Excuse me while I kiss the sky
Excuse me.
最初に思い浮かべるのはなんだろう?
ぼくは
「ゴメンよ、ちょっと空にキスしてくっから」
口の中でくぐもるような声で唄うJime HendrixのPurple Haze。
Excuse me
誰かの言葉を聞きながらこのフレーズが繰り返し響く。
今でもあまり変わらないみたいだ。
階級社会の凝縮を見るようで、
キッチン・スタッフには絶大的なものがある。
25年経ってもそれほど変わってはにないみたい。
ま、制作の現場と外界に接する者、他の世界でも似たようなものではあるけれど。
昨日まで皿を洗っていたアミーゴ君が、
キッチンの末席に立った途端に胸を張り顔つきもおだやかになる。、
数日も経つとその偉さも板についてくる。
「ゴメンよ、ゴメンよ……。と言っても謝ってるわけじゃねーからなーっ!」
NY最初の仕事場はレストランだった。
キッチンとスシ・バーとをつなぐ狭くて薄暗い廊下を。
あわせたシャリの入る大きな寿司桶をを抱え、
日に何十回と往復をする遊び友達のOくん。
伝票をつけたり、お茶を入れたりするウェイターたちの間を縫いながら。
電車の揺れの中Oくんの声が聞こえてきた。
"Excuse me."
"Excuse me."
人ごみをかき分けてきた50過ぎのおばちゃん。
いや、無理だろう、それは……。
ひときわ大きな"Excuse me."を発しながら、
ひときわ大きなケツを。
どう見ても無理な座席の隙間にねじこんでいく。
胃カメラを目の前に見た男のような気分になっていると、
はいった……。
「なによ!あんたっ!」
声を荒げる。
隣に座っていた男がおばさんのケツに敷かれてしまったコートの端を引きぬいたらしい。
「だって、あんた俺のコートの上に座ってたんだぜ」
「知ってるわよ!だから"Excuse me."って言ったじゃない。あんたつんぼなのっ!?」
(やれやれ……)
あきれ顔の男は本に目を戻す。
"Excuse me."
"Excuse me."
おばさんはくり返す。
前に立つ女のバッグが眼前にあるのが気にくわないみたいだ。
押しこむようにして、何度も何度も。
バッグを押しやろうとするおばさん。
そのたびに漏れる。
"Excuse me."
"Excuse me."
"Excuse me."は免罪符。
事情があって運転免許を取得しようとしている。
前のやつは15年前に失効してしまった。
どこにも、
「事故にあったら決して"Excuse me."と言ってはならない」
なんて書いてない。
それでも25年前、NYで初めて運転免許を手にしたとき、
まっ先に教えられたのがこの言葉だ。
"Excuse me."
この言葉は自分に非のあることを認めてしまったことになるので
のちのち自分に不利となる根を含むことになるから。
ぼくはというと。
すぐに謝ってしまう。
事故に限らず、
「あ、ゴメン」
と言っている。
そこに考える自分はいない。
自分が間違っている、非があると感じた時だけだけれど。
絶対に謝らない人がいる。
「よくぞここまで」
感心してしまうほどに徹底している。
熱い鍋を握った指先が耳たぶに触れるように。
謝るという言葉を本能で避けながら善後策を講じる。
ま、それはそれでいいんだけれど。
ほんとうに感心してしまうほどに見事だ。
生き苦しくないかな。
コンニチハ。
アリガトウ。
ゴメン。
3つの言葉。
これさえ知ってたら世界じゅうのどこでも楽しく暮らしていける。
きっと宇宙の果てでも。
"Excuse me while I kiss the sky."

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最初に思い浮かべるのはなんだろう?
ぼくは
「ゴメンよ、ちょっと空にキスしてくっから」
口の中でくぐもるような声で唄うJime HendrixのPurple Haze。
Excuse me
誰かの言葉を聞きながらこのフレーズが繰り返し響く。
今でもあまり変わらないみたいだ。
階級社会の凝縮を見るようで、
キッチン・スタッフには絶大的なものがある。
25年経ってもそれほど変わってはにないみたい。
ま、制作の現場と外界に接する者、他の世界でも似たようなものではあるけれど。
昨日まで皿を洗っていたアミーゴ君が、
キッチンの末席に立った途端に胸を張り顔つきもおだやかになる。、
数日も経つとその偉さも板についてくる。
「ゴメンよ、ゴメンよ……。と言っても謝ってるわけじゃねーからなーっ!」
NY最初の仕事場はレストランだった。
キッチンとスシ・バーとをつなぐ狭くて薄暗い廊下を。
あわせたシャリの入る大きな寿司桶をを抱え、
日に何十回と往復をする遊び友達のOくん。
伝票をつけたり、お茶を入れたりするウェイターたちの間を縫いながら。
電車の揺れの中Oくんの声が聞こえてきた。
"Excuse me."
"Excuse me."
人ごみをかき分けてきた50過ぎのおばちゃん。
いや、無理だろう、それは……。
ひときわ大きな"Excuse me."を発しながら、
ひときわ大きなケツを。
どう見ても無理な座席の隙間にねじこんでいく。
胃カメラを目の前に見た男のような気分になっていると、
はいった……。
「なによ!あんたっ!」
声を荒げる。
隣に座っていた男がおばさんのケツに敷かれてしまったコートの端を引きぬいたらしい。
「だって、あんた俺のコートの上に座ってたんだぜ」
「知ってるわよ!だから"Excuse me."って言ったじゃない。あんたつんぼなのっ!?」
(やれやれ……)
あきれ顔の男は本に目を戻す。
"Excuse me."
"Excuse me."
おばさんはくり返す。
前に立つ女のバッグが眼前にあるのが気にくわないみたいだ。
押しこむようにして、何度も何度も。
バッグを押しやろうとするおばさん。
そのたびに漏れる。
"Excuse me."
"Excuse me."
"Excuse me."は免罪符。
事情があって運転免許を取得しようとしている。
前のやつは15年前に失効してしまった。
どこにも、
「事故にあったら決して"Excuse me."と言ってはならない」
なんて書いてない。
それでも25年前、NYで初めて運転免許を手にしたとき、
まっ先に教えられたのがこの言葉だ。
"Excuse me."
