ニューヨーク狂人日記 -61ページ目

足音


ニューヨーク狂人日記


ドアを開ける。
少しだけの涼しさを感じた。
草花の緑のトーンがどこか低く感じられるのは気のせい?

見上げた時計台。
7と5を指す針は赤を灯したまま。
筋雲の掃かれた、薄い水色の空を背負う。

信号待ちをしている車の向こうに見えるワゴン。
四隅に立てたほうきの棒に結び付けられた黒い大きなゴミ袋。
空き缶、空き瓶、ペットボトル。
集めながら選別をしているみたいだ。
横断歩道を渡ると、
ポロシャツ姿の男が腕枕で眠っている。
消火栓の横。

次のコーナーでも緑色のTシャツの男が、
背を丸め、合わせた両手を股に挟んで熟睡中。
眠る人をよく見かける朝。
9年前の自分の朝。

どこかに秋の匂いを嗅いでいる。
一昨夜、台所の床で見たセミの死骸のせいだろうか?
ぼくの心が秋なのか?

Bitter Sweet Samba あっぱれ


ニューヨーク狂人日記


♪Everybody's a dreamer.
And everybody's a star.
And everybody's in movies.
It doesn't matter who you are.
There are stars in every city.
In every house and on every street.
And if you walk down Hollywood Boulevard,
Their names are written in concrete.♪
(The Kinks ---"Celluloid Hero")


もしかするとBeatlesよりThe Kinksの方が好きかもしれない。
いや、多分そうだろう。
いや、きっとそうだろう。
BeatlesにもStonesにもTheをつけないぼくだけれど、
The KinksにはいつもTheをつける。
日本語でもザ・キンクス。
キンクスではない。


「お客様。お荷物の取り出しはゲートに到着しまして、
シートベルト着用サインが消えた後にお願いいたします」
「……」
「お客様……」
「……」
「お客様?」
「うるさいわねっ!とっとと失せなこのタコ野郎!!」


「Ladies and gentlemen......
おい、さっき俺に向かってタコ野郎なんて言いやがったあんただよ。
大きなカバンを俺の額にぶつけやがって。ありやぁ、ワザとか?嫌がらせか?
謝りもしないでしらんぷりか。無視かヨ。
いったい何様だと思ってんだ?。
俺たちのことをカエルかなんかと勘違いしてんじゃねーのか。
オイ!このクサレ×××!!!。オメーのことだよ!
いやぁー、28年だよ。28年。
ま、こんな仕事とも、生活ともオサラバさ。
じゃーな、あばよ~!」





……習い性ってのかなー。仕事ってのは体の隅々まで染み付くもんだな。
機内アナウンス・システムを使って、あのクサレ女に文句を言った後、
非常出口を開けて風船式の滑り台をふくらますまでは、
われながら感心するほど流れるような動きだった。
もちろん、下に誰もいないってことまで確認済み。
なんたって、少なくともあの時点ではまだプロだったからな。
いやはや、ほんとマニュアルどおりだよなー。
先に荷物を放り出しながら、そんな自分がおかしくなっちまって。
それにしてもだ。
滑り台へ飛び下りた時のフォームだって、
図解安全マニュアルの絵そのものだったと思う。
両手、両足を前に伸ばして、ポンッ、てな。
体が動くんだよ、体が。
非常口に向かう途中に通った台所では、自然な動きでビールをつかんで、
客に差し出すかのように、勝手に1本の栓まで抜いちまってるし。
あの時、間違いなく機内用スマイル出てた。



あー、でも、あいつには気の毒なことしちまったよ。
駐車場へ向かうAirTrainで乗り合わせたあの人。
なんだかまだムシャクシャてて、支給のネクタイをはずして投げつけちまった。
ゴメンな。
まー、これだけの大騒ぎになっちまい、
新聞の1面を2日間も賑わしているらしいから、記念ってことで許してくれよ。



