立ちん坊
カメラとして80%。
あとはボイスメモだったり、アラームだったり、メールのチェックをしたり。
カメラ付き携帯じゃなくて、電話付きカメラ。
ここのところ撮ってるのは黒板。
教室のじゃなくて、
Happy Hourの時間を告げたり、
本日のおすすめを書き出したり、
「涼!エアコン作動中」と言ってみたり。
一輪だけ花が描いてあったり……。
「パチリ」
少し歩いて、
「パチリ」
なかなか家に着かない。
見とれてしまうやつ。
ほくそ笑むやつ。
一枚の芸術作品そのもののやつ。
「???」のやつ。
歩道に立ちん坊する個性。
土地柄もあるけれど、
やっぱり一番多いのはHappy Hour。
Happy Hour
いい言葉だ。
言葉も値段も大好き。
Happyになれる?
Happyになれる。
最初に使ったのは誰?
最近、「Early Bird Special」というのを見かけなくなった。
あれはあれで、実にアメリカで好きなんだけど。
小鳥が窓辺にやってくる。
印刷物で知らせる店もたまに見かけるけど、
今ひとつ低いHappy度。
時間をかけて描いたにせよ、
数分で描き上げたにせよ、
黒板からは伝わるのは体温。
描き手の。店主の。
「あぁ、こんな店なら入ってみようか」
描き手はそんなこと考えてない。
きっと。
手描き・手書きの温度。
平均点の完璧というところからはほど遠いところにあるわけだから、
首をかしげる人もいるだろう。
万人にやさしいわけじゃないかもしれない。
温度はそういうもの。
銭湯を水でうめたらジーさんに怒られる。
レーザープリントされたバナーに押されてすっかり見かけなくなった。
レンガの上の壁画も体温を持つ。
100人が見て100人が「へたっぴ」と苦笑しても。
隙のないデザインで描き上げられたバナーより、どうしたわけか引き込まれる。
いつの頃から壁に絵を描くようになったんだろう。
教会のフレスコ画がバナーにとって代わられる日は来ない。
何枚でも写真が撮れる。
金のかからないのがいい。
電話は場所にかけていた。今は人にかける。
メッセンジャー・バッグは相変わらず人気だが、
自転車で疾駆するメッセンジャーは減った。
オカ・サーファーは今でもいるんだろうか。
便利になっていく。
恩恵にあずかっている。
大事件でも起きない限り、後戻りはしないだろう。できないだろう。
ぼくだけでなく、人類はナマケモノだから。
なければなんとかなる、というのはわかっているんだけど。
「雲の上にいる」と思っていたデザイナーも、
投げない石が当たるほどにいる。腕のよしあしは別にして。
便利になると不思議と増える不思議な職業。
名前と働く姿が結びつかない。
ペンキ屋。三助。御用聞き。豆腐屋……。
そんなわけにはいかない。
ひそかに思うこと。
「タイムズスクエアのビルボードが全部手描きになったら」
どんどん便利に、デジタルに。
それはそれでいい。
でも、アナログもなくならない。
壁を見たら落書きがしたくなり、花を植えたり、爪を切ったり。
ipodで本を読んでも鼻毛は伸びる。
「1」と「0」で出来ていないぼくたちにはアナログが心地いい。
人をひきつけるのはいつだって、この掌から生まれたもの。
あぁ、カセットテープの音が聴きたくなってきた。
ノイズだって必要なんだ。
そろそろ黒板を見に出かけようか。
酒場放浪のついでに。
自分用の黒板を買って表に出そうか。
思いついたことをチョークで書きつけて。
白、ピンク、黄色、水色と黒板消し。
そんなコミュニケーションがあってもいい。
ドアを開けろ!