この言葉は自分に非のあることを認めてしまったことになるので
のちのち自分に不利となる根を含むことになるから。
ぼくはというと。
すぐに謝ってしまう。
事故に限らず、
「あ、ゴメン」
と言っている。
そこに考える自分はいない。
自分が間違っている、非があると感じた時だけだけれど。
絶対に謝らない人がいる。
「よくぞここまで」
感心してしまうほどに徹底している。
熱い鍋を握った指先が耳たぶに触れるように。
謝るという言葉を本能で避けながら善後策を講じる。
ま、それはそれでいいんだけれど。
ほんとうに感心してしまうほどに見事だ。
生き苦しくないかな。
コンニチハ。
アリガトウ。
ゴメン。
3つの言葉。
これさえ知ってたら世界じゅうのどこでも楽しく暮らしていける。
きっと宇宙の果てでも。
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来る、来ない、帰らない、帰る?
わがままなもんで。
「サスがふわふわだわ」と苦笑し、
「なんじゃこりゃ、ガチガチだな」と文句を言う。
この国のおおらかさはどこからくるんだろう。
山を向こう側から見ると「いい加減」をいう声も聞こえてくる。
次のマクドナルドまで1時間ドライブしなきゃならない。
そんなところからかもしれない。
マンハッタンのミッドタウンを歩けば、
1分とせぬうちにまた緑のサインが見えてくる。
スターバックス。
レジの進む遅さにアメリカへ来た当初は閉口した。
ガムを噛みながらおしゃべりに余念のないネーサン。
たびたび打ち間違えては、
そのたびにキーを使って間違いを修正してもらわなければならない。
また、そいつが、マネージャーがなかなかやってこないんだ。
値段がわからない。
「プライス・チェーック!」
大声で叫ぶと誰かがノコノコやって来て「チラッ」商品を見ると、
ノコノコ歩いて棚の方へと消えて行く。
再びノコノコやって来て数字の書かれた紙を渡す。
返品をする人がいる。
フードスタンプを使う人がいる。
コーラ缶をクレジットカードで買う人がいる。
途中で何度も合計を出させる人がいる。
そんな列に並んでしまったときは、
次の駅まで3分間止まらない満員の特急電車で、
臭いおならをふられたものと思ってあきらめるしかない。
それでも。
バーコードが普及し、
読み取り機も少しずつましになり、
セルフサービスのレジが出現する。
店によっては、
「はい、次の方あっちよ、17番のレジに行ってね~」
交通整理の立つところもある。
機械でスキャンしながら、
「あーこんどはレジに行こうかな。
ネーちゃんとのバカ話が懐かしくなってきた」
ケーブル工事にしても以前は
「Sometime in ●月×日」という具合。
丸1日頬杖をついて鼻くそをほじくり、たばこの煙で上手にワッカを作れるようになった。
それでも来ればまだもうけものので、
「今日は無理だね」
夕方4時半に電話が鳴ったりする。
そんなケーブル会社も今では
「●月X日の11:00-14:00、14:00-17:00、17:00-20:00
オプションが3つあるけどどれにする?」
ときいてくる。
11:00-14:00の約束。
13:45になってもまだやってこない。
「13:45になったら電話しなくちゃ」と言う人がいる。
「14:15まで待っても来なかったら電話してみようか」と思う人がいる。
どちらの人が幸せになれるんだろう。

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「サスがふわふわだわ」と苦笑し、
「なんじゃこりゃ、ガチガチだな」と文句を言う。
この国のおおらかさはどこからくるんだろう。
山を向こう側から見ると「いい加減」をいう声も聞こえてくる。
次のマクドナルドまで1時間ドライブしなきゃならない。
そんなところからかもしれない。
マンハッタンのミッドタウンを歩けば、
1分とせぬうちにまた緑のサインが見えてくる。
スターバックス。
レジの進む遅さにアメリカへ来た当初は閉口した。
ガムを噛みながらおしゃべりに余念のないネーサン。
たびたび打ち間違えては、
そのたびにキーを使って間違いを修正してもらわなければならない。
また、そいつが、マネージャーがなかなかやってこないんだ。
値段がわからない。
「プライス・チェーック!」
大声で叫ぶと誰かがノコノコやって来て「チラッ」商品を見ると、
ノコノコ歩いて棚の方へと消えて行く。
再びノコノコやって来て数字の書かれた紙を渡す。
返品をする人がいる。
フードスタンプを使う人がいる。
コーラ缶をクレジットカードで買う人がいる。
途中で何度も合計を出させる人がいる。
そんな列に並んでしまったときは、
次の駅まで3分間止まらない満員の特急電車で、
臭いおならをふられたものと思ってあきらめるしかない。
それでも。
バーコードが普及し、
読み取り機も少しずつましになり、
セルフサービスのレジが出現する。
店によっては、
「はい、次の方あっちよ、17番のレジに行ってね~」
交通整理の立つところもある。
機械でスキャンしながら、
「あーこんどはレジに行こうかな。
ネーちゃんとのバカ話が懐かしくなってきた」
ケーブル工事にしても以前は
「Sometime in ●月×日」という具合。
丸1日頬杖をついて鼻くそをほじくり、たばこの煙で上手にワッカを作れるようになった。
それでも来ればまだもうけものので、
「今日は無理だね」
夕方4時半に電話が鳴ったりする。
そんなケーブル会社も今では
「●月X日の11:00-14:00、14:00-17:00、17:00-20:00
オプションが3つあるけどどれにする?」
ときいてくる。
11:00-14:00の約束。
13:45になってもまだやってこない。
「13:45になったら電話しなくちゃ」と言う人がいる。
「14:15まで待っても来なかったら電話してみようか」と思う人がいる。
どちらの人が幸せになれるんだろう。
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Paperback Writer
はじめてのビートルズは?