それしても、警察だ。
フツー、あんだけ騒ぐか?
たってひとりの男を捕まえるのに。
ま、「来るだろう」とは思っちゃいたし、
別に逃げ隠れなんてしようなんて思いもしなかったけど、
テロリストや、連続殺人犯じゃあるまいし。
あんな大仕掛けの、大捕り物繰り広げちゃってね。
いや、ブルース・ブラザーズのエンディング並みだったな、あれは。
そういや第3作はどうなってんだ。
うーん、JBもRayもいなくなっちまったし、
BBも糖尿があんまりよくないって聞くし、
あ、Arethaもこないだ入院したって新聞に出てたな。
せっかくブルックリンでのコンサートが決まってたのにな。
でも、作るんなら今がギリギリのタイミングだと思うよ、ホント。


うん、近所の人なんてビックリしてたと思うよ、たぶん。
どうせインタビューでは月並みなこと言ってくれるんだろうけどな。
「日頃はとても紳士で、優しい人だったのに……信じられない」なんてさ。
ありがとよ。



テレビや新聞なんかじゃ笑みを浮かべて連行される姿が出てたみたいだけど、
あれはあまりの大げささにアホらしくなっちまって、
それにあん時は、ちょうどボーイフレンドとベッドにいんだよなー、
バツ悪くってさー、テレもあんだよなー。
そうそう、踏み込んできた刑事のひとりが、
ステテンコ警部に似てたんだ。
Cheech&Chongシリーズに出てくる間抜け野郎に。
そんで、笑いをこらえるのに必死だったんだ。
それを「不敵」だとか、「会心の笑み」だとか、
ものを言わないと、みんな都合のいいように解釈しちまうしなー。
まー、勝手にやってよ。







2010年8月9日。
ピッツバーグ発ニューヨーク・JFK空港行き、JetBlue便に乗務していたスティーブン・スレーターさんが逮捕された。
安全上の注意を受けたにもかかわらず、口汚くののしる乗客。
スティーブンさんは機内アナウンスを通じて反論し、離職を告げた後、非常出口から脱出用器具を使い降機。
器物破損および危険行為容疑で逮捕された。



〓〓〓〓〓〓〓〓〓
スティーブンさんは時の人。
ローカル・ヒーロー。
NYにヒーローは多い。そういえば前回のヒーローも飛行機関係者だった。
操縦不能となった飛行機をハドソン川に不時着させたUS Airwaysのパイロット。

圧倒的な賛の賛否両論の中、
ぼくも彼に「あっぱれ!」を送る。
脱出シュートからビール片手に飛び降りる彼の姿を思い浮かべて乾杯。

NY中で多くの人が彼の行為に溜飲を下げている。
ここまで極端なやり方ではないとしても、
誰もが心に秘める
「理不尽に唾を吐きかける」
そんな気持ち。
そんなせいもあってか、今日も彼は新聞の1面を飾った。



記事を読みがら流れ出したのはなぜか
“Bitter Sweet Samba” Herb Alpert
「ハイ、それまでヨ」 クレイジーキャッツ
そして
“Celluloid Hero” The Kinks




それにしても……。
日本での報道はひどいね。
「乗客に殴られた」
「男性乗客の氏名は不詳
「男は30分後に逮捕された」
「保釈された」

名だたる報道機関ばかり。
きっと報道ってこんなことばかりなんだろう。
鵜呑みはコワイ。



♪I wish my life was a non-stop Hollywood movie show,
A fantasy world of celluloid villains and heroes,
Because celluloid heroes never feel any pain
And celluloid heroes never really die. ♪

骨折も 気合で治ることがある 気付かなかったことも何度か


ニューヨーク狂人日記


ガムテープで風邪を治すことに比べたら。
気合で病気・怪我なんでもこい、と信じていたぼくは凡人。
信じてる者は救われる。
信じるものは治る。
アントニオ猪木や、アニマル浜口よりずっと早くから。
風邪も、腹痛も、ねんざも……。


オクスリ道と手切れとなったのも、
無意識下でこれの従兄弟のような力ががんばった。
いまだ信じない人もいるし、再発もしない。

ただ、歯だけは。
より高みにいるらしくどうしようもなかった。
それでも身体は元気そのもの。
気合という蓋をはずして中身を覗き込む勇気の持ち合わせは、
今のところないけど。
まあ、生きてます。
生きていきます。


