結婚指輪
どうしてつり革がないんだろう?
初めてのNY地下鉄。
驚いたのは。
車体を包む落書きでもなく、
椅子がプラスチックだったからでもなく、
真夏の冷房なしでもない。
つり革の不在。
数年が経ち、「ない」のではなく「消えた」こととわかる。
モノトーンの中の古い車内風景にはつり革があった。
「ない」と「消えた」
似ているけどまったく別のこと。
戦争がないのと、かつて戦争があったのと。
電車は坐るにかぎる。
でも立たなきゃいけないこともある。
eReaderを買ったのはそんな理由もある。
満員に近い車内、すべてが右手で完結する。
左手で金属パイプを握りしめて。
橋を渡るためにいったん地上へと出る。
iPadやスマート・フォンとはちがう。
日光の下で読めるのが気に入ってる。
光るものが目を奪う。
前に座る60過ぎの中国人老婆。
左手薬指。
くすんではいるけれど金色の指輪が朝陽をはじく。
指に食い込んでしまってる。
小さな手の甲は、
絞りの着物のようなしわで埋まり、飛び散るいくつもの斑。
「この人はどんな人生を送ってきたんだろう」
目を閉じた女性の顔を見ながら考える。
いつのころからか。
この10年くらいのことだと思う。
左薬指に目の行っていることが多い。
だからといってどうということはないのだけれど。
指からドラマがほどけていくことがある。
20年前にはぼくの薬指にもあった。
今ではどうということもなくて、
どこででも見つけることができるのだけれど、当時は。
「どうせ結婚指輪を買うなら」
NY中を血眼になって探してもない。
あきらめてしばらくたった頃、
気まぐれで押したドア。
ソーホー外れの小さなアクセサリー・ショップ。
あった……。
キース・リチャードがはめていたものとそっくりのリング。
ずっしり重いドクロにはオプションで金歯を入れた。
もちろんその頃のカミさんとお揃いで。
あの指輪もいつのまにか、
どこかへ消えてしまった。
ものはいつか消える。
ひと口にミッドタウンと言っても、
エリアによってまったく別の風が吹く。
観光客のひしめくところもあれば、
通勤電車の乗降車でまっすぐ歩けないところも。
ネクタイ姿の男たちが足早に歩く道もあれば、
ホームレス・フレンドリーな公園もある。
木曜、金曜はそんなフレンドリーな公園で朝の一服。
寒風の吹くころはどこにいたんだろう。
ぼくの他にはいつも二人くらいしかいなかったのに。
まるでパンジーが咲くように人の数も増え、
この1ヶ月は見かける顔も定着してきた。
「キラリ」
光へ目をやると50過ぎのいい年をしたおっさんが。
手鏡を片手にいたずら中。
デイリー・ニュースに目を落とす若い黒人に。
襟の間に首を埋める痩せた男に。
不用意な仲間たちの目に次々と、
太陽のかけらをあてていく。
それは合図でもあった。
男たちは立ち上がりおっさんの方へと歩き出す。
大きなショッピング・カートに入れられたビニール袋の中をのぞき込み、
それぞれ好みのドーナツを手にすると散っていく。
デイリー・ニュースの男は両手に持ったチョコ・ドーナツに、
たがいちがいにかじりつきながら。
小波は去った。
おっさんはコーヒー・ロールを取り出しポイッと投げる。
一斉に集まる鳩くん。
輪のなかにもとひとつ放り込む。
ちぎるなんて面倒なことはしない。
2つ目のを放ったときだった。
「キラリ」
おっさんの左薬指が光ったのは。
あれは何年前だったろう。
ずっと裸のままだった母の左薬指に指輪が還ってきたのは。
無性にうれしかった。

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初めてのNY地下鉄。
驚いたのは。
車体を包む落書きでもなく、
椅子がプラスチックだったからでもなく、
真夏の冷房なしでもない。
つり革の不在。
数年が経ち、「ない」のではなく「消えた」こととわかる。
モノトーンの中の古い車内風景にはつり革があった。
「ない」と「消えた」
似ているけどまったく別のこと。
戦争がないのと、かつて戦争があったのと。
電車は坐るにかぎる。
でも立たなきゃいけないこともある。
eReaderを買ったのはそんな理由もある。
満員に近い車内、すべてが右手で完結する。
左手で金属パイプを握りしめて。
橋を渡るためにいったん地上へと出る。
iPadやスマート・フォンとはちがう。
日光の下で読めるのが気に入ってる。
光るものが目を奪う。
前に座る60過ぎの中国人老婆。
左手薬指。
くすんではいるけれど金色の指輪が朝陽をはじく。
指に食い込んでしまってる。
小さな手の甲は、
絞りの着物のようなしわで埋まり、飛び散るいくつもの斑。
「この人はどんな人生を送ってきたんだろう」
目を閉じた女性の顔を見ながら考える。
いつのころからか。
この10年くらいのことだと思う。
左薬指に目の行っていることが多い。
だからといってどうということはないのだけれど。
指からドラマがほどけていくことがある。
20年前にはぼくの薬指にもあった。
今ではどうということもなくて、
どこででも見つけることができるのだけれど、当時は。
「どうせ結婚指輪を買うなら」
NY中を血眼になって探してもない。
あきらめてしばらくたった頃、
気まぐれで押したドア。
ソーホー外れの小さなアクセサリー・ショップ。
あった……。
キース・リチャードがはめていたものとそっくりのリング。
ずっしり重いドクロにはオプションで金歯を入れた。
もちろんその頃のカミさんとお揃いで。
あの指輪もいつのまにか、
どこかへ消えてしまった。
ものはいつか消える。
ひと口にミッドタウンと言っても、
エリアによってまったく別の風が吹く。
観光客のひしめくところもあれば、
通勤電車の乗降車でまっすぐ歩けないところも。
ネクタイ姿の男たちが足早に歩く道もあれば、
ホームレス・フレンドリーな公園もある。
木曜、金曜はそんなフレンドリーな公園で朝の一服。
寒風の吹くころはどこにいたんだろう。
ぼくの他にはいつも二人くらいしかいなかったのに。
まるでパンジーが咲くように人の数も増え、
この1ヶ月は見かける顔も定着してきた。
「キラリ」
光へ目をやると50過ぎのいい年をしたおっさんが。
手鏡を片手にいたずら中。
デイリー・ニュースに目を落とす若い黒人に。
襟の間に首を埋める痩せた男に。
不用意な仲間たちの目に次々と、
太陽のかけらをあてていく。
それは合図でもあった。
男たちは立ち上がりおっさんの方へと歩き出す。
大きなショッピング・カートに入れられたビニール袋の中をのぞき込み、
それぞれ好みのドーナツを手にすると散っていく。
デイリー・ニュースの男は両手に持ったチョコ・ドーナツに、
たがいちがいにかじりつきながら。
小波は去った。
おっさんはコーヒー・ロールを取り出しポイッと投げる。
一斉に集まる鳩くん。
輪のなかにもとひとつ放り込む。
ちぎるなんて面倒なことはしない。
2つ目のを放ったときだった。
「キラリ」
おっさんの左薬指が光ったのは。
あれは何年前だったろう。
ずっと裸のままだった母の左薬指に指輪が還ってきたのは。
無性にうれしかった。
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Chips and Soda?