あちこちの図書館へ行くのが好きで、
近所にある分館をベースに、
降りたことのない駅で地下鉄を降りてみたり。
Brooklynで、Queensで、Manhattanで、Bronxで。
その日は前夜に思い立ち、観光名所でもあるNY公共図書館・本館へ。
「1本くれないかな?」
タバコを喫いながら、高さ5m以上もある重厚なドアを見上げていると、
近くの工事現場で働く男が声をかけてくる。
ここでドアを見上げるのは初めてだった。
いや、閉ざされた扉に足を止めたことすらない。
これまで、2度ほど似たような門を見上げていたことがある。
天国の門をフィレンツェで。
ロダン作・地獄の門をパリで。
2組の扉を思い出していた。
両極へと通じる扉。
天国の門はレプリカだが壁につく。
それだけで孤立する地獄の門はまるで4次元世界へと通じる錯覚を引き起こす。
われわれの地獄感そのものをカタチにしたのか。
閉ざされたドアを見つめるとき、いつも考えてしまうことがある。
「この扉は受け入れるためにあるのか、
それとも、拒むためのものなのか」
もちろん、状況次第ということはわかる。
とりあえず、ぼくらは扉がなければならない世界に生きている。
それが穴であれ、フタであれ。
ベルギー料理屋の前には古材で組まれた丈の低いものが。
鉄製のものが2つ鎖でつながれているランドリー前。
コーヒーショップのドアを挟む、鮮やかな赤でペイントされたもの。
歩道にネジ止めされたものでバスを待つ老女。
最近、中華系デリバリーでよく見かけるどこか怪しい電動自転車の横、Vietnamese Sandwich屋前。
開店前のVintage Clothing Shop前にも。
気恥ずかしくなるような、パステル・ペイントで統一されたヨーグルト屋前にはプラスチック製のものが。
雨にさらされ、すっかり黒ずんでしまったものはバーの青ぃドアの前、灰皿の横。
スゥイーツ屋前では、サングラスに白い短パンの男が何かに齧りつく。
まだ、高くなりきっていない陽の下、10分ほど歩いただけ。
これだけのベンチが歩道に並ぶ。
もちろん公園にだって。
客が座っているときもあれば、
通りすがりの人が足を休めたり、
ホームレス風の男がウオッカのポケット瓶を傾けたり。
もちろん、そこここに扉はある。
それでもベンチというのは人を受け入れるために両手を広げている。
気難しい顔で腕組みをしているものもたまにあるけれど。
そのほとんどが笑顔で寝そべる。
まずは、「受け入れてみる」そこからはじめてみる。
それからのことは、それからのこと。
ベンチのある町を歩いていると、
なんだかこちらまで心やさしい気分になってくる。
朝の散歩。
バーやパーティーでは平気でいつまでも立っているアメリカ人。
立つ文化、かと思いきや、町中、そこここに腰を下ろしている人々。
ぼくはバーでも、パーティーでもお尻に釘を打たれる。
立食パーティーには行かない。
いや、パーティーはきらいだ。
「考える人」は、地獄の門の上で何を考えているんだろう。
日本を含め世界に7つあるという地獄の門。
その扉はどこも閉ざされたままなんだろうか、それとも。
↓
拡大すると
こんなのもたまにある。
こんな心の狭い店には、この先もお金落とす予定なし。
あ、心の狭いのはこっちか……。
過ごし方
やらなきゃならないことが山積していたら、過ごし方なんて考えるひまもない。
どんな一日を過ごしたかじゃなく、
一日がどう過ぎていったかを考える方に意義をおく。
夕陽を反射するStarbusks coffeeの窓がまぶしい。
そのせいで店内の薄暗さが別世界の出来事のように見えていた。
店内にのびる、34度にあぶられている自分の影。
ミートパッキング・ディストリクトという場所柄のせいか、
テーブルにつく人たちもどこかあか抜けて見える。
器は目を曇らせるからよくない。
砂漠にいれば蜃気楼を見る。
ペットボトルに入ったものであろうが、
トマトソースの空き瓶から飲もうが水は水。
どちらも喉を潤おしてくれる。
ごまかされちゃだめだ、
偏った眼差しを向けるな。
そこにあるのは日常風景であって、オアシスじゃない。
沈む前にひときわ輝きを増す太陽に照らし出された、
