ニューヨーク狂人日記 -27ページ目

春よ来い!

土曜の朝は日本茶。

やかんが噴くのを待つ間、
テーブルのPCを立ち上げる。
清志郎さんのニュースを知ったのもこんなタイミングだった。
同じ方を向く椅子で。
まだ正常に働かない土曜日の頭。

今回はうれしいニュース。
縁起には振り回されない方がいい。

受信箱の1番上。
白浜久さんからメールが入ってる。
件名は「GUMBO」

それだけでわかった。
開いてみると、やはり。



「長期帰省することとなりました。福岡にいる間に従兄さんのライブハウスでアコースティック・ライブができたらと……」
そんなメールが届いたのがひと月前。
双方にそれぞれの連絡先を伝えて。

硬いつぼみがついた。



昨年の東京で。
白浜さんに伝えていたことがあった。
「もし、福岡へ帰ってその際に時間があったら……」
酒の席だし、招待でもなければ正式依頼でもない。

覚えていてくれた。
帰郷と大牟田Studio GUMBOとをしっかりと結びつけて。
ゆるいリボン結びではなく、暗黒の船の上漁師が結ぶテグスのように。



小さい感動が一定レベルでジーンっとつづいてる。
急上昇も急降下もなく。
低空を根気よく飛んでいく農業用飛行機のような感動が。
いつまでも消えることのない大きな太鼓の低く太い残響のように。



白浜さんがGUMBOでやってくれることはもちろん最高にうれしい。
しかし、それにも増して人と人とがつながっていくということが。
会ったことのない2人が顔をあわせる。
呼吸を感じる距離で。

尊敬する友人と。
敬愛する従兄が。

そんな2人が。

「ぼくという存在はこの2人を会わせるためだけにあったのではないか」
そんな気さえしてくる。

大学を辞めたのも。
アメリカへ渡ったのも。
ホームレスになったことさえも。
この一事のためにあったのではないか、と。

あたりまえだが、ぼくと従兄の出会いは親父が兄弟であったから。
白浜さんとは本がきっかけで親交を深めることとなった。
あの本は1セントも懐を潤すことはなかったが、
多くの人たちとの架け橋となってくれた。
そしてまたひとつ橋が懸かろうとしてる。

種をまきながら歩いてるつもりはない。
多くの人はそうだろう。
それでもあちこちで芽が出る。
気づくと蜜を吸いにきた蝶が受粉させ、
また種がつき、そして落ちる。
芽が出て……。
つぼみがついた。

種は落ちる。
当人の意思と関係なく。
よくも悪しくも自分の種との関わりを断つことはできない。

どんな花が咲くのかはわからない。
おいしい果実をつけるかもしれないし、
うまい具合に受粉がいかないかもしれない。

それでもついたつぼみは開く。
咲く花を楽しみにして。
そうして花は人の目を楽しませるために咲くのではなく、
生命を伝えていくために咲く。
そのためにいくつもの花をつける。



しばらくはおいしい酒が飲めそう。
街路樹につくまだ硬いつぼみを見上げながら、
2人の男のことを考えていた。



蝶といえば白浜さん。
彼は受粉の名人。
気づかぬうちに、ありとあらゆるところで受粉の手助けをしている。
どうしたわけだろう。
彼の通った後はどこもきれいな花畑になる。

春よ来い!
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決定!白浜久@大牟田:Studio GUMBO

大牟田のライブ・スペース。
Studio GUMBOにて、
白浜久さんのアコースティック・ライブが決定しました。

みなさんぜひお運びください。。



白浜さんは友人、
Studio GUMBOはぼくの敬愛してやまぬ従兄の店。
この二人のつながりに感激しているところです。

今回は福岡在住のシンガー・ソング・ライター智子さんとのツーマン・ライブ。
日時は2月10日(金) 18時

ついでに大牟田散策を楽しまれては。



それにしても武道館で、海外で、そして大牟田で。
どんなステージにも上がれる白浜さんすごいです。

■白浜久さん
福山雅治のデビュー・プロデューサーとして知られるだけではなく、
THE MODS(THE MOZZ)、ARBの辣腕ギタリストであり、
現在はMid Atlantic Song Contestで日本人としての初めての受賞、和豪プロジェクト。
TBS系アニメ「輪るピングドラム」の挿入歌、エンディングテーマに楽曲が使われるなど、
世界を股に幅広く活動中。