イタチの一本道。
ひとつ目のドアをやりこして50m先に。
いつものドアから。
エレベーター前でさ女3人に男が1人。
あのドアから入ってきたらしい。
ドアが開き、閉まる。
沈黙の一瞬はすぐに破られる。
男女の一団はにぎやかだ。
ぼくもメンバーだった。
みなと同じものを提げている。
いやいや。
ぼくと同じものをみなが提げていた。
緑と黄色で彩られた半透明の袋。
透けて見えるのもやはり白地に緑と黄色。
同じ店から出てきたみたいだ。
朝、慌てていて。
弁当を忘れてしまって。
たまにある。
そんなときはいつもSUBWAYへ。
ここでもイタチは一本道をはずさない。
FootlongのWheat Bread
スパイシー・イタリアンには
レタス、トマト、玉ねぎ、ほうれん草、ハラペーニョとブラック・オリーブ
オイル・アンド・ヴィネガー・ドレッシングをかけ
チーズはプロボロン
同じ道を10年近く。
でも何かが違う。
やっぱりぼくはメンバーじゃない。
彼、彼女らの手にはあるのに。
ぼくにはない。
"Chips and Soda?"
SUBWAYで清算するときにいつも訊かれる。
マニュアルでもあり。
アメリカの習慣でもあり。
「ポテチがないとアクセントがなくって」
「サンドイッチにはやっぱソーダでしょう」
「味噌汁と漬物は?」
食堂のおばちゃんに訊かれるようなもんだ。
さしずめサンドイッチだけを食べるぼくは、
「チャッ、チャッ、チャッ」
と牛丼を2分かきこみ立ち上がる男。
そういえばもう4年くらいになるか。
タイムズスクエアの吉野家にて。
日本のノリで「チャッ、チャッ、チャッ」をやって立ち上がったら、
周りの視線が突き立っていた。
驚愕、慄きを瞳に浮かべて。
だからだろうか。
アメリカ人に肥満が蔓延しているのは。
日本人に高血圧が多いのは。
習慣と病のスパイラル。
やめることはできない。
そんなことを考えながら丼物サンドイッチを頬ばる。
アイデアは突然やってくる。
「そうだ、これでいこう!」
来月頭からの1ヶ月。
昼夜の仕事が決まった。
3時間ほどの浮かんだ時間をはさんで。
深夜過ぎに帰宅して、シャワーを浴びて、ビールを飲んで。
眠れるのは3時間あるかないか。
自信はあるけど、やっぱり少し不安で。
夜の仕事とかけて。
仮眠ととく。
その心は。
寝袋とヨガマットを買おう。
ありがとうよ。
Chips and Soda
脂と糖分、そして塩分には気をつけようね。
おっと忘れるところだった。
ビール数ケースを買いだめとかなくちゃ。
さすがに深夜3時には近所のデリも閉まってる。

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ひとつ目のドアをやりこして50m先に。
いつものドアから。
エレベーター前でさ女3人に男が1人。
あのドアから入ってきたらしい。
ドアが開き、閉まる。
沈黙の一瞬はすぐに破られる。
男女の一団はにぎやかだ。
ぼくもメンバーだった。
みなと同じものを提げている。
いやいや。
ぼくと同じものをみなが提げていた。
緑と黄色で彩られた半透明の袋。
透けて見えるのもやはり白地に緑と黄色。
同じ店から出てきたみたいだ。
朝、慌てていて。
弁当を忘れてしまって。
たまにある。
そんなときはいつもSUBWAYへ。
ここでもイタチは一本道をはずさない。
FootlongのWheat Bread
スパイシー・イタリアンには
レタス、トマト、玉ねぎ、ほうれん草、ハラペーニョとブラック・オリーブ
オイル・アンド・ヴィネガー・ドレッシングをかけ
チーズはプロボロン
同じ道を10年近く。
でも何かが違う。
やっぱりぼくはメンバーじゃない。
彼、彼女らの手にはあるのに。
ぼくにはない。
"Chips and Soda?"
SUBWAYで清算するときにいつも訊かれる。
マニュアルでもあり。
アメリカの習慣でもあり。
「ポテチがないとアクセントがなくって」
「サンドイッチにはやっぱソーダでしょう」
「味噌汁と漬物は?」
食堂のおばちゃんに訊かれるようなもんだ。
さしずめサンドイッチだけを食べるぼくは、
「チャッ、チャッ、チャッ」
と牛丼を2分かきこみ立ち上がる男。
そういえばもう4年くらいになるか。
タイムズスクエアの吉野家にて。
日本のノリで「チャッ、チャッ、チャッ」をやって立ち上がったら、
周りの視線が突き立っていた。
驚愕、慄きを瞳に浮かべて。
だからだろうか。
アメリカ人に肥満が蔓延しているのは。
日本人に高血圧が多いのは。
習慣と病のスパイラル。
やめることはできない。
そんなことを考えながら丼物サンドイッチを頬ばる。
アイデアは突然やってくる。
「そうだ、これでいこう!」
来月頭からの1ヶ月。
昼夜の仕事が決まった。
3時間ほどの浮かんだ時間をはさんで。
深夜過ぎに帰宅して、シャワーを浴びて、ビールを飲んで。
眠れるのは3時間あるかないか。
自信はあるけど、やっぱり少し不安で。
夜の仕事とかけて。
仮眠ととく。
その心は。
寝袋とヨガマットを買おう。
ありがとうよ。
Chips and Soda
脂と糖分、そして塩分には気をつけようね。
おっと忘れるところだった。
ビール数ケースを買いだめとかなくちゃ。
さすがに深夜3時には近所のデリも閉まってる。
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ストローの色
ストローで飲む酒。
ほんとうにまわるんだろうか?
