昭和天皇と靖國神社 その2 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 昨日の話題の続きです。


 富田メモが仮に真実だとすれば、メモには「私は或る時に、A級が合祀され その上松岡、白鳥までもが…」とあり、昭和天皇は特に松岡洋右、白鳥敏夫の2人の合祀に不快感を示されたことになります。


 松岡氏はドイツとの同盟を進めた元外相で、白鳥氏はイタリアとの同盟を進めた元駐伊大使です。つまり、軍人でない者が祀られていることへの不快感ということになります。


 一方で、徳川侍従長は、いわゆるA級戦犯合祀の名簿が事前に届けられた際に、「東条英機さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしい」と疑義を唱えたといいます。「永野修身さんも死刑になっていないけれど、まあ永野さんは軍人だから。…しかし松岡さんはおかしい。松岡さんは病院で亡くなったんですから」と。


 ここに出てくる具体的な人名は、松岡洋右氏と永野修身氏で、この2人は判決が出る前に病死した人物です。


 もちろん、これはあくまでも徳川侍従長自身の言葉で、ここに昭和天皇の御心が反映されているとは限りませんが、仮にそうだとしても、やはり松岡洋右氏に対する個人的な感情が、いわゆるA級戦犯合祀に対する不快感のもとになっているように思われます。


 そもそも、いわゆるA級戦犯のうち、軍人でない者が祀られるのはけしからんというのであれば、広田弘毅外相や東郷茂徳元外相、それに平沼騏一郎元首相もそうですし、しかも東郷元外相と平沼騏一郎元外相は病死です。しかし、こういった人物の名は全く出てきません。


 さらに徳川侍従長は「国を危うきに至らしめたとされた人も合祀するのでは異論も出るでしょう」という言い方もしています。


 ここに昭和天皇の御心が反映されていると仮定して、「国を危うきに至らしめた人」というのは東条元首相のことではありません。昭和天皇は東条元首相を評価されていました。一方で昭和天皇が徹底して厳しく非難されたのが松岡元外相です。独白録では「松岡はヒトラーに買収されたのではないか」とまで言われています。


 そうしますと、昭和天皇にはまず松岡外相が靖國神社に祀られることの違和感がおありになって、それが「軍人ではない」「病死だ」といったご指摘につながったのではないかと推察されます。


 そして何より、徳川侍従長は岡野弘彦氏に「天皇はA級戦犯が処刑された日、深く謹慎して慎みの心を表していられました」と証言しています。いわゆるA級戦犯で処刑された方々に不快感を持っておられたのではない、ということです。


 さらに、昭和天皇はそれが個人の感情に属するものであることは当然承知しておられました。だから独白録も含め、侍従のみに吐露されたのです。御前会議においてもご自身の意見をおっしゃられない御方が、当時の国民の心情を背景に靖國神社が検討し決定した事柄に、天皇の立場として異を唱えられるはずがありません。


 昭和天皇の御心が那辺にあったかという究明はなされてしかるべきですが、それを以ていわゆる「A級戦犯」合祀を取り下げよなどという主張に利用することはあってはならないと思います。