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酔の明星

だんだん春が近くなる。
5時に仕事場を出ても暗いことはない。
駅を出るときに見上げた
四角く切り抜かれた空。

$ニューヨーク狂人日記

新しいお月さんのお隣さん。
酔っ払いの金星。
酔の明星。
宵の明星。

さあ、今夜は月見酒。

今年はまだ葉鶏頭が雪枯れしてない。
雪見酒のあとの月見酒。
空を見上げる自分が好きだったりする。

酔ってるのかな。
星もね。

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Wilberys

いやいや賛否両論です。
国歌というのは実にHandle With Care。
それにザクッと快刀乱麻をふるっちゃうのがかっこいいんだけど。
ぼくはには清志郎さんのようなまねはできない。
特にあの当時ってまだまだ右翼の方々がお元気だったのではんなかったかな。
ちなみに、ご存知かもしれませんが、
この国、アメリカは右翼国家です。

ぼくはといえばどこの国の国歌にも愛着というものがありません。
もし渡されたら、そんなことはないだろうけど。
こけます。
「ガッチャ~~~ンッ」
あれ……。
結構得意なんです。わざとコケるの。
神業レベルで。
そんなわけで国歌を強制される野球なんかは観にいきません。



個人的にはタイラーさんのこの歌もかっこいいと思います。
ただ、You Tubeからはあっという間に削除されてしまいました。
NFLの申し立てで。
ケツの穴小せー野郎たちだ、まったく。



ま、Handle With Careなぼくは
Traveling Wilberyの"Handle With Care"を聴きたくなってきたからいいのです。
Fragileですから。



ま、Handle With Careなぼくは
Traveling Wilberyの"Handle With Care"を聴きたくなってきたからいいのです。
Fragileですから。

なんといっても兄弟Lucky Wilbery ですね。
でも、Leftyの澄んだ声も好きです。
特に
♪Im so tired of being lonely
I still have some love to give
Wont you show me that you really care♪
というところ。
声も、詩も大好きです。

これを聴くと87年シカゴにいたころのことを思い出し、
ちょっと切ない気分になったりします。
あのころは希望に満ちていたけれど、ちょっと疲れてたから。
今、希望がしぼんでしまったというわけではなく。
相変わらずパンパンなのですが。

♪Everybodys got somebody to lean on
Put your body next to mine, and dream on♪
なのです。
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沙漠に降る雪

砂漠に落ちる雪を見てた。

飲み屋を出ると雪。

予報は朝に見た。
頭の中顔をしかめながら。
そんなことすらすっかり忘れてる。
贈り物のような雪が舞う。

風にあおられ、
無数の白いフレークが足元からも舞いあがってゆく。
車のライトも音までも遠くへかすませながら。
幻想の世界を駅へ、ゆっくりゆっくり、と。



地上は真っ白になってる。
風と雪にあおられながら、
この中を、いつまでも、どこまでも歩いてゆきたい。



巨大な壁の分厚いペンキをこそぐような音で目覚める。
一面の雪。
ブルドーザーが大通りの雪をかく。
あいの手を入れるように近くから、遠くから。
不規則に聞こえるショベルの音。