それならストローに乗りかえったっていい。
「エコノミーはプラスチックのコップで出されるから味気なくって」
そんな野暮なことは言わないし、
泡の立て方がどうのこうの、たれるウンチクもない。
ビールなら冷たければそれでいい。
同じ質で、同じ量の酒で気持ちよく酔えるなら、
それに越したことはない。
ガソリン車とエコカーみたいなもんだ。
走るならいいんじゃない。
ストローはほんとうに酔えるんだろうか?
NYでもストローを使う人を見かける。
だけじゃなく、自身にもやってた時代はあった。
でも酔うためではなくて。
茶袋入りをストローで吸う。
警官の目を逃れるために。
というようりも彼らへの敬意を形にして。
もちろんあちらさんだって茶袋の中身は知ってる。
おたがいのために。
当時でも普段より酔ったという覚えがない。
もちろんストローで飲むジュースよりは酔うが。
しばらく日本へ帰っていないころ、一番やりたかったこと。
郊外の駅で電車を待つことだった。
次の電車まで1時間近くあり長いホームに人はまばら。
オレンジや水色、陽にに焼けたプラスチックのベンチに坐って。
濃くなっていく闇の中で酒を飲む。
月なんかが出てるといい。
缶ビールやワンカップじゃなくて、
四角い紙パック入りの日本酒をチュウチュウ。
牛乳みたいに。
底に残ったほんの少しだけをパックの片隅に寄せる。
斜めにさすストローで「ジューーッ」と吸い上げる。
パックを握りつぶしながら、口をすぼめて一息に。
ゴミ箱に放り込み、
ポケットから出した新しいものに次のストローを突き立てる。
竹槍のように切られた先で丸いアルミ箔をねらう。
7年前だった。
思い描いていたものとほぼ同じことをやった。
たまたま巡ってきた環境に「ここぞ」とばかりに便乗をして。
「味は?」
訊かれても
「おいしかった」と答えるしかない。
酒自体もこれといった特色のないものだったし、
このときもストローだったから酔ったという記憶も特にない。
覚えてるのは海の方角に見えた満月と赤いストロー。
ある作家の本を久しぶりに読んでいる。
シリーズの中の1作で、
あちら、こちらで小さな感動が小爆発を起こす。
腕時計に目を落とし、
「あと1篇読んでから」
思いながらも本を閉じ、立ち上がっていた。
本能が余韻の方を選ぶ。
50歩も歩いていない。
「ほんとうに同じ感動が味わえるんだろうか?」
紙の感触。
匂い。
折れ曲がったページ。
古本ではなくても。
それぞれの重み。
左指で感じる残りページの厚み。
紙の色。
ページをめくる音。
「スチールの味がする」
「鉄臭い」
缶ビールのことを言う人がいて、
言われてみればそんな気がしないでもない。
でもビールの味がして、同じに酔うことができる。
過不足なし。
読み終えたもの。
未読のもの。
読み返したいもの。
処分していいもの。
きっと読まないであろうもの。
自分の持つ本のすべてをデジタル化しようと目論んでいる。
どれだけ部屋が広くなることやら。
考えただけでぞくぞくしてくる。
ただ、同じもの読んだあと、
<ほんとうに>同じ余韻にひたっているんだろうか。
それとも、それはまた、まったく新しい別種の余韻なのだろうか。
うす暗いホーム。
赤いストローで飲んだ酒。
あれはほんとうにいつもと同じ味だったんだろうか。
同質の酔いだったのだろうか。
ひとつだけ言える。
たしかに月だけは同じだった。
回転扉を押して中へ。
進む毎に香りが濃くなる。
肩下ほどの高さに置かれた大きなプランターには、
赤、黄のチューリップと白いユリ。
幼稚園のころに見たユリのつぼみ、その不思議さがフラッシュバックしてくる。

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ほんとうにまわるんだろうか?
それならストローに乗りかえったっていい。
「エコノミーはプラスチックのコップで出されるから味気なくって」
そんな野暮なことは言わないし、
泡の立て方がどうのこうの、たれるウンチクもない。
ビールなら冷たければそれでいい。
同じ質で、同じ量の酒で気持ちよく酔えるなら、
それに越したことはない。
ガソリン車とエコカーみたいなもんだ。
走るならいいんじゃない。
ストローはほんとうに酔えるんだろうか?
NYでもストローを使う人を見かける。
だけじゃなく、自身にもやってた時代はあった。
でも酔うためではなくて。
茶袋入りをストローで吸う。
警官の目を逃れるために。
というようりも彼らへの敬意を形にして。
もちろんあちらさんだって茶袋の中身は知ってる。
おたがいのために。
当時でも普段より酔ったという覚えがない。
もちろんストローで飲むジュースよりは酔うが。
しばらく日本へ帰っていないころ、一番やりたかったこと。
郊外の駅で電車を待つことだった。
次の電車まで1時間近くあり長いホームに人はまばら。
オレンジや水色、陽にに焼けたプラスチックのベンチに坐って。
濃くなっていく闇の中で酒を飲む。
月なんかが出てるといい。
缶ビールやワンカップじゃなくて、
四角い紙パック入りの日本酒をチュウチュウ。
牛乳みたいに。
底に残ったほんの少しだけをパックの片隅に寄せる。
斜めにさすストローで「ジューーッ」と吸い上げる。
パックを握りつぶしながら、口をすぼめて一息に。
ゴミ箱に放り込み、
ポケットから出した新しいものに次のストローを突き立てる。
竹槍のように切られた先で丸いアルミ箔をねらう。
7年前だった。
思い描いていたものとほぼ同じことをやった。
たまたま巡ってきた環境に「ここぞ」とばかりに便乗をして。
「味は?」
訊かれても
「おいしかった」と答えるしかない。
酒自体もこれといった特色のないものだったし、
このときもストローだったから酔ったという記憶も特にない。
覚えてるのは海の方角に見えた満月と赤いストロー。
ある作家の本を久しぶりに読んでいる。
シリーズの中の1作で、