一軒のコーヒー屋があるだけ。
WiFiを無料解放してから、Stabusksでモニターを見つめる人が増えている。
ほら、ここでも色眼鏡。
そう思ってみれば、そう見えないこともない。
世界はそんなことばかりで溢れかえっている。
思い込みでできているものを、ぼくらは世界と呼ぶ。
自分の吐き出した煙の乱反射の中に見える店内が、
遠い昔の漫画喫茶の光景とダブる。
すべての客がうつむいている。
まるで、そんな人たちばかりを集めたかのように。
テーブルをはさんで向かい合う男ふたり。
小さな丸テーブルでは2台のラップトップが背中合わせ。
真剣な眼差しで見つめるふたり。
相手ではなく、モニターを。
小学生の頃。
25歳、シカゴの頃。
どちらも冬だった。
前に座るのは従兄弟だったり、前の奥さんであったり。
子供の頃、過ごし方なんて考えたことはなかった。
時間は過ぎていくものだった。
冬も外で遊んでいたけれど、部屋の中で過ごす時間はやっぱり夏より多い。
かるた、トランプ、双六、ダイヤモンド・ゲーム、人生ゲーム……。
本を読むほかは、ゲームで過ごす。
前任者の部屋ををそのまま引き継いだシカゴのアパートには、
たくさんの遺産、置きみやげ。
そんな中で頭をひねったのが数々のゲーム。
モノポリー、人生ゲーム、チェス、なぜかタロットカード……。
3ヶ月が過ぎる頃身体で知りはじめる。
過ごし方だった。
厳寒のシカゴ、夜・冬の休日はほとんどを室内で過ごす。
本もない冬の夜長にゲームはもってこいだった。
Starbucksの背中合わせのラップトップを見て思い出していた風景は、
「レーダー作戦ゲーム」をやっている自分。
子供の頃、シカゴのアパートにもなぜかあったゲーム。
ちょうど、このふたりのように向かい合って戦う。
何度も、何度も。
いつまでも遊ぶ。
夏の夕陽を受けながらモニターに向かう人々。
「人生は、死ぬまでのひまつぶし」
ほぐします
そんなぼくでも必要に迫られればページを繰る。
繰っていた。
日本のCMでは都知事の息子も繰ってたけど、
もうすぐ消えてしまうだろう。
年に数回配達されてくる分厚い電話帳。
そのほとんどは圧縮フィルムすら破られず、
場所を玄関先から歩道へと移るだけ。
木曜日の朝、リサイクルゴミの回収車に放り込まれる。
運がよけりゃ窓際でエアコンを下から支えて世の中の役に立ったり。。
困ったとき今昔。
電話帳からネットへ。
初めての町。
大き過ぎてどう動いていいのか見当もつかない。
とりあえずモーテルにチェックインをして電話帳を繰る。
探すのはコインランドリー。
こんな商売が成り立つのは、時から取り残されてしまったようなエリア。
郊外にもかかわらず、歩いている人がいたり。
ニューヨークにはなくてはならない商売だけれど、
よその町にはあてはまらない。
そう、「ニューヨークはアメリカではない」から。
そんな町に古着やデッドストックは瞑っていた。
ある日、突然、揺り起こされるとも知らずに惰眠をむさぼるオタカラたち。
コインランドリーの贅沢。
洗濯している間に夕飯の準備をしたり、台所の掃除をしてみたり……。
そんな、あまりにも生活に密着したものから解放されるひととき。
ランドリーの中で本を広げる。
居眠りをする。
表のベンチに腰掛け、焦点の定まらない目で街を、人を。
「おもしろいよ」
そんな言葉を思い出し、洗われていく洗濯物を、
ぐるぐると回る色とりどりのマーブル模様を眺めていた。
たしかにおもしろい。
同じ形に、同じ色に、ひとところにとどまることがない。
世界中に二つとない世界が繰り広げられていく。
洗い→脱水→ほぐし→反転ほぐし→すすぎ→脱水
これが2セット。
「ほぐし」というところで小さく感動。
実は脱水したくない防水加工の物が入っていて、
それもあって、ぐるぐる回る洗濯機の窓をを見つめていた。
「開かない……」
ドアが開かない。
考えてみればあたりまえのこと。
安全のため、作動中にはインターロックが掛かり、
ドアが開かないよう設計されているのだろう。
悔しいながらも、ここでも小さな感動でひとりニヤニヤ。
「ほぐし」と「開かずのドア」。
こんな小さなことに感動するのはなぜ?