そんな育てられ方、生き方をしてきたせいか、
どちらかといえば右寄りのところがある。
いや、ある面においては確実に右。
道理よりも精神性。
そんなぼくがなぜアメリカに惹かれ、今でも噛みついているのか。


ピンとくるくるにははるか昔の言葉。
気合、頑固と同じ軒下に住むミーハ―性。
頑固者の新らし物好き。
凧揚げの糸巻きに釣り用リールを欲しがってみたり。
レコードにこだわりながら、DATを真っ先に買ってみたり。
20年程前、携帯を持ちながら電話番号は教えない。
ホームレス時代に携帯を持っていた時期もあった。

そんなことばかりの繰り返し。
きっとこれからも。
頑ハーとでも呼ぼうか、こんな性格。


今、「ハー」の部分は間違いなく携帯電話。
頑なに持つことを拒みつづけ7年。
1年間しぶしぶながら持ったけど、電話機じゃなく写真機だった。


ここのところ日本の新聞を読んでいる。
もちろん、自分で買うなら紙。
心地いいから。
それでも、月90ドルを使うくらいなら「ポチ」を選ぶ。
そんな生活に慣れきっていたところにやって来た疑似体験。
そこで新聞という紙の素晴らしさを再発見した。
デジタルが見せてくれたアナログのよさ。

CDを聴いて「レコードで聴いてみたい」と思う人もかなりいるはず。
レコードを聞いて「ライブで聴いてみたい」と思う人はもっといるはず。
捨てたからこそわかるよさもある。

ミーハ―の持つ頑固者の横顔。
頑固者が持つミーハ―な一面。
ミーハ―だけなら、紙を読んでみようとは思わなかった。
頑固なだけなら、これからもずっと「ポチ」だった。
リンクを繰り返しながら、思わぬ記事に出会う。
ポチにはポチの素晴らしさがある。
紙の新聞ではまずかなわない。
国会の成りゆきを調べていたいたつもりが、
竹村健一「これだけ手帳」にある九官鳥の話を考えてみたり。


疑似体験。
いちばんのめっけものは、
「ポチ」では指の動かぬ記事を見る。
両方の内容を比べでみると、ポチの網羅振りには感心させられるが、
長野県松本市「仏式階段路工」のことなんて知ることはなかっただろう。
「ポチ」だったらまず「ポチ」しない記事は多い。

読んでいるのは産経新聞。
ポチでも紙でもほとんど読んだことはない。
これが唯一の疑似体験媒体だからしようがない。
右のくせに「右だから」と敬遠していたところがある。
読んでみると、敗戦記念日が近いこともあり、
右、右。右度が濃い。
ここまで執拗な必要があるのか、と眉を寄せたくなるほど。
洗脳という言葉が浮かんだり。

ただ、こんな機会でもなければ読むことのなかった新聞。
これで疑似体験上で主要各紙を読み比べることができるようになれば、
偏った考えが色々と中和され、
ぼくだけではなく多くの人の頭から生まれてくるものがある。
ひとつの報道に引きずられることなく。
紙の新聞を数紙取るのは現実的ではなく、
ポチで数紙を読む気はしない。


電子媒体には、どちらかというと否定的なぼく。
それでも、そこには、それであるからこその道がある。
デジタルからのアナログ道。


本を裁断してスキャンする勇気はまだ持ち合わせてない。

カマキリ:I don't want to, but I need to......


ニューヨーク狂人日記


職業と仕事。
どのへんで線を引く?
まぁ、どうでもいい。
当の本人ですらわかってないんだから。
JobとWork。


消えてしまったタイムズ・スクエアの風景。
押し売りの窓拭き。
信号待ち、渋滞にまここまれた車の横合いからいきなり現れる。
スプレーボトル入りの洗剤をフロントガラスにに吹き付けると、
もう一方の手に持った柄付きスポンジでゴシゴシ。
有無を言わせない。
仕上げはスポンジの背についたワイパー状のゴムで仕上げ。
窓端を流れ落ちる黒い水滴。
手練れになると赤信号で2台くらいをチョチョイ。
運転席の窓をたたき、差し出される掌。
あっち側の信号へ駆けていく。
消えてしまったダイハードたち。