あちら、こちらで小さな感動が小爆発を起こす。
腕時計に目を落とし、
「あと1篇読んでから」
思いながらも本を閉じ、立ち上がっていた。
本能が余韻の方を選ぶ。
50歩も歩いていない。
「ほんとうに同じ感動が味わえるんだろうか?」
紙の感触。
匂い。
折れ曲がったページ。
古本ではなくても。
それぞれの重み。
左指で感じる残りページの厚み。
紙の色。
ページをめくる音。
「スチールの味がする」
「鉄臭い」
缶ビールのことを言う人がいて、
言われてみればそんな気がしないでもない。
でもビールの味がして、同じに酔うことができる。
過不足なし。
読み終えたもの。
未読のもの。
読み返したいもの。
処分していいもの。
きっと読まないであろうもの。
自分の持つ本のすべてをデジタル化しようと目論んでいる。
どれだけ部屋が広くなることやら。
考えただけでぞくぞくしてくる。
ただ、同じもの読んだあと、
<ほんとうに>同じ余韻にひたっているんだろうか。
それとも、それはまた、まったく新しい別種の余韻なのだろうか。
うす暗いホーム。
赤いストローで飲んだ酒。
あれはほんとうにいつもと同じ味だったんだろうか。
同質の酔いだったのだろうか。
ひとつだけ言える。
たしかに月だけは同じだった。
回転扉を押して中へ。
進む毎に香りが濃くなる。
肩下ほどの高さに置かれた大きなプランターには、
赤、黄のチューリップと白いユリ。
幼稚園のころに見たユリのつぼみ、その不思議さがフラッシュバックしてくる。
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Save Our Souls (… --- …)
ちょっと前。
燈台守のことを考えていたことがあった。
光と闇をグルグルしていたいころのこと。
何十年もの間、毎夜、同じ岬の先を通り過ぎる漁船。
若いころから燈台守をつづけている老人。
会ったこともなく、
焼き鳥屋のカウンターで隣りあっても気づくことはないだろう。
たがいに。
それでも、年にわたる光りの会話があり、
出し加減、明るさ、光の質やタイミングの癖など。
はるか距離を隔てたがいがたがいを知る。
漁船の灯りが見えぬと老人は心配し、
灯りの出方のぎこちない夜、
船乗りは会ったこともない友の身を気遣う。
こんなふれあいが霧笛にも汽笛にもあるんじゃないか。
そんなことをトイレの窓から見上げる夜空、
時計台のてっぺんで規則正しく点滅する紅いライトを見上げながら思う。
ロマンチックな話はもうない。
日本の燈台のすべては無人化されてしまった。
5年前の灯火を最後に。
「あんた学校はどこやったと?」
「あ、俺ね?トウダイたい」
「あらー、頭よかったい」
「なんの四ツ山燈台たい」
燈台のことを考えるときにはいつも、
子供のころに聞いた父親の古臭いジョークがよみがえる。
親には内緒で見に行った四ツ山燈台の閃光といっしょに。
情報とは何だろう?
情報量とは?
情報の質とは?
遠くの人としゃべることができる。
見知らぬ人と交信をすることができる。
とても小さなことまで。
どの本の●×ページまで読みかけて眠ってしまった。
そんな情景をすら思い浮かべることができる。
右の頬をつけているのか、左なのかまで。
そこにある事実を余すことなく伝えることができる。
想像すらも。
それなのに、
ほんとうにすべてを伝えきったのだろうか。
ほんとうにすべてを受け止めることができたのだろうか。
ぼくは無口だ。
最近ではやっと「の方だ」とつけられる程度にはなった。
たしかに言葉は足りないかもしれない。
伝えきっていないかもしれない。
伝わっていないかもしれない。
「わかれよ」、といった甘えがないとも断言できない。
それでも小さなころほど無口な自分を気にすることはなくなった。
いや、そのことを考えること自体がなくなっている。
情報は量だけが、ディテールだけがすべてなんだろうか。
余白を自分で埋めていく。
懸命に読み取ろうとする。
人間の機能が失われることはないのか。
昨夜、ニュースを見ながらそんなことを考えていた。
(日本語はこちら)
燈台守のことを思い出したのはそんなとき。
焼き鳥屋カウンター。
退屈しのぎなのか。
しきりにライターをいじる隣の男。
はじきだされる火花。
1回、4回……2回.……
見覚えがある。
ひらめくものがあった。
(あの人かも……)
ライターをにぎってみた。
目の前にいるのに。
何を考えているのかがわからない。
そんなときだってある。

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燈台守のことを考えていたことがあった。
光と闇をグルグルしていたいころのこと。
何十年もの間、毎夜、同じ岬の先を通り過ぎる漁船。
若いころから燈台守をつづけている老人。
会ったこともなく、
焼き鳥屋のカウンターで隣りあっても気づくことはないだろう。
たがいに。
それでも、年にわたる光りの会話があり、
出し加減、明るさ、光の質やタイミングの癖など。
はるか距離を隔てたがいがたがいを知る。
漁船の灯りが見えぬと老人は心配し、
灯りの出方のぎこちない夜、
船乗りは会ったこともない友の身を気遣う。
こんなふれあいが霧笛にも汽笛にもあるんじゃないか。
そんなことをトイレの窓から見上げる夜空、
時計台のてっぺんで規則正しく点滅する紅いライトを見上げながら思う。
ロマンチックな話はもうない。
日本の燈台のすべては無人化されてしまった。
5年前の灯火を最後に。
「あんた学校はどこやったと?」
「あ、俺ね?トウダイたい」
「あらー、頭よかったい」
「なんの四ツ山燈台たい」
燈台のことを考えるときにはいつも、
子供のころに聞いた父親の古臭いジョークがよみがえる。
親には内緒で見に行った四ツ山燈台の閃光といっしょに。
情報とは何だろう?
情報量とは?
情報の質とは?