理にかなっているから。
周りのほとんどが理にかなっていないから。
腑に落ちないことが多いから。
正しくもあり、正しくもなし。
誰かの理がぼくの理であるとは限らない。
学ばない。
何度も何度も苦渋を舐めているのに、
また防水加工のものを駄目にしてしまった。
まず、自分の中の理を固めなきゃいけないな。
偶然の贈り物
「行こう、行こう」
思いながらも、なかなか越えられずにいた川。
やってみれば、なんのことはないのは毎度のこと。
散歩の途中、大通りを渡るのに二の足を踏む。
なんだか面倒くさくて。
近くて遠い、遠くて近い向こう岸。
橋はいたるところに架かっているのに
鳩とスズメが喉をうるおす水たまり。
葉のフィルターを抜けてきた陽をキラキラ反射する。
深緑、噴水、子供たちの声、まばらな人……。
いい公園を見つけた。
近所のも悪くないが人、人、人。
ここなら、たまに、ゆっくりとタバコを愉しむことだって。
公園での喫煙も禁止されるだろうが、それまでのつかの間を。
メンテの手が回りきってない。
空缶、ペットボトル、食べ物のコンテナ……。
日常の一部があちらに、こちらに。
拾い集めてもひとりの生活にすらならないカケラたち。
ベンチの上には木から落ちた小さな花が層をなす。
そんな場所だからこそ、この季節に降る黄葉のあることを知る。
噴水で犬に水浴びをさせる女。
三人の少女と母が見つめる。
よほど気持ちがいいんだろう。
いつまでも、いつまでも挑むかのように遊びつづける2匹。
おまえの敵は水か?人か?犬か?
敵もいないのになぜ耳を、尾を切られてしまう。
ようやく遊び飽きたボクサー犬が消えたころ、
モスラムの母が一番下の娘を水に誘う。
いつまでも、いつまでも肩から先を噴き上げる水で濡らし続ける女。
人生の道のりの中、子供というのが動物に一番近い場所にいるんだろう。
黒いベールからのぞく白い歯に、出掛けに食べてきたハムスの味がよみがえってきた。
大きくなり、そして小さくなっていくバスのエンジン音。
吸殻を捨てに行ったゴミ箱の中にCoors 24oz缶2本を見つける。
また1歩、公園があゆみ寄ってきた。
スキンヘッドにサングラスの男は、
噴水にかざし十分に濡れた茶色のタオルを頭にのせて歩み去る。
思い出したのはあの頃の夏。
毎日のように噴水に飛び込んでいた。
ひとけの絶えた夕方の公園。
帰りには、近所のデリでNatural Light16ozを1本。
のんびりした店だった。
店先には誰もいない。
声をかけると引き戸が開き、面倒くさそうな店主の顔がテレビの音と一緒に現れる。
(アイスクリームだったんだ)
向こうのベンチに座る男が無心に食べていたのは。
駐車した車から流れてくるラップ・ミュージック。
身体の揺れにあわせ、終りなき往き来を繰りかえすプラスチック・スプーン。
退屈してしまったのか、それとも本に疲れてしまったのか。
空間を遊泳する黒い瞳。
アイスクリームを食べ終えたらしい。
帰るために立ち上がったと思っていたのだが、
噴水の脇を抜け、ウォーター・ファウンテン前で立ちどまった男。
ハーゲンダッツのハーフパイント・カップに水を注ぎはじめた。
白いズボンの尻ポケットに突っ込まれた新聞の記事が気になる。
ドロップハンドルの自転車でジーサンが通り過ぎる。
スペイン語の鼻歌を聞きながら、ぼくも立ち上がった。
チェス・テーブルでは先ほどと同じ姿勢で携帯画面を覗き込む少女。
ずっと空を見上げたきり動かないホームレス。
公園出口にあるデリをのぞいてみることにした。
「やはり……」
冷蔵庫一番下の段にはCoors 24oz缶が並ぶ。
「してやったり」
心に笑みを浮かべ、先ほどの道を戻る。
少しだけ様変わりしていた。
洞穴のようで、見向きもしなかった場所がBeer Houseになっている。
ビール会社の名入りパラソルが7本。
青白のコンビが通りに花を添える。
離れながらひっつき、ひっつきながら離れる。
腐れ縁の男と女のような政治と宗教。
バーがオープンしたということは、日曜も12時を回っている。
現代社会で時間の節目に忠実なのは、
宗教の道を歩む人たちくらいなのかもしれない。
居心地のいいベンチに1時間以上も座っていたことになる。
酒場放浪は続く。
Hefewaeizenを求めてガラス戸を押した。
トムとダンボのちから
1ページも読まないうちに、睦みあうまぶたとまぶた。
そんなことのくり返し。
いったい何秒眠ってるんだろう。
いや、その数分の一かな。
本を閉じ、真っ白な頭で向かった劇場のはじまり、はじまり。
こんなざまは昨日からわかっていたことで、
そろそろまぶたに瞳をを描いておこうか。
青色のマジックでフランク・シナトラを。
マッチのつっかえ棒も「バキッ」とすぐに折れてしまいそうだから。
それにしても人間の身体。
いったい何箇所で力を発揮できるんだろう?