だれもがそれぞれのビートルズを持つだろう。
ラジオからはよく流れていた。
それでも初めてちゃんと聴いたのは。
"Oldies"
というアルバム。
初期ベスト版のようなもの。
たしか従兄が貸してくれたはず。
今でも響きつづけるのは、
Helpでも
Yesterdayでも
She Loves Youでも
Bad Boyでもなくて。
Paperback Writer
どうしてだかはわからない。
アルバムの中、ぼくには独特の輝きが感じられた。
何度も、何度もそこのところだけを繰り返し聴いて。
そのせいか今も時々出だしのハモリがかぶってくることがある。
訳詩がついていたはずだけれど、
何を言っているのかまったくわからず。
手元の辞書を引いても要領を得ない。
ま、チベットで車セールスマンの悲哀を聞いてもピンとこないわけで、
ついには勝手に「本の表紙描き」という職業を与えねじ伏せた。
洋書屋が身近となる大学生になると、
Paperbackという本の形態のあることを知るが、
というよりも、Hardcoverの存在を知ったというべきか。
それでもピンとこない。
Paperback Writerという仕事が。
アメリカへ来てどれくらい経ってだろう。
しばらく西海岸へいたころだったと思う。
物語の中にPaperback Writerを職とする男が出てきて、
くすぶりは一瞬にして氷解する。
レイモンド・チャンドラーの短編だったような気がするけど、
はっきりしない。
10数年の時を経て、
地球をグルッと半周し、
たったひとつの言葉が。
実像としっかりと結びついた瞬間。
日本語ひとことで表すことなんてできない。
社会、生活、文化、風習、未来、希望、絶望、現在……。
ちょっと滑稽であり、悲しくもあり。
そんなことが複雑に絡み合った実に奥深い言葉であり、職業であり。
「やっぱり彼らは天才なんだな~」
粗いパルプ紙がいまにも唄いだしそうだ。
今、Paperbackの本を読みながら口ずさんでる。
この作家はPaperback Writerではないけれど。
いや、そんな時期もあったのかな。

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だれもがそれぞれのビートルズを持つだろう。
ラジオからはよく流れていた。
それでも初めてちゃんと聴いたのは。
"Oldies"
というアルバム。
初期ベスト版のようなもの。
たしか従兄が貸してくれたはず。
今でも響きつづけるのは、
Helpでも
Yesterdayでも
She Loves Youでも
Bad Boyでもなくて。
Paperback Writer
どうしてだかはわからない。
アルバムの中、ぼくには独特の輝きが感じられた。
何度も、何度もそこのところだけを繰り返し聴いて。
そのせいか今も時々出だしのハモリがかぶってくることがある。
訳詩がついていたはずだけれど、
何を言っているのかまったくわからず。
手元の辞書を引いても要領を得ない。
ま、チベットで車セールスマンの悲哀を聞いてもピンとこないわけで、
ついには勝手に「本の表紙描き」という職業を与えねじ伏せた。
洋書屋が身近となる大学生になると、
Paperbackという本の形態のあることを知るが、
というよりも、Hardcoverの存在を知ったというべきか。
それでもピンとこない。
Paperback Writerという仕事が。
アメリカへ来てどれくらい経ってだろう。
しばらく西海岸へいたころだったと思う。
物語の中にPaperback Writerを職とする男が出てきて、
くすぶりは一瞬にして氷解する。
レイモンド・チャンドラーの短編だったような気がするけど、
はっきりしない。
10数年の時を経て、
地球をグルッと半周し、
たったひとつの言葉が。
実像としっかりと結びついた瞬間。
日本語ひとことで表すことなんてできない。
社会、生活、文化、風習、未来、希望、絶望、現在……。
ちょっと滑稽であり、悲しくもあり。
そんなことが複雑に絡み合った実に奥深い言葉であり、職業であり。
「やっぱり彼らは天才なんだな~」
粗いパルプ紙がいまにも唄いだしそうだ。
今、Paperbackの本を読みながら口ずさんでる。
この作家はPaperback Writerではないけれど。
いや、そんな時期もあったのかな。
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縦横横横、縦横、横、 横横縦
さて。
せっかく毎日数枚。
縦線の引かれたブランク・ペーパーが出るのだから・
縦書きで文章を書いてみようか。
週に7、8枚は縦書きの書写をしていることだし。
昨春に買った万年筆の慣らし運転と、
未使用リング・ノートの消費のために。
でもまだまだだね。
断続的とはいえもう4ヶ月近く続けているというのに。
実は一枚目は書き損じ。
一行の終わらぬうちに丸めて。
青いリサイクル用ゴミ箱へ放り込んでしまった。
というのも罫の間に文字を書いてしまっていた。
ノートではいつも罫が中心となるように書いている。
まだまだだね。
中心を失った文字は不安定に泳いでしまう。
間に書くようなら、いっそ真っ白無地の方がいいかもしれない。
それにしても書き損じた紙を丸めたのってどれくらいぶりだろう?
日ごろは「ぐしゃっ」、握りつぶす程度だから。
縦に書くことで何を学んだか。
今、言えることは。
いまさらながら<軸の大切さ>を思い知らされたということ。
いくら1文字、1文字を丁寧に書いても、
軸のふらついている文章はとても読みづらく、
不様でもあるし、
読む者をどこか不安な場所へと導く。
一方、
文字の書き出しが左にずれてしまったとしても、
残りの箇所で文字全体のバランスをとり、
結果として軸からずれないという方法のあることも学んだし、
文字そのものがたとえ軸を取り戻すことができなくても、
1行という単位にちゃんと軸が通っていれば、
実に気持ちのいい安定感を手にすることができる。
これまでの自分の生き方というのは、
実に不安定要素のパッチワークのようなものだった。
それでも1行(生)を通して何とか軸を持たせてやることができたら。
そんな希望も見えてきたし、
地軸の果てにある北極星を見ながら、
夜の航海をつづける船乗りのような気分もしてきた。
流されたって。
座礁したっていい。
あの星が光っていれば。
見失うことがなければ。
ふたたび見つけることができれば。
ぼくにはGPSはいらない。
あんなものを見ながら航海をしていたら、
きっと気が狂ってしまうだろう。
正確さはときとして人を索漠とした気分に陥れる。
自分の立つ場所を知ることはとても大事・大切なことだろう。
それでも正確無比というのは残酷ですらある。
縦書きを始めたころは、
「使う脳の部位がちがうから、何か新しい思考ができるかもしれない」
そんな期待にも似たものもあったけれど、
今のところそれを感じることはない。
少なくとも自分では。
それでも。
この軸というものを―遅まきとはいえ―気づけたのは成果。
いや。
週に7、8枚他人の文章を写したからといって、
そうそう変われるはずもなく。
ただ、ほんの少しだが横書き一辺倒のころより字が見ばえするようにはなった。
美しいとは言わないが。
それもひとつの成果。
読み返すこと。
ノートを書く際、念頭に置くようになって2年あまり。
それ以前のものより今は格段に読めるようになっている。
以前がひどすぎたのだけれど。
なにを書いているのか自分でもわからない場面がままあった。
実はこれ、
つれづれなるままに書き始めたもの。
実に気楽に。
何も考えずに。
仕事場に帰ってきたときにこの紙が目に入ったから。
あと3時間で捨てられてしまうこの紙が。
なんだか切なくて。
これまで何かを書くときは極力ノートを広げるようにしていた。
乗り物の中ではジュニア・リーガル・パッドを広げ、
後からそれをノートに貼り付けるように。
書いたものがあちこちに行くのはイヤなので、
「もったいないな~」と思いながらもバラけた紙からめをそむけていた。
ただ、こんな方法もある。
それほどの量でないならスキャンして、オリジナルは捨てちゃおう。
どうせ散逸させてしまうんだ。
つれづれなるまま、のものに関してだけは。
ノートとしっかり向き合うのではなく。
ボンヤリとはじめる。
そこにまた別の世界が生まれ、
縦書きで綴ることもできる。
そのうちノートを90度回転させている日が来ているかもしれない。
中学のときの英語練習帳。
横に4本の罫線が引かれ下から2本目が薄い赤色をしていた。
英語の軸は中心にはない。
それはそれ。
これはこれ。


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せっかく毎日数枚。
縦線の引かれたブランク・ペーパーが出るのだから・
縦書きで文章を書いてみようか。
週に7、8枚は縦書きの書写をしていることだし。
昨春に買った万年筆の慣らし運転と、
未使用リング・ノートの消費のために。
でもまだまだだね。
断続的とはいえもう4ヶ月近く続けているというのに。
実は一枚目は書き損じ。
一行の終わらぬうちに丸めて。
青いリサイクル用ゴミ箱へ放り込んでしまった。
というのも罫の間に文字を書いてしまっていた。
ノートではいつも罫が中心となるように書いている。
まだまだだね。
中心を失った文字は不安定に泳いでしまう。
間に書くようなら、いっそ真っ白無地の方がいいかもしれない。
それにしても書き損じた紙を丸めたのってどれくらいぶりだろう?