伸び上がるようにして、ワイパーの角を上の二隅に押しこむ。
力を入れるでもなく抜くでもなく、ゆっくり、ゆっくり下ろす。
濁った泡のたつバケツを傍らに置いた男は、
丁寧に、懸命にガラス窓に最後のタッチを加える。
腰にぶら下がる、少し汚れてしまっタオル。、

ピザスタンドのショーウィンドウを洗う男。
従業員ではなく、フリーランス。
多くの人はこれを職業とすら認めないだろう。
認めようとすらしないだろう。
生きていかなくっちゃならない。
従業員に磨かさればそれで話はすんでしまうのだけれど。
バケツを持つ気弱そうな男にまかせる店主。
こんな職業が成立する社会。
仕事をする人。
仕事を与える人。
仕事である場合は少ないかもしれないが、コレだって立派な職業。
アート作品がJobと呼ばれることがないように。



突如現れた、ベニヤ張りの巨大十字架。
珍しさにカメラを向ける。
ガラス戸を押して少女がふたり現れた。
「よかったら、今度の日曜の礼拝に来られませんか?
もちろん、英訳しながら進めていきますので」」
可憐な笑顔から歌のように流れてくる、流暢な英語。
メキシカン系の人達が集う近所の教会前にて。


不法移民に対する厳しい法律をめぐり熱くなる二つの州。
正か否か。
背景には犯罪増加、雇用減少。
それはさておき、彼ら、彼女らなしでこの国成り立たなくなっているのもまた事実。
「アミーゴ」と蔑称されながらも、がむしゃらに働いてきた一世たち。
近頃はコミュニティーも充実し、地方政治では無視することのできないグループとなる。
生きるのに一生懸命だった彼らは、よりよく生きようとしている。
走っている頃には見えなかった、気にもならなかったことだって、
見え出してきているのかもしれない。

午後3時の陽にあぶられながらそんなことを考えていた。



「よう、10ドルでどうだい?」
酒を飲んだ帰りに呼び止められたのはタイヤ屋前。
5人のメキシカンで切り盛りしながら24時間営業中。
シャッターが降りるのはNYマラソンの半日。
そしてクリスマス。
歩道にいたのは10cm程のカマキリ。
猫にらまれたネズミのように動かない。
アメリカ初のカマキリは身を茶色に染めていた。

Sombody's Watching You: 投げつける女


ニューヨーク狂人日記


「……ポトリ」
自然の摂理の一端であることを示すように落ちる。
先程までの持ち主も、もちろん物体だってなんの意志の持ちあわせなし。
ものがゴミに変わる瞬間はスローモーションで映る。

珍しくもないこんな光景だけど、
なぜか、いつも目を引かれてしまう。
引力は自分の中から出ているんだろう。


いつもの道。
週に2回往復をする道。
ここを通るときは、いつの頃からか車道を歩くのが習慣になった。

そんなぼくをも歩道へ引き寄せる引力があった。
憎しみを叩きつけるような大げさな動きで。
昭和の昔、コンクリートに赤、ピンク、、緑、黄、青、緑。
かんしゃく玉を叩きつける悪ガキの姿がよぎる。
そういえば、運動会の朝にはいまでも音だけの花火は上がるんだろうか。

そんなモーションで吸殻を歩道に投げ捨てた若い日本人女性。
50mほども離れているのに、怒ったような顔に見えたのはかんしゃく玉のせいだろうか。


「やっぱり」
1年ほど前に出来た某有名美術学校。
入り口のガラス戸横に転がる白い吸殻には緑の線。
先からはまだうっすらと煙が上っている。
ま、ぼくはこんなところは差別主義者。
女のくせにあの仕草、昨今にしては珍しく根元近くまで吸われている。

こんな女はいやだ。
美人でも。
いい絵を描いたとしてもどこかが曇っているだろう。
そんなところで人間を、そのひとの動かないある部分を見てしまう。
見切ってしまう。
悪い癖なんだけど、「神は小さきものにやどる」という言葉を信じる。

