ニューヨーク狂人日記 -25ページ目

天気予報

「春みたいにいい天気だね」にこにこしながら男は言う。
「天気いいけど、外、寒い。40度よ」女は両肩を抱くようにして言う。
「ああ、でも水曜から上がるみたい。木曜も、金曜日も。 60度台。それに天気もいいみたい」tともうひとりの女。

白髪まじりをごま塩頭というが、
アメリカではSalt & Pepper。
サイコロ・ステーキはDiced Steakで、
太平洋の西と東、
それぞれ小さな箱の中で人々は天気の話しをする。

天気を知るのはエレベーターの中が多い。
あまりテレビを見ないぼくには大事な情報源。

それにしても同じ温度を肌で感じながら、
それぞれ感じ方が分かれてくるのがおもしろい。
光りを感じる人と、温度を感いる人がいるんだろうか。
北国育ちと南国育ちもいるだろう。
肉食獣と草食獣もか。
ベジタリアンになるとピザは食べられないのだろうか。
42.195kmを走り終え地面に倒れてしまう人がいる一方、
旗をローブがわりに走りまわる人もいる。
昨日のあたりまえは今日のあたりまえじゃない。

ぼくは自然の声を信じる。
数字ではなくて。
いつも率直だから。
時に優しく、時に残酷に。
「自然のことは自然に訊け」
寺田寅彦は言う。

近所でまっ先に春の訪れを告げる、
地にはりつくようにして咲く花が、今年も紫のつぼみをつけた。

もうすぐそこまで来てる。
「聞こえる」
言われてみればかすかな足音を聞いたような気もする。
あの曲がり角の向こうをあいつがやってくる。



電話が鳴り出した。
$ニューヨーク狂人日記
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

サッポロの日 (下)

エレベーターの扉が開くと聞こえてきた。
「通常$7.19のSapporo Premiumビールが$5.99とお得になっております」

黒襟に白抜きでサッポロ・ビールの文字。
黄色いハッピを着た女性が疲れたオウムのように、
抑揚のない声で繰り返す。

大変な仕事だ。
それほど混み合っていない店内。
それでもオウムは歌わなければならない。
仕事だから。
声が枯れようとも。
笑わなければならない。
おもしろくなくても。
仕事だから。

棚の間を抜けオウムの声が聞こえてくる。
同じ文句を経文のように繰り返す。
日に何千回同じ言葉を口から出すんだろう。
終わりがはじめで。
はじめが終わりで。

アメリカで初めて仕事をしたレストラン。
そこに流れていたKitaroのエンドレス・テープを思い出していた。
開店時間が近くなると、
キャッシャー奥のカーテンを開き、
マネージャーがカセット・デッキのボタンを押す。

今頃シャワーを浴びながら不意に。
「通常$7.19の……」
つぶやいたりしてないだろうか。

覚えるために。
この日のために。
リハーサルを重ねてきたのか。

テープではない生の声。
それほどのアピールはないが。
不思議と心に残る。
いくら疲れていても、やはり生身の人間のほうがいい。

でも、飯を食ってる横でKitaroさんが
ずっと同じ曲を弾き続けるのもいやだな。

豆腐とマヨネーズを手に。
いつ終わるともしれぬ声を聞きながら。
―彼女にしたところではじめと終わりの観念など、
もうとうに消えてしまっているだろうー
気づくと6パックを手にレジに向かっていた。



ドアの閉まる音に沈黙が閉じ込められる。
唸るエレベーターのモーター音を聞きながら、
貼り紙に目をとめる。

『3月06日はサッポロ・ビールの日。
サッポロ・ビールが大特価。
$7.19→$5.99!!!』

大特価とも思えないが、
3月6日を札幌と認識する人がどれくらいいるだろう。
無理やり寝技に持ち込もうとする柔道家が目に浮かぶ。

いつ終わるともしれぬ声から永遠を思った昼。
サッポロ・ビールは美味い!
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

サッポロの日 (上)

ちゃんと歩いている。
つもりでも、まっすぐでなかったりする。
らしい。
人は言う。

NYの地下鉄もぼくと似ている。
ローカル(各停)に乗っているのに、
いきなりエクスプレス(特急)になった。
こんなことがよくある。
そんなときはなにか生命に近いものを感じてしまう。

車内アナウンスはあったんだろうが。
本を読んでる耳は拾わない。
聖徳太子にはなれない。

Canal Stを出た電車は加速をはじめスピードにのった。
Prince St……8th St……
タイルのモザイクに埋もれた駅名が過ぎてゆく。
いつもより少し遠くに。
ホームから離れたエクスプレス・トラックを電車は行っていた。

