ふんどしの日のあとに
昨日はバレンタイン。
ふんどしの日でも、煮干の日でも、ネクタイの日でもあったらしい。
Charlie O's Steak Houseという店があった。
入ったことはないけれど、ぼくの中ではステーキ・ハウスというよりも、
アメリカ人修学旅行生徒たちの朝食風景を思い出してしまう。
普段、朝は閉まっているのだが、旅行代理店と契約でもしてるんだろう。、
夏、シーズンになるといつもは暗い朝の店内にライトが入っていることがある。
ティーンエイジャーたちを詰めこんで。
そんな店も半年ほど前に看板を下ろした。
今朝は小雨。
こんな朝は公園ではなく屋根のある場所へ向かう。
その途中にあるCharlie O'sは新しい店になっていた。
Caffe Beneという名のコーヒー屋に。
広大なスペースをぜいたくに使って。
雨の朝小さな発見。
調度類は使い込まれた加工をほどこしてある。
3つに区切られた細長い空間の奥。
ブロードウェイから一番離れたところは図書室風に。
一面こそストリートに面したガラス張りだが、
残る三面の壁は天井まで伸びる造りつけの書架が埋める。
もちろん本はある。
こんな空間なら朝からコーヒーを飲みに寄るのもいいかもしれない。
図書館にかぎらず、
本に囲まれた空間は心を落ち着かせる。
紙の匂い。
刻まれた人類の叡智、
失敗、
歴史、
小さな声で語りかけてくる。
そんなものに囲まれているからだろうか。
表紙の奥が英語であれ、日本語であれ。
不思議と心を鎮める空気が、そこには少しだけ重く立ち込めている。
これはイランへ行っても、
ボリビアへ行っても、
チベットでも。
きっと同じだろう。
言葉がわかる、わからない云々ではなくて、
本に詰め込まれた空気がそこにはあるはずだ。
どんな人間が読む、どんな言葉であろうと。
ここ最近。
電子書籍が気になって色々と調べたりしてる。
買ったり、取り入れるのは少し先の話になりそうだけれど。
電子化された図書館というのには、
どんな空気が流れ、立ち込めるのだろう。
どんな人たちが集うのだろう。
無色透明無臭。
バラバラの重力を持つ空気がカクテルされることはなさそうだな。
そこでは均一な空気がエアフィルターを介したように循環していて、
誰にも微笑みかける。
そんな感じだ。
書架のない広大な空間に椅子とテーブルが点在し、
腰をかけるのは人間ではなく仮想空間に棲むアバターたち。
それとも電子化できないものの番をするだけの空間なのか。
そこに、今、はないのか。
移動図書館は消え、
手垢や、コーヒーのしみもない。
ページの間に電車の切符をみつけることもない、
ガラスケースの中の文字たち。
たまに見かけるMP3形式のジュークボックス。
小さいんだ、これが。
「オラオラ、ジュークボックスならもっとデンと構えろヨ!
壁なんかにかけられてんじゃネーぞっ!
ジュークボックスってのはなー、でんとかまえて腕くんでなきゃいけねえんだ!
客に迎合しちゃ、店に溶けこんじまったらだめなんだ!」
」
暴力的になってなんだか叩き壊したくなった夜があった。
閉じ込められてる音楽たちを解き放したくて。
電子書籍図書館はそんなものをも内包してしまうのかもしれない。
古臭い佇まいの図書室をガラス越しに眺めながら、
無菌室のような図書館に思いをめぐらせていた。
*ネットで調べてみるとこのコーヒー屋、韓国の大手チェーン。
すごいな韓国。
わが家では朝鮮漬けだった。
いつからキムチを呼ぶようになったんだろう。


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ふんどしの日でも、煮干の日でも、ネクタイの日でもあったらしい。
Charlie O's Steak Houseという店があった。
入ったことはないけれど、ぼくの中ではステーキ・ハウスというよりも、
アメリカ人修学旅行生徒たちの朝食風景を思い出してしまう。
普段、朝は閉まっているのだが、旅行代理店と契約でもしてるんだろう。、
夏、シーズンになるといつもは暗い朝の店内にライトが入っていることがある。
ティーンエイジャーたちを詰めこんで。
そんな店も半年ほど前に看板を下ろした。
今朝は小雨。
こんな朝は公園ではなく屋根のある場所へ向かう。
その途中にあるCharlie O'sは新しい店になっていた。
Caffe Beneという名のコーヒー屋に。
広大なスペースをぜいたくに使って。
雨の朝小さな発見。
調度類は使い込まれた加工をほどこしてある。
3つに区切られた細長い空間の奥。
ブロードウェイから一番離れたところは図書室風に。
一面こそストリートに面したガラス張りだが、
残る三面の壁は天井まで伸びる造りつけの書架が埋める。
もちろん本はある。
こんな空間なら朝からコーヒーを飲みに寄るのもいいかもしれない。
図書館にかぎらず、
本に囲まれた空間は心を落ち着かせる。
紙の匂い。
刻まれた人類の叡智、
失敗、
歴史、
小さな声で語りかけてくる。
そんなものに囲まれているからだろうか。
表紙の奥が英語であれ、日本語であれ。
不思議と心を鎮める空気が、そこには少しだけ重く立ち込めている。
これはイランへ行っても、
ボリビアへ行っても、
チベットでも。
きっと同じだろう。
言葉がわかる、わからない云々ではなくて、
本に詰め込まれた空気がそこにはあるはずだ。
どんな人間が読む、どんな言葉であろうと。
ここ最近。
電子書籍が気になって色々と調べたりしてる。
買ったり、取り入れるのは少し先の話になりそうだけれど。
電子化された図書館というのには、
どんな空気が流れ、立ち込めるのだろう。
どんな人たちが集うのだろう。
無色透明無臭。
バラバラの重力を持つ空気がカクテルされることはなさそうだな。
そこでは均一な空気がエアフィルターを介したように循環していて、
誰にも微笑みかける。
そんな感じだ。
書架のない広大な空間に椅子とテーブルが点在し、
腰をかけるのは人間ではなく仮想空間に棲むアバターたち。
それとも電子化できないものの番をするだけの空間なのか。
そこに、今、はないのか。
移動図書館は消え、
手垢や、コーヒーのしみもない。
ページの間に電車の切符をみつけることもない、
ガラスケースの中の文字たち。
たまに見かけるMP3形式のジュークボックス。
小さいんだ、これが。
「オラオラ、ジュークボックスならもっとデンと構えろヨ!
壁なんかにかけられてんじゃネーぞっ!
ジュークボックスってのはなー、でんとかまえて腕くんでなきゃいけねえんだ!
客に迎合しちゃ、店に溶けこんじまったらだめなんだ!」
」
暴力的になってなんだか叩き壊したくなった夜があった。
閉じ込められてる音楽たちを解き放したくて。
電子書籍図書館はそんなものをも内包してしまうのかもしれない。
古臭い佇まいの図書室をガラス越しに眺めながら、
無菌室のような図書館に思いをめぐらせていた。
*ネットで調べてみるとこのコーヒー屋、韓国の大手チェーン。
すごいな韓国。
わが家では朝鮮漬けだった。
いつからキムチを呼ぶようになったんだろう。

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