月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

「祖国と青年」5月号、本日発刊しました!

 

 

 

 

 

 

Contents

 

 

 

 

第5回TOKYO憲法トークライブ

ロシア・中国と国際社会のリアル     兼原信克  

 

      

国際秩序を守るために

ウクライナへ支援を           ナザレンコ・アンドリー

 

 

 

シドニー湾攻撃から八十年

軍神・松尾敬宇中佐と菊池千本槍  鈴木由充

 

 

 

 

連載

巻頭言 別府正智/皇室だより

日本がよみがえる授業実践  古城奈々

日本の安全保障と自衛隊の歩み 濱口和久

皇統の歴史と旧宮家 勝岡寛次

楠木正成公を仰ぐ 佐瀬竜哉/歌壇 松井嘉和

マンガ「沖縄に咲薫るひめゆり」 稲崋森

 

 

 

【グラビア】悠仁親王殿下、筑波大学附属高等学校にご入学/悠仁親王殿下、お茶の水女子大学附属中学校ご卒業に当たり/ウクライナに自由・平和・独立を

 

 

 

 

 

 

「祖国と青年」4月号、本日発刊しました!

 

 

 

 

 

 

Contents

 

 

 

 

上皇陛下と沖縄祖国復帰

本土と沖縄をつなぐ「祖国」の物語          鈴木由充        

 

 

静かなる国土侵攻

中国資本によるメガソーラー建設問題    エドワーズ博美

 

 

シリーズ 若い世代が語る憲法改正 vol.23
「良識ある人が愛国心を持てばもっと日本は

よくなる」                            勝谷健士郎

 

 

 

 

新リレー連載

日本がよみがえる授業実践  小森 誠

楠木正成公を仰ぐ      外村聖典

 

 

 

 

連載

巻頭言 大葉勢清英/皇室だより

日本の安全保障と自衛隊の歩み 濱口和久

皇統の歴史と旧宮家 勝岡寛次

マンガ「沖縄に咲薫るひめゆり」 稲崋森

 

 

 

【グラビア】「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂祭/改憲の世論喚起へ! 「憲法チラシ」の拡散を

 

 

 

「昭和天皇に献上申し上げたい」。

その思いで「紅白餅」を持ってきたみくに奉仕団一行でしたが、上京時の満員電車で形はゆがみ、箱もつぶれてしまう。

そんな紅白餅をお召し上がりになった昭和天皇陛下が語られた言葉とは・・・

 

 

 

皇居勤労奉仕とは、「昭和20年5月に空襲で焼失した宮殿の焼け跡を整理するため、同年12月に宮城県内の有志が勤労奉仕を申し出たことが始まりであり、それ以降、今日まで奉仕を希望する方々をお受けしています」(宮内庁HP)と説明されるように、皇居における清掃奉仕のことです。

 

『祖國と靑年』3月号には、その発祥である「みくに奉仕団」に参加した方へのインタビューを基にした記事と、天皇陛下と国民のあたたかな絆が感じられるエピソードを掲載しています。

 

今回は、そのエピソードの一つ、「紅白餅」を紹介します。

 

 

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エピソード①紅白餅

 

昭和20年12月10日、3日間の作業を終えた奉仕団一行。

彼らに、「陛下が餅をお召し上がりになった」と伝達される。青年たちの目には、再び涙が溢れた。

 

数日前、決死の覚悟で上京してきた彼らの手には、草刈り道具の他に、「紅白の餅と鶏卵」があった。特に餅は、奉仕団に参加できなかった郷里の青年たちが、天皇へと献上すべく、盃一杯ずつ餅米を持ち寄りついたものだ。

 

奉仕前日の打ち合わせで、総務課長の筧に対し、団長の鈴木徳一と長谷川峻が「陛下に献上申し上げたい、もしできなければ宮内省の方々に食べていただきたい」と申し出た。これに対し、宮内省総務課長の筧素彦は喜んで受け入れを快諾した。

 

しかし、上京時の満員電車で、肝心の餅は紅白がくっついて歪み、箱も潰れてしまっていた。急ぎ形を整え、箱を入れ替え、包装しなおして献上した。

 

彼らの郷里栗原郡は、全国の草刈り大会で優勝経験があることは先(本文)に述べた。戦時中の報道にも関わらず、天皇が「あの草刈り競争のことは新聞で見て知っている」と口にされた事も先述(本文)の通りである。国民の生活を案じ、国民の日々の活動にも目を配ることを欠かされなかった昭和天皇のお姿がそこにあった。

 