遠くの人としゃべることができる。
見知らぬ人と交信をすることができる。
とても小さなことまで。
どの本の●×ページまで読みかけて眠ってしまった。
そんな情景をすら思い浮かべることができる。
右の頬をつけているのか、左なのかまで。
そこにある事実を余すことなく伝えることができる。
想像すらも。
それなのに、
ほんとうにすべてを伝えきったのだろうか。
ほんとうにすべてを受け止めることができたのだろうか。
ぼくは無口だ。
最近ではやっと「の方だ」とつけられる程度にはなった。
たしかに言葉は足りないかもしれない。
伝えきっていないかもしれない。
伝わっていないかもしれない。
「わかれよ」、といった甘えがないとも断言できない。
それでも小さなころほど無口な自分を気にすることはなくなった。
いや、そのことを考えること自体がなくなっている。
情報は量だけが、ディテールだけがすべてなんだろうか。
余白を自分で埋めていく。
懸命に読み取ろうとする。
人間の機能が失われることはないのか。
昨夜、ニュースを見ながらそんなことを考えていた。
(日本語はこちら)
燈台守のことを思い出したのはそんなとき。
焼き鳥屋カウンター。
退屈しのぎなのか。
しきりにライターをいじる隣の男。
はじきだされる火花。
1回、4回……2回.……
見覚えがある。
ひらめくものがあった。
(あの人かも……)
ライターをにぎってみた。
目の前にいるのに。
何を考えているのかがわからない。
そんなときだってある。
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きょうの山口くん
こんどの旅にでるまえに、私は、日本語についての講演を行った。そのなかで、こんなことを言った。
「日本語には、セックスからきたと思われる言葉があります。たとえば『ひとりよがり』なんかがそうです。これは自分だけが良い気分になること、あるいは、マスターベーションでしょう。ところが、これはもう別の意味の日常語になったいます、そんなふうに、言葉というものは変化します」
終わって、質疑応答になったとき、若い美しい女性が立ち上がって言った。
「あのぅ、先生、『ひとりのみこみ』というのもセックスからきら言葉なんでございましょうか」
さあ、困った。私は貴嬢(あなた)はそんなものは飲み込まないほうがようございましょうと答えた。
(山口瞳『男性自身 素朴な画家の一日』より)
「そろそろかな~」
伸ばしかけた指を抑えつけ腰を上げる。
未来を知る必要はない。
戸を引き、空を見上げていた時代があった。
これからを占うために。
傘を提げていくべきか。
蓑を持って出かけるべきか。
今、どれだけの人が空を見上げるだろう。
30パーセント。
なんて言われても、傘を三分の一だけ持ち出かけるわけにはいかない。
いちばん好きなのは
「晴れときどきくもり、ところによっては一時雨でしょう」
展開されゆく風景を知っている。
得のように思いがちだが、
損なんじゃないだろうか。
日本は出遅れ、アメリカは駆け足で。
前後が寄り添い、
今年の桜は日米同じ頃に咲く。
NYでは例年4月終わりが見頃なんだけど、
近所の桜はもう花ざかり。
図書館から少しだけ足を伸ばし、
ブルックリン植物園へ。
残念なことにメインの八重桜はまだつぼみのまま。
それでも枝垂れ桜やソメイヨシノは満開。
ネットの誘惑、開花情報に負けてたら、
風に舞う薄桃色の桜吹雪にお目にかかることもなかっただろう。
桜の下、文字に違うことなく甲羅干しする亀。
去年の桜は故郷で見た。
従兄と奥さんの3人で。
人も少ない平日の公園の坂道をのぼって。
子供の頃より遠くなってしまった海を眺めながら。
桜を追うように東京へ行った。
弁当の入った袋を下げ、母と姉の3人で。
人の絶えた小さな公園、夜桜の下。
誕生日を祝ってもらう。
来年はどんな桜を見ているんだろう。
そろそろ朝顔を植えよう。
2代目。


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「日本語には、セックスからきたと思われる言葉があります。たとえば『ひとりよがり』なんかがそうです。これは自分だけが良い気分になること、あるいは、マスターベーションでしょう。ところが、これはもう別の意味の日常語になったいます、そんなふうに、言葉というものは変化します」
終わって、質疑応答になったとき、若い美しい女性が立ち上がって言った。
「あのぅ、先生、『ひとりのみこみ』というのもセックスからきら言葉なんでございましょうか」
さあ、困った。私は貴嬢(あなた)はそんなものは飲み込まないほうがようございましょうと答えた。
(山口瞳『男性自身 素朴な画家の一日』より)
「そろそろかな~」
伸ばしかけた指を抑えつけ腰を上げる。
未来を知る必要はない。
戸を引き、空を見上げていた時代があった。
これからを占うために。
傘を提げていくべきか。
蓑を持って出かけるべきか。
今、どれだけの人が空を見上げるだろう。
30パーセント。
なんて言われても、傘を三分の一だけ持ち出かけるわけにはいかない。
いちばん好きなのは
「晴れときどきくもり、ところによっては一時雨でしょう」
展開されゆく風景を知っている。
得のように思いがちだが、
損なんじゃないだろうか。
日本は出遅れ、アメリカは駆け足で。
前後が寄り添い、
今年の桜は日米同じ頃に咲く。
NYでは例年4月終わりが見頃なんだけど、
近所の桜はもう花ざかり。
図書館から少しだけ足を伸ばし、
ブルックリン植物園へ。
残念なことにメインの八重桜はまだつぼみのまま。
それでも枝垂れ桜やソメイヨシノは満開。
ネットの誘惑、開花情報に負けてたら、
風に舞う薄桃色の桜吹雪にお目にかかることもなかっただろう。
桜の下、文字に違うことなく甲羅干しする亀。
去年の桜は故郷で見た。
従兄と奥さんの3人で。
人も少ない平日の公園の坂道をのぼって。
子供の頃より遠くなってしまった海を眺めながら。
桜を追うように東京へ行った。
弁当の入った袋を下げ、母と姉の3人で。
人の絶えた小さな公園、夜桜の下。
誕生日を祝ってもらう。
来年はどんな桜を見ているんだろう。
そろそろ朝顔を植えよう。
2代目。

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Mr. Blank <下>
千代も、八千代も莫大な数であり、
イメージとしては永遠に近いような気もする。
それでもそこに数を入れてしまう。
入れなきゃ気がすまない。
永遠と言い切ることができない。
そもそもなんで八千代なのか。
万代でも、億代でもいいはずだけど。
八という文字が末広がりでめでたいからなのか。
明治時代の作詞だどうだからそれもありうる。
八千代と永遠は。
あきらめと希望なんだろうか。
悲観と楽観なんだろうか。
現実と理想なんだろうか。
日本人は心のどこかに無常を持つ。
アメリカという国は希望なしでは生まれなかった。
どちらもたぶんこれからも。
ニューヨークに永遠はない。
ニューヨーク市のタクシーでレシートを頼むと、
小さな機械が音を立て始める。
日付、乗った時間、降りた時間、レート、ドライバー番号……。
小さな情報が小さな文字で小さな紙に。
なんだか窮屈だ。
この街にMr. Blankなる人物はいないのか。
窮屈だな。
Mr. Blankのいない街では券売機でレシートを漁る人を見かける。
金曜夜は身体障害者の疑似体験をした。
メガネをなくしてしまい本が読めない。
時間が虚しく過ぎ去っていくのが残念で、残念で。
いや、これは時間を虚しくやり越してしまった無念のいいわけに過ぎない。
とにかく、たとえほんの一部機能であったとしても、
目の見えぬというのは大変なことだ。
おかげでいくら飲んでも酔った気がしない。
だからついつい飲んでしまう。
ばからしいから帰った。
目の悪い人も泥酔したりするんだろうか?