ま、おもしろくないことでもあったんだろう。
その気持が正直に出てきたんだろう。
感情に素直なのは悪いことじゃないし、大切なこと。
こんなヒトコマだけをとらえられるのも、さぞや迷惑なことだろう。
でも、そんな材料だけで見てしまう人もいる。

自然派のポトリ。
叩きつける女。
こんな人間たちが僕らの住む世界を一層狭くしていっている。
携帯灰皿がマナーであると同時に、自分への戒め、自己満足でもある。


目撃者あり。
誰も見ていないと思っても、ほとんどの場合誰かが見ている。
一日中、窓から外を見ているだけのバーさんだっている。
投げつける女を見ながら、手帳にメモを取る男もいる。
こんな偏屈な目で世の中を見、人の心の中を覗き見するスケベオヤジのいることを忘れないで。

さて、さて。
脱煙のあと、ぼくはどんな目でこんな人たちを見つめ続けるんだろう。
こわいぞ、きっと。

欠落

(あ……忘れてきちゃった)
駅への途中にある図書館前。


ニューヨーク狂人日記





使い慣れたものがないことに気づき、芽生える不安。
代わりはあるんだから用を足すことはできるのに。
それでも……。
喋ることすらなくなった、
永年の伴侶に家出された男の気持はこんなもんなんだろうか?


水切りの皿を片付け、夜間を火にかける。
歯を磨き、顔を洗い。
インターネット・ラジオのニュースをONにして。
冷蔵庫から弁当を出し、朝食の準備。
…………
仕事の朝は、ルーチンを踏んでるつもりなんだけど。
たまに出てしまう忘れ物。
そして、欠落感。

台所のテーブルに忘れてきてしまったペン。
手帳を広げたからか。
これは朝のルーチン・ワークにはない。

ホーム下り電車を待つ間、Gel Penを筆入れから取り出す。
字を書くことはできるし、書き心地だって悪くはない。
でも。
カバンの大きなポケットから手帳。
出してみると。
いつもの場所に、いつもの恰好でペンは収まっていた。
思い込み。思い違い。思い過ごし。
怖いな、結構。


地上へ出て100mほど歩いた頃、忘れ物に気づく。
間違いなく忘れている。
からっぽの掌。
あるべきものがそこにない。
起きてすぐに、冷凍庫へ放り込んでおいた麦茶入りの水筒を忘れた。


頭の中で何かがつぶやき続けていた。
いつまでもやまぬ小さなノックのように。
そんなドアをベッドの中から見つめているように、どこか居心地が悪い。

欠けていたものはこれだった。

仕方なく買ったコーヒー、75¢也。
必要ならば手に入れなきゃ。
でも、You have to pay.
忘れがちだが、金さえ手放せばある程度のものを手に入れることはできる。
そんな社会は幸福なのか、不幸なのか。
"Milk and Sugar?"
オウム返しに飛んでくる声。
コーヒーには何も入れない。


いつもの場所で、いつものように。
いつもの風景だが何かが違う。
辺りを見回すと男がいなかった。
このところ毎朝見かける男。
手製の弁当とTropicana Apple Juiceのボトルを置き、
無心にかき込むアジア系の男。

つもより20分ほど遅れてやってきた男。

それでも何かが足りない。
まだ誰かがドアをノックしてる。

U Can't Touch This:脱煙

「今日から脱パン者の仲間入りやね」
ニヤつきながら茶袋をを渡す。
(脱藩者……)
いい大人だけど、真剣に幕末ごっこなんかをやっててもまったく不思議じゃなく、
違和感なしで似合ってしまうMちゃん。

開けてみるととフンドシだった。
最近は久留米絣を使ってこんなものまで作ってるらしい。
脱藩ではなく脱パン(ツ)。
「リンパ腺ば締めつけんけん身体にもよかばい」
今年3月、日本でのひとコマ。
親友。サーファー。祭男。洋服屋。
フンドシまで作りはじめたMちゃん。


(おいおい、またまた釣り銭間違えやがって……。
何ドル札を貰ったかちゃんと確認せんとねー)
呆れと余裕を目にためてレジに立つ男を見上げる。
しばし沈黙の後、
まったく同じ視線が返されてきた。
指のさす先にあったのは。
つい今しがた渡された商品の値札。
(ゲっ……。また上がってる……)
できることは釣り銭をポケットにねじ込んで店を出るくらい。