かえって、「天皇制打倒」を叫ぶ当時の国民の声すらも、否応なしにお耳には届いていたことだろう。それだけに、宮中に直接届けられた、純真な青年たちの献上品は、格別の意味合いを持ったのかもしれない。

 

 

「日本にはまだ、こうした青年男女がいる」。

 

 

天皇はそう語られながら、皇后、皇太后、皇太子(現在の上皇陛下)、義宮(現在の常陸宮殿下)、三人の内親王とご一緒にお召し上がりになったという。

 

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国民に注がれるあたたかな御心と、敗戦後の国家再建への願いが感じられるエピソードですね。

 

その他にも、「君臣直結」「みくに奉仕団の戦後」と2つのエピソードが紹介されていますので、ぜひ誌面にてご覧ください。

ロシアによるウクライナ侵攻について、「台湾有事と関連する」「日本にとって他人事ではない」と指摘する声があります。

 

もし台湾有事が現実となったとき、どのような自体が想定されるのか。

 

前回紹介した「巻頭言」の続きとして、

 

・ウクライナ危機から見えるもの

・自衛隊は動くが政府は崩壊する

 

の箇所を記します。

 

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ウクライナ危機から見えるもの

 

アメリカは台湾有事に際して、どう考えているのか。インド太平洋軍司令部と深い関係を持つ北村淳氏の見解を紹介する。

 

「万が一、中国による台湾に対する軍事攻撃が実際に起きた場合、沖縄、佐世保、横須賀、横田といった米軍基地は最良の前進軍事拠点となる。…アメリカが主導して編成する台湾支援“多国籍軍”の先鋒として、自衛隊艦隊や航空戦隊、それに水陸両用部隊などが投入されることになるであろう」

 

「アメリカにとっても、台湾を巡って中国と本格的な戦争へ突き進むことは99.9%避けなければならない。しかし、中国による台湾への軍事攻撃に際して何もしないのでは、アメリカの軍事的威信は地に墜ちる。そこで台湾の人々を救出するという大義を押し立てて、アメリカの“属国”である日本の“多国籍軍”を危険かつ困難な先鋒部隊として台湾に突入させ、自らは『出動宣伝効果』の大きい空母部隊2セットを沖縄南方200海里沖付近と沖縄西方100海里沖付近に展開させ、多国籍軍先鋒を務める勇敢な自衛隊部隊を支援する態勢をとるのである」

 

「そして台湾問題に日本が軍事介入したことを口実に中国軍が日本列島に長射程ミサイルを連射して、日本の戦略要地が大損害を受けた場合には、国連安保理で停戦協議を開始する」

 

つまり米軍は、台湾有事の際に動いてるように見せながら、実際は日本の自衛隊を使って前面に押し出し、自らのリスクは最小限にする、という考え方だ。

「日本政府がこうしたシナリオを是認した上で具体的な戦略を持っているとは思えない」と氏は述べている。

 

アメリカのこのような動きは、ロシアによるウクライナ危機を見れば現実を帯びてくる。小野寺五典元防衛相は次のように述べている。

 

「ハイブリッド戦は平たく言うと、戦わずして勝つという形だ。台湾も東アジアもどう見ているか。ロシアがああいう形でウクライナに侵攻し、本来応援してくれるかなと思っていたNATOが二の足を踏んで外交の話をしている。理由は、ウクライナがNATOに入っていない、同盟として守る義務がないということ。では、台湾のことを考えるとどうか。米国は台湾関係法の範囲で武器は供与する。しかし、日米同盟のように守るとまでは言っていない」

 

「台湾の人の中に『自分たち、結局見捨てられる』という話が浸透してくると、やはり中国と仲良くしようかという勢力も出てくる。実はもうすでに東アジア、台湾周辺ではハイブリッド戦が行われていると考えるべきだ」

 

「この問題は必ず日本に影響する。自国は自国で守るというスタンスがなければ、日本もウクライナと同じようなことになる」

 

 

自衛隊は動くが政府は崩壊する

 

我が国は第二次安倍政権以降、国家の安全保障を総合的に考え戦略を構築する国家安全保障会議(NSC)を創出し、防衛戦略を論議してきた。有事における軍事戦略や防衛予算、省庁を跨いだ様々な問題にも目を向け政府最高レベルでの検討を続け、それは菅政権、岸田政権へと受け継がれている。しかし、全体を見渡す際の問題点をNSC

の下で実務を担ってきた国家安全保障局(NSS)の兼原信克氏は次のように指摘する。

 