渡瀬駅で下りたかったのに、
柳川まで行ってしまった。
そんな感じだ。



そんなわけで14丁目で下車。
16丁目出口から地上へ。

55度の陽気の下、
子供の声でうまるユニオンスクエアを東へ横切る。

いつもそばにいる。
それなのに手を伸ばさない。足を踏み出さない。
この界隈を歩くのは久しぶりだ。

以前のAsian料理の店には紅白ダンダラが出てる。
T.G.I. Friday's
Thanks God It's Friday!
自転車屋も靴修理の店もものままある。

3番街を曲がるとBlockbuster Videoはナンチャラに変わり、
14丁目角には大きなバーガー・ショップができていた。
この間通ったときにはなかったのに。
気付かなかっただけか?

それにしてもここのところバーガー屋の出店が目立つ。
NYといえは草食系の多いイメージが強いけれど、
どっこい根強い肉食系。
こうやってバランスするようにできてるんだろう。
なにごとも偏りすぎはいけない。

アパートの近所にも工事中のものを含め、
3軒が店を出した。

ずっと昔の話になるけれど、
イギリス国王・ジョージ6世がアメリカを訪れた際、
「アメリカ料理をぜひ!」」
ルーズベルト大統領はホットドッグでもてなしたらしい。
さすがに、今、ハンバーガーを出したりはしないだろうが。

それでも、
「アメリカらしい料理を」
日本からの人に言われるたびに困ってしまう。
日本へのおみやげも。

らしいものは作るものではなく、
できあがるものだから。
236年では短すぎる。



MAKARI


細川たかしの歌う銅像のある村のことか。
北海道真狩村。
ドアに書かれた屋号の下には小さな文字で、
Japanese Antique
とある、

たしか以前はAir Marketという、
日本からの洋服・雑貨を売る店だったはず。
「細川たかしに会えるかな?」
ドアを押そうとしてやめた。

それにしても生きてる間に銅像になるのってどんな気分だろう。
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

梅は咲いたか、桜はまだかいな。

「どう?元気してる?」

訪ねて。
電話で。
手紙で。
e-mailで。

それだけのためにこれらをすることができない。
どうしてだろう。
いつもどこかで理由を、いいわけを。
口実をさがしてる。
連絡を取るときに。

だから、こんなぼくにとって、
年賀状や、FBの「イイネ!」ボタンなんかは、
実にありがたい。
口実があったり、口実がいらないことだから。
「どう?元気してる?」
たまにそう思うい人がいたりするから。

「どう?元気してる?」
それだけで訪ねてゆけるのだから。
電話のない昔なんかは、
行ってみたら相手がいなかった。
そんなことも多かったはず。
大事な用件ならあらかじめ葉書で都合をうかがう。
でも、
「どう?元気してる?」では。



理由があるから。
だから電話する。
口実があるから。

いいわけは、
「携帯の契約分数があまってしょうがないから」
もちろんそれは事実で、毎月分数の半分以上を、
マンホールの中に流し込んでる。

そんな理由で。
電話会社にくれてやるのもバカらしいので。
毎月末に母へ電話をする。もう、3年くらいか。

なんのことはない。
天気のこと。
体調のこと。
妹のこと、姉のこと。
散歩のこと。

もともと無口だし。
話題豊富なわけでもないから。



寒いらしい。
雪が降ったらしい。
また暖かくなるらしい。
梅のつぼみはまだ硬いらしい。

「じゃあ、今年の梅干は高くなるのかな~」
そんな言葉が口をついて出てくる会話。
梅は花を愛でるだけのものではなく農作物でもあるのだ。
桜だって。桃だって。
花と果実。

「先週、味噌をつけた」
そんなことを話して電話を切る。
10分あるかないか。

電話会社に少しだけ仕返しができた。



今年も熱海の梅園へ行ってきたそうだ。
ちょうど2年前も2月末だった。
家族で出かけたときはもう盛りを過ぎていたのに、
今年はまだ三分咲きだったらしい。

梅の花を軸に時をたぐる。

そう、あのときは。
無理やり姉にスケジュールを押し込まれ、
翌朝早くの新幹線で東京へ戻ったんだった。

前の晩ぼんやりと見ていたニュース速報はチリの大地震だった。
東京駅の少し手前で停止してしまった新幹線。
車内アナウンスはこの列車を最後に東海道線が不通となることを告げる。
津波警戒のために。
ひとつ早い便にしておいてよかった。