Cigarette(紙巻たばこ)の地方税が上がったことは知っていた。
こだまする「まさか……」。
長い間、アンタッチャブルだったのに。

昨年、正月明けの日本から帰ってみると、
手巻き用たばこに連邦政府の手がついていた。
税込み$14だったものが25ドルに。
帰国していきなりの衝撃はでかい。
その上、年内にあと一度お手つきがあり$30。


ニューヨーク狂人日記
<2年くらい前のものが貯金箱に>


(このアンタッチャブルにそう易々と州が手をつけるはずはない……)
頭を離れない。
今ではがめつそうにしか見えない、たばこ屋の苦笑も焼きついてしまってる。
(あの野郎、便乗しやがったかな?正直に生きようよ

6月の中頃から増税のニュースを何度も聞いていたけれど、
一度だって"Hand Rolling Tobacco"という言葉を耳にしてはいない。
疑心暗鬼。



2010年7月1日よりCigarette税増税。
州税:$4.35+NY市税:$1.50=地方税合計:$5.85
これに連邦税として$1.01、消費税、メーカー側にも課税されている。
$13の煙。
肺に入って出てくる白い煙くらいが税金だろう。
近々連邦税がまた上がるというニュースもあり、
手巻き派必需品の巻き紙、フィルターなど、たばこ関連商品税も上がるという。

喫ってるのはTOPという缶入りたばこ。
「内職してるみたいだな。工賃と考えたら巻かれてるやつなんか吸えたもんじゃないな」
そんなことをボヤキながら、ひと月で1缶を巻き上げる。
8月1日現在の税込み価格$38.99。
州政府のホームページによると、
手巻き用たばこの税率は卸価格の75%というとんでもない数字だった。
酷税。





ニューヨーク狂人日記
<最後のたばこ缶>




アホらしくてやっとられん。
おもちゃでもあるかのように弄ばれる。

もうやめます。
禁煙ではなく、断煙・絶煙でもなく脱煙。
どちらにしたってたばこを吸うのはひまつぶし。
心も、身体も以前ほどには欲さない。
ここまでいじられ、いじめられ、バカにされるなら、
脱煙という心地いい世界へ行く。
すべてがトントン拍子で上昇するが、収入は?

収入といえば、MTA(NY市交通局)はこんなことを言う。
「30日パス利用者の平均年収は$60,000以上ありますから……」
30日間乗り放題のパスを$89から$109にしようと目論む。

さてさて、どこでこんな数字を手にいれたことやら。
券売機?
クレジットカード?
なんだか空恐ろしい。
ちなみにぼくの収入はその数字からロッキー山脈を超え、太平洋の彼方500kmあたり。



ともあれ、あと一月ほどで脱煙。
たばこで手に入れていた<間(ま)>をどうするか?
それが当面の問題。



Mちゃん主宰の祭りが近々開催される。
九州・中国地方の人是非行ってみてください。
『2010フルムーン・ギャザリング』
日程:2010年8月24日~29日(満月の週末を含む)
開催地:佐賀県唐津市神集島






「……しかしながら為政者のなす所を見るに、酒とたばことには税を課してこれを人に買わせている。法律は無益の行動を禁じていない。繁殖を目的とせざる繁殖の行為には微税がない。人生徒事の多き中に、避妊と読書との二事は、飲酒とたばことに比してすこぶる廉価である。避妊はさながら選挙権の放棄と同じようなもので、法律はこれを個人の意思に任せている……」
永井荷風『西瓜』

人造人間


ニューヨーク狂人日記



最初におもちゃを作ったのは誰?
それまで様々な物ををおもちゃにしてきた子供たちに玩具を与えたのは誰?