顔を洗い、ボンヤリしてから。
白いパッチワークの街を駅へ。
吹きつける雪に向かいながら。
二日酔いの頭を抱えて。
襟元に雪がたまっていく。

そしてここでも。
沙漠に落ちる雪のことを考えていた。
いや、
沙漠に落ちた雪のことを。
重い。
沙漠を家へと歩む足が。
遠い。
いつまでもつづくのか。

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Hobo's Lullaby

西の町にいたHoboたちのことを思い出していたら、久しぶりに聴きたくなってきた。

僕のお気に入り。
Hobo's Lullaby
アロー・ガスリー

この歌は息子のバージョンの方が好き。
名曲です。




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コイン <うら>

<うら>

池を、泉を見ると。
人々はコインを放りこまずにいられない。
まるで賽銭箱の前に立つように。
しかも、どうしたわけだろう。
コンクリートや、タイルで固められたものにかぎる。
人工物限定というのがおもしろい。

川や海に向かいコインを投げる人はいない。
少なくともぼくは見たことがない。
一方、育った町にあったデパート。
地階、お好み焼き屋横の池にさえコインの絶えることはなかった。
どちらかといえば、
神様は海や川のほうにいそうな気がするんだけれど。

ローマならともかく。
福岡県南部の田舎町。
お好みソースの焦げる匂いの漂う池に、
「是が非でもまた来ることができますように」
と願う人がそれほどいるとは思えない。

「幸福になりたい」
心の片隅にはいついかなるときにもその思いがある。
それが無意識にポケットの小銭をまさぐらせるのだろう。
それとも一種のDNAとして、
世界中の人々の奥深くに染みこんでいるのだろうか。
池とコインがリンクをしているのだろうか。

少しでも雨が降ると傘を広げる。
雨上がりの朝、濡れたベンチを選んで座る人はいない。
人口の池を見るとコインを放りこみたくなる。

人と水の関係は深い。
畏れ、敬う。



サイコロ、マジックそしてコイン。
気づいたら新年早々こんなことばかり書いている。
今年は博徒のような年になるんだろうか。



最後にコインを放ったのがいつ、どこであったか思い出せない。
かといって幸福になりたくないわけでもない。
ただ、どちらかと言えば腰をかがめて拾う方が圧倒的に多い。
実際は小さな幸福のために、大きな幸せを逃しているのかもしれないが。

思いつく最後のコイン・トスがトレビの泉というのはあまりにも気障だろうか。
2005年6月。
月曜朝、ローマ市による集金作業が終わるのを待って一番に放りこんだ。

$ニューヨーク狂人日記

今年はじめての買い物。
スーパーのセルフ・チエックアウトで拾った1セント玉。
ラッキーなのかな。
このところ全然お目にかかれない古いもの。
別に骨董価値はないけれど、とてもLuckyなPennyに思えた。
1956年。
エルヴィスがHeart Break Hotelでメジャー・デビューをした年。
21歳。

ぼくはまだ生まれていない。


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コイン <おもて>

<おもて>

何円玉だっだっけ。
小さなころのクリスマス・プレゼント。
目覚めると枕元にマジック・セットが置かれていた。
あんな小さなころからマジックが好きだったんだ。
しかしこれは魔術でも、妖術でも、幻術でも、魔法でもない。
奇術。

いろんな道具の中に両面表のコインがあった。
ポンッ。
宙に放り投げたやつを受け止め手のひらを握りしめる。
「これは表が出ています」
裏を出したいときは両面裏のほうを放る。


「今日はどうだったっけ?」

昼過ぎになって見忘れていたことに気づく。
いつもだと朝の日課で見上げながら通り過ぎているのに。
今朝も通り抜けてきたのだけれど。
どちらだったかまったく思い出せない。

昼食のあと、いつもの場所で一服。
裏口から仕事場のあるビルへ入ろうとしたときだった。
人口滝のことを思い出したのは。



ガマンくらべを見てる気分になってくる。
いくら今年の冬があたたかだとはいっても。

裏口には2軒のカフェが店を構える
どちらもまだテーブル・セットを屋外に出したままだ。
ビルにはさまれ、頭上には大きな渡り廊下があるとはいっても、
冷たい風が吹き抜けてゆく。