日ごろは「ぐしゃっ」、握りつぶす程度だから。
縦に書くことで何を学んだか。
今、言えることは。
いまさらながら<軸の大切さ>を思い知らされたということ。
いくら1文字、1文字を丁寧に書いても、
軸のふらついている文章はとても読みづらく、
不様でもあるし、
読む者をどこか不安な場所へと導く。
一方、
文字の書き出しが左にずれてしまったとしても、
残りの箇所で文字全体のバランスをとり、
結果として軸からずれないという方法のあることも学んだし、
文字そのものがたとえ軸を取り戻すことができなくても、
1行という単位にちゃんと軸が通っていれば、
実に気持ちのいい安定感を手にすることができる。
これまでの自分の生き方というのは、
実に不安定要素のパッチワークのようなものだった。
それでも1行(生)を通して何とか軸を持たせてやることができたら。
そんな希望も見えてきたし、
地軸の果てにある北極星を見ながら、
夜の航海をつづける船乗りのような気分もしてきた。
流されたって。
座礁したっていい。
あの星が光っていれば。
見失うことがなければ。
ふたたび見つけることができれば。
ぼくにはGPSはいらない。
あんなものを見ながら航海をしていたら、
きっと気が狂ってしまうだろう。
正確さはときとして人を索漠とした気分に陥れる。
自分の立つ場所を知ることはとても大事・大切なことだろう。
それでも正確無比というのは残酷ですらある。
縦書きを始めたころは、
「使う脳の部位がちがうから、何か新しい思考ができるかもしれない」
そんな期待にも似たものもあったけれど、
今のところそれを感じることはない。
少なくとも自分では。
それでも。
この軸というものを―遅まきとはいえ―気づけたのは成果。
いや。
週に7、8枚他人の文章を写したからといって、
そうそう変われるはずもなく。
ただ、ほんの少しだが横書き一辺倒のころより字が見ばえするようにはなった。
美しいとは言わないが。
それもひとつの成果。
読み返すこと。
ノートを書く際、念頭に置くようになって2年あまり。
それ以前のものより今は格段に読めるようになっている。
以前がひどすぎたのだけれど。
なにを書いているのか自分でもわからない場面がままあった。
実はこれ、
つれづれなるままに書き始めたもの。
実に気楽に。
何も考えずに。
仕事場に帰ってきたときにこの紙が目に入ったから。
あと3時間で捨てられてしまうこの紙が。
なんだか切なくて。
これまで何かを書くときは極力ノートを広げるようにしていた。
乗り物の中ではジュニア・リーガル・パッドを広げ、
後からそれをノートに貼り付けるように。
書いたものがあちこちに行くのはイヤなので、
「もったいないな~」と思いながらもバラけた紙からめをそむけていた。
ただ、こんな方法もある。
それほどの量でないならスキャンして、オリジナルは捨てちゃおう。
どうせ散逸させてしまうんだ。
つれづれなるまま、のものに関してだけは。
ノートとしっかり向き合うのではなく。
ボンヤリとはじめる。
そこにまた別の世界が生まれ、
縦書きで綴ることもできる。
そのうちノートを90度回転させている日が来ているかもしれない。
中学のときの英語練習帳。
横に4本の罫線が引かれ下から2本目が薄い赤色をしていた。
英語の軸は中心にはない。
それはそれ。
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春の朝。夕方、現実と夢の間で。
真っ赤なコートの女が消えた。
毎朝携帯とおしゃべりに余念がなかった。
ベージュ色の軽いコートの女に変わっていた。
人工の滝は落ちつづけ、
ビル裏に出されたままのテーブル・セットも、
とうとうしまわれることはなかった。
ガマン大会という言葉ともしばしのオサラバ。
季節感のなかったもの。
季節を追いかけるべきものに、
季節の方が追いついた。
乗り遅れてしまった……。
ぼんやりしてても、
イライラしても。
しばらくすると風が吹きはじめやがてやってくる。
NYの地下鉄のように。
一巡。
同じじゃない。
似てはいるけど別の電車が。
それは東北の人が一番感じているんだろう。
毎年コートを買い換えなければ気のすまぬ人もいる。
自然のすごさと、
懐の深さを感じる朝。
搬入される積荷をチェックする爆弾探知犬くんも、
今朝は奥の方でひとやすみ。
流れゆく春の朝が見えるかのような目で。
立ち上げたPCも3日前ではなく今日の時を刻む。
2日間の休みの間に街のすべてが変わってしまったようだ。
ぼくだけとり残されてしまったのか。
いつものヒート・テックの下にたまる熱が告げる。
だいじょうぶ。
ちゃんと来てるじゃないか遅刻もせずに。
そういえば。
「おい、なんでこんな早くからゴソゴソしてんの?」
人間の時計で起きるぼくを眠そうな目で見上げるネコくんたち。
夏時間は人間たちだけのもので、
振り回されるのはぼくらだけでたくさん。
夢を見た。
夕方の町を家路につく。
藤棚の下を歩きながら。
はめ込まれたコンクリートの石畳。
つぶされてしまった毛虫たち。
気にする者はもうだれもいない。
見上げていた。
藤の花は終わってしまったが、
寝坊助の白い朝顔がいくつか。
赤色のアクセントとともに。
まだ開いている。
よく見るときゅうりと、なすびもぶらさがってる。
「熟したやつがバッグの中にうまい具合に落ちてこないかな」
そんなことを考えながら歩く木漏れ日の中。
かじった歯ざわり、みずみずしさをよみがえらせながら。
上を向いて歩いている。