1年後津波は対岸のものではなくなった。
その1年後梅園の花はまだ咲かない。

梅、そして津波。
2年前の光景が1年前そしてこの年をつなぐ。


♪梅は咲いたか、桜はまだかいな♪

三味線をつまびく父の声がどこからか聞こえてくる午前7時48分。
ニューヨーク、レンガ敷きの公園にて。
あのころうちには猫はいなかった。
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

帰り道の迷い方

「言っただろう」
「んなこと言ってねーよー」

政治とはあげ足取りの世界なんだろう。
「間違いだ」
と思っても
「正しくない」
言わなければならないような。

足をすくわれぬよう言葉にもよろいを着せて。
かぶとをかぶせて。
それでも相手はよろいの隙間をねらってくる。

そんな言葉が自然体であやつる人のことを、、
日本では政治家と呼ぶのかもしれない。
必要十分条件。

聞きなれない。
ときに意味不明な言葉を耳にする。
「なんとなく……」
煙に巻くのも技のうち。
果たして本人がわかっているのかどうかまで、
ぼくは知らない。



遺憾?

気になったので辞書を引いてみた。
<思っているようにならなくて心残りであること。残念な、そのさま>
(大辞林)

まるで政治家が書いた辞書みたいだ。
こんな説明ではそれこそ遺憾だ。

「しからば」
久々に開くアナログ辞書。
さすが新明解国語辞典。
かっこつきではあるけれど、ちゃんと書き添えている。

(軽い非難の意)

これだからこの辞書はやめられない。

そんな場所は行き着く前にちょっと寄り道。
【遺憾】という言葉に行き着くまでに。
一如という言葉と出会い、会釈をして、別れる。
得をした気分に。



考えてみると。
これからは迷ったりすること、
寄り道する機会が日に日に薄れてゆくだろう。

寄り道したくても途中下車はできない。
成田ーJFK間 ノンストップ・直行便のように。
「アイダホあたりで降りたいな」
そう思っても、パラシュートを持っててもドアを開けてはくれない。
いっしょうけんめい揺さぶってもドアは開かない。

直行便か。
便がないか。
そのいずれかだけで。

電子辞書にその愉しみはない。
eBookストアを歩いてみても、
本棚から飛び出てる本を目にして思わす買ってしまう、
そんな邂逅はない。
iTuneストアでも、
ジャケ買いはできない。

意思を持って、
キーワードを頼りにあちこちの棚をのぞいてまわるだけで。

もちろんランダムという方法だってあるけれど、
そこに偶然はあっても、必然を感じさせる要素が欠落してしまっている。

これまでのところ、
便利さとはスピード、直結という意味にしか訳されていない。
新明解国語辞典に<無駄>という項が追加される日は来るのか。

とりあえず今のところは、不便は楽しいんだが。
それを不便だとか、無駄だとか思わなければ。



小学校まではかなりの距離があった。
午後は家を目指してぶらり、ぶらり。
どぶ川沿いの小さな角を曲がったり。
駅の方まで少し遠回りをしてみたり。
バスの通る道順に歩いてみたり。、

あんこ工場の甘い香りや、醤油工場の激臭とともに、
不意によみがえってくることがある。

豊かさと言うにははずうずうし過ぎるし、ほど遠いけれど、
そこそこの幅を得ることができたんじゃないか、
今ではそう思える。

通学路の看板のある道だけが道じゃない。
もちろん事故にあったり、
誘拐されたりしても、
だれも助けてくれないかもしれない。



道草は悪いことじゃない。
迷ってしまうことだって。
ぼくはやはり、
移動より旅が好きだ。
許されるかぎり旅をつづけてゆこう。

怒られたり。
ため息を、
つかれたりしても、
あまり気にしないで。



それにしても。
遺憾。

英語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、韓国語……。
似たニュアンスを持つ言い回しがあるのだろうか?
紳士面で微笑みつつ、
「なんだふざけんな、このやろうっ!」
相手にわからせることのできる言葉が。

それともこれは日本人特有の
感情、そして表現なのだろうか。
「さびしくないよ」
そんなことを言う女のように。

「あっ、そう」
ぼくは言ってしまう。
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

フランペチーノ日和

今日も。

コートの下で汗ばんでる。
「用心のために」
巻いて出かけた長いマフラーが暑い。

気温表示は19度。

タバコを吸いに出たビルの脇。
若い女性が二人。
ドーム型ふたのつく透明プラスチック・カップから、
太い緑色のストローでフランペチーノを吸いあげる。
にこやかな顔で。
数字よりこんな光景のほうが天気をつかみやすい。

15年前。
冬のこんな日には何を飲んでたっけ。
コカコーラ?