目の悪い人でタバコを吸う人は少ないという。
一夜明け、メガネは見つかった。
最後の砦から出てきた。
土曜昼過ぎにレンタカー会社のマネージャーからの電話。
金曜深夜に泣きのメールを打ち、
土曜早朝からしつこいほど電話を入れて。
「あるとしたら、もうここしかない」
思い込んでいる。
「後部座席に落ちてたけど取りに来る?」
耳元でささやく天使の声を聞きながら、
4年前、1月のクィーンズ。
曇り空の下を歩く自分の背中が見えてきた。
"It's a miracle!!!"
電話の向こうでも驚く声がした。
このときもどこかでメガネを失くしてしまい、
最後の砦、NYC Taxiの遺失物係に電話する。
「あるかどうかはわからないけど、ここの車みたいだから......」
数日後にかかってきた電話。
渡された電話番号へ。
ガラガラ声の天使が返ってくるのに15分かかった。。
いや、そのときはまだただのオッサンにすぎない。
奇跡は起こった。
天使が生まれた。
高価なものじゃないけど思い入れのあるメガネ。
日にちもたっているし、ここはニューヨーク市。
見つからぬ可能性のほうが圧倒的に高い。
次の乗客が持っていくこともあれば、
運ちゃんの胸ポケットに入ったり、
ガレージの中で行方不明になったり、
捨てられることだってあるだろう。
歩道に残る雪を避けながら歩くクィーンズの町。
地下鉄駅からのだだっ広い道を川風に吹かれながら、
地図を頼りに。
心だけはポカポカで。
「よかったな~。ほんとに奇跡だよ、これ。
こんなことってないぜー」
ニコニコ顔で腰の高さにあげた右手を上下させる天使。
奇跡料10ドル也。
ニューヨーク市でタクシーに乗るときは、
必要でないと思っていても領収書をもらうようにしてる。
降りるときに座席を振り返る習慣はついたけど。
それでもたまに失くしてしまうことがある。
天使に会いたいからじゃない。
この街は窮屈なだけじゃない。
この街は機能することもある。


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イメージとしては永遠に近いような気もする。
それでもそこに数を入れてしまう。
入れなきゃ気がすまない。
永遠と言い切ることができない。
そもそもなんで八千代なのか。
万代でも、億代でもいいはずだけど。
八という文字が末広がりでめでたいからなのか。
明治時代の作詞だどうだからそれもありうる。
八千代と永遠は。
あきらめと希望なんだろうか。
悲観と楽観なんだろうか。
現実と理想なんだろうか。
日本人は心のどこかに無常を持つ。
アメリカという国は希望なしでは生まれなかった。
どちらもたぶんこれからも。
ニューヨークに永遠はない。
ニューヨーク市のタクシーでレシートを頼むと、
小さな機械が音を立て始める。
日付、乗った時間、降りた時間、レート、ドライバー番号……。
小さな情報が小さな文字で小さな紙に。
なんだか窮屈だ。
この街にMr. Blankなる人物はいないのか。
窮屈だな。
Mr. Blankのいない街では券売機でレシートを漁る人を見かける。
金曜夜は身体障害者の疑似体験をした。
メガネをなくしてしまい本が読めない。
時間が虚しく過ぎ去っていくのが残念で、残念で。
いや、これは時間を虚しくやり越してしまった無念のいいわけに過ぎない。
とにかく、たとえほんの一部機能であったとしても、
目の見えぬというのは大変なことだ。
おかげでいくら飲んでも酔った気がしない。
だからついつい飲んでしまう。
ばからしいから帰った。
目の悪い人も泥酔したりするんだろうか?
目の悪い人でタバコを吸う人は少ないという。
一夜明け、メガネは見つかった。
最後の砦から出てきた。
土曜昼過ぎにレンタカー会社のマネージャーからの電話。
金曜深夜に泣きのメールを打ち、
土曜早朝からしつこいほど電話を入れて。
「あるとしたら、もうここしかない」
思い込んでいる。
「後部座席に落ちてたけど取りに来る?」
耳元でささやく天使の声を聞きながら、
4年前、1月のクィーンズ。
曇り空の下を歩く自分の背中が見えてきた。
"It's a miracle!!!"
電話の向こうでも驚く声がした。
このときもどこかでメガネを失くしてしまい、
最後の砦、NYC Taxiの遺失物係に電話する。
「あるかどうかはわからないけど、ここの車みたいだから......」
数日後にかかってきた電話。
渡された電話番号へ。
ガラガラ声の天使が返ってくるのに15分かかった。。
いや、そのときはまだただのオッサンにすぎない。
奇跡は起こった。
天使が生まれた。
高価なものじゃないけど思い入れのあるメガネ。
日にちもたっているし、ここはニューヨーク市。
見つからぬ可能性のほうが圧倒的に高い。
次の乗客が持っていくこともあれば、
運ちゃんの胸ポケットに入ったり、
ガレージの中で行方不明になったり、
捨てられることだってあるだろう。
歩道に残る雪を避けながら歩くクィーンズの町。
地下鉄駅からのだだっ広い道を川風に吹かれながら、
地図を頼りに。
心だけはポカポカで。
「よかったな~。ほんとに奇跡だよ、これ。
こんなことってないぜー」
ニコニコ顔で腰の高さにあげた右手を上下させる天使。
奇跡料10ドル也。
ニューヨーク市でタクシーに乗るときは、
必要でないと思っていても領収書をもらうようにしてる。
降りるときに座席を振り返る習慣はついたけど。
それでもたまに失くしてしまうことがある。
天使に会いたいからじゃない。
この街は窮屈なだけじゃない。
この街は機能することもある。

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Mr. Blank <上>
"Blank is OK?"
"How many?"
ロングアイランドのタクシーで領収書を頼むと訊かれる。
肩越しに出てくる8割はブランク(空欄のまま)。
何も言わないのに3枚渡してくれたり。
サービスがいい。
領収書という立場は世界の中でそんなもんなのかもしれない。
無から有を生み出す可能性を秘めた。
打出の小槌を使いもたくさんいる。
錬金術師たち。
ぼくの場合はと言うと、
金額や回数が知れ渡っているので小槌は振れない。
ある人に言わせれば、宝の持ち腐れ、ということにもなる。
いっそネット掲示板に
「廉価譲タクシー領収書各種」
とでも出そうか。
バーチャル世界の出張人は結構いるかも知れない。
立て替えは回収しなくちゃ。
それでも雑多なもので財布がふくらんでると、
お金への片道切符が消えていることがある。
忽然と。
ブラック・ホールに吸い込まれたように。
日本での社会人生活が短かったせいで、
その習慣はあまり知らない。
いくつか知っているのは飲み屋のレシート。
そんな現場に何度か居あわせた。
「上様でよか~?」
手のひらの半分もない領収書にゴム印を押しながら、
隣の客におかみさんの声が飛ぶ。
今もこんなシーンはあるんだろうか?