動物にインプットされている手なぐさみ回路。
タイル床に落ちた氷でホッケー・ゲームに夢中なネコみたいに。
あそぼうと思えばなんでもおもちゃになる。


カメラ付き携帯というよりも、携帯付きカメラと言う方が正確だったぼくの携帯も、
先週に機種変更をしてからは格好のおもちゃになった。
家であそび、外でもあそぶ。
iPhoneではなく、Androidという携帯。
使い出して間のないせいもあって面白い、面白い。
ゲームをするわけじゃないけど。
まあ、自分にとってはゲームのようなもの。


「持てあます西瓜ひとつやひとり者」で始まる、
永井荷風『西瓜』をバー・カウンターで読み、
昭和12年に西洋西瓜があったことに驚いてみたり。
薄暗がりで読むこの感覚がいい。

オンライン・ストレージに放り込んでいたメモを読んでみたり。
とはいっても、2年間使っていた紙copi.netというのはAndroid対応ではなく、
しかもエクスポートできず。
昨日は800あまりのファイルをEvernoteという別のオンライン・ストレージに手作業で移す始末。
ま、これもあそびのための苦しみで、
人間は(ぼくは?)あそびのためならなんでもする動物だという生きた標本。

6時間をかけた成果のおもちゃは飽きない。、
北京五輪の頃の、自分の断片を眺めてニヤつく。
「おのれは阿呆か……」つぶやいてみたり。
小さな箱入りのもうひとりの自分をポケットに入れて。

いろいろな機能を持たせることができそうだけれど、
結局、この先も一番あそんでもらうのは自分という確信がある。
バカらしいところ、納得いくところもひっくるめて。
こうして書いている今でさえ、インクの乾く前にはもう分身になっている自分。
そんな足音と残滓の積りに、積もった結晶である自分。
プラスでもなく、マイナスでもない。
今その時がないから、少しだけマイナスか。
嫌いで、大好きな自分。


そんな自分と語りあえるだけでおもちゃを手にした価値はある。
ぼくにとって最大のあそび、おもちゃというのはやっぱり自分。
一生をかけて作り上げる納得のいくおもちゃ。
たったひとつのおもちゃを作っていく。
完成したときがお別れのとき。
いや、お別れのときが完成のときかな。


さかいせいき、というおもちゃ。
無愛想なおもちゃ。
あまりしゃべらないおもちゃ。
反応が遅いおもちゃ。
…………
おもちゃ箱の中にたったひとつ転がる。


それにしてもAndroidという命名は絶妙だ。
少なくともぼくにとっては。

ロバの郷愁


ニューヨーク狂人日記


居心地はいいんだけど、ちょっと窮屈。
そんなときがある。

常連は文化で、店の財産。
食べ物、従業員、内装、調度、BGM……。
ではなくて常連がその店独特の空気を出し、作り上げる。

しつこい人、大声を上げる人、誰とでも友達になれる人、金離れはいいけど鼻つまみ者、
寡黙で存在感はないけどカウンターの隅の影のような人……。
様々な人間のエネルギーがmix、そして調和して世界にふたつとないものを作りあげる。
決してひと処にとどまることなく。


「ぃらっしゃいませー」
座って数分後にはカウンターに置かれるビールのピッチャーと、枝豆。
塩が効いていて温かくないやつ。
温かい枝豆が苦手なもので。
対応とタイミングはやはりうれしい。

店員と新しく出来たラーメン屋の話をしたり。
「あ、あたし、あそこの本店の向かいにあるトンカツ屋でバイトしよったとよ」
店主は
「えー、だいたいわかるんすよねー、不思議と。消えていくやつは。
まず遅刻をする。次に言い訳をする。前借りをしだしたらそろそろですねー」
ドラッグで消えていく従業員の予兆を話す。
前でニヤニヤしてるのは、首になったかつての従業員ふたり。
あー、心がチクチクしてきた……。



ドアを押した瞬間、カウンターから振り返る顔、顔、顔……。
常連のいる、居つく店の必要悪だけど、
人によってはかなり居心地が悪く、まず入りづらいらしい。
ただ、その瞬間だけをくぐり抜けてしまえば実に気持ちのいい店であることが多い。



まだまだ続く酒場放浪記。
Hefewaizenを求めての旅は続く。
押すのはどれもはじめてのドア。
右肩越し、左肩越しに振り返る顔、顔、顔……。

ここのところ感じているのは、知った顔のいない心地良さ。
たのまなきゃ何も出てこないのだけれど、
普段であれば知らないうちに使っている気がすり減っていくことがない。
敷居はある程度の高さを保ち、上にも下にも動かない。
地響のよう湧きき起こってくる大きな声。
それすらもただの音として通過していく。
一杯だけで席を立つ。