ほんの少しの前のあたりまえは、
あっという間に消えていってしまう。
今日のフランペチーノを、
15年後に思い出すことのできる人はどれくらいいるんだろう?



アパートへ帰る途中のコミュニティー・ガーデン。
気の早い人がひとりだけ。
水仙が黄色いつぼみをつけた首をかしげていた。
陽気のせい?
朝顔の種をまいてしまった人もいる。
太陽はすべてを幸せにしてくれる。



下の写真はベッカムさん。
この頃ではレーザー出力で包まれるビルディングばかり。
そんな中で際立っていた。
1週間ほどをかけ、
何十人もの職人がレンガ壁に描きあげた壁画。
すべてが刷毛で描かれている。
さすがに今日は白いパンツの中も汗ばんでいたかも。
ニューヨーク狂人日記
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

灰色の水曜日

「ああ、今年もやってきたんだな」
地球が1周。

それは毎日のことなんだが。
昨日だって1年前の昨日から1周。
あしただって。

それなのに考えるのはいつもこの水曜日。
クリスマスでも、
独立記念日でも、
自分の誕生日でも、
元旦でも、
サンクスギビングでもなくて。
ハロウィンであろうはずもなく。

春の訪れをどこかで予感してる、
そんな気持ちのときだからか。

水曜日は午後から外に出る。
今日も、今年も。
先週も、来週も。
エレベーターを降り角を曲がる。、
365日のめぐった実感が身体をすりぬけていった。
ゆっくりと。

室内灯に照らされた顔。
「んっ?」
異相か?
いや額だ。
ああ水曜日か。



ニューオリンズではマルディグラの真っ只中。
リオやトリニダード・トバゴにはまだ祭りの熱が立ち込めてるだろう。
そういえばトバコが大好きでとうとう住み着いてしまったMさん。
今日は誕生日のはず。
2のゾロ目、いやでも憶える。
オメデトウ。

日中15度まで上がりコートの下で汗をかく。
そのせいかな。
あの人も、この人も。
灰で描かれた額の十字架がどこかおかしい。
汗でにじんでる。

灰で描かれた十字架。
Ash Wednesday
灰の水曜日。
灰色の水曜日。



そんな灰色の水曜日の朝。

ブラインドに映る人影。
何をしてるんだろう。
ぼんやり動くシルエットはどこか幻想的だ。
子供のときに見た影絵のように。

庭の向こう。
こちらに背を向け並ぶビルが作リ出す壁の中。
あかりの灯るのは影絵のブラインドだけ。

昨夜の余韻をひきずってるのか。
それぞれの宴の。

このエリアは朝寝坊が多い。

黒い窓の奥でほんのわずかの睡眠をかじる。
暗い窓。
半分だけ開かれたカーテンの下。
ロンゲの猫が今朝も庭を見つめている。

「!?」
静止した風景の中では動きは増幅されていく。
黒く長い非常階段だ。
薄明かりの中、目を凝らしてみるとやはり。
止まってはまた動く。

うちの猫くんだ。
庭に向けて跳ねるように下りてくる。
昨日誕生日を迎えたハナP。

3年前のあの夜。
やはり非常階段からウチへ上がってきた。
仔猫。

小さな足で。
1段ずつ。
板に抱きつくようにして上がりながら。
頭に去来していたものは何だったんだろう。

恐怖に好奇心が打ち克ち、
そして出会った。

後を追うように、
次から次に猫くんが現れるようになり、
今では4匹がウチで暮らす。

ゴロゴロ寝転んで。
ゴロゴロのどを鳴らす。

そんなハナPがまだ明けぬ空の下を歩く。



その窓に気づいたのは3日前のこと。
いや厳密に窓の跡というべきた。

斜め前のビル。
2階の3つある窓の真ん中。
コンクリートに塗り固められていた。
白い壁面に浮かぶもう2度と開くことのない窓。
壁になった窓。

それはなぜか白色ではなく、
ペパーミント・グリーンに塗られている。



秋の頃にブルーシートで覆われていた時期があった。
ひどい雨漏りでもしてたのか。
それもいつか取り払われていたのだが。

雨漏りと窓を天秤にかけた結果が壁だったのか。
人間の歴史から考えてみる。

壁はなかった。
壁ができた。
明かりが、空気がほしい。
壁を切り抜こう。
板を立てかけとこう。
開閉できるようにしようか。
時を経ち板はガラスとなる。

そして窓は壁になった。
数千年という長いビデオテープを巻き戻すのように。

どうして窓を埋めることにしたんだろう。
そのときの心情は。

ペパーミント・グリーン。
中で暮らす者が決して目にすることはないであろう。
それはこちら側に住むぼくらに向けられたものなのか。
その中にメッセージを読み取ろうとするんだけれど。