もちろんそれはお盆前や年末にデパートがにぎわっていた頃の話。
お中元や、お歳暮でだれもびくびくしていなかった時代の昔話。
だいたい。そんな余裕があった時代。
クレジット・カードの半分もないサイズも驚きだったけど、
上様という言葉にやられた。
上様。
うえさま。
乞食だって領収書の上では上様になることのできる国。
仕事をはじめてからは各所で上様と出会った。
時には自分も上様になったり。
上様がいるのは文房具屋だったり、はんこ屋だったり。
金額も、店の規模もどちらかといえばコンパクトな場合が多かった。
小さなお城の上様。
日本人は現実的な民族なんだろう。
常に何かの対象を求めているような。
もちろん日本にだって空白のレシートは存在するんだろう。
でもやっぱり上様だ。
殿だ。
王だ。
もう50年以上ももめている君が代。
天皇崇拝者ではないけれど、
そんなものはどうでもいい。
「めだかの学校」を歌いながら、
青空にはためく「バカボンのパパ」を涙目で見上げるスポーツ選手がいたって、
それはそれでいい。
「君が代」+「日の丸」セットを眺める今と同じで、
たんたんとテレビ画像を見てると思う。
日本人は歌う
「千代に、八千代に……」
アメリカ人は旗を見あげ胸に手をあてる。
「星条旗よ永遠なれ」


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"How many?"
ロングアイランドのタクシーで領収書を頼むと訊かれる。
肩越しに出てくる8割はブランク(空欄のまま)。
何も言わないのに3枚渡してくれたり。
サービスがいい。
領収書という立場は世界の中でそんなもんなのかもしれない。
無から有を生み出す可能性を秘めた。
打出の小槌を使いもたくさんいる。
錬金術師たち。
ぼくの場合はと言うと、
金額や回数が知れ渡っているので小槌は振れない。
ある人に言わせれば、宝の持ち腐れ、ということにもなる。
いっそネット掲示板に
「廉価譲タクシー領収書各種」
とでも出そうか。
バーチャル世界の出張人は結構いるかも知れない。
立て替えは回収しなくちゃ。
それでも雑多なもので財布がふくらんでると、
お金への片道切符が消えていることがある。
忽然と。
ブラック・ホールに吸い込まれたように。
日本での社会人生活が短かったせいで、
その習慣はあまり知らない。
いくつか知っているのは飲み屋のレシート。
そんな現場に何度か居あわせた。
「上様でよか~?」
手のひらの半分もない領収書にゴム印を押しながら、
隣の客におかみさんの声が飛ぶ。
今もこんなシーンはあるんだろうか?
もちろんそれはお盆前や年末にデパートがにぎわっていた頃の話。
お中元や、お歳暮でだれもびくびくしていなかった時代の昔話。
だいたい。そんな余裕があった時代。
クレジット・カードの半分もないサイズも驚きだったけど、
上様という言葉にやられた。
上様。
うえさま。
乞食だって領収書の上では上様になることのできる国。
仕事をはじめてからは各所で上様と出会った。
時には自分も上様になったり。
上様がいるのは文房具屋だったり、はんこ屋だったり。
金額も、店の規模もどちらかといえばコンパクトな場合が多かった。
小さなお城の上様。
日本人は現実的な民族なんだろう。
常に何かの対象を求めているような。
もちろん日本にだって空白のレシートは存在するんだろう。
でもやっぱり上様だ。
殿だ。
王だ。
もう50年以上ももめている君が代。
天皇崇拝者ではないけれど、
そんなものはどうでもいい。
「めだかの学校」を歌いながら、
青空にはためく「バカボンのパパ」を涙目で見上げるスポーツ選手がいたって、
それはそれでいい。
「君が代」+「日の丸」セットを眺める今と同じで、
たんたんとテレビ画像を見てると思う。
日本人は歌う
「千代に、八千代に……」
アメリカ人は旗を見あげ胸に手をあてる。
「星条旗よ永遠なれ」

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April Fools Dayに
今日はエイプリール・フール。
ウソをつていいい日。
罪のない方を。
ウソついたか?
思い当たらない。
つかなければならないわけじゃないけど、
貧乏性だから。
Two for OneのHappy Hourでは、
1、3、5・・・・・・。
奇数杯のときは気が気じゃない。
飲みたくなくても。
よその校区へ行くことは冒険だった。
習字の揮毫会へ姉とバスで行ったことがあるだけの遠い校区。
イザッ!
悪(親)友のSちゃんと並んで自転車を並んでこぐ。
ダラダラ坂をのぼって。
駛馬天満宮という神社の祭礼へ。
あちこちにむしろを並べ木彫のうその売っている。
テキ屋のおっちゃんもいる。
ガムの型抜きとか、色つきのひよこ釣りとか。
たこ焼き、イカ焼きの煙とにおい。
紺色の線が二本左腕にはいる緑色のセーターを着ていた。
春休み。
エイプリール・フールあたり。
うそかえ祭りは、木彫りのうそを買っておさめる。
すると、あら不思議。
去年ついたすべてのうそが許される。
そんなんだったと思う。
(ほんとはもっと厳粛な意味合いがあるんだろうけど、10歳のガキはそう理解する)
「これからは死ぬほどウソがつけるんだ!」
幼心に救い、そして喜びがこみあげてくる。
たったの1日じゃなくて365日分のウソを一挙にご赦免。
日本の神さんって数が多いだけじゃなく、太っ腹だな。
夕方よその校区へ小冒険したことがばれて怒られる。
「●☓くんの家で遊んでた」
と言うのだが信じてくれなくて。
木彫りのうそを握りしめてるんだから仕方ない。
それでもシラをきる。
なんといってもぼくにはウソの神さんがついてるんだから。
自分にウソをついた。
2012年エイプリール・フール。
もう午後だから、夕方も近いしね。
12時過ぎバーへ入る。
でも、昼ビールはうまい!
これホント。

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ウソをつていいい日。
罪のない方を。
ウソついたか?
