長谷川三千子先生の『神やぶれたまはず』 については、私も8月22日のブログで書きましたが、非常に大事ではありますが、同時に非常に難しいテーマを扱った本なので、私の記述も要領を得ないものになってしまいました。
「祖国と青年」9月号で、鈴木編集長がこの本の書評を書かれていました。三島由紀夫さんの「英霊の声」に出てくる「神人対晤」という言葉に注目して、私のコメントよりはよほどこの本の魅力を伝えていると思いますので、ここに改めてご紹介します。
昭和という時代は、戦前・戦後で大きく二つに分かれる、ということに異論を挟む者はないだろう。終戦の玉音放送を拝した昭和二十年八月十五日正午は、その「戦前」の終焉であり、かつ「戦後」の始まりでもある。よって、戦後レジームからの脱却を目指す者にとって、この日は「断弦の時」として語られることが多い。それは三島由紀夫の言葉を借りて言えば、「神の死の恐ろしい残酷な実感」であり、折口信夫の言葉を借りて言えば、「神やぶれたまふ」である。
しかし、昭和二十年八月十五日は、本当にただそれだけの時間だったのだろうか。日本人はその日、ある絶対的な時間を持ったのではないだろうか――そういう問題意識から、文学者をはじめとする当時の国民の精神の記録を紐解きながら、この日の意義を明らかにしたのが、長谷川三千子著『神やぶれたまはず―昭和二十年八月十五日正午』(中央公論新社/本体千八百円)である。
本書において、昭和二十年八月十五日正午は、日本人にとって呪うべき「断弦の時」ではなく、「神人対晤の至高の瞬間」として立ち現れてくる。
「神人対晤の至高の瞬間」は、三島由紀夫が「英霊の声」で使った言葉である。三島氏は、「英霊の声」で「などてすめろぎは人間となりたまひし」と、国体に関わる極めて切実な疑問を投げかけたが、本書は、その三島氏の疑問を真摯に受け止め続けてきた著者の思索の軌跡でもある、と私は読んだ。
三島氏の問題提起は、長らく心ある人々の心にわだかまりを残し続けてきた。三島氏の怒りを以て昭和天皇を批判することも、逆に昭和天皇のお立場から三島氏を批判することも容易いが、私を含め、多くの人がそのどちらの立場にもはっきりと身を置くことができなかった。「天皇のために命を捧げて悔いなし」という国民のまごころと、「常に国民の幸せを願われる」天皇の大御心は、究極のところで並び立つか、という命題を私たちに厳しく突き付ける問題だったからである。
著者は、三島氏が「英霊の声」で問題にした二・二六事件でもなく、昭和天皇のいわゆる「人間宣言」でもなく、昭和二十年八月十五日正午に焦点を当てることによって、君民のまごころが究極の地点において過不足なく成就した絶対的な瞬間が、かつて実際に存在したことを描き出して見せた。戦後六十八年にして初めて見える歴史の風景というものがある。あの時、神は死んでも、やぶれてもいなかった。「神風」は確かに吹いたのである。
キリスト教徒にとって、「イエスの死」は何ものかの喪失ではなく、「神人対晤」が成就した絶対的な時間を意味したのと同様に、私たち日本人は「大東亜戦争敗北の瞬間において……本当の意味で、われわれの神を得た」(本書)のである。