握る、走る、飛ぶ、唇ではさむ、歯で噛みくだく……。
身体のすべてにオリンピックを。
数えあげればキリはあるんだろうけど、指折る気持ちははなっからなし。
こんなところがいけないところ。
好奇心があっても、探究心がない。意欲がない。
バカは死んでも直らないらしいが、死んだことがないからわからない。
西の張出大関ほどの番付の怠け者とは一生付きあえば終わるかな。
なだめたり、すかしたり、おだてたり、脅したりしながら。
人間って失礼なやつだ。。
いつも心のどこかで下の者、弱者を探すのは本能の性(さが)。
地球の友をつかまえてナマケモノなんて名を平気でつける。
意外に浅かった。
草に埋もれる井戸の底を見たような気分で調べてみる。
英語名はSLOAH。
これも怠け者という意。
日本人だけではなく、人間社会の問題だ。
怠け者のぼくでさえ面と向かって「ナマケモノ」と呼ばれたことはなく、
こんなところに冷酷なだけでなく、人間の奥ゆかしさ、愛を感じてしまう。
なんとひとりよがりな男なんだ。
しかし、いくら歩くのが遅いぼくでも、
ご本家のように横断歩道の真ん中で苔は生えてこない。
まだまだ修行が足りないな。
どんな些細なことであろうと、
いや、些細なことであるからこそ、
道を極めてしまった者には頭を下げる。
「神は小さきところに宿る」というではないか。
あのかわいいナマケモノくんの顔が神々しく見えてくる。
やっぱり眠い。
力を入れることのできる人間の身体が、
あそこも、ここだって……。
お尻の括約筋だって鍛えれば5時間くらいはウンコをガマンできそうだ。
大陸横断は大丈夫。
女性はぼくたちを夢の境地にあそばせてくれるだろう。
「柔道一直線」というテレビ番組で、
主人公の一条直也は、天井の桟を親指と人差指でつかみ懸垂をしていたな。
耳を動かせる人がいるんだから、きっとダンボだって血のにじむような鍛錬をしたに違いない。
まばたきををするときは力を込めてみようか。
トムとジェリーのトムさんみたいに、
マッチ棒を折ることができるようにそのうちなるかもしれない。
耳で飛ぶ空も捨てがたい。
とにかく今はブックマッチくらいなら折ることができそうなくらい眠い。
昨夜は3時間も眠ってなくて、今夜も午前3時までは起きてなくちゃいけない。
やっぱりまぶたに瞳を描いておこうか、念のため。
「あんまり大きく描かないように。偽物だってすぐばれるから」
そんなことを言う人がいる。
目力を鍛えれば、開けておく方の力もつくかな?
どっちにしろ空もマッチも縁がない。
鍛えるなんてところから、ほど遠くにおわしますナマケモノなんだから。
空なんてちっぽけなものは放っといて、いっそ神でも目指そうか。
ハゲがどうした?
「アンタのハゲあたま見るだけで虫唾がはしるのよ!」
熱波もひと段落。
閉鎖されていた近所の図書館も月曜から再開し、
いつもの夏がかえってきた。
NY夏の風物詩のひとつ。
通勤途中、ビーサンからかかとのある靴にはき替える女性の姿。
「はしたない」
電車内で鏡をのぞき込む女性はやり玉にあげられるが、
靴の方はどうなんだろう。
どちらも人前での変身。
おもしろいのはNYと日本の違い。
なぜか逆だ。
丸の内線から降りてきたハイヒール。
スターバックスのコーヒー片手にコンクリートに響く硬い足音。
落ち着いたデスクの下にゾーリがあったりする。
軸足の違いだろうか。
舞台意識だろうか。
本を読みながらタバコを喫っつてると異なものが映る。
体をずらしてみると、
男が着替えているところだった。
Tシャツから、糊のきいたドレスシャツに。
薄い胸にカールする黒い胸毛の残像。
さすがにこれは風物詩とはいえない。
乾燥機で最後まで乾かしてしまうのが嫌い。
半乾きのものを部屋干しする。
夏場にありがたいのは、
「襟付きであればOK」というルール。
ハワイアンシャツを着ていく度胸はないが、
先週からはポロシャツで仕事場へ向かっている。
ポロシャツ唯一の欠点はポケットがないこと。
ポケットのないシャツは買わないくせに、
ポケットのあるポロシャツは許せない。