夏、清涼感があふれたペパーミント・グリーンやオレンジの椅子も、
冬空の下では寒さを引き立てる風景のさし色となる。
この冬はしまわないつもりなんだろう。

座席数を確保しておきたいのか。
うん、それはわかる。
不景気だからね。
たまにだけれど、座っている人を見かける。
マフラーに首をうずめてサンドイッチに挑んでいる人を。
まあ、公園で弁当を食べるぼくがとやかく言うことではないけれど。

そんなわけでこの春は風物詩が少し減ってしまうわけだ。
まだ寒さの残る朝、
どこかの店が屋外へテーブル・セットを運び出す。
そんな風景がニューヨークに春の訪れを告げるのだけれど。



そのときだった。
疑問が浮かんできたのは。
「落ちていたっけ、今朝は」

毎朝通り抜ける人口滝。
貫く巨大なガラス・チューブの中では記念撮影をする観光客が絶えない。
なにか考えごとでもしていたのか。
滝が落ちていたのかどうか、まったく思い出せない。

そのときの自分をひとつ、ひとつ思い出してみる。

「そうだ!」

思いあたることがひとつ。
池を見ながらチューブを抜けたんだった。
いつの間にかたまっていた底に沈むコインを。
夏の間には見られなかったもの。

「今年はいつ止まるのかな」
毎朝、滝を見ながら通り過ぎていたので、
足元まで目が行き届いていなかったらしい。
ほしいいな、魚のような目が。

滝を見上げている間に溜まって、貯まってしまったのだろう。
これは寄付なのだろうか。
それとも収益なのだろうか。
浄財ではある。
初詣の賽銭はどんな感じだったんだろう。

注意して見ていると、
Penny(1セント)の銅色に混じり、銀色が意外と多いのに驚かされる。
しかもQuarter(25セント)が一番多い。

不景気といういつ終わるともしれぬ社会背景を考えると、
水底で光る銀色は奇異に映る。
できるだけ小額にしたいのが人情だろうに。
いや、逆か。
24セントをケチり幸運を逃してしまうよりは、
だれの振る采配かはわからないが、
その程度の投資はしておくべきなのだろう。

幸福のために。
幸運のために。

$ニューヨーク狂人日記

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近頃お気に入りのマジック

魔法がとけた。
切れることはしってたけれど。
いざ切れてしまうと面倒だ。
シンデレラはどうやって家まで帰ったのだろう。



無線ルーターのオマケ。
Network Magicという管理ソフトの試用期限が切れた。
金を払わねばマジックは使えない。
魔法がとけて3年になる。

立ち上げるたびに
「試用期限が切れました」
メッセージが出てきてわずらわしい。
それでもまだ使えるマジックがあるのでそのままにしてる。
アンインストールも購入もせずに。
中途半端のマジック。
足だけが見える透明人間。



魔法。
最初に出会ったのは童話の中。
それは不思議な、驚くべきという世界ではなくて、
どこかオドロオドロしく妖しいものだった。
濃紺のフードの下からのぞく大きなかぎ鼻と、ぎらついた目玉。
バーさんはきまって節くれだった杖を持っていた。
虫歯の菌がつるはしを持った、つり目であるように。
魔法とはそういうものだった。


あこがれを抱いたのはじゅうたんからだった。
魔法のじゅうたん。
空を飛ぶ。
そのせいなのか。
ニューヨークで数軒目のアパートはカーペット街にあり、
暇なときは古いじゅうたんを見て歩いたりしていた。

そうそう、
Steppenwolfで好きなのは、
おなじみ"Born to be Wild"ではなくて、
"Magic Carpet Ride"



長い間Super Natural(超自然現象)はマジックとして語られた。
Science Fiction、科学の手を借りるようになったのはいつからだろう。
科学は万能ではないんだが。

ここ数十年、
空を飛ぶとき子供たちはポケットから竹とんぼを取り出したり、
マントを羽織ったりする。
ぼくも外国の文字が書かれたアイボリーの風呂敷を首に巻いて屋根から飛んだ口だ。