もちろんどちらも小ぶりだ。
きゅうりは、太く短いピクルス用のもの。
なすびの方はItalian Eggplantに近い。
米ナスじゃない。
果たして米ナスを見上げながら、
「落ちてこないかなあ」
思う人が地球上にどのくらいいるのだろう。
頭にでも当たったら痛そうだ。
あれはEggplantとはいってもダチョウの方だ。
昔ほどアメリカという言葉に、
ときめきや胸の高鳴ることのなくなったことはうすうす感じている。
間口が広く、奥行きの浅い店で豆腐となすびを買う。
豆腐は店の真ん中の棚に。
なすびは左端、立てかけられた木箱の中に。
チャイナタウンで見かける長く薄い色のじゃなくて、
こぶりのものを。
太陽をたくさんためこんだ深い紫色を。

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毎朝携帯とおしゃべりに余念がなかった。
ベージュ色の軽いコートの女に変わっていた。
人工の滝は落ちつづけ、
ビル裏に出されたままのテーブル・セットも、
とうとうしまわれることはなかった。
ガマン大会という言葉ともしばしのオサラバ。
季節感のなかったもの。
季節を追いかけるべきものに、
季節の方が追いついた。
乗り遅れてしまった……。
ぼんやりしてても、
イライラしても。
しばらくすると風が吹きはじめやがてやってくる。
NYの地下鉄のように。
一巡。
同じじゃない。
似てはいるけど別の電車が。
それは東北の人が一番感じているんだろう。
毎年コートを買い換えなければ気のすまぬ人もいる。
自然のすごさと、
懐の深さを感じる朝。
搬入される積荷をチェックする爆弾探知犬くんも、
今朝は奥の方でひとやすみ。
流れゆく春の朝が見えるかのような目で。
立ち上げたPCも3日前ではなく今日の時を刻む。
2日間の休みの間に街のすべてが変わってしまったようだ。
ぼくだけとり残されてしまったのか。
いつものヒート・テックの下にたまる熱が告げる。
だいじょうぶ。
ちゃんと来てるじゃないか遅刻もせずに。
そういえば。
「おい、なんでこんな早くからゴソゴソしてんの?」
人間の時計で起きるぼくを眠そうな目で見上げるネコくんたち。
夏時間は人間たちだけのもので、
振り回されるのはぼくらだけでたくさん。
夢を見た。
夕方の町を家路につく。
藤棚の下を歩きながら。
はめ込まれたコンクリートの石畳。
つぶされてしまった毛虫たち。
気にする者はもうだれもいない。
見上げていた。
藤の花は終わってしまったが、
寝坊助の白い朝顔がいくつか。
赤色のアクセントとともに。
まだ開いている。
よく見るときゅうりと、なすびもぶらさがってる。
「熟したやつがバッグの中にうまい具合に落ちてこないかな」
そんなことを考えながら歩く木漏れ日の中。
かじった歯ざわり、みずみずしさをよみがえらせながら。
上を向いて歩いている。
もちろんどちらも小ぶりだ。
きゅうりは、太く短いピクルス用のもの。
なすびの方はItalian Eggplantに近い。
米ナスじゃない。
果たして米ナスを見上げながら、
「落ちてこないかなあ」
思う人が地球上にどのくらいいるのだろう。
頭にでも当たったら痛そうだ。
あれはEggplantとはいってもダチョウの方だ。
昔ほどアメリカという言葉に、
ときめきや胸の高鳴ることのなくなったことはうすうす感じている。
間口が広く、奥行きの浅い店で豆腐となすびを買う。
豆腐は店の真ん中の棚に。
なすびは左端、立てかけられた木箱の中に。
チャイナタウンで見かける長く薄い色のじゃなくて、
こぶりのものを。
太陽をたくさんためこんだ深い紫色を。
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わたしはタコになりたいーネコくんたちのヨガ
NYへ来て、
初めて友だちになった子供。
名前はTako。
最初の職場でお世話になった人の息子で、
本名はTakao。
セイキをシーカイと発音してしまうアメリカ人には、
呼べるはずもなく、
そのうち親までがタコと呼ぶようになる始末。
大阪生まれ4歳のタコくんにとっては、
「ボケ」とか「マヌケ」の意味もあるわけで、
そこのところを、
箱の底に残ってるフレンチ・フライ程度には気に病んではいたけれど、
いつかぼくもタコと呼ぶようになっていた。
タコ焼きはボケを焼いたものか。
大阪の文化はすさまじい。
もう20代後半のはず。
どんなタコになっていることやら。
「ストンっ」
椅子から飛び降りる音でどの子だかわかる。
1匹をなでていると別のネコくんがやってくる。
そして次。
あ、あっちでも飛び降りる音がした。
のけぞったり、
丸くなったり、
しきりに頭を壁にこすりつけたり。
ゴロゴロ、ゴロゴロ……。
小さなラグの上でちびくろサンボの虎になる。
でもぼくにはあるのはたった2本の手。
人間だから。
動物たちは4本の手を持つ。
いや4本の足か。
いや1本の手と、3本の足なのかもしれない。
手と足の区別はなんだろう。
イカは2本の手と8本の足を持つとどこかで聞いた。
オリンピック100m走を4足で走ったら金メダルはもらえないんだろうか。
後ろ向きで走ったらどうだろう。
昔、轟二郎という役者が後ろ向きで100mを走ってたな。
横向きで8秒台を出したらどうだろう?
とりあえずタコになったら、
4本の手でネコくんたちを平等になで、
1本で酒を飲みながら、
1本で本のページをめくり、
1本でタバコの灰を灰皿へ落とし、
1本で……何をしようか?
