダビデの子孫からキリストが産まれる
という内容の預言に希望を見出し
救い主が現れることを期待していたことも
なんとなく頷ける気がします。
ヨセフがエジプトからイスラエルに戻った後も
ユダヤではなく
夢でみ告げを受けて
イスラエルの北の方にある
ガリラヤ地方に退き、ナザレの町に住んだことで
旧約聖書の預言が成就されていました。
平和とは言えない社会情勢の中
過去命を狙われた幼な子が
大人になるまで無事に過ごせたことは
決して当たり前なことではないのだなと思いました。
そういうご時世にイエスが産まれていたとは
知りませんでした。