結婚指輪
どうしてつり革がないんだろう?
初めてのNY地下鉄。
驚いたのは。
車体を包む落書きでもなく、
椅子がプラスチックだったからでもなく、
真夏の冷房なしでもない。
つり革の不在。
数年が経ち、「ない」のではなく「消えた」こととわかる。
モノトーンの中の古い車内風景にはつり革があった。
「ない」と「消えた」
似ているけどまったく別のこと。
戦争がないのと、かつて戦争があったのと。
電車は坐るにかぎる。
でも立たなきゃいけないこともある。
eReaderを買ったのはそんな理由もある。
満員に近い車内、すべてが右手で完結する。
左手で金属パイプを握りしめて。
橋を渡るためにいったん地上へと出る。
iPadやスマート・フォンとはちがう。
日光の下で読めるのが気に入ってる。
光るものが目を奪う。
前に座る60過ぎの中国人老婆。
左手薬指。
くすんではいるけれど金色の指輪が朝陽をはじく。
指に食い込んでしまってる。
小さな手の甲は、
絞りの着物のようなしわで埋まり、飛び散るいくつもの斑。
「この人はどんな人生を送ってきたんだろう」
目を閉じた女性の顔を見ながら考える。
いつのころからか。
この10年くらいのことだと思う。
左薬指に目の行っていることが多い。
だからといってどうということはないのだけれど。
指からドラマがほどけていくことがある。
20年前にはぼくの薬指にもあった。
今ではどうということもなくて、
どこででも見つけることができるのだけれど、当時は。
「どうせ結婚指輪を買うなら」
NY中を血眼になって探してもない。
あきらめてしばらくたった頃、
気まぐれで押したドア。
ソーホー外れの小さなアクセサリー・ショップ。
あった……。
キース・リチャードがはめていたものとそっくりのリング。
ずっしり重いドクロにはオプションで金歯を入れた。
もちろんその頃のカミさんとお揃いで。
あの指輪もいつのまにか、
どこかへ消えてしまった。
ものはいつか消える。
ひと口にミッドタウンと言っても、
エリアによってまったく別の風が吹く。
観光客のひしめくところもあれば、
通勤電車の乗降車でまっすぐ歩けないところも。
ネクタイ姿の男たちが足早に歩く道もあれば、
ホームレス・フレンドリーな公園もある。
木曜、金曜はそんなフレンドリーな公園で朝の一服。
寒風の吹くころはどこにいたんだろう。
ぼくの他にはいつも二人くらいしかいなかったのに。
まるでパンジーが咲くように人の数も増え、
この1ヶ月は見かける顔も定着してきた。
「キラリ」
光へ目をやると50過ぎのいい年をしたおっさんが。
手鏡を片手にいたずら中。
デイリー・ニュースに目を落とす若い黒人に。
襟の間に首を埋める痩せた男に。
不用意な仲間たちの目に次々と、
太陽のかけらをあてていく。
それは合図でもあった。
男たちは立ち上がりおっさんの方へと歩き出す。
大きなショッピング・カートに入れられたビニール袋の中をのぞき込み、
それぞれ好みのドーナツを手にすると散っていく。
デイリー・ニュースの男は両手に持ったチョコ・ドーナツに、
たがいちがいにかじりつきながら。
小波は去った。
おっさんはコーヒー・ロールを取り出しポイッと投げる。
一斉に集まる鳩くん。
輪のなかにもとひとつ放り込む。
ちぎるなんて面倒なことはしない。
2つ目のを放ったときだった。
「キラリ」
おっさんの左薬指が光ったのは。
あれは何年前だったろう。
ずっと裸のままだった母の左薬指に指輪が還ってきたのは。
無性にうれしかった。

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初めてのNY地下鉄。
驚いたのは。
車体を包む落書きでもなく、
椅子がプラスチックだったからでもなく、
真夏の冷房なしでもない。
つり革の不在。
数年が経ち、「ない」のではなく「消えた」こととわかる。
モノトーンの中の古い車内風景にはつり革があった。
「ない」と「消えた」
似ているけどまったく別のこと。
戦争がないのと、かつて戦争があったのと。
電車は坐るにかぎる。
でも立たなきゃいけないこともある。
eReaderを買ったのはそんな理由もある。
満員に近い車内、すべてが右手で完結する。
左手で金属パイプを握りしめて。
橋を渡るためにいったん地上へと出る。
iPadやスマート・フォンとはちがう。
日光の下で読めるのが気に入ってる。
光るものが目を奪う。
前に座る60過ぎの中国人老婆。
左手薬指。
くすんではいるけれど金色の指輪が朝陽をはじく。
指に食い込んでしまってる。
小さな手の甲は、
絞りの着物のようなしわで埋まり、飛び散るいくつもの斑。
「この人はどんな人生を送ってきたんだろう」
目を閉じた女性の顔を見ながら考える。
いつのころからか。
この10年くらいのことだと思う。
左薬指に目の行っていることが多い。
だからといってどうということはないのだけれど。
指からドラマがほどけていくことがある。
20年前にはぼくの薬指にもあった。
今ではどうということもなくて、
どこででも見つけることができるのだけれど、当時は。
「どうせ結婚指輪を買うなら」
NY中を血眼になって探してもない。
あきらめてしばらくたった頃、
気まぐれで押したドア。
ソーホー外れの小さなアクセサリー・ショップ。
あった……。
キース・リチャードがはめていたものとそっくりのリング。
ずっしり重いドクロにはオプションで金歯を入れた。
もちろんその頃のカミさんとお揃いで。
あの指輪もいつのまにか、
どこかへ消えてしまった。
ものはいつか消える。
ひと口にミッドタウンと言っても、
エリアによってまったく別の風が吹く。
観光客のひしめくところもあれば、
通勤電車の乗降車でまっすぐ歩けないところも。
ネクタイ姿の男たちが足早に歩く道もあれば、
ホームレス・フレンドリーな公園もある。
木曜、金曜はそんなフレンドリーな公園で朝の一服。
寒風の吹くころはどこにいたんだろう。
ぼくの他にはいつも二人くらいしかいなかったのに。
まるでパンジーが咲くように人の数も増え、
この1ヶ月は見かける顔も定着してきた。
「キラリ」
光へ目をやると50過ぎのいい年をしたおっさんが。
手鏡を片手にいたずら中。
デイリー・ニュースに目を落とす若い黒人に。
襟の間に首を埋める痩せた男に。
不用意な仲間たちの目に次々と、
太陽のかけらをあてていく。
それは合図でもあった。
男たちは立ち上がりおっさんの方へと歩き出す。
大きなショッピング・カートに入れられたビニール袋の中をのぞき込み、
それぞれ好みのドーナツを手にすると散っていく。
デイリー・ニュースの男は両手に持ったチョコ・ドーナツに、
たがいちがいにかじりつきながら。
小波は去った。
おっさんはコーヒー・ロールを取り出しポイッと投げる。
一斉に集まる鳩くん。
輪のなかにもとひとつ放り込む。
ちぎるなんて面倒なことはしない。
2つ目のを放ったときだった。
「キラリ」
おっさんの左薬指が光ったのは。
あれは何年前だったろう。
ずっと裸のままだった母の左薬指に指輪が還ってきたのは。
無性にうれしかった。
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