思い当たらない。
つかなければならないわけじゃないけど、
貧乏性だから。
Two for OneのHappy Hourでは、
1、3、5・・・・・・。
奇数杯のときは気が気じゃない。
飲みたくなくても。
よその校区へ行くことは冒険だった。
習字の揮毫会へ姉とバスで行ったことがあるだけの遠い校区。
イザッ!
悪(親)友のSちゃんと並んで自転車を並んでこぐ。
ダラダラ坂をのぼって。
駛馬天満宮という神社の祭礼へ。
あちこちにむしろを並べ木彫のうその売っている。
テキ屋のおっちゃんもいる。
ガムの型抜きとか、色つきのひよこ釣りとか。
たこ焼き、イカ焼きの煙とにおい。
紺色の線が二本左腕にはいる緑色のセーターを着ていた。
春休み。
エイプリール・フールあたり。
うそかえ祭りは、木彫りのうそを買っておさめる。
すると、あら不思議。
去年ついたすべてのうそが許される。
そんなんだったと思う。
(ほんとはもっと厳粛な意味合いがあるんだろうけど、10歳のガキはそう理解する)
「これからは死ぬほどウソがつけるんだ!」
幼心に救い、そして喜びがこみあげてくる。
たったの1日じゃなくて365日分のウソを一挙にご赦免。
日本の神さんって数が多いだけじゃなく、太っ腹だな。
夕方よその校区へ小冒険したことがばれて怒られる。
「●☓くんの家で遊んでた」
と言うのだが信じてくれなくて。
木彫りのうそを握りしめてるんだから仕方ない。
それでもシラをきる。
なんといってもぼくにはウソの神さんがついてるんだから。
自分にウソをついた。
2012年エイプリール・フール。
もう午後だから、夕方も近いしね。
12時過ぎバーへ入る。
でも、昼ビールはうまい!
これホント。
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Like A Rolling Stone
25年目にして初めて。
このごろ週に1度はLong Island Rail Road
通称LIRR(エル・アイ・ダブル・アール)という中距離鉄道に乗る。
とはいっても、通勤客にもまれて、というのではなくて。
朝、34St.をPenn駅へと向かう。
ロング・アイランドへと向かうために。
ストリートは各路線から集められ、
一箇所で吐き出された人々で埋まっている。
奔流と言ってもいい。
それを逆行するにはかなりの衝撃がともなう。
これは人数ではなく人量だ。
逆方向の電車内は閑散としていて、
揺れまでもが地下鉄とはまったく別種のもの。
ひだまりの猫のような車掌が検札していく。
車内を見回すとジューイッシュ、チャイニーズが多い。
地下鉄ではあまり見られない光景だ。
マンハッタンという名の小島から別の島へ向かう旅。
敬遠していた地下鉄ラインがある。
いつも混んでいて、その上車幅が狭い。
赤色がシンボルの2番線、3番線。
経験は大切だな。
常々思うんだけど。
今も初体験の壁は高い。
普段使う線は5時を過ぎた途端、
帰宅する人で満員になってしまうのだけれど、
この線は違う。
5時を過ぎてもなぜか座れる。
この間は7時の電車に乗ってみた。
満員……。
ラインによって満員になる時間帯が違うんだ。
この線を利用する人の多くは、
飲食・小売などサービス業を生業にしているのかもしれない。
見渡すと黒人の割合が圧倒的に高い。
朝、下流へと流れついた人々はまだ上流をめざす。
自分という石の転がり落ちたあの場所を。

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このごろ週に1度はLong Island Rail Road
通称LIRR(エル・アイ・ダブル・アール)という中距離鉄道に乗る。
とはいっても、通勤客にもまれて、というのではなくて。
朝、34St.をPenn駅へと向かう。
ロング・アイランドへと向かうために。
ストリートは各路線から集められ、
一箇所で吐き出された人々で埋まっている。
奔流と言ってもいい。
それを逆行するにはかなりの衝撃がともなう。
これは人数ではなく人量だ。
逆方向の電車内は閑散としていて、
揺れまでもが地下鉄とはまったく別種のもの。
ひだまりの猫のような車掌が検札していく。
車内を見回すとジューイッシュ、チャイニーズが多い。
地下鉄ではあまり見られない光景だ。
マンハッタンという名の小島から別の島へ向かう旅。
敬遠していた地下鉄ラインがある。
いつも混んでいて、その上車幅が狭い。
赤色がシンボルの2番線、3番線。
経験は大切だな。
常々思うんだけど。
今も初体験の壁は高い。
普段使う線は5時を過ぎた途端、
帰宅する人で満員になってしまうのだけれど、
この線は違う。
5時を過ぎてもなぜか座れる。
この間は7時の電車に乗ってみた。
満員……。
ラインによって満員になる時間帯が違うんだ。
この線を利用する人の多くは、
飲食・小売などサービス業を生業にしているのかもしれない。
見渡すと黒人の割合が圧倒的に高い。
朝、下流へと流れついた人々はまだ上流をめざす。
自分という石の転がり落ちたあの場所を。
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On My Way
On My Way
Deja-vu
ではない。
ここは前にも来た。
立ち止まってしばらく眺めてた。
あのビルの壁画も。
公園に座る人も。
クリーニング屋の看板とアイロンも。
急ぎ足でどこかへ向かう人も。
どこかへ帰る人も。
まったく同じ光景だ。
まったく別な風景だ。
まったく同じ物を、
まったく同じ目で見てるのに。
山に登るとき。
山を下りるとき。
どうしてここまで違って見える。
そして。
自分が登っているのか。
それとも下っているのか。
よく、わからなくなってしまう。
「あー、あのときは下ってたんだな」
気づくのはいつもあとから。
シド・ヴィシャスはピストルをぶっ放し歌った。
フランク・シナトラは噛みしめながら歌った。
「My Way」を。
ぼくはいつまでもOn My Wayを歌う。

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ではない。
ここは前にも来た。
立ち止まってしばらく眺めてた。
あのビルの壁画も。
公園に座る人も。
クリーニング屋の看板とアイロンも。
急ぎ足でどこかへ向かう人も。
どこかへ帰る人も。
まったく同じ光景だ。
まったく別な風景だ。
まったく同じ物を、
まったく同じ目で見てるのに。
山に登るとき。
山を下りるとき。
どうしてここまで違って見える。
そして。
自分が登っているのか。
それとも下っているのか。
よく、わからなくなってしまう。
「あー、あのときは下ってたんだな」
気づくのはいつもあとから。
シド・ヴィシャスはピストルをぶっ放し歌った。
フランク・シナトラは噛みしめながら歌った。
「My Way」を。
ぼくはいつまでもOn My Wayを歌う。
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