ドアを開けろ! | ニューヨーク狂人日記

ドアを開けろ!

冬の朝だった。冷たい風が吹いてた。少し早く着きすぎた。

あちこちの図書館へ行くのが好きで、
近所にある分館をベースに、
降りたことのない駅で地下鉄を降りてみたり。
Brooklynで、Queensで、Manhattanで、Bronxで。
その日は前夜に思い立ち、観光名所でもあるNY公共図書館・本館へ。

「1本くれないかな?」
タバコを喫いながら、高さ5m以上もある重厚なドアを見上げていると、
近くの工事現場で働く男が声をかけてくる。
ここでドアを見上げるのは初めてだった。
いや、閉ざされた扉に足を止めたことすらない。

これまで、2度ほど似たような門を見上げていたことがある。
天国の門をフィレンツェで。
ロダン作・地獄の門をパリで。
2組の扉を思い出していた。
両極へと通じる扉。
天国の門はレプリカだが壁につく。
それだけで孤立する地獄の門はまるで4次元世界へと通じる錯覚を引き起こす。
われわれの地獄感そのものをカタチにしたのか。

閉ざされたドアを見つめるとき、いつも考えてしまうことがある。
「この扉は受け入れるためにあるのか、
それとも、拒むためのものなのか」
もちろん、状況次第ということはわかる。
とりあえず、ぼくらは扉がなければならない世界に生きている。
それが穴であれ、フタであれ。


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ベルギー料理屋の前には古材で組まれた丈の低いものが。
鉄製のものが2つ鎖でつながれているランドリー前。
コーヒーショップのドアを挟む、鮮やかな赤でペイントされたもの。
歩道にネジ止めされたものでバスを待つ老女。
最近、中華系デリバリーでよく見かけるどこか怪しい電動自転車の横、Vietnamese Sandwich屋前。
開店前のVintage Clothing Shop前にも。
気恥ずかしくなるような、パステル・ペイントで統一されたヨーグルト屋前にはプラスチック製のものが。
雨にさらされ、すっかり黒ずんでしまったものはバーの青ぃドアの前、灰皿の横。
スゥイーツ屋前では、サングラスに白い短パンの男が何かに齧りつく。

まだ、高くなりきっていない陽の下、10分ほど歩いただけ。
これだけのベンチが歩道に並ぶ。
もちろん公園にだって。
客が座っているときもあれば、
通りすがりの人が足を休めたり、
ホームレス風の男がウオッカのポケット瓶を傾けたり。

もちろん、そこここに扉はある。
それでもベンチというのは人を受け入れるために両手を広げている。
気難しい顔で腕組みをしているものもたまにあるけれど。
そのほとんどが笑顔で寝そべる。
まずは、「受け入れてみる」そこからはじめてみる。
それからのことは、それからのこと。
ベンチのある町を歩いていると、
なんだかこちらまで心やさしい気分になってくる。
朝の散歩。




バーやパーティーでは平気でいつまでも立っているアメリカ人。
立つ文化、かと思いきや、町中、そこここに腰を下ろしている人々。
ぼくはバーでも、パーティーでもお尻に釘を打たれる。
立食パーティーには行かない。
いや、パーティーはきらいだ。




「考える人」は、地獄の門の上で何を考えているんだろう。
日本を含め世界に7つあるという地獄の門。
その扉はどこも閉ざされたままなんだろうか、それとも。





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こんなのもたまにある。
こんな心の狭い店には、この先もお金落とす予定なし。
あ、心の狭いのはこっちか……。