常連が店をつぶす、とも言われる。
コーヒースタンドの進出もあったけど、
喫茶店がめっきりと減ってしまったのにはそんな原因もある。
濃厚ではなく、ライトな人間関係を求める時代なんだろう、きっと。
個性の中に身の置き場のない無個性、低個性。
かわって毎朝立ち寄り、同じものを頼むにもかかわらず、
一人の客として扱う店。
前の客へ向けたのと同じ顔がほころびる。
「おはようございます。ご注文の方はお決まりですか?」
「ミルクの方はいかが致しましょう?」
そんな店が定着をしていく。



人が旅をするのにはそんなところがある。
知った顔がひとつもない街へ行ってみたい。
知り合いに包まれた気楽な旅ではなく、何も知る人のない楽しさ、気楽さ。
24年前、ぼくの心にもそんな隙間があった。

♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい♪
そして街の常連となってしまった今、たまにうずく心。



明日あたり行ってみようか。
いきなりピッチャーと枝豆を置いてくれる店へ。
郷愁。
故郷を想うためにも旅はある。


あー、わがままだ。
一人が好きな寂しがり屋は始末が悪い。


「ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではない」
こんなことを言った人がいる。
ぼくは今もロバのまま。


暑中お見舞い申し上げます


ニューヨーク狂人日記
そのときの自分のかたちをしていたい。


突発的行動を取る。奇をてらうわけじゃなくて。
いきなり自分の世界に入ってしまう。聞こえない。
Sickと呼ぶ人もいる。

たこ焼きが喰いたくなりどうしようもない。
合切袋をしょってどこかへ行きたくなる。
仕事中に唄いたくなる。
…………

どれも自分の感情に、生理に正直なだけなんだけれど。
人間として、動物としてあたり前の行動だと思うんだけど。
理性とか、自制。ちらつくそんな言葉。

気まぐれで入った飲み屋で数年ぶりに再会したY。
ビールをはさんで昔話をしながら、
半分かじった餃子を銀色の皿に戻しYは無言になる。
カバンをゴソゴソしはじめてペンを取り出す。
置いてきぼりを食らったぼくはグラスを傾ける回数が増える。

相変わらず切手を貼った絵葉書を持ち歩いていた。
色あせたページの角が反り返る黒い住所録。
宛名を書き終えると、何事もなかったかのように餃子を酢醤油につける。



「日本人の方ですか?」
夕涼みをしている欄干から、声の方へと首を向ける。
小柄な日本女性が微笑んでた。
川の向こうに沈んでゆく夕陽を見ながら話を聞いてみると、
初めての海外旅行はご主人からのプレゼント。
隣にいるどこかはにかんだようなヨーロッパ人女性は、長年の友。
45年目にしてはじめて会う文通相手。
1ヶ月をかけて2人でヨーロッパを回っているという。

ペンパル。ペンフレンド。
忘れていた言葉たち。
今はどうなんだろう?
昔は、旺文社の中×時代なんかの後ろの方に、
「ペンパル募集」というコーナーがあった。
学研の中×コースにも。

変わったようで、変わってない。
未知の人に会いたい気持ちは。
方法が変わっただけで。
未知だからこその恐怖、可能性……。
未知だけが持つ魅力。

そんな中で出会い。
歳月の一部を共有し、今、初めて会う。
そんな2人に感動していた。



気まぐれに「ぽとっ」、ポストに落とす。
郵便受けには思いがけない日に、思いがけない人から。
日常に没している頃に届く返事。



ペンパル募集とインターネット。
頼みとなるのは文面からにじみ出る、その向こうにいる相手。
手書きであれ、テキストであれ。
文章っていいな、そんなことを思うひと時。
文章だからこそわかることもある。
どれだけ自分を詰め込むことができるか。
形あるものとないもの。
どれだけ相手をくみ取ることができるか。



いい加減 直らないかな筆不精 暑中見舞いは遠い夏の日。