ポロシャツのとき、苦肉の策としてペンは胸元に。
愕然となってしまった。
電車の中でメモを取り、ペンをさそうとしたときに。
「ン……(なにかがちがう)」
裏返しだった。
慌てていたどころか、かなりの余裕を持って家を出てきたのに。
とっさの時に人間の取る反応はおもしろい。
裏返しであることに気づいたぼくは、なぜかポロシャツの襟を立てていた。
「おいおい、紺色のシャツでそんなことすりゃ白いラベルが目立っちまうぞ」
笑顔交じりで呆れている、もうひとりの自分。
そっと辺りをうかがってみた。
誰もぼくのことなんか見ちゃいない。
自分が思うほどに、他人は自分のことを見ていないのだ。
そんなわけで、しばらくは裏返しのまま堂々と過ごすことに。
電車の中でチャックが全開であることに気づくことがある。
視線の関係だろうか、なぜか気づくのは電車の中。
ズボンのケツに小さな穴の開いていたこともあった。
横に置いていた鞄を膝の上に移しチャックを閉める。
さりげなくシャツを脱ぎ、腰に巻く。
パンツのタータンチェック柄が、
前から見えようが、後ろから見えようが道行く人のほとんどは何も思わない。
せいぜい「あはは」どまり。
ウンコが引っついている場合は別だが。
恥ずかしいというのは社会の問題ではなく、個人の範疇に入る。
チャック全開でも、生きることにそれほどの障りはなくいい仕事だってできる。
「アンタのハゲあたま見るだけで虫唾がはしるのよ!」
悪いのはハゲではなくアンタ。
だから、別にハゲたっていいと思う。
ハゲてるがゆえに人に迷惑をかけることも少ないだろうから。
でも、できることならハゲたくない。
どうしたわけか、アメリカの家には鏡が多い。
香り。香る。
歯を磨いて、顔を洗い、洗濯したてのTシャツに腕を通す。
キッチンへ戻ろうとするとふれてくる香り。
たった5枚の葉が、夏の朝を涼しくしてくれる。
新発見。
必要な分だけ使って、あとはオイル漬けにしようと思ってたのに。
生で食べたい。
ぜんぶ食べたい。
昔はパセリすらきらいだったのに、
細かく刻んだものを冷たいジャスミンティーに入れる。
生はいい。
Barへ入って頼むのはいつも生。
味にうるさいわけじゃないから、瓶ビールでもいいんだけど生。
夏の夕方、電灯に集まる虫のように、人々はビアガーデンに群れジョッキをあげる。
うまくはないはずのソーセージ。
古い油が臭う串カツ。
そんなものが変身してしまう不思議な空間。
レコードでは絶対に味わうことのできない世界がライブにはある。
ステージという境界線のあちらとこちら。
真剣勝負。
感じさせたい、感じたい。
そんな想いが入りまじりながら、あやふやになってゆく境界線。
疲労感、充足感でほてる体を冷やす生ビール。
演劇なんかほとんど観たことない。
小学校の講堂にやってきた「ああ、無情」
高校の授業で引率された、井上ひさし「偽原始人」
日本からの客に付き添った「オペラ座の怪人」
招待券をもらった「太平洋戯曲」
初めて観た歌舞伎、リンカーンセンターにて「平成中村座」
あ、小学校のときに、狂言「ぶす」も観た。名前でよく覚えている。
ぜんぶで6回。
退屈、そんなイメージがつきまとう。
出会い、出会い方というのは大切なんだな。
観てもいいかも……。
報道でその舞台の存在は知っていた。
ただ興味がなくて、読み流し、聞き流し。
「報復の連鎖は断ち切らなければならない」
「人は生きていなければならない」
井上ひさしは、戯曲「ムサシ」にそんなメッセージを込めた。
テレビの中にいる、出演者のひとりである男優の声を聞きながら、そんな気分に。
表に出ることのない、そんなメッセージをぼくは読み取ることができるだろうか。
酒場放浪記の途中に立ち寄った近所のビール専門店。
奥にはは、各地から取り寄せた生ビールのテイクアウト・カウンターが。
左利きの従業員が黒板の銘柄を消し、そして書き加える。
64oa(≒2L)で$16、それに密閉式瓶代として$4.50。
来週末は自宅酒場放浪記。
酒場放浪記
夢はあるが大きなものじゃない。
小さな、小さな小さな夢をつなぎながら生きる。