手のひらにテレビをのせ画面をなぞってページを繰っていく。
これだけでも江戸時代から見れば十分にマジックだ。
科学のマジックは少しずつ実現をされていく。



魔法が魔術となるとグッと妖しい。
やはりマジックと呼びたい。

どこかで怖がりながらも、
Majgicには、マジックという言葉に人々は惹かれる。
妖しさの中に抗しがたい甘美さを感じ取るのか。
磁力。

アメリカに来て25年になるけれど、
今でもマジック(インキ)と呼ぶ、マーカーではなくて。
ベルクロ・テープじゃなくマジック・テープ。
スコッチ・テープじゃなくセロテープ。
マジックには驚きと喜びがある。
その驚きが商品名になった。



本屋をぶらつきながらマジックに引き寄せられていた。
レジへ向かっている。
小さなパッケージをにぎって。

おもしろいものでスーパーのレジへの列の中、
週刊誌、ガム……。
かごに放り込む人がいる。
これもマジックと言えないこともない。
ぼくがにぎっていたのは$2.79のマジック。

Book Magic







これまでいくつものブック・スタンドを試してきたけれど、
これは最高傑作。
ポケットに放り込んで出かけられるし、
机の上でも場所をとらない。
失くしてしまえばまた買えばいい。
薄い本から、厚いものまで。
しっかりとページを押さえこんでくれる。
外で弁当を食べながら本が読め、
まるで3本目の手が生えてきた錯覚にとらわれる。



マジックにも使用期限がある。
シンデレラはヒッチハイクをしたのだろうか。
そういえば先日、久々にヒッチハイクをする若者を見かけた。

かつて魔法にうつった原子力発電所。
今ではあやうげな魔術にしか見えない。

術が切れるまで40年。
更に20年延ばすという。
ほんとうに術は切れないんだろうか。
じゅうたんが墜落することはないんだろうか。

シンデレラは裸足で帰ることができた。
ぼくたちはどうやって帰ればいいんだ。
道がわからない。



Book Magic
この先40年は持たないかもしれない。
科学のマジックは。
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双六 <●●●●●●の目>

<●●●●●●の目>

磁力の町から帰ってきた。
とりあえずのふり出しに。
腰に磁石をつけて。
ぼくは磁石で動いている。

時計をすすめることも、戻すこともない。
1日をどこかで失うことも、
時と時との間をケンケン飛びするように、
分を忘れて飛び越えることもなくふり出しに戻ってきた。

さすがに日本への往復では時計をあわせるけれど。
いつだってタイミングに迷ってしまう。
いつ日本の時間にあわせるか。
いつニューヨークの時間にあわせるか。

「飛行機に乗ってすぐにあわせるといい」
助言をくれる人も多い。
でも、ふりそそぐ太陽の光を見ながら、
夜の時間に針をあわせるのも罪深い気がしてしまって。



日本に生まれニューヨークで生きている。
とうとう人生の半分以上を。

ニューヨークで生まれ、この地に暮らしている人々とは、
14時間の差がある。
冬の間は。
25年前の秋、
14時間を一足飛びに来てしまったままだ。

ぼくは罪深いまま終わるのか。
それとも当然のこととして14時間のつぐないをして、
最終的に消えてゆくのか。



あけましておめでとう。

今年もふり出しに戻ってくることができました。
新年、この言葉を使わない。
慶びを控えるむきもあったけれど、
新年というある種のふりだしに、
今年も戻ることのできたことを今年も祝いたい。

喪われた人もいる。
それでもまたこの日を迎えることのできたことを、
素直に慶びたい。
自分のために。
みんなのために。



さて、自分というコマは今どのあたりにいるんだろう。
次の目が<ふり出しへもどる>かもしれない。
<あがり>かもしれない。
いや、曲がり角の向こうには果てしないほどのコマが並んでいるのかもしれない。



今年もちっぽけなことをくよくよと考えながら、
環の上を歩いて行きます。
ふり出しへと戻るために。
そしてまた「あけましておめでとう」と言うために。



それでもタイムマシンとトランスポータがほしい境なのです。






(ふり出しへもどる)
$ニューヨーク狂人日記




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