「有事になると、自衛隊は迅速に動き始めるが、武力攻撃事態の際の政府のバックアップ体制が問題です…総務省や経産省などと調整未了の問題が沢山ある。例えば、有事に際して国交省に戦闘機の離着陸のために空港を開けといちいち言わなくてはいけない…危機管理は日頃の段取りが8割です。練習していない方が必ず負ける。このまま台湾有事になったら間違いなくこの政府は崩壊します。自衛隊は動くけど政府は崩壊するという事態になることを危惧します」

 

防衛力の整備が求められることは言を俟たない。その上で問題は法整備である。有事に際して国会でいちいち議論し揉めては機動性もないばかりか、折角の戦略も有効に機能しない。今、何よりも問題とされることは憲法改正である。

 

我が国はこれまで憲法9条による一国平和主義、専守防衛の歪な精神を国是として掲げてきた。しかし最早通用しないことは明らかである。憲法改正に真正面から取り組み、わが国を自らの手で守り、アジアと世界に貢献する日本へと変わらなければならない。われわれ国民一人一人が我が国の現実と将来を見据え、憲法改正への大きな国民的議論を起こしていくべき時である。

 

―――――――――――――――――――――――――――――

 

以上です。

国民の命をまもるために日本は今、何をなすべきか。

国家の存亡が懸かった分岐点に立っていることを感じます。

2月23日、天皇陛下はお誕生日のご会見で、皇室の在り方について次のようにお述べになりました。

 

「皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。そして、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います」

「国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております」

 

 

国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室の信頼関係が築かれていく ―― 戦後においてその原点となったのが、昭和二十年十二月に行われた第一回の皇居勤労奉仕でした。

 

 

ということで、昭和二十年十二月、宮城県で結成された「みくに奉仕団」が上京しました。戦災で荒れ果てた皇居のがれき撤去、雑草撤去に取り組んでいるその時、昭和天皇がお出ましになられたエピソードを紹介します。

 

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昭和天皇のお出まし

 宮殿焼け跡の基礎部分だったのだろうか、昭和天皇は、団員たちより少し高い位置にお上りになって、鈴木団長を御前にお召しになった。

 

「どうも、ご苦労」

 

その言葉から始まった天皇のご下問は、「汽車が大変混雑するというが、どのようにして上京してきたのか」、「栗原とはどのようなところか」、稲作の状況はどうか」と続いた。

 

団長として御前に立つこととなった鈴木の眼には、終戦から半年を経ても、天皇は「大へんおやつれ」であるように見えた。

また、「どのような動機でやってきたのか」との下問に鈴木は、当初宮内省に願い出た際と同じく、「外苑の草刈り」奉仕のつもりで状況したことを奉答する。栗原の農民は、全国の草刈り大会でも優勝するような腕前。それを活かしたいと、奉仕を願い出た経緯がある。

 

すると天皇は、「あの大会のことは、新聞で見て知っておる」と微笑みを浮かべられた。栗原の青年たちはそのお言葉に、激戦化の小さな新聞報道にも陛下は目を向けておられたことを知った。

 

天皇のご下問は約二十分にも及んだろうか。自らの奉答の一つ一つに、「ありがとう」「ご苦労」とお応えになる天皇に鈴木は恐縮しつつ、団長としての役目を終えた。

最後に天皇は、「何とぞ国家再建のために、たゆまず精をだして努力して貰いたい」とのお言葉を団員にお伝えになった。約二十分のお出ましを終えた天皇は、侍従らと共に御座所へとお戻りとなる。

 

その時だった、

「君が代をうたいましょう。」

 

団員の誰かがそう呟いた。占領下では、あまり公に歌えるものではなかった。だが、天皇の御姿を前にして、その不安は誰にもなかった。どこからともなく歌いだされた。

 

「君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで」

 

すると、瓦礫の上を歩まれる天皇のその歩みはひたと止まった。

 

「真黒な手拭を顔に押しあてた面伏しの姿もある。万感胸に迫り、悲しくて悲しくて、唱えないのだ。私も悲しかった、誰も彼も悲しかった。しかし、それは、ただの空しい悲しさではない。何かしら云い知れぬ大きな力のこもった悲しさであった」(木下道雄『宮中見聞録』)

 

(中略)

 

昭和天皇、香淳皇后をお見送りした団員たちに、幹部の一人はこう語りかけた。

 

「諸君の『君が代』こそは、国歌なき、国旗なき日本で歌われた祖国再建の祈りを込めた最初の『君が代』ではなかろうか」。

 

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続きはぜひ3月号誌面を読んでください(^^♪