わからない。

「そんなに深く考えるなよ」苦笑いしているようにも見え。
やっぱり禅僧に問いを投げかけられているようにも見える。



窓がなかったら。
ぼくは猫くんたちと出会えていない。
ガラスでなかったら、
たとえ室内を向いて座ってても気づくことはなかった。
開けることができなかったら、
手の届くところにいて触れることはできない。

そしてガラス窓は開けられた。



電車を降り、ベンチでタバコを吸ってると。
ズボンの窓が全開だった。

そんな灰色の水曜日。



階段をのぼるとき、猫くんたちは何を考えているんだろう。
階段をのぼるとき、ぼくは何を考えてるだろう?
階段は不思議な空間だ。



にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

アジャスタブルな関係

決めかねてる。
どの道をたどるのか。
2ヶ月と経たないうちに1年になるというのに。

長いものに巻かれてみたり。
たまに奔流に抗ってみたり。

長いものに巻かれるのだって楽じゃないんだ。
自分を殺してれば。
いつか天国へ行ける夢を見つづけることはできるんだけれど。
遠くに見え隠れする気のする光。

「幸せになることができる」
人は言う。
かすかではあるけれど、
たまに手応えのようなものを感じることだってある。
やっぱり天国はあるみたいだ。



それともやっぱり支配者になろうか。
さわるものすべてをねじ伏せて。
「冒瀆」
揶揄されても耳を貸さず。
ときに自然の力さえも服従させて。

しかし支配者としての天国は長持ちするのかな。
不測のことも起こるだどう。
「想定外」
と自ら言う事態に瀕したら。
原発を見れば暴君支配の天下が続かぬことは歴然としている。
諸行無常。



では、天国を目指し歩いて行く決心がついたかといえば、
そうでもない。

いまだ揺れている。

自分をあわせるのか?
それとも相手をあわせさせるのか?
右手と右足が同時に出ようとも、
タオルを首に巻いてついていく覚悟はあるのか。
疲れてしまうと腕をつっぱり、
引き分けに持ち込もうとしないか。
自から腰を落とし寝技に誘い込まないか。



この1本。
高価なものじゃない。
それでも、そう言える万年筆を買ってから10ヶ月あまり。

自分の書き方を大多数にあわせるのか。
時間をかけてペンの方を自分になじませるのか。
まだ決めきれない。

もちろん万人の握り方のほうに利点は多いだろう。
字だって上手になるかもしれない。
疲れも少ないだろうし。

それでも50年近く自分の中で普通でありつづけたものを、
「くしゃくしゃ」
丸めて捨てられはしない。
愛着だってある。
今じゃ身体そのものが、
それにあわせて形作られているようにさえ感じる。
50歳で左ハンドルの国に放り込まれるのとはわけが違うんだ。



それでもなかなかいい場所が見つかりそうな予感はしてる。
ぼくの方からも。
あいつの方からも。
少しずつ歩みより。
互いに快適で長所を引き出し合える点が。

1でも、0でもない。
点である必要すらなく。

そりゃ時間はかかりそうだが、
きっと自分だけの場所が。



アジャスタブルな、
フレシキブルな関係というのはいい。



点でものを見るのはやめよう。
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

ふんどしの日のあとに

昨日はバレンタイン。

ふんどしの日でも、煮干の日でも、ネクタイの日でもあったらしい。



Charlie O's Steak Houseという店があった。
入ったことはないけれど、ぼくの中ではステーキ・ハウスというよりも、
アメリカ人修学旅行生徒たちの朝食風景を思い出してしまう。

普段、朝は閉まっているのだが、旅行代理店と契約でもしてるんだろう。、
夏、シーズンになるといつもは暗い朝の店内にライトが入っていることがある。
ティーンエイジャーたちを詰めこんで。
そんな店も半年ほど前に看板を下ろした。

今朝は小雨。
こんな朝は公園ではなく屋根のある場所へ向かう。
その途中にあるCharlie O'sは新しい店になっていた。
Caffe Beneという名のコーヒー屋に。