聖徳太子はタコだったのかもしれない。
朝。
出かける前のあわただしい時間にネコくんがなく。
ドアの前、いつもの場所にバタリと倒れ、もうなでられる体制をとっている。
仕方なく応えていると、
「ストンっ」
音がしてあと1人やってきた。
ラグまで来るとパタリ、
なでる前から「ゴロゴロ、ゴロゴロ」のどを鳴らし始める。


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初めて友だちになった子供。
名前はTako。
最初の職場でお世話になった人の息子で、
本名はTakao。
セイキをシーカイと発音してしまうアメリカ人には、
呼べるはずもなく、
そのうち親までがタコと呼ぶようになる始末。
大阪生まれ4歳のタコくんにとっては、
「ボケ」とか「マヌケ」の意味もあるわけで、
そこのところを、
箱の底に残ってるフレンチ・フライ程度には気に病んではいたけれど、
いつかぼくもタコと呼ぶようになっていた。
タコ焼きはボケを焼いたものか。
大阪の文化はすさまじい。
もう20代後半のはず。
どんなタコになっていることやら。
「ストンっ」
椅子から飛び降りる音でどの子だかわかる。
1匹をなでていると別のネコくんがやってくる。
そして次。
あ、あっちでも飛び降りる音がした。
のけぞったり、
丸くなったり、
しきりに頭を壁にこすりつけたり。
ゴロゴロ、ゴロゴロ……。
小さなラグの上でちびくろサンボの虎になる。
でもぼくにはあるのはたった2本の手。
人間だから。
動物たちは4本の手を持つ。
いや4本の足か。
いや1本の手と、3本の足なのかもしれない。
手と足の区別はなんだろう。
イカは2本の手と8本の足を持つとどこかで聞いた。
オリンピック100m走を4足で走ったら金メダルはもらえないんだろうか。
後ろ向きで走ったらどうだろう。
昔、轟二郎という役者が後ろ向きで100mを走ってたな。
横向きで8秒台を出したらどうだろう?
とりあえずタコになったら、
4本の手でネコくんたちを平等になで、
1本で酒を飲みながら、
1本で本のページをめくり、
1本でタバコの灰を灰皿へ落とし、
1本で……何をしようか?
聖徳太子はタコだったのかもしれない。
朝。
出かける前のあわただしい時間にネコくんがなく。
ドアの前、いつもの場所にバタリと倒れ、もうなでられる体制をとっている。
仕方なく応えていると、
「ストンっ」
音がしてあと1人やってきた。
ラグまで来るとパタリ、
なでる前から「ゴロゴロ、ゴロゴロ」のどを鳴らし始める。

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男が靴を履きかえるとき。女がバナナを食べるとき。
仕事場のそばのパブリック・スペースで。
いつものように。
朝のタバコとお茶。
早足で歩いてきた男が向かいのベンチに座る。
音でも聞こえてきそうな勢いで。
ドミニカ系らしい。
落ち着きがない。
座りながらもうプラスチック・バッグの口を広げだし、
石のベンチに腰がついたときには、
もう黒革、オックスフォード・タイプの靴を手にしていた。
袋には通りの向こうにあるPayless Shoesのオレンジ色のロゴ。
片方の靴を脱ぐと、
新しい靴に足を入れ、
足首を反対の足の膝にのせヒモを締めていく。
同じ事を反対の足でもやって。
かたわらに置かれた靴を見てみると、
目立つ傷もなく、
特段くたびれてもいない、
かかとだってしっかりしている。
もし、スリフトで出会い、
デザインが気に入り、
サイズがあって、
値段に納得がいったなら買うだろう。
遠目だがそんな状態だ。
立ち上がった男は古い靴をプラスチック・バッグへ入れると、
横にあった大きなゴミ箱へ放り込む。
まだ体温の残っているだろう、
先ほどまで男の一部だったものが、
今は朝の暗闇の中。
中古好きなぼくだけれど、
不思議と持ち主の顔の見えているものには触手が動かない。
「詠み人知れず」
そんなのが好き。
「顔が見える」
「顔を見せる」
世間ではそんな動きが主流になろうとしているのに。
飯田さんが作ったコメだって、
遠山さんが養殖した牡蠣だって、
別にどうだっていい。
誰がしたかわかっているウンコを踏んづけるより、
ただのウンコを踏んづけるほうがまだましだ。
「あ、これは腸のヒダヒダのとこだな」
モツ煮を食べながら、
ひとつひとつ講釈をたれていた知り合いの顔が浮かんだ。
そんなわけでゴミ箱をのぞきこむことはない。
男はやってきたのとは逆の方角へ足早に消えていった。
まだ折り目の新しい黒いズボンと、
これまた黒色の薄手のコートを春風にふくらませて。
朝8時39分。
新しい靴にはきかえた男はどんな1日を送ったんだろう。
それにしても朝8時から営業をする靴屋もすごい。
午後5時27分。
Astor Placeの交差点で信号待ちをしながら、
無心にバナナを食べている若い女を見て、
靴男のその後を考えていた。

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いつものように。
朝のタバコとお茶。
早足で歩いてきた男が向かいのベンチに座る。
音でも聞こえてきそうな勢いで。
ドミニカ系らしい。
落ち着きがない。
座りながらもうプラスチック・バッグの口を広げだし、
石のベンチに腰がついたときには、
もう黒革、オックスフォード・タイプの靴を手にしていた。
袋には通りの向こうにあるPayless Shoesのオレンジ色のロゴ。
片方の靴を脱ぐと、
新しい靴に足を入れ、
足首を反対の足の膝にのせヒモを締めていく。
同じ事を反対の足でもやって。
かたわらに置かれた靴を見てみると、
目立つ傷もなく、
特段くたびれてもいない、
かかとだってしっかりしている。
もし、スリフトで出会い、
デザインが気に入り、
サイズがあって、
値段に納得がいったなら買うだろう。
遠目だがそんな状態だ。
立ち上がった男は古い靴をプラスチック・バッグへ入れると、
横にあった大きなゴミ箱へ放り込む。
まだ体温の残っているだろう、
先ほどまで男の一部だったものが、
今は朝の暗闇の中。
中古好きなぼくだけれど、
不思議と持ち主の顔の見えているものには触手が動かない。
「詠み人知れず」
そんなのが好き。
「顔が見える」
「顔を見せる」
世間ではそんな動きが主流になろうとしているのに。
飯田さんが作ったコメだって、
遠山さんが養殖した牡蠣だって、
別にどうだっていい。
誰がしたかわかっているウンコを踏んづけるより、
ただのウンコを踏んづけるほうがまだましだ。
「あ、これは腸のヒダヒダのとこだな」
モツ煮を食べながら、
ひとつひとつ講釈をたれていた知り合いの顔が浮かんだ。
そんなわけでゴミ箱をのぞきこむことはない。
男はやってきたのとは逆の方角へ足早に消えていった。
まだ折り目の新しい黒いズボンと、
これまた黒色の薄手のコートを春風にふくらませて。
朝8時39分。
新しい靴にはきかえた男はどんな1日を送ったんだろう。
それにしても朝8時から営業をする靴屋もすごい。
午後5時27分。
Astor Placeの交差点で信号待ちをしながら、
無心にバナナを食べている若い女を見て、
靴男のその後を考えていた。
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不謹慎発言
「なんだかな~」
このごろ思う。
どこで軸がずれちまったんだろう。
いや、
ずれてるのはこっちか?
テレビ番組は3・11の特集ばかり。
日本でもそうだろうけれど、
ここNYでもイベントが目白押し。
少し早い春を謳歌している。
ちなみに今日は68度(摂氏20度)だった。
「なんだかな~」
率直に言うと祭の前に似てる。
昔流行った「日本全国酒飲み音頭」
そんな歌を思い出してた。
そりゃ報道は伝えることが責務だし、
知りたいこともあれば、
知らされていないことも、
知っておくべきこともある。
金はいくらあっても多すぎることはないし、
そのすべてが被災した人のもとに届くなんて、
はなっから思っちゃいない。
東北の人のこと、
日本のこと、
亡くなった人のことを思う気持ちもあるだろう。
でも。
「なんだかな~」
受ける波動が。
サッカー・ワールドカップ優勝と同質なんだ。
身体の底がつぶやいてる。
人工雪のスキー場で滑るような。
そんな感じ。
しゃべりたいことがある。
でも、間違ったしゃべり方をしている。
アフリカの奥地でハナモゲラ語を使っているような。
このところすごく違和を感じている。
この時期にこんなことを言うのはいけないことなんんだろう。
きっと。
でも、良心と言われる、思われている環からの剥離を感じる。
もっと別なしゃべり方があるんじゃないか?
文化祭の準備でにぎやかな放課後、
自転車置き場へ向かう。
そんな気分に近い。
なにかがちがう。
3月11日には静かに瞑目しよう。
自分の言葉でしゃべろう。
っと。

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このごろ思う。
どこで軸がずれちまったんだろう。
いや、
ずれてるのはこっちか?
テレビ番組は3・11の特集ばかり。
日本でもそうだろうけれど、
ここNYでもイベントが目白押し。
少し早い春を謳歌している。
ちなみに今日は68度(摂氏20度)だった。
「なんだかな~」
率直に言うと祭の前に似てる。
昔流行った「日本全国酒飲み音頭」
そんな歌を思い出してた。
そりゃ報道は伝えることが責務だし、
知りたいこともあれば、
知らされていないことも、
知っておくべきこともある。
金はいくらあっても多すぎることはないし、
そのすべてが被災した人のもとに届くなんて、
はなっから思っちゃいない。
東北の人のこと、
日本のこと、
亡くなった人のことを思う気持ちもあるだろう。
でも。
「なんだかな~」
受ける波動が。
サッカー・ワールドカップ優勝と同質なんだ。
身体の底がつぶやいてる。
人工雪のスキー場で滑るような。
そんな感じ。
しゃべりたいことがある。
でも、間違ったしゃべり方をしている。
アフリカの奥地でハナモゲラ語を使っているような。
このところすごく違和を感じている。
この時期にこんなことを言うのはいけないことなんんだろう。
きっと。
でも、良心と言われる、思われている環からの剥離を感じる。
もっと別なしゃべり方があるんじゃないか?
文化祭の準備でにぎやかな放課後、
自転車置き場へ向かう。
そんな気分に近い。
なにかがちがう。
3月11日には静かに瞑目しよう。
自分の言葉でしゃべろう。
っと。
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ポキート・スーパー・ナチュラル
まだ目は覚めてない。
完全には。
覚めてないのがわかってる。
目はつぶっている。
それでも感じた。
闇が動くのを。
音はしない。
いちばん早起きのハナPだろう。
夢が途中で終わってしまったことに気づいている。
さっきまであった残像も今はもうない。
台所の方から小さな音がしてくる。
まぶたの裏側をなんとなく眺めていた。
ぼんやりとした灯りを下からあてられているように。
粗く薄く白い紙が貼られている。
一面に。
どっちのまぶただろう?
数行の文字が見える。
まぶたの裏に目をこらすと数字であることがわかる。
うすく、その上かすれているので何のことやらわからないが、
5行目、最終行の末尾だけはなんとか読むことができた。
511
「あ、そうなんだ」
最後の数字を読みながら、
それの意味することがすでにわかっていた。
理由はないが、揺るがぬ確信とともに。
大地震で微動だにしない高層ビルの避雷針のように。
疑うということすら忘れている。
信じるとはそんなもんだろう。
左に手を伸ばしながらまぶたを開く。
やっぱりだ。
5時11分
また小さな音がした。
あと少しだけ寝よう。
少しだけ。

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完全には。
覚めてないのがわかってる。
目はつぶっている。
それでも感じた。
闇が動くのを。
音はしない。
いちばん早起きのハナPだろう。
夢が途中で終わってしまったことに気づいている。
さっきまであった残像も今はもうない。
台所の方から小さな音がしてくる。
まぶたの裏側をなんとなく眺めていた。
ぼんやりとした灯りを下からあてられているように。
粗く薄く白い紙が貼られている。
一面に。
どっちのまぶただろう?
数行の文字が見える。
まぶたの裏に目をこらすと数字であることがわかる。
うすく、その上かすれているので何のことやらわからないが、
5行目、最終行の末尾だけはなんとか読むことができた。
511
「あ、そうなんだ」
最後の数字を読みながら、
それの意味することがすでにわかっていた。
理由はないが、揺るがぬ確信とともに。
大地震で微動だにしない高層ビルの避雷針のように。
疑うということすら忘れている。
信じるとはそんなもんだろう。
左に手を伸ばしながらまぶたを開く。
やっぱりだ。
5時11分
また小さな音がした。
あと少しだけ寝よう。
少しだけ。
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露光時間
三日目のものに新たにタネをつぎ足す。
卵、こんにゃく、がんもどき。
すぐには食べないで晩飯はステーキ。
天気は曇りで、
昼飯にはラーメンを食べたんだった。
今日のこと。
とはいっても3年前の今日。
久々に日記を読み返してみると、
よく似てはいるけれど他人のようでもある。
あとひとりの自分がそこで息をしている。
日記がここまでおもしろいなんて。
日記をつけなかった45年間。
まったく損をした思いだ。
もしかしたら人間最高の遊戯なんじゃないだろうか。
街を埋めてしまった大雪もあらかたとけてしまった。
とはいってもそれは、人が、車が通るところ。
道を歩いていているだけでは目にすることのできない、
あとひとつのNYがある。
ネコくんたちも。
3年前の今頃はまだ非常階段から上がってきて、
おそるおそる部屋の中をのぞきこむだけ。
それが今では今では四者四様。
丸くなったり、
おなかを見せて長くなったり、
手で目を覆ったり。
いびきをかいたり。
寝言を言ったり。
おならをしたり。
ねぼけてソファーから落ちたり。
30年物の古女房みたいだ。
部屋のあちこちにゴロゴロと転がる
塀の交差点に1匹。
もうひとつ向こうにも1匹。
うずくまっている。
「ギャーギャー」と鳴きながら、
小さな旋回を繰り返す小鳥の動きにあわせ、
首をいそがしく動かす。
あきらかにおちょくられているのだけれど。
何を考えてんだろう?
飛ぶ鳥と食事は直結したものなのか。
「ヒデエ声だな」
あきれているのか。
たしかにひどい声だ。
春を思わせる澄明さはどこにもなく、
目をつぶれば原始時代の怪鳥が浮かぶ。
勝手なもんだ。
自分の。
人間の。
価値観だけで物ごとを判断し、
決めつけようとしてしまっている。
「これは、あたり」
「これは、はずれ」
と。
「美しく鳴こう」
そんなこと誰も思っちゃいない。
花が人のために咲くのではないように。
あの声。
彼ら、彼女らにとっては美の極みであってもおかしくない。
ネコくんだって。
うっとりわれを忘れてるのかもしれない。
ただのノイズにしか聞こえないテレビの音に、
涙を浮かべながら笑い転げる人のように。
白い世界はひときわ動きを際立たせる。
ネコ。
鳥。
池に泳ぐ鯉。
トイを伝い流れ落ちる、
屋上の雪解け水の音すら見えるみたいだ。
ずいぶん前から電線に引っかかったままになってる黒いビニール袋。
今では映画中の難破船の旗のようにぼろぼろになっている。
ただでさえ動きの少ない冬の庭では、
どんな小さな動きも何か重厚な意味をなしていく。
そして。
目に見えないだけで。
いや。
見ようとしていないだけで。
根気がないだけで。
努力をぜんぜんしないだけで。
庭は動きにあふれている。
木や草花も動いている。
生命を持つ。
春に向かって歩いてる。
ただ目を向けつけていないだけで。
焦点を合わせていないだけで。
シャッターはすぐ閉じピンぼけ。
ぼくらが。
人間がカメラを作り出した。
露光時間を長くして風景を眺めていたい。
夜の歩道橋から車の流れを撮るように。
佇むビルと光の帯。
息吹き。
そんなことを考えていた。
露光時間3年。
隣に住んでいたおじさんは消えた。
ネコくんたちは大きくなった。
どんな自分が写ってるだろう?

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卵、こんにゃく、がんもどき。
すぐには食べないで晩飯はステーキ。
天気は曇りで、
昼飯にはラーメンを食べたんだった。
今日のこと。
とはいっても3年前の今日。
久々に日記を読み返してみると、
よく似てはいるけれど他人のようでもある。
あとひとりの自分がそこで息をしている。
日記がここまでおもしろいなんて。
日記をつけなかった45年間。
まったく損をした思いだ。
もしかしたら人間最高の遊戯なんじゃないだろうか。
街を埋めてしまった大雪もあらかたとけてしまった。
とはいってもそれは、人が、車が通るところ。
道を歩いていているだけでは目にすることのできない、
あとひとつのNYがある。
ネコくんたちも。
3年前の今頃はまだ非常階段から上がってきて、
おそるおそる部屋の中をのぞきこむだけ。
それが今では今では四者四様。
丸くなったり、
おなかを見せて長くなったり、
手で目を覆ったり。
いびきをかいたり。
寝言を言ったり。
おならをしたり。
ねぼけてソファーから落ちたり。
30年物の古女房みたいだ。
部屋のあちこちにゴロゴロと転がる
塀の交差点に1匹。
もうひとつ向こうにも1匹。
うずくまっている。
「ギャーギャー」と鳴きながら、
小さな旋回を繰り返す小鳥の動きにあわせ、
首をいそがしく動かす。
あきらかにおちょくられているのだけれど。
何を考えてんだろう?
飛ぶ鳥と食事は直結したものなのか。
「ヒデエ声だな」
あきれているのか。
たしかにひどい声だ。
春を思わせる澄明さはどこにもなく、
目をつぶれば原始時代の怪鳥が浮かぶ。
勝手なもんだ。
自分の。
人間の。
価値観だけで物ごとを判断し、
決めつけようとしてしまっている。
「これは、あたり」
「これは、はずれ」
と。
「美しく鳴こう」
そんなこと誰も思っちゃいない。
花が人のために咲くのではないように。
あの声。
彼ら、彼女らにとっては美の極みであってもおかしくない。
ネコくんだって。
うっとりわれを忘れてるのかもしれない。
ただのノイズにしか聞こえないテレビの音に、
涙を浮かべながら笑い転げる人のように。
白い世界はひときわ動きを際立たせる。
ネコ。
鳥。
池に泳ぐ鯉。
トイを伝い流れ落ちる、
屋上の雪解け水の音すら見えるみたいだ。
ずいぶん前から電線に引っかかったままになってる黒いビニール袋。
今では映画中の難破船の旗のようにぼろぼろになっている。
ただでさえ動きの少ない冬の庭では、
どんな小さな動きも何か重厚な意味をなしていく。
そして。
目に見えないだけで。
いや。
見ようとしていないだけで。
根気がないだけで。
努力をぜんぜんしないだけで。
庭は動きにあふれている。
木や草花も動いている。
生命を持つ。
春に向かって歩いてる。
ただ目を向けつけていないだけで。
焦点を合わせていないだけで。
シャッターはすぐ閉じピンぼけ。
ぼくらが。
人間がカメラを作り出した。
露光時間を長くして風景を眺めていたい。
夜の歩道橋から車の流れを撮るように。
佇むビルと光の帯。
息吹き。
そんなことを考えていた。
露光時間3年。
隣に住んでいたおじさんは消えた。
ネコくんたちは大きくなった。
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