はき古したスニーカーを、次のものに替えていくみたいに。
ある時は、「うまいステーキが食いたい」手を伸ばせば届く夢であったり。
小さな夢の果てに、アメリカへ来てみたり。
2度と手にすることができないとわかっているのに、
ドラッグをやり続けてみたり。
夢の果てでまたみる夢。
そんなことのくりかえし。
きっと死ぬまで。
大きい夢はないし、必要だとも思わない。
ぼくはね。
夢を見ながら歩いている。
それが見果てぬ夢であることを、どこかでわかりながら。
それでも歩き続ける。
歩かずにはいられない。
一軒、また一軒……。
どこまで歩いて行くのかぼくにもわからない。
今の夢はHefewaeizenというビールを飲むこと。
本場ドイツのものではなく、Portlandの地ビール、
Widmerというブランドのものを。
よく冷やされた背が高く薄いグラスに、
半月型に分厚く切られたレモンをギュッと絞って。
もちろん生。
地ビールなんだから、やっぱりその街で、そこの人と。
そんなことはわかっている。
それでも飲みたい。
アパートからふらりと入ったバーで。
顔見知りが1人もいないバーで、Pintを1杯。
ただそれだけでいい。

あそこにもなかった。
ここにも。
そんなわけで続く酒場放浪。
さて、この夢の彼方にあるのは何。
この夢は、どんな夢にバトンタッチしていくのだろう。
酒場放浪で鳴り続けるBGMといえば、やはりコレ。
ただいま準備中
まだシャッターのほとんどが上がらぬ、
朝のコーヒーを飲んでいるような町へ。
軽く体温を超えていた暑さも少しずつだが和らいできている。
部屋の中より涼しいが油断のならぬ空。
大丈夫、カバンの中には傘。
未だ果たせぬ夢がある。
午前9時45分。
開け放たれた窓、奥の闇へ吸い込まれてゆくバー・カウンター。
ビールを前に坐る男がふたり。
メキシカン・レストランのサイドウォーク・カフェに若い女がふたり。
ステンレス・テーブルに置かれた手帳が気になる。
Dog Earedという言葉の湧き上がる、使い込まれたノートに書かれているのは何?
オープンしてないネイル・サロン前にたむろする中国人女が3人。
携帯に向かう怒鳴り声に耳がかゆい。
ランドリー前のベンチには、中途半端に脱水された表情の女が坐る。
前屈みになった男が、液体洗剤とランドリーバッグ入りのカートを転がしてくる。
イタリア訛りの老女が坐るバス停。
きれいに染め上げられた髪は風になびかず、白いサンダルが目にも涼しい。
提げているのは、天使のあしらわれた宗教画風の紙袋。
この時間のバスは空いている。
ふたり乗りのベビーカーを押すNanny。
車の中の子供と同じ肌の色をしていたらビックりしてしまうこの頃。
Hansfree携帯で喋る声は誰に向けて。
歩道に咲く水色と黒色。プラスチックバッグの大きな花。
まだ回収車は来てない。
空きビンを外へ出すのを忘れてしまった。
コーヒースタンド前にいつもたむろしているジーちゃんたち。
ミルク色のアイスコーヒーを手に出てきた男が、犬の紐をほどく。
それぞれのミルク色。ミルク色って何なんだ?
ありゃ、乳白色のことらしい。
うすく、細いストライプ入りのシャツ。
ペラペラのネクタイを結びながら歩く若い男。
カーリー・ロン毛を湿気まじりの風になびかせて。
近所の寿司屋隣で工事が始まった。
窓に貼られたサインには、
"Opening Soon! NARUTO RAMEN”
準備中の町は心地いい。
オープン前のレストランのように、期待と不安が中和し小さな笑い声、物音に振り返る人。
そんな街を歩くボーカン者。
あまり人が来ない、大通りから奥まったコーヒーショップへ。
人々が静かにドアを開け、閉める。そんな店。
熱波のためか床に置かれた中継ぎ投手のようなエアコン。
壁に据え付けられたもの同様に設定は73°F。
日本では風呂屋や古い図書館でしか見たことのなかった天井FANが心地いい。
この涼しさを知ったのは、アメリカに来てからだった。
アメリカーノsmallを頼むと、素敵なマーブル模様のカップが出てきた。
やっとぼくの方も準備が整いそう。