広大なスペースをぜいたくに使って。
雨の朝小さな発見。

調度類は使い込まれた加工をほどこしてある。
3つに区切られた細長い空間の奥。
ブロードウェイから一番離れたところは図書室風に。

一面こそストリートに面したガラス張りだが、
残る三面の壁は天井まで伸びる造りつけの書架が埋める。
もちろん本はある。
こんな空間なら朝からコーヒーを飲みに寄るのもいいかもしれない。


図書館にかぎらず、
本に囲まれた空間は心を落ち着かせる。

紙の匂い。
刻まれた人類の叡智、
失敗、
歴史、
小さな声で語りかけてくる。
そんなものに囲まれているからだろうか。

表紙の奥が英語であれ、日本語であれ。
不思議と心を鎮める空気が、そこには少しだけ重く立ち込めている。

これはイランへ行っても、
ボリビアへ行っても、
チベットでも。
きっと同じだろう。

言葉がわかる、わからない云々ではなくて、
本に詰め込まれた空気がそこにはあるはずだ。
どんな人間が読む、どんな言葉であろうと。



ここ最近。
電子書籍が気になって色々と調べたりしてる。
買ったり、取り入れるのは少し先の話になりそうだけれど。

電子化された図書館というのには、
どんな空気が流れ、立ち込めるのだろう。
どんな人たちが集うのだろう。

無色透明無臭。
バラバラの重力を持つ空気がカクテルされることはなさそうだな。

そこでは均一な空気がエアフィルターを介したように循環していて、
誰にも微笑みかける。
そんな感じだ。
書架のない広大な空間に椅子とテーブルが点在し、
腰をかけるのは人間ではなく仮想空間に棲むアバターたち。

それとも電子化できないものの番をするだけの空間なのか。
そこに、今、はないのか。

移動図書館は消え、
手垢や、コーヒーのしみもない。
ページの間に電車の切符をみつけることもない、
ガラスケースの中の文字たち。

たまに見かけるMP3形式のジュークボックス。
小さいんだ、これが。

「オラオラ、ジュークボックスならもっとデンと構えろヨ!
壁なんかにかけられてんじゃネーぞっ!
ジュークボックスってのはなー、でんとかまえて腕くんでなきゃいけねえんだ!
客に迎合しちゃ、店に溶けこんじまったらだめなんだ!」

暴力的になってなんだか叩き壊したくなった夜があった。
閉じ込められてる音楽たちを解き放したくて。
電子書籍図書館はそんなものをも内包してしまうのかもしれない。


古臭い佇まいの図書室をガラス越しに眺めながら、
無菌室のような図書館に思いをめぐらせていた。


*ネットで調べてみるとこのコーヒー屋、韓国の大手チェーン。
すごいな韓国。
わが家では朝鮮漬けだった。
いつからキムチを呼ぶようになったんだろう。

$ニューヨーク狂人日記
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村

都会の環

木は葉を落とし。
実を食べた動物たちはフンを落とす。



49丁目を歩いていた。
なにかがゆっくりと落ちてくる。
水気を失った大きな葉のように。

木はない。
ちょうど窓から手が引っこむところだった。。

道路脇にとまる大きなトラック。
でかすぎて運転席は見えないが、
指は男のものだった。

窓から落ちてきたヒラヒラも木の末裔。
白い紙ナプキン。
仕事の合間に朝飯でも食ったのか。

ゴミ収集車だった。
ゴミを落とすゴミ車。
都会の連鎖。リサイクル。
環は閉じられているように見える。



大通りの信号を渡る。
大きな唸りがこだましながら近づいてくる。
道路清掃車が、拭き上げたチリを吸い込みながら近づいてくる。
環は閉じられた。



宙を舞う白いヒラヒラを思い浮かべながら自分のことを考える。

歩道でするウンコ。
自称・主人が拾ってくれる。
他人んちのポリバケツに入れたり、
街角のゴミ箱に放り込んだり。
コンクリートの上じゃ環が閉じない。
別の環を作ってあげなきゃ。

主人とは名ばかりで拾わないやつもいる。
犬より悪い。
引き合いに出されたこちとら犬だって迷惑だ。
それにしても昔も今も道に落ちるウンコの数は変わらないな。
どうしてだろう。
拾ってる人間をけっこう見かけるんだが。

そうそう。
あれは人間だったのか?
トラックの運転台にいたのは。
それともワシらと同じ犬だったのか?
ワシらは紙は使わない。
ワシらはハンドル握れない。
も少し指が長